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陸 雪女ノ章
陸ノ拾壱 宗近の後悔と、伝えたかったこと
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フェノエレーゼたちはムツキのはからいで、ムツキの生家にお邪魔させてもらいました。
冬も近い秋風のなか長時間外にいるのは、こどもたちの体に悪いからです。
母が追われた事情なんて子に聞かせるものではないので、ヒナとソウジは隣の部屋で、雀とオーサキが遊び相手になっています。
ムツキが追放された経緯、その後の京でおこったことを語りおえると、その場に静寂がおとずれました。
フェノエレーゼもナギも、黙って話を聞きました。
囲炉裏の炭が燃える音だけが部屋にひびきます。
「そんで? おんしはなんでここに来たが。ムツキはなんもしとらんのに、責めにきたのけ?」
ムツキの父が灰かき棒を掴んですごみ、母も鍋をひっくり返しそうな勢いで怒っています。それをムツキがやんわりと止めました。
「おっとう、おっかあ。やめて。ワタシは、もっとちゃんと聞きたい。宗近さん。話して」
「あ、ああ」
宗近は罪もないムツキに当たってしまった後ろめたさから、うつむきがちに続けます。
「三条のみんなには、その時のことを話した。あそこに巣食う鬼が人を襲っていたのだということ、ムツキに罪はなかったのだということ。それだけはどうしてもみんなにわかって欲しかった。けれど」
悪でない妖怪がいるなんて、誰も信じはしなかったのです。
ムツキは妖怪、宗近を騙していた事に変わりないだろう、いつか殺すために騙してそばにいたに違いない。根も葉もない憶測も噂は尾ひれがついて広まった。
同じ京で生まれ育った者同士ですら、真実を話しても分かり合うことなんて、できなかった。
みな口々に言い、宗近にも石を投げるようになりました。
雪女に騙され、今も妖怪を信じてしまっているかわいそうな男だ、と。
そうして宗近は、刀鍛冶として生きてきた京を出る決意を固めたのでした。
宗近は両手を床について、深々頭を下げます。
「すまなかった、ムツキ。謝ってすむことでないのはわかっている。俺は……俺があのときすべきことは、お前の言葉を信じて守ることだったのに」
矜持をかなぐり捨てて、故郷を捨てて、宗近に最後に残ったのは後悔とムツキを思う気持ちだけでした。
「宗近さん、ごめんなさい。ワタシも謝らないといけないわ。ワタシのせいで、貴方が故郷も夢も諦めなきゃいけなくなったなんて」
ムツキは恐る恐る宗近の背に手をまわして、大粒の涙を流しました。
宗近を責めない、むしろ謝ってしまうムツキを見て、宗近は涙声になってムツキの背をなでます。
「はは。ムツキ、その癖はまだなおっていないんだな。言っただろう。自分が悪くないのなら、胸をはっていろと。俺が京を離れたのは俺自身が決めたことだ」
「……はい。はい、宗近さん」
「もう間違えない。お前が嫌でないなら、また夫婦になってくれ」
過去の過ちを悔いて、宗近はここまできた。ムツキもきっと、また、会えることを願っていた。
二人は……いいえ、この家族はこれから先、何があっても共に生きるのでしょう。
三和土に足を投げ出していたフェノエレーゼは、腕に刻まれた呪いの印を見下ろして考えます。
かつてのフェノエレーゼは、故郷を奪われ、人間が憎くてしかたありませんでした。
今も、人間を傷つけて生きてきた百年あまりの時を後悔していません。謝るつもりもありません。
「私は、その一条の鬼のように祓われる側にいるのかもしれんな」
「おれは、そんなことないと思いますよ」
隣に座るナギは、フェノエレーゼの言葉を否定して、微笑みます。
「封じられて妖力が減っていても、貴女ほどの力があれば、麓の村くらいなら一瞬で消せるでしょう。なぜ、それをしないんですか」
「それは、悪事を働いて呪いがひろがれば、もう二度と空を飛べない。そう、それだ。サルタヒコの機嫌を損ねるわけにはいかないんだ。だからだ。何ためにヒナを旅に同行させていると思っている」
いささか物騒なことですが、ナギのいうことは事実です。フェノエレーゼがその気になれば、小さな村なんてひとたまりもありせん。
かつてのフェノエレーゼなら、サルタヒコの呪いなんて無視して人里で暴れまわっていたでしょう。
「ふふ。そうですね。貴女がそう言うのなら、そうしておきましょう」
「な、ナギ、なぜ笑う! 私はおかしなことを言ったか?」
