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捌 上野ノ妖ノ章
捌ノ壱 女神の降りた地、みなかみ
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三国峠を発って五日。
お天道さまが真上にくるころ、フェノエレーゼたちは本日三度目の休息を取っていました。
フェノエレーゼの左足が折れているため、長くは歩いていられないのです。ずっとフェノエレーゼを支えながら歩くナギも、一人で歩く以上に体力を消耗します。
五日でふもとまでくることができたのは幸運でしょう。
フェノエレーゼは痛みに耐えかねて、道沿いの岩に腰掛けました。顔をしかめて足をさすります。
「待っていてね、フエノさん。わたし、お水を汲んでくるわ! あとお薬になる草を探してくるわね」
『ちちぃ! 嬢ちゃんだけじゃ心配だから、あっしもいくっさ!』
竹の水筒を両手にかかえて、ヒナは水音の聞こえる方へと走りました。雀もついてきます。
このあたりの景色はにおいのつよいカスミに覆われていて、あまり視界が良くないのです。
流れる水音を頼りに見つけた円状の岩場は、なんと水面から湯気が立ちのぼっていました。
「ふわーー! なにこれ! お水? 飲めるのかな……」
『チチチチ。変わったにおいがするっさ』
おっかなびっくり、水面に手をひたします。湯気から想像するとおり、それは水ではなくお湯でした。
人肌より少し熱いくらいのお湯が、岩の間からこんこんと湧いてきているのです。
「よくわからないけど、ナギお兄さんならなにか知ってるかも!」
ヒナは竹筒にお湯を汲んで、フェノエレーゼたちのところに持ち帰りました。
ナギはヒナが持ってきたお湯を見て驚きます。
「そうか、このあたりには温泉があるのか」
『オイラ知ってるぞ! お湯が出てくるとこだ! ニンゲンたちがよくそこに行っている。ケガがナオルばしょっていっているのを聞いた』
タビが尻尾をピンと立てて鳴きます。このあたりがナワバリだから、土地にあかるいようです。
ただの湯に浸かる程度で怪我が良くなるものなのか、フェノエレーゼは疑りの目を向けます。
「ケガを治す場所? その温泉というのがか?」
「これで怪我がなおるの!? じゃあすぐ行きましょ、フエノさん! もしかしたら翼も元に戻るかもしれないじゃない!」
「いや待て。翼がないのはサルタヒコのかけた呪いであって、怪我では……」
ヒナがどうしてもと言うので、フェノエレーゼたちはその温泉に行くことにしました。
ナギの肩を借りながら歩いて湯の湧く場所にいくと、先客がいました。
人の良さそうな五十代くらいの夫婦です。おじさんが桶に湯を汲んでいます。
フェノエレーゼたちに気づくと、おじさんが大仰にのけ反りました。
「こいつぁおったまげた。若いのに髪がまっ白い人なんてはじめてみたわい。なんぞ、苦労したんか。表情がこわいのう。怪我でもしたか?」
「別に何もない」
足の痛みで虫の居所が悪いため、フェノエレーゼがきつく言います。
「あんたこんなべっぴんさんに何失礼なこと言うとるね! すまんね、お嬢さん。こんひとはぶしつけで」
「まあいい。お前たちはこのあたりの者か?」
見たところ、夫婦は軽装。長旅ではなく地元の民です。
つっけんどんなフェノエレーゼの言い方に気を悪くすることなく、おばさんが言います。
「ああ。あたしらはこのみなかみの者さー。この温泉はね、
昔、ここはただの湧き水だったん。たいそうきれいな女神様が舞い降りて衣の裾を洗ったら、お湯に変わった。そういうれいげんあらたかな湯《ゆ》なん。
ここで湯浴みすれば、どんな疲れとってもまーず元気になる。飲めば腹痛いのも治るし、浸かればだるいのも良くなる」
おばさんがとても嬉しそうに言うので、この温泉や伝説のことをとても誇りに思っているのが伝わってきます。痛いのが治ると聞き、ヒナが身を乗り出します。
「すごいのね。女神様のお湯はどんなケガにも効くの? フエノさんは足を折ってしまったの。折れたのも治るかしら?」
「治る治る! 入ったらすぐさー。最近は夜になると、一つ目のバケモンだの入道だの妙なもんが出るから、その前にすましちまうんだよ」
「はーい! というわけでフエノさん。衣を脱いで温泉に入って。傷が治るよう、がんばっておてつだいするから!」
ヒナのやる気に火がついてしまいました。
