異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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裏世界ジャハナム、狂騒乱舞編

  思索

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 むせ返るような香水の芳香ほうこうに、悪酔いしそうな高い酒の匂い。
 悪趣味に着飾った人間達の趣味の悪さは、鼻腔びこうすらも不快にさせる。

 あまり長居したくない雰囲気の場所だと思いつつ、ブラックは軽く自分の鼻先を指で弾いた。無作法な事とは解っていたが、そうでもしないと悪趣味な臭いが鼻にこびりついてしまいそうだったからだ。

 そんなブラックの隣で、トルベールはこの煩い広間を見渡して笑う。

「さって、旦那。誰から行きますか」

 トルベールの格好も、お世辞にも趣味が良いとは言えない。
 上着は白い礼服だが、中身は悪趣味な極彩色の柄物シャツで、金細工の首飾りをこれ見よがしに付けている。男だと言うのにごてごてと飾りのついた指輪を何個も嵌めているのは、あまりにも安っぽかった。
 まあ、狙ってやっているのだろうが。

 微かに溜息を吐いて、ブラックはシルクハットを目深に被り直した。

「で、誰から手を付けるんだい」
「一応仁義ってモンがありますんで、最初は赤青両方の大元おおもとに挨拶に。私が事前に挨拶してはおきましたけど、こう言うのはどこの世界でも煩いもんで」
「ああ、分かったよ」

 トルベールに案内されて、舞台から離れた静かな場所へと案内される。
 この広間には舞台が設置されているが、別に演劇や講演のために使うのではない。宴の参加者達が呼んだ芸人が、芸を披露するために有るのだ。

 この【商談の宴】の参加者は、その芸人たちの芸を全て見る事が義務付けられている。その為、この場は一種の観劇場となっていた。
 もちろん、大元おおもと達も専用の場所で今まさに舞台を眺めている。

 芸を全てを見る事が参加者の義務……というのはいささか奇妙に見えるかも知れないが、要するにこれは一種の接待であり、交流の切っ掛けなのだ。
 それでいて、広場に参加者が全員集まる事で、彼らは牽制けんせいしあっている。

 前者は実に健全な理由だ。自分が呼んだ芸人を見て貰う事で、自分の教養の高さと交流の広さを知らしめ、新たな繋がりを構築する事を目的としている。
 ゆえに、参加者はこぞって芸人をこの舞台へ呼びたがるのだ。

 だが、後者はそういうほがらかな理由ではない。
 この場所はあくまでも裏社会。後ろからナイフで刺される事も珍しくない。
 つまり、どこに居ても危険なのだ。

 だが、宴で事前に全員が人数と不審者を把握しておけば、凶事は防げる。
 仮に何かが起きたとしても、誰かが犯人の姿を覚えていないとも限らない。覚えていれば、必ずそれを大元に伝える手筈になっている。

 逃げ切れる可能性などない。
 そう言った無言の圧力が、この宴を平穏な物にしているのだ。

(まったく、ツカサ君をこんな危ない場所に連れ込まなくてよかったよ……)

 トルベールの背中を見ながら、ブラックは今の状況に眉根を寄せる。
 色々な打算がない訳でもなかったが、やはりツカサを巻き込んだのは失策だったかもしれない。ただでさえ、お人好しで自分の迂闊うかつさに気付かない少年だ。こんな場所に放り込んでは、誰に犯されるかもわからない。

(ツカサ君たら、全然解ってくれないんだもんな……僕の言い方が足りないのか、それともツカサ君はちょっと頭が温かいのか……どうして、自分が襲われやすいって解ってくれないんだろう)

 別世界から来たから警戒心が薄い。そんな事は解っている。
 だが、彼はあまりにも危機感が足りなかった。それも、状況に対しての危機感では無い。「他人から好意を寄せられる」という事に関しての危機感だ。

 この前、勇気を出してツカサに「自覚を持て」と言ったのに、彼はもうそんな事も忘れて、今日はあの熊と二人でさっさと舞台袖に行ってしまった。
 散々あの熊には気を付けろと注意したはずなのだが。

(……『俺にはそんな風に見えない』って、ツカサ君は鈍感すぎるよ……。いくら獣人が距離感が近い種族だからって、出会いざまに尻を揉みに来たりするワケないだろう。僕もあの熊の事を言えない部分はあるけど……でも、だからって、無防備すぎやしないかい?)