あまりにも必死に言い訳をならべたてるフェノエレーゼが可愛く見えて、ナギは笑います。
自身はそんなに食べないのにたくさん山の恵みを採ってきたのは、誰のためか。なんのためか。
嫌いで憎い相手のためにそんなことできるものはいません。
『きゅいいいいーー!! ちょっとそこの白いの! 主様に色目使ってんじゃないわよ!!』
小姑……もといオーサキが二人の間に割り込んできました。さらに雀を肩に乗せたヒナが、汚いボロ切れ片手に走ってきます。
「フエノさーーん! みてみて! わたし、ソウジくんから文字をおそわったわ! 自分の名前かけるようになったの! これで役に立てる?」
『チチチチィ、嬢ちゃん嬢ちゃん、あっしの名前も書いて欲しいっさ!』
耳元で三人同時に叫ばれて、フェノエレーゼの堪忍袋の緒が切れました。
「あーー、もう! うるさいおまえら!! 静かにしろ!!」
フェノエレーゼの特大の怒鳴り声が、陽の落ちた山にこだますのでした。
冬も近い秋風のなか長時間外にいるのは、こどもたちの体に悪いからです。
母が追われた事情なんて子に聞かせるものではないので、ヒナとソウジは隣の部屋で、雀とオーサキが遊び相手になっています。
ムツキが追放された経緯、その後の京でおこったことを語りおえると、その場に静寂がおとずれました。
フェノエレーゼもナギも、黙って話を聞きました。
囲炉裏の炭が燃える音だけが部屋にひびきます。
「そんで? おんしはなんでここに来たが。ムツキはなんもしとらんのに、責めにきたのけ?」
ムツキの父が灰かき棒を掴んですごみ、母も鍋をひっくり返しそうな勢いで怒っています。それをムツキがやんわりと止めました。
「おっとう、おっかあ。やめて。ワタシは、もっとちゃんと聞きたい。宗近さん。話して」
「あ、ああ」
宗近は罪もないムツキに当たってしまった後ろめたさから、うつむきがちに続けます。
「三条のみんなには、その時のことを話した。あそこに巣食う鬼が人を襲っていたのだということ、ムツキに罪はなかったのだということ。それだけはどうしてもみんなにわかって欲しかった。けれど」
悪でない妖怪がいるなんて、誰も信じはしなかったのです。
ムツキは妖怪、宗近を騙していた事に変わりないだろう、いつか殺すために騙してそばにいたに違いない。根も葉もない憶測も噂は尾ひれがついて広まった。
同じ京で生まれ育った者同士ですら、真実を話しても分かり合うことなんて、できなかった。
みな口々に言い、宗近にも石を投げるようになりました。
雪女に騙され、今も妖怪を信じてしまっているかわいそうな男だ、と。
そうして宗近は、刀鍛冶として生きてきた京を出る決意を固めたのでした。
宗近は両手を床について、深々頭を下げます。
「すまなかった、ムツキ。謝ってすむことでないのはわかっている。俺は……俺があのときすべきことは、お前の言葉を信じて守ることだったのに」
矜持をかなぐり捨てて、故郷を捨てて、宗近に最後に残ったのは後悔とムツキを思う気持ちだけでした。
「宗近さん、ごめんなさい。ワタシも謝らないといけないわ。ワタシのせいで、貴方が故郷も夢も諦めなきゃいけなくなったなんて」
ムツキは恐る恐る宗近の背に手をまわして、大粒の涙を流しました。
宗近を責めない、むしろ謝ってしまうムツキを見て、宗近は涙声になってムツキの背をなでます。
「はは。ムツキ、その癖はまだなおっていないんだな。言っただろう。自分が悪くないのなら、胸をはっていろと。俺が京を離れたのは俺自身が決めたことだ」
「……はい。はい、宗近さん」
「もう間違えない。お前が嫌でないなら、また夫婦になってくれ」
過去の過ちを悔いて、宗近はここまできた。ムツキもきっと、また、会えることを願っていた。
二人は……いいえ、この家族はこれから先、何があっても共に生きるのでしょう。
三和土に足を投げ出していたフェノエレーゼは、腕に刻まれた呪いの印を見下ろして考えます。
かつてのフェノエレーゼは、故郷を奪われ、人間が憎くてしかたありませんでした。
今も、人間を傷つけて生きてきた百年あまりの時を後悔していません。謝るつもりもありません。
「私は、その一条の鬼のように祓われる側にいるのかもしれんな」
「おれは、そんなことないと思いますよ」
隣に座るナギは、フェノエレーゼの言葉を否定して、微笑みます。
「封じられて妖力が減っていても、貴女ほどの力があれば、麓の村くらいなら一瞬で消せるでしょう。なぜ、それをしないんですか」
「それは、悪事を働いて呪いがひろがれば、もう二度と空を飛べない。そう、それだ。サルタヒコの機嫌を損ねるわけにはいