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終章“止まり木”の世界、出逢う全ての物語編
10.真実の代償
しおりを挟む――――初めは、なんてことのない悪戯のつもりだった。
真祖の血縁であり、最長老であるバリーウッドの数少ない直系。
それゆえか、王宮で遊ぶ事も許された子供はありとあらゆるものに好奇心を覚え、それらの仕組みや存在理由を問いかけ、きらきらと目を輝かせていた。
好奇心。それは、子供に無くてはならない物だ。
知ることに恐怖を覚えないのは子供の特権で、それらを疑いもせずに呑み込めるのも、世界の汚さを知る前の存在にだけ許される事だった。
だから、誰もそれを咎めはしなかった。
幼く美しき女王も、血縁たる最長老も、才覚在る王の妹も、王宮を守護する迷宮の主すらも、小さな探究者の好奇心を奪う事は無かったのである。
そんな幼子の探求の日々に、ある日唐突で衝撃的な存在が訪れた。
それは……今なお語り継がれる、最悪の戦火。
神族すらも大幅に数を減らすほどに苛烈だった、モンスターの群れとの大規模な戦が始まった時のことだった。
その時現れたのは、今まで見た事も無いような存在だった。
――――女神ナトラ。
周囲の大人達とは違う、幼さを残す少女のような姿の神。
全てを拒否する事無く受け入れ包んでくれるような優しさを持つ女神だった。
だが、その女神は自分を「人だ」と名乗った。
「神」と言う扱いではなく、自分を一人の人族として扱って欲しいと頼み、大規模なモンスターの行軍を止める為の力を貸して欲しいと懇願してきた。
……人族は、下等で薄汚い存在だ。
神族の事を何一つ知らず、寿命も短い。そのくせに、自分勝手に自然を破壊したり同種族同士で殺し合ったりする。モンスターと同様の存在だと聞いていた。
だからこそ、彼女の高潔さが信じられなかったのだ。
けれど、彼女を信奉する存在が神族に増え、自身も彼女と触れ合う内に、この世を司る「神」という存在は、なんと素晴らしい存在なのだろうと思うようになった。
まるで、夢を見続ける乙女のように純粋な彼女を知り、幼子は……――
クロッコは、神に対して一層敬意を抱くようになって行った。
――――己の成長を自覚してからの神族は、大人と変わりない姿となる。
特に、真祖の血を引いているクロッコは普通の物より自覚が早く、既に秀才として王宮に勤め、文官として働くようになっていた。
勿論、役目は蔵書を守る役だ。過去からの叡智と神への称賛を永遠に守り続けるために、クロッコは自らその役目を買って出たのである。そして、幼い頃以上に、神の存在するこの世界の“理”の素晴らしさにのめりこみ、自分達……バリーウッドと自分を作ったのだと言うアスカーにも深い敬意を抱いた。
……我々は、美しく長命で世界を監視するために存在する尊き種族だ。
唯一、神の降臨を知る事が出来、神の為に仕えるための特別な力を有している。
素晴らしい神々の傍らに立つ事が出来る存在。
そんな存在として想像してくれた父たる神に、クロッコは深く感謝していた。
今も忘れられないあの優しく愛らしい女神と巡り合わせてくれた事が、父たる神の祝福のような気すらしていたのだ。
だが、その狂信的なほどの盲目の愛は、唐突に崩れ去る事となる。
――――ある日。ディルムに想像だにしていない存在が現れた。
それは、神を殺す【黒曜の使者】と呼ばれていた謎の存在。女神を殺すためにこの世界に現れたと言う、異なる世界からの使者だった。
蔵書を管理し、今は【四つの神の書】の石板の管理をも任されているクロッコにとっては、その推測は簡単な事だった。
二番目のアスカーの石板に記された【黒曜の使者】という最悪の話。
それを知って、今まで全ての古い蔵書を確認して来たクロッコには、その【黒曜の使者】が異世界人である事をなんとなく把握していたのである。
だから、最初はバリーウッドと共にその男を警戒した。
ナトラを殺すのであれば容赦はしない、そう思って返り討ちにする覚悟すらした。
だが、相手は……想像の【黒曜の使者】とは違っていた。
このところ不調だったディルムの根幹機械を修理したと思ったら、共に連れて来た女達と神族に食事を振る舞ったりして優しくし始めたのだ。
