異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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暗黒都市ガルデピュタン、消えぬ縛鎖の因業編

13.哀れな男

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   ◆



 幸せな時ほど早く過ぎ去る……と言った詩人は誰だったか。

 今更、暖かな世界に満ちあふれた詩集を読み返す気にもなれないが、しかし何故かその詩の一片が思い出されて、ガストンは無意識に溜息を吐いた。

(どうでもいい事だが……確かに、そうなのかもしれないな……)

 人は、幸せの絶頂に長く留まる事は出来ない。
 山頂からは必ず下りなければならなくなるように、己が望まずとも自然と足が頂点からずり落ちて行ってしまうものなのだ。
 何もかもが永遠に続くなんて事は無い。そんな事が可能であったなら、己が一族の館も永遠に“その地”に存在していただろうし、自分もここまで堕ちる事は無かった。全てはいずれ朽ちて終わる物なのだ。

 だが、人は幸せを永遠にたもちたいと願う。
 その「幸福」は人によってそれぞれだろうが、それでも絶頂し続けたいと言う願いは誰もが皆持つ者だろう。それが本当に幸せかどうか、という疑問は置いておいて。

 ガストンは今までそのような事を考えた事も無かったが、しかし不変と思っていた物を失った記憶は持っている。それが故か、その時の絶望や不安が思い起こされて、最近は知らず知らずのうちに物思いにふける事が多くなっていた。

(いかんな……仕事に身が入らんのは良くない。だが……)

 そんな事を延々と考えてしまうのも、今は仕方がない事だった。

「……ハァ」

 執務室の机にひじをついて、何をするでもなく立て肘で組ませた手の甲に額を置く。
 情緒深い詩人のようにあれこれ考えてしまうのは、やはり考えを思いめぐらせるような事を抱えているからだろう。

(このままではいけない。解っているが……)

 だが、結論付ける事を自分は迷っている。いや、そうではない。
 解り切った結論に辿たどいてしまう事を恐れているから、こうして日々鬱々うつうつと考えを巡らせるだけに留めているのだ。

 その思考の堂々巡りは、まるでこの執務机の中に鍵をかけてまで封じている“ある物”のようだ。暗闇の中でどこへも向えず、るべきところへ収まる事も出来ない。
 本当はより良い結果があると解っているのに、それでも仕舞しまわれている。

 ある一人の強欲な意思によって。

 …………その事を考えると、ガストンは酷く憂鬱ゆううつだった。

(自分を底辺だと開き直っているつもりなら、考えなければいい。幸せを失わん為に強欲になったのだと割り切って、誰が不幸になろうが構う物かと思えばいいんだ)

 ほこりなどうに捨てた。高潔さなど何の足しにもならないと自ら剥ぎ取ったのだ。
 それなのに、自分はまだ真っ当な存在であるかのように悩み続けていた。
 そう考える原因は、解っている。

 あの子が……そう、ツカサが、自分の心を引き戻し、真っ当な人間らしい気持ちを揺り起こしてしまったのだ。だから自分はこれほどまでに、彼の為に悩んでいた。

 真っ当な大人が出せる結論へ足を踏み入れるべきか否かを迷って。

「…………」

 誰の気配も無い事を確かめ、懐に忍ばせていた小さな鍵を取り出す。
 その鍵で机の奥にある小さな引き出しを開けて、ガストンはそこに突っ込んでいた物を恐る恐る取り出した。
 ……それは、ガストンの手首には小さい美しい金の腕輪だった。

(あの指輪は売っちまったが、こっちの腕輪は名のある鑑定士に見せた方が良いかと思って、取って置いたんだよな)

 だが、今となっては早急に手放すべきだったと言わざるを得ない。
 何故ならこの腕輪は、恐らく彼の出自を明確にする物だからだ。

「……この意匠、どう考えても普通の腕輪ではない……」

 外側に彫り込まれた「紋様」という情報を見るだけでも、この腕輪が普通の物とは全く違う物である事が解る。一見簡素な造りをしているが、その彫り込みをよく観察してみれば、中に細かく複雑な文様が刻まれているのが解った。
 この技は、並の宝飾技師では習得できない。明らかに二級以上の金の曜術師の手が加わっていた。そんな物の持ち主など、貴族か王族以外に考えられない。 
 価値を金額で表すなら、恐らく五桁は軽く超えるだろう。

