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世界協定カスタリア、世界の果てと儚き願い編
36.眠り姫の 1
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術を使ったことで、一刻……一時間ほど気を失っていた俺は、目を覚ますとすぐにエメロードさんが運ばれたという部屋に出向いた。
ブラック達には「休め」と言われたんだけど、こればかりは頷けない。
だって、聞いた話ではエメロードさんはまだ目を覚ましてないって言うじゃないか。だから彼女の容体が心配で仕方なくて、俺はブラックとクロウに迷惑を掛けると知りながらも、出向かずにはいられなかった。
……今はアドニスが見ているらしいが、彼女は本当に無事なのか。
目を覚ました時に説明された事が真実なのか、ちゃんと確かめたかったから。
というわけで、ふらふらしながらも病室に辿り着いたんだけど……。
「……エメロードさんの具合、どう……?」
ブラックに支えられ、クロウに至近距離で気を遣われながら、俺はベッド脇に椅子を置いて座っているアドニスに問いかける。
白い壁に囲まれた質素で小さな部屋には壁際に一つだけベッドがあり、そのベッドの上には青白い顔をして目を閉じているエメロードさんがいた。
「依然として、この状態のままです。意識は全くと言っていいほど戻りませんね。……それより、君の具合はどうなんです。ほら、こっちに来なさい。そこの中年二人は外に出て。問診の最中に発情されたら困りますので」
目を細めながらブラックを見やるアドニスに、ブラックはぐぬぬと唸る。
「ぐっ……き、貴様……」
「ブラック行くぞ。眼鏡、ツカサを頼んだ」
「ちょっ、お、おい!」
クロウは俺をブラックから引き剥がしてアドニスに渡すと、今度はアドニスに威嚇しているブラックの肩を強引に掴んで引き摺り、部屋を出て行ってしまった。
ううむ、流石はクロウ……いざという時は真面目で頼りになるぅ。
……いや、いざって時も不真面目なブラックに問題が有る気がするが、まあそこは言っても仕方がない。置いておこう。
俺はアドニスに向き直ると、とりあえず自分の体調を確認して貰った。
「眩暈はしますか?」
「いや……今は何ともないよ。疲れた感じはするけどね……」
そう言うと、アドニスは真剣な顔をして、俺の肩に手を置いた。
「当然でしょう。君は昨日失神するまで交尾をして、その上、今日も最上位の曜術を使ったんです。疲労が抜けきっていなくても無理はない。……ふむ。しかし、体内の曜気の値は正常値のようですね」
「ほんと?」
思わず聞き返すと、アドニスは深く頷いた。どうやら確かな事らしい。
「事前に君の平常時の状態を計測して置いてよかった。備えあれば憂いなしです」
「なるほど……こういう時に役立つんだなあ……」
俺的には変態な道具ではあるけど、以前から付けていたお蔭で、「通常の状態」というのが解るようになったし、今の俺の状態も把握できるようになったんだ。やっぱアドニスは凄いや。伊達に人族に有用なアダルトグッズを作ってないわな。
ステータス表示のない世界では、平均値が解るというだけでもありがたい。
通常の状態が解っていれば、自分に異常が起こった時だってすぐ分かるしな。
うーむしかし……よくよく考えたら、この世界の文明度で「平均値」なんてものが割り出せるアドニスも、凄いチートな気がするんだが……ま、まあ、そこはいいか。
「とりあえず、経過観察は続けましょう。君が無事でなによりです」
「う、うん……。あの、それで……エメロードさんは……どう……?」
なんだかアドニスらしくない事を言われたような気がするけど、そこを考えると妙に気恥ずかしかったので、今はスルーしておく事にする。
そんな俺の態度を知ってか知らずか、アドニスも平然とした顔でベッドに横たわるエメロードさんを見やった。
「正直な話、何故目を覚まさないかは解らないのですよ」
「…………そうなんだ……」
――エメロードさんの呼吸は問題なく、首の傷も塞がっているが……彼女は一向に目を覚まさない。俺が気絶している間にアドニスや水の曜術師である医師達が色々と試してくれたらしいけど、それでも彼女の眼が開く事は無かったらしい。
目が覚めた時、ブラック達に心配された後でそのような事を聞かされたが、彼女が今見ているような状態だと知って生きた心地がしなかった。だって、俺の処置が何か間違っていたんじゃないかって思ったから。