そして、迷宮の主にも新たな提案をし、王宮の守りすら固めてくれた。
……そんな事をする悪人が、いるだろうか。
その頃はまだ何もかもを信じていられた若いクロッコは、バリーウッドと一緒に【黒曜の使者】の存在を認める事に決めた。
彼の「ナトラを殺さない」という言葉を信じたのだ。
そうして、クロッコもいつしか彼と親交を深めて行った。
キュウマと名乗った、不可解な異世界人と。
彼は知識が深く、そして思慮深かった。若い見た目の割に妻が多い事を不思議に思っていたクロッコだったが、彼がそれほどの男と知って納得もした。
人族……いや、神に連なる縁者は全て尊いのだとすら思ったものだ。
だから気安くなって、冗談も言い合うようになって。
思えば初めての友人だったのかも知れない。
そう思ったからか、つい幼い悪戯心が疼いたのだろうか。
今となっては最早判断もつかないが……クロッコは、選択を誤ってしまった。
下手に悪戯心を、好奇心を持たなければ……知らずに済んだのに。
「…………凌天閣に、長老とキュウマが入って行った時……好奇心に負けて、追わなければ良かった……」
今呟いても、もう遅い。
自分は悪戯心を出して、彼らの後を追った。
そうして彼らの姿が無い事に気付き、あの隠し部屋の存在を知って……入る事が、出来てしまった。真祖の血を引くせいか、それとも何か特殊な事が起こったのか……クロッコは、その「入ってはならない部屋」に入ってしまったのだ。
「……読んだのか…………あの日記を……」
呟くと、クロッコは頷いた。
「酷い、悪文でした……。ナトラに教えられた文字と比べたら、無機質で……見るに堪えない文章だった…………なのに、私は……それを、読んでしまった……。読み、終わって、発狂して、一生分の涙を流した。今まで信じて、信奉して、心酔して来た存在が、父親のように思っていた神が……子である我々を『ただのコマ』としてしか見ておらず、神はこの世界を悪意を持って改変する存在だと知った……」
「…………」
「……分かりますか……? 私の絶望が。この世界の全てが“勝手な創造物”で、私達すら愛されて生まれて来た存在ではなかった……私達は、異世界人の勝手な願いで作られて、命すら軽んじられて……今まで自分の意志で生きて来たかどうかすら、解らない……っ! ナトラですらそんな神の系譜でしかない! 我々は、異世界人に仕え、ただ操られるだけの存在、それだけの命なんですよ!!」
クロッコの金の瞳が見開かれ、絶望と怒りに満ちて俺に叫んでいる。
だけどその目は……俺に怒っているんじゃない。
この世界の全てに対して、絶望しているんだ。
そう思うと、他人の事の筈なのに……心が痛かった。
「今だって……私は神の存在から逃れられない……世界が貴方達に味方をする、我々の意志など関係なしに……!! だから、私はいっそこの世界から異世界人が消え去ればいいと思った。我々を、私をコマとして扱うような悪逆非道な存在なんて二度と許すものか……そう、思って……だから、今までなりふり構わずに、この世界のためだと思って色々……準備していたんですけどね……」
力なく、目が細められる。
血が、足りなくなってきたんだろうか。大地の気を流し続けて延命させているが、それでも血の流出はどうにもならない。
思わず顔を歪めた俺の傍で……声が聞こえた。
「嘘だ。お前が本当に望んでた事は違うだろ」
「……え?」
見上げると、ブラックがそこにいた。
だけど、ブラックの表情は怒りでも侮蔑でも無い。ただ、真剣な表情で。
どういう事だろうかと見上げた俺に目を移す事も無く、ブラックは続けた。
「お前は、絶望したんだろ? 今まで狂信的に愛していた存在が自分を『命ある者』とすら思ってなかった事に、怒り失望したんだ。だから、こんな狂ったことをした。自分を虐げる存在がこれからも自分を縛り続けるのが怖くて、だけどそれに抗えない事が自分でも解っていたから……変な【機械】に押し込めてその力を無力化しようと画策したり、こんな装置を使って無理矢理帰したんだ」
「…………っ」
まるで見てきたように言うブラックに、クロッコは息を詰まらせる。
……まさか、それが真実なのだろうか。
クロッコは憎いという感情ではなく、寧ろ俺達を恐れていたのか。
だから……あんな風に、俺を痛めつけたり壊そうとしてたというのか?