 それが解るだけでも恐ろしいのに。

(この裏側の彫り込み……よく見たら、冗談じゃない事が書いてある……)

 いや、正確に言えば「示されている」と言った方が正しいだろうか。
 装飾文字のようにして巧妙に文字だと解らないようにしてあるそれには、このような事が刻まれていた。

 ――――この者、ツカサ・クグルギと言い、ライクネス王国を治め統治する偉大な国王の庇護を戴くものである。よって、この腕輪が示された時、この者にあだなす物があらば国王のかたきとし、この者が望む時は、国王の望みと心得えよ。

「……っざけんなよ……本当に何なんだよお前は……」

 ライクネス国王とは、この世界でも最古の王朝の流れを継ぐ最も権威ある王だ。
 このアランベール帝国の帝王など足元にも及ばない。それどころか、軍事国家とも名高いオーデル皇国やその属国のベランデルン公国すら一目置いている。そのうえ、この大陸の平穏を保つ『世界協定』ですら、ライクネスの国王の一言は重い物とし、決してないがしろにはしなかった。

 それほどの威光を持つ国王が、後ろ盾についている人物。
 しかも「クグルギ家」ではなく、ツカサ本人にのみ後ろ盾が付いているとすると、彼は記憶を失うまでの間に何らかの武功を立てたか、もしくは王に最も近い王族か、その側近として正式に認められたという事になる。

 この世で最も権威ある国王の庇護下にあった少年を、奴隷にした。

 どこの貴族であっても、肝が縮み上がり失禁しながら失神する事もやむを得まい。
 王の庇護を持つ存在を劣悪な環境に落としたと分かれば、どんな制裁を受けるか判った物では無かった。だが、問題はそこではない。そんな事ではないのだ。

(こんな腕輪を持ってたって事は……記憶を失う前のお前は、本当に恵まれた暮らしをしてたんだな。なのに、あんな場所に捨てられて……死にかけていたんだな……)

 どんな事情があって、あんな凄惨な姿のまま放置されたのかは知らない。
 だが、それでも、この腕輪を持っているという事は彼はまだ王の寵愛を受けているという事だろう。もしかしたらツカサは、国王専用の娼姫か使用人かになる予定の、大事な少年だったのかも知れない。
 あれほどの回復力からしても、何らかのことには重宝されただろう。
 だとしたら、彼は間違いなく良い暮らしをしているはずだった少年なのだ。

 こんな場所で、こんな狭苦しい館で薄汚い悪人の奴隷になって良いような少年では無かった。本当なら彼には、幸せな暮らしが待っていたのかも知れない。
 こんなしょぼくれた男に、一生懸命に笑顔を向けなくたって……。

「…………だったら、どうすれば良いか解るはずなんだがな……」

 呟くが、自嘲する余裕すらない。
 ツカサの事を考えると、胸が引き裂かれそうだった。

(彼の幸せを考えるなら、帰してやった方が良い。それは一番分かっている。だが、そうは出来ない……いや、したくないんだ、俺は……)

 腕輪を握り締めて、再びうつむく。

 ……本当に、自分が情けなかった。

(年甲斐もなく子供にかれて、失いたくないと思って……彼が記憶を取り戻す事を喜んでやれもしない……むしろ、二度と戻らないでほしいとすら思っている……)

 そう思うのは、彼を元の居場所へ返したくないと言うのもある。
 だが一番に考えたのは……――――

 自分に似た“大切な相手”の記憶を、呼び覚まして欲しくなかったからだった。

(ああそうだ。最初から見当をつけておくべきだったんだ。あの穢れを知らなそうな少年が、何故こんな恐ろしい場所に居ても恐れず、強面の奴らに囲まれても平気そうにしていたのか。どうして、俺に対してだけはあれほど無防備だったのかを……)

 ……最初は、恩人だから特に気を緩めているのだろうと思っていた。
 だが、ここ最近のツカサの言動を見て、それが間違いだったと気付いたのだ。

(俺の髪を見て不思議そうにするのも、髪に艶が出るようにと髪をきたがるのも、俺ではない誰かにそうした記憶があったからだろう。俺の顔を怖がらなかったのは、面影だけでもその“髪をいた相手”に似ていたのかも知れない。そしてその相手は、ツカサを何度も抱き締めた事が有る。……だから……俺みたいな奴が抱き締めても、ツカサは動揺せずに……抱き締め返して、背中をさすってくれたんだ)