なんでも真に受ける童《わらわ》に余計なことを言ってくれるなと、フェノエレーゼは頭を抱えました。
お天道さまが真上にくるころ、フェノエレーゼたちは本日三度目の休息を取っていました。
フェノエレーゼの左足が折れているため、長くは歩いていられないのです。ずっとフェノエレーゼを支えながら歩くナギも、一人で歩く以上に体力を消耗します。
五日でふもとまでくることができたのは幸運でしょう。
フェノエレーゼは痛みに耐えかねて、道沿いの岩に腰掛けました。顔をしかめて足をさすります。
「待っていてね、フエノさん。わたし、お水を汲んでくるわ! あとお薬になる草を探してくるわね」
『ちちぃ! 嬢ちゃんだけじゃ心配だから、あっしもいくっさ!』
竹の水筒を両手にかかえて、ヒナは水音の聞こえる方へと走りました。雀もついてきます。
このあたりの景色はにおいのつよいカスミに覆われていて、あまり視界が良くないのです。
流れる水音を頼りに見つけた円状の岩場は、なんと水面から湯気が立ちのぼっていました。
「ふわーー! なにこれ! お水? 飲めるのかな……」
『チチチチ。変わったにおいがするっさ』
おっかなびっくり、水面に手をひたします。湯気から想像するとおり、それは水ではなくお湯でした。
人肌より少し熱いくらいのお湯が、岩の間からこんこんと湧いてきているのです。
「よくわからないけど、ナギお兄さんならなにか知ってるかも!」
ヒナは竹筒にお湯を汲んで、フェノエレーゼたちのところに持ち帰りました。
ナギはヒナが持ってきたお湯を見て驚きます。
「そうか、このあたりには温泉があるのか」
『オイラ知ってるぞ! お湯が出てくるとこだ! ニンゲンたちがよくそこに行っている。ケガがナオルばしょっていっているのを聞いた』
タビが尻尾をピンと立てて鳴きます。このあたりがナワバリだから、土地にあかるいようです。
ただの湯に浸かる程度で怪我が良くなるものなのか、フェノエレーゼは疑りの目を向けます。
「ケガを治す場所? その温泉というのがか?」
「これで怪我がなおるの!? じゃあすぐ行きましょ、フエノさん! もしかしたら翼も元に戻るかもしれないじゃない!」
「いや待て。翼がないのはサルタヒコのかけた呪いであって、怪我では……」
ヒナがどうしてもと言うので、フェノエレーゼたちはその温泉に行くことにしました。
ナギの肩を借りながら歩いて湯の湧く場所にいくと、先客がいました。
人の良さそうな五十代くらいの夫婦です。おじさんが桶に湯を汲んでいます。
フェノエレーゼたちに気づくと、おじさんが大仰にのけ反りました。
「こいつぁおったまげた。若いのに髪がまっ白い人なんてはじめてみたわい。なんぞ、苦労したんか。表情がこわいのう。怪我でもしたか?」
「別に何もない」
足の痛みで虫の居所が悪いため、フェノエレーゼがきつく言います。
「あんたこんなべっぴんさんに何失礼なこと言うとるね! すまんね、お嬢さん。こんひとはぶしつけで」
「まあいい。お前たちはこのあたりの者か?」
見たところ、夫婦は軽装。長旅ではなく地元の民です。
つっけんどんなフェノエレーゼの言い方に気を悪くすることなく、おばさんが言います。
「ああ。あたしらはこのみなかみの者さー。この温泉はね、
昔、ここはただの湧き水だったん。たいそうきれいな女神様が舞い降りて衣の裾を洗ったら、お湯に変わった。そういうれいげんあらたかな湯《ゆ》なん。
ここで湯浴みすれば、どんな疲れとってもまーず元気になる。飲めば腹痛いのも治るし、浸かればだるいのも良くなる」
おばさんがとても嬉しそうに言うので、この温泉や伝説のことをとても誇りに思っているのが伝わってきます。痛いのが治ると聞き、ヒナが身を乗り出します。
「すごいのね。女神様のお湯はどんなケガにも効くの? フエノさんは足を折ってしまったの。折れたのも治るかしら?」
「治る治る! 入ったらすぐさー。最近は夜になると、一つ目のバケモンだの入道だの妙なもんが出るから、その前にすましちまうんだよ」
「はーい! というわけでフエノさん。衣を脱いで温泉に入って。傷が治るよう、がんばっておてつだいするから!」
ヒナのやる気に火がついてしまいました。
なんでも真に受ける童《わらわ》に余計なことを言ってくれるなと、フェノエレーゼは頭を抱えました。
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