もしそうだとしたら、俺はエメロードさんにもラセットにも……神族の国のエルフ達にも顔向けが出来ない。処刑されたって文句は言えなかった。
だけど、アドニスや医者の話では、どうやら俺の処置は間違っていなかったらしく、こっちが恐縮するぐらい褒めてくれた。俺は無我夢中で解らなかったけど、表皮の傷跡以外はほぼ完璧と言っても良いほど、エメロードさんの体内は修復されていたらしい。
俺の力では傷を受けた肌の再生まで頭が回らなくて、そこはやっぱり痕が残ってしまった。だけど、肌の傷は薬師であるアドニスと医師達が時間をかけて治してくれるらしいので、俺は心底ほっとした。
エメロードさんは、自分の体を一生懸命磨き上げてきた努力の人だ。傷痕が残ったら、きっと彼女はショックを受けてしまっただろうから、治って本当に良かったよ。
だけどアドニス曰く、その肌の傷痕の治療も、俺が彼女に“大地の気”を大量に注ぎ込んでいたから可能になった事らしい。
傷痕を治すと言っても、そこにはやはり本人自身の力が要る。その力とは、大地の気だ。大地の気は、何故かはよく解らないが、人族の自己治癒力を強める。いわば、気力のような物なのである。だから、彼女の体の中に惜しみなく気を注いだことが、彼女自身の自己治癒力を活性化させて、傷痕を完全に消す事を可能にしているんだとか。俺にはよく解らないけど、とにかく可能だってんだから良かったよ。
これで、あとは彼女が目を覚ましてくれれば全ては元通りなんだけど……。
「なあ、アドニス……どうしてエメロードさんは目を覚まさないんだ……?」
問うと、アドニスは何故か眉根を寄せて神妙な顔をして、少し腰を屈めた。
そうして、俺の耳に顔を近付けると、小さな声で囁く。
「大きな声では言えませんが……大体の見当は、ついています」
「……!?」
「これはまだ誰にも言っていませんが……彼女の背中……左の肩甲骨の下に、とても小さな黒い点を一つ見つけました。最初はホクロか何かかと思ったのですが……気になって調べてみると……それは、薬の痕だと解ったんです」
「く、くすり……?!」
なにそれ、どういう事だよ。
思わず目を剥いてアドニスを見やると、相手は更に眉根を寄せた。
「医師達が解らなかったと言う事は、薬は一瞬で血流に溶けて吸収される類のものだったのでしょう。……そもそも、薬の類は木の曜術師の範疇で、体内で起こる異常のみに精通する水の曜術師では管轄が違いますからね。解らなくても無理はない」
「そ、それ、なんで言わなかったの」
「医師に解らない方法を使って、何者かが彼女を昏睡状態に陥らせたのだとしたら――きちんと調べてから報告しないと、敵に先手を打たれるでしょう? 私は、そのような迂闊な事はしたくないのでね……」
「そ……それもそうか……」
もしこのままアドニスが報告したら、その知らせはすぐに裁定員達の耳に届くはずだ。もしこの本部の中にエメロードさんに対して薬を使った人間がいるとしたら、上に報告が行ったと言う事も解るはず。
そうなると……再びエメロードさんの身に危険が及ぶかもしれない。
薬の種類も、それを誰がどうやって打ったかの見当もつかないままでは、報告する事も出来ないだろう。アドニスが黙ってるのも仕方がないよな……。
だけど……本当に、どうしてそんな事に。
「なあアドニス、その薬って遅行性?」
「外部で薬を受けたと言う事ですね。……恐らく有り得ないでしょう。黒い点は、見た所、打たれてすぐのように見えました。こっそり押してみましたが、点の部分から黒い汁のようになった血液が少し滲み出ましたので、打たれてまだ数刻も経っていないと思いますよ。恐らく……彼女が首を切られたと同時に、打たれたのでは」
「首を切られた時って……空中庭園には俺達しかいなかったのに……」
あの場所に居たのは、俺とブラックとエメロードさん。それに、彼女の従者であるラセットとクロッコさんの二人だけだ。それ以外には人影なんて無かったはず。
そもそも、首を切られたのだって、突然の事だったんだ。
ラセット達も俺達も、彼女とは少し離れた距離に居た。首を切れるはずもない。
なのに、どうしてこんな事に……。
「…………ツカサ君、私は一刻ほど留守にします。その間、彼女を頼めますか」
「え……な、なんで?」
「城に帰って、蔵書を調べたいんです。……私はそこで以前、眠るか昏睡状態に陥る症状を引き起こす薬の調合方法が書かれた書物を見た事が有ります。もしかしたら、彼女を眠らせている薬か毒か……どちらかの正体が分かるかも知れない」
「そ、そっか……解った、俺ちゃんと見てるよ! しっかり調べてきてな!」