 サカりのついた猫のように、勢いに任せて襲ってしまうのが悪いのだろうか。
 だが、それだってツカサが嫌がらないからつい調子に乗るわけで。

(うーん……抵抗されると面倒だけど、やっぱりこれからは自衛させる意味も兼ねて、徐々に嫌がる事を……)

「旦那、旦那」
「えっ、あ、なに。どうしたの」
「こちらが赤の大元。こちらが青の大元です」

 色々考えている間に、大元の所へ来てしまっていたらしい。
 内心慌てつつ思考を振り切り、トルベールが手を差し出す方を向くと、そこには皮張りの高級そうな椅子に座る人間が二人いた。

 一人は、赤の妖艶なドレスに身を包んだ、豊かな髪と豊満な体を持つ美女。
 もう一人は、濃紺の礼服を身に着け、煌めく灰色の髪を後ろへ流した壮年の男。

 それぞれが別々の椅子に座り、周囲に見目麗しい男女を侍らせている。なるほど、彼らは確かに「大元」らしい。ブラックはにっこりと人懐こい笑みを浮かべて、腰を深く折り曲げてお辞儀を披露した。

「今回はこのような舞台にお招き頂き、その上高貴なる皆様方にご笑覧いただけるように取り計らって頂きまして、誠にありがとうございます。私、興行団の団長のラークと申します」

 あらかじめトルベールと打ち合わせていた内容を言い、再び頭を上げる。
 シルクハットを優雅に動かして被って見せると、赤の大元は妖艶な赤い唇を歪ませて、ふわりとブラックに笑いかけた。

「貴方が私の“子ぎつねちゃん”が推薦した興行師だったの。旅の芸人は変わり者が多いと言うわりには、凛々しい良い男じゃない」
「うむ、赤の陣営が用意する武芸者は、みな見目麗しい物ばかりだな」

 赤の大元の蠱惑こわく的な青の瞳と、青の大元の力強い紅蓮の瞳がブラックを射抜く。
 流石は荒くれ者を束ねる二人だ。相手を見極めようとする意思と、その目力はあなどれない。観察されているのをひしひしと感じつつ、ブラックは持っていた杖をトンと突いた。

「お褒め頂き恐悦至極にございます……。願わくば、私どもが磨きあげた者達にもお慈悲を下さると幸いなのですが」
「おお、そうだったな。……赤よ、今宵はぬしの所から随分と楽しげな者達が出るらしいじゃないか」

 赤、と呼ばれた美女は、くすくすと笑いつつ、煌びやかな扇子で口元を隠す。

「ええ、子ぎつねちゃんに聞いたけど、とても可愛い子と素敵な殿方らしいわよ。今までとは少し趣向が違う芸だから、楽しみにしていらして。青様」

 まるで、お互い疑い合っているとは思えない姿だ。
 ブラックの目に見える二人は、一目見ただけではただの年齢差のある恋人同士にしか見えない。つまり、それほどに親密そうに見える。
 けれど、彼らは内心相手が裏切り者ではないかと疑っているのだ。

 こんなにうまく腹の内を隠して話し合うだなんて、貴族の騙し合いでもそうお目に掛かれない。荒んだ世界は沢山見て来たはずのブラックだったが、このジャハナムは、間違いなく特別で高度な組織体だと確信せずにはいられなかった。

 今時、貴族でもこんなに上手く化けやしないだろう。

(まいったね、大元をだまくらかして情報をかすめ取るのは難しいみたいだ)

 現在、ブラックとツカサは赤の大元に依頼されているが、ブラックとしては赤の大元も信用する気はなかった。というか、誰を信用する気もない。
 ツカサとシアンは別だが、それ以外はブラックにとってはなんの興味もない。
 どうかすれば、ただの障害だ。

 赤の大元やトルベールでさえも、ブラックには疑わしい人物に見えていた。
 必要以上にそう思ってしまうのも、ジャハナムに入り込まねばならなかった理由がもう一つあるからなのだが。