「…………胸糞悪いけど、よく解るよ。誰からも愛されず、操られる運命しかないと悟った瞬間の絶望は……受け入れがたい苦痛だ。僕だって自暴自棄になっていれば、お前みたいな事をしたかも知れない」
「ブラック……」
思わず名前を呼んでしまうと、相手は俺を見てニコッと愛想よく笑った。
「今は、そんなコト思ってないよ。だって、僕にはツカサ君がいるから」
「……うん」
――――そっか。ブラックも、人に話したくないくらいの過去があったんだよな。
たくさん苦しい思いをして、それでも耐えて、今まで生きて来たんだ。
それを思うと……やっぱり、クロッコのやった事は許せなかった。
例え愛されていなくても、クロッコの事を大事に思っていた奴はいたはずだ。
バリーウッドさんも、きっとクロッコの事を大事に思っていただろう。
それなのに、自らそれを手放すなんて。
「…………アンタにとって……世界って、神様って……そんなに大事だったの?」
剣を心臓に突き立てる寸前で止めたまま、俺は問う。
光の蔓が補助してくれているおかげで、疲れて手が滑る事は無い。
だからこそ、聞いておきたかった。もう二度と聞けない事だから。
すると相手は俺の方をじっと見つめて、皮肉そうに笑った。
「……貴方には、多分、一生分かりませんよ。…………貴方は……ナトラのようだ。いや、彼女以上に……弱くて、お人好しだ。愛するものには、愛されたい者の気持ちなど解らない。……解りようが、無い」
「……それでも……理解しようと努力する事は、無駄じゃないだろ」
「水掛け論、です。…………絶望の、価値、なんて……人が決める、ことじゃない」
確かに、そうだ。
そうだけど……。
「私を殺しても……それは、変わらない……神、は、残酷で……邪悪だ……。今も、私を苦しめ……新たな、災厄を……招く……」
「クロッコ」
「ああ……もう、良いんです……。それ以上、私は……話す事も無い……。それ以上に価値のある話なんて、私の中には存在しないんです……」
そんな。
それじゃあ、まるでアンタは神を憎むためだけに生きて来たみたいじゃないか。
幾らなんでも、そんな人生が有ろうはずがない。
アンタだって生きてるじゃないか。俺達とは生きる道が違うけど、ちゃんと生きて来たんじゃないか。道を間違ったとしても、それは間違いないはずだろう。
「人の命も価値があるかどうかなんて関係ないはずだろ……!」
「……はは……本当に、貴方はお人好しだ……。けれど、本当に、これ以上話す事も無いんですよ。……さあ、時は来た。貴方の覚悟を見せる番ですよ」
悪びれもせず、クロッコは地面に頭を押し付けて胸を曝して見せる。
黒衣に包まれた体。だけど、心臓の位置はもう知っている。
まるで「俺に出来るのか?」とでも言っているように寝て見せたクロッコに、俺は――情けない事に、冷や汗がどっと湧いてきた。
だけど、そんな俺の肩を……ブラックが掴んできて。
「っ、あ」
「ツカサ君。……僕も一緒にやろうか?」
「…………」
見上げた顔は、目を細めて笑っている。笑っているんだかどうか解らない目で。
その表情を見て、俺は……首を振った。
「……ありがと。でも、これは……俺の“覚悟”だから」
ブラックの顔を見て、冷静になれた。
……そうだ。これは、俺が決めた事だ。絶対に行わなければならないんだ。
この世界で生きると決めた。俺自身が断罪して、その罪を背負おうと決めた。
今まで何も出来なかった、覚悟すら決められなかった自分を乗り越える。それこそが、ブラック達を守るために必要な事なんだから。
「…………クロッコ。……これで……終わりだ」
「……ああ、そうですね……」
今までずっと向けて来た剣の先を、軽く上げる。
……長く苦しませはしない。一瞬で、終わらせる。
だけどそれはクロッコの為じゃない。命に対しての礼儀だ。
俺は、命を奪う。だからこそ、その奪う意味を忘れてはいけない。
戦いで正当に奪った命だとしても、それを忘れてはいけないんだ。
「――――ッ……!」
剣を、しっかりと握って落とす。
俺は……その時の感触を、一生忘れはしないだろう。
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