 そう。全ては、記憶を失った頃に存在した“大切な誰か”の記憶から来る物。
 決して自分への行為によるものでは無かった。

 それでも、ツカサは好き嫌いがはっきりしているから、ガストンに対しての感情は過去の記憶を思い起こしているだけという事ではないのだろうが……しかし、ツカサの行動の全てが他の誰かに向けた物だと思うと、酷くつらくなる。

 彼の優しさは嘘ではない。だが、その無意識の行動は自分への献身ではない。
 記憶を失っても残り続ける“大事な存在”の残影によるものだったのだ。

 それを知ってしまった時……ガストンは、どうしていいのか解らなくなった。
 傍に置いておきたいと決めた癖に、その決心すら揺らいできてしまったのだ。

(俺はもうまともには戻れない。だから、こうしてツカサの記憶を封じさせて、一生ここで一緒に暮らそうと思えば出来る。ツカサが全てを思い出してしまっても、俺が無理矢理に閉じ込めればそれで良いんだ。解っている。だが……)

 それで彼は、幸せなのだろうか。

 転寝うたたねする度に胸元を握り締めて何かを探すように不安な顔をする彼を、そのままにして苦しめながら自分だけが幸せになっていいのだろうか。
 大事な誰かを思い出したいのに思い出せなくて、無意識に苦しんでいる彼を……苦しめながら、傍に置いて……自分は本当に……幸せなのだろうか……。

(…………恐らく、ツカサの記憶は戻りかけている……。この腕輪を見せれば、完全に記憶を取り戻せるかもしれない……)

 ある医術書には『記憶を取り戻しかけている者に、その者が所持していた持ち物を見せる事で、完全に記憶を取り戻す事が出来た』という記述があった。
 記憶と言う物は、失ったとしても、実際は抜け落ちた記憶が頭の奥深くに転がって行っただけで、縄を引っ張ってやる切欠さえあれば簡単に戻ってくるのだという。

 指輪は勝手に売り飛ばしてしまったが、もしかするとあの指輪が有れば、ツカサの記憶は完全に戻ったのかも知れない。

(思えばあの指輪も、ツカサにとっては大事な物だったんだろうな……)

 非常に簡素な指輪だとあなどっていたが、毎晩夜泣きしていることを考えれば……その指輪が彼にとっては非常に大事な物だったのだと思い直さざるを得ない。
 そんな指輪を、ガストンは軽く見積もって売ってしまったのだ。
 ロクに鑑定士にも見せず、二束三文の子供用の指輪だろうと思い込んで。

(例え価値が無かったとしても、ツカサにとっては宝物だったのだろうに……)

 そう思いながら腕輪を見て……ガストンは、居ても立ってもいられなくなった。

 腕輪を鍵付きの引き出しにしまい、勢いよく席を立つ。自分でも唐突だと思ったが、しかし鬱々うつうつと悩んでいる自分が情けなくて、我慢がならなかった。
 なにより、指輪とツカサの事を考えると、そうせずにはいられなかったのだ。

(せめてあの指輪を取り戻すんだ。どんな事になったとしても、あの指輪さえ持っていれば、ツカサは許してくれるかもしれない。俺が“大切な人”ではないと思い出しても、俺にも変わらない笑顔を向けてくれるかもしれない……)

 上着を羽織って、紳士帽を目深にかぶる。
 女々しいと言われようが、今はそう考える事で己を保つしかなかった。

 最早、ツカサを失えない。二度と彼の隣に戻れなくとも、その笑顔を向けて貰える程度の存在ではありたい。こんな風に堕落してしまった自分を受け入れてくれたあの少年に嫌われる可能性を見出すくらいなら、いっそ。

 彼の幸せを願う大人として別れるという、一世一代の矮小な意地を張りたかった。

(今は……そこまで思いきれない……。だが、時が来たら。もう逃げられなくなった時は……彼の“恩人”として……別れたい……)

 自己保身と言われても構わない。
 だが、どうしても彼には嫌われたくなかった。

「…………滑稽だな……」

 そう一言呟いて、わらう。
 やっと自嘲する事が出来た自分に満足して、ガストンは部屋を出た。













※またも遅延してすみません…_| ̄|○
 
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