「じゃあ、私達は他の参加者にも挨拶してきますんで……」
「ええ、そうね。演目が終わったらぜひまた来て頂戴」

 トルベールがいつの間にか話を纏めていたのか、大元おおもと二人に向かって深々と礼をする。ブラックもそれにならい帽子を脱いで頭を下げると、大元達の側を離れた。

「旦那……青の大元、どう思います?」
「さてね……。組し難そうなのは確かだけど……今は何とも言えないな」
「ですよねぇ……ま、こっちも手探り状態ですし、いい機会だから片っ端から声を掛けましょう」
「そうだね。営業をかけなけりゃ、興行師は商売あがったりだ」

 出来るだけ周囲には普通に思えるような会話をして、ブラックはトルベールと共に会場に居る人間に、文字通り「総当たり」で興行師としての自分を売り込んだ。
 勿論もちろん、これは営業ではない。“つなぎ”……という雇用者との交渉役を寄越して貰うための売り込みでもない。あくまでも、対象の顔色を見る為だ。

 幸い、ブラックは高度の【査術さじゅつ】を会得している。
 相手の査術の腕が高かったり、相手が査術封じの術で防衛しているのなら、術を悟られる危険があるため使えないが、そうでなければこっちのものだ。
 相手に触れる事さえできれば、大まかな強さや人物像などを簡単に把握できる。

 トルベールにはその事は話していないし、ツカサもこの事は忘れている。
 だから、今大いにこれでズルさせてもらおうではないか。

 ブラックは人の良い笑みを浮かべながら、次々に握手を求めて行った。
 もちろん、握手をして貰えない相手もいるが、さほど残念な事でもない。
 相手の喋る口調や自称であろう職業、それと表情で、大体の人物像は読める。

 演目を無視してしばらく参加者達と歓談していたブラックとトルベールだったが、あらかた交流し終えると、いかにも疲れたと言わんばかりに広間の隅に移動した。
 わざとらしいが、これくらいやれば目晦めくらましにはなるだろう。

 壁にもたれつつ息を吐いていると、隣でトルベールが気の抜けた顔で頭を掻く。

「さーて……どうっすか。ビビッと来る奴いました?」
「……それなりには。でも、ここの参加者なんて全員悪人みたいなものだし」
「それを言っちゃあお終いですよ……おっと旦那、熊兄さんの芸が始まりますぜ」

 そう言われて、思わず舞台の方を見る。
 すると、いつ解説者が紹介したのか、東方の民俗衣装を着た大柄な男が舞台へと歩きだしていた。

 光が当たるとうっすらと紫に光る、黒に近い青髪。
 橙色の目は、憎きあの熊である。

 この一週間ほど、本当にあの熊には煮え湯を飲ませられた。
 折角こちらが人族の国の事を教授してやっているのに、やれ「ツカサはどこだ」だの「ハラが減った」だの教え方がヘタだの、ツカサに頼まれていなければ、確実に殺している所だった。

 今でも思い出すと腹が立つ。
 あの熊の為に今苦労している事を思えば、はらわたが煮えくり返りそうだった。

 見るまいかと思ったが、そう言えば相手の力量をまだ確認していなかったと思い、ブラックは嫌々ながらも熊男の芸を鑑賞する事にした。

「さあ、東方武芸者、怪力のロウクの武芸をご堪能ください!」

 そう解説者が言い切ったと同時、広間に独特の節を持った旋律が流れ始める。
 これはあの民族衣装の国の音楽だ。

(さあ、お手並み拝見と行こうか)

 熊男の練習は、見てても苛つくだけなので見ていない。
 あの分厚い壁や、何十枚も重ねられた板をどうするのかと、高みの見物で眺めていたが――熊男の思いもよらぬ怪力に、さしものブラックも目を剥いてしまった。

「げっ……」

 ばき、どか、なんて冗談みたいな大仰な音が聞こえて、舞台上の板や壁が木端微塵こっぱみじんに壊されていく。
 あまりの事に、参加者の中には甲高い悲鳴を上げて気絶するものも居た。