まかせて、と顔を引き締めてアドニスを見上げると、相手は嬉しそうに微笑んで俺の頬に手を添えて来た。
「……君は本当に……甘やかしてくれますね」
「え……?」
「ふふ、まあ良いでしょう。……他の者……そうですね、中年共じゃなくて、従者達や中立の者を呼んできます。それなら、君が疑われる事も無いでしょう」
あっ、そっか。俺だけじゃ「お前がエメロードさんに呪いをかけたな!」なーんてことを言われかねないもんな。アドニスったら気が利くなあ。
早速アドニスはラセットやレイ・アサドさん、それに裁定員のガムル大公を呼んで来て、狭い部屋に四人体制で詰めるようにしてくれた。
……しかし、ガムル大公はベランデルンの王様みたいな人なのに、そんな人をすぐに呼んで来る事が出来るなんて……アドニスも中々顔が広い……。
やっぱ世界最高の薬師だからかな。こういう時凄い友達は頼りになるなあ。
まあ、罷免派のガムル大公と一緒に詰め込まれるのは、俺には胃が痛かったけども……疑われるよりましだから仕方ない。
とにかく、アドニスにブラック達への事情説明も頼み、俺は一刻ほど四人で無言の時間を過ごす事となった。
……この状態で一時間。とても辛い。何が辛いって、空気が重いのが辛かった。
俺を睨んで監視し続けるガムル大公と、中立の立場で口出しが出来ないレイさんはともかく、ラセットは本当にエメロードさんしか見えていないようで、押し黙ってずっと彼女の手を握っていたんだぞ。
この状態で朗らかな話なんて出来るはずもない。
ラセットは、エメロードさんの事を愛しているんだ。
自分の命すら投げ打っても良いと思う程に、彼女の事を大事に思っている。だからこそ、眠り続けているエメロードさんの手を離せず、言葉も出ないんだろう。
俺だって……ブラックがこうなったら、おちゃらける事なんて出来ない。
むしろ、明るい話をしようとする奴に殴り掛かっていただろう。その気持ちは解るような気がしたから、俺も黙る事しか出来なかった。
ガムル大公の視線は痛かったけど、耐えられない程じゃないしな。
だから、ラセットを暫く見守っていたのだが……相手は不意に俺の視線に気づいたのか、エメロードさんの手を握ったまま、ラセットは俺の方を向いた。
「……ツカサ、礼が遅れてすまない。……姫を助けてくれてありがとう」
「えっ……い、いや、礼を言われる事じゃないよ。それに、彼女はまだ目が覚めないんだし……。ごめん、俺が至らないばっかりに……」
「それでも、お前の処置は完璧だったと医者達は口を揃えて言っていた。私も、ただ姫を助けようと一心不乱だったお前の姿を見ている。姫の目が覚めないのは、人族であるお前の力不足のせいではない。……だから、落ち込むな」
「ラセット……」
人間の事なんてあまり好きじゃないだろうに、それでも俺が悪いとは言わない。
俺の事を信じて、俺の処置を信じて、必死で悲しみを堪えてくれていた。
……悲しみを吐き出して楽になりたいだろうに、それでも俺に恨みをぶつけようとはしない。彼は、必死で理性的であろうとしていた。ラセットが楽になるなら、俺は恨まれたって良かったのに。
本当に、ラセットは良い男だ。顔から心から、心底真面目だった。
なのにどうして神様ってのは彼に酷い運命ばかりを背負わせるんだろう。
愛しい人は絶対に振り向いてはくれない。それどころか、他のオス達と交わる所を見せつけられる。自分の恋敵に懸想する所を嫌と言うほど目の当たりにするのだ。
なのに、ラセットはエメロードさんを嫌いにはならなかった。
嫌いになった方がずっと楽なのに、それでも、ずっと彼女を愛し続けたんだ。
それなのに、こんな事になるなんて。こんなの、あんまりだ。
だけど……今の俺には、何も出来なかった。
人の命を助ける事は出来ても、俺には彼女がどうして眠っているのか解らない。
神様を殺せるほどのチートな能力を持っていたって、結局俺自身のレベルが低くてはどうにもならないんだ。
俺にも知識が有れば。ありとあらゆるものを知る事が出来る力が有れば。
そうしたら……目の前の眠り姫を助ける事も出来たのに。
「…………」
現実はおとぎ話じゃない。
お姫様の目の前に騎士がいても、お姫様は目を覚ます事はないんだ。
だけど、それではあまりにも悲し過ぎる。
どうかせめて、彼女が眠りについている原因が解ればいいのだが。
そう思って、俺は祈るように両手を組んで、アドニスの帰りを待ち続けていた。
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