 それはそうだろう。
 人族は普通あれほどの力を出せない。

 故に、拳闘士などは珍しく、東方の国の出身者ばかりになりがちなのだが……
 しかし、あれほどの力で物体を粉砕するものなんて、居ようはずがなかった。

 そんな衝撃的な力を目にしたのだから、倒れる夫人が居ても仕方ない。
 ブラックも熊男の力を目の当たりにしては、流石に文句の言いようも無かった。

(確かに、獣人は人族よりも力が強いけど……あれはちょっと異常だぞ……滅多に見ない熊族だからか? それとも、あの男自身になにか特別な力が有るのか……)

 考えあぐねていると、熊男が一礼をして舞台を去っていく。
 未だに熟考の構えを崩していないブラックをよそに、解説者は次の演目を説明し始めた。なにやら小煩い。華美だの麗しいだのと騒ぎ立てているが何だろうか。

 鬱陶うっとうしい、と思おうとすると、急に広間の照明が落ちた。

「っ!」
「旦那、始まりますよ! 本日イチバンの演目が!」

 ニヤニヤしながらトルベールが言うのに負けて、ブラックは再び舞台を見やる。
 真っ暗な世界に、一筋の光が唐突に現れる。
 その光の下に俯いて立っている細い姿を見つけて、思わず息を呑んだ。

 あれは――ツカサだ。
 背景には、いつのまにか輝く星の運河を描いた巨大な絵画が嵌め込まれている。
 ツカサはその河を背負い、星にも負けぬほど輝く装飾品で美しく着飾っていた。姿をいつわるために付けた長髪のかつらは、光る糸を織り込んだリボンで綺麗にまとめられている。

 まるで、南国の姫君のようだ。
 瞬きも忘れてその姿に見入るブラックの目の前で、ツカサが顔を上げる。

 幼なさを残した愛らしい顔立ちが、凛として前を向いた。

 何かに縋るように伸ばす片手には、美音を奏でる鈴の腕輪が光っている。
 その鈴を、しゃん、と一つ鳴らして、ツカサは踊り始めた。

「……っ」

 音楽がつられて流れ出す。
 その波に乗るように、ツカサは布を空に泳がせながら華麗に身をおどらせる。
 広間の全ての者が、美しい装飾をした布に目を持って行かれながらも、ツカサの妖艶な動きに付いて行こうと目を忙しなく動かしていた。

 未成熟な体はまだ男性としての形に成りきれておらず、そのわずかな中性さを思わせるくびれが、ゆっくりと上下していく。
 その度に、腰の留め輪に付いた細い金属が、シャランと涼しげな音を立てた。

 鈴の音と、足踏みする音と、金属の触れ合う音。
 欲情を煽るかのような速い拍の音楽の下で、ツカサは薄く微笑みながら、舞台を縦横無尽に駆ける。その姿は、まるで人を誘う妖精のように愛らしい。

 見せつけるように動かす腰の動きは、ただただ淫らな情事を想わせて、その場のもの全てに熱い溜息を吐かせた。そう、先に見ていたブラックでさえも、舞台上の美しいツカサの姿を見て、興奮せずにはいられなかったのだ。

(ああ……ずるいよ、ツカサ君……本番になってそんな顔するなんて……)

 欲を煽る動きをして、観客に妖艶に微笑んで。
 そんな事をしたら、誰もが惚れてしまうではないか。

(僕が教えた、腰の動き……ああ……)

 欲目だとは解っている。だけど、心配せずにはいられない。
 彼のあの扇情的な姿と普段の姿の差異は、あまりにも人を狂わせる。

 きっと、あの美しく妖艶な姿を見て、人は狂うだろう。
 そうして、彼の普段の姿を見て知って、人は余計に彼が欲しくなるに違いない。自分がそうだった。そうだったからこそ、心配だった。

 ツカサの踊りを見て見たいと思ったのは自分だし、巻き込んだのも自分だ。
 だけど。

(ああ、どうしよう…………もし、この中の誰かがツカサ君に言い寄りでもしたら……うまく殺せる方法をまた考えなきゃいけないんだ……)

 そんな場合ではない。そんな事をしてはいけない。
 頭の中では理解しているが、そんな考えばかりが浮かんで仕方なかった。

「旦那……こりゃ、大変ですね」

 後が、色々と。
 さすがのトルベールも予測できていなかったのか、焦ったように頭を掻く。
 ブラックは舞台の上の美姫に目を奪われつつ、それに頷く事しか出来なかった。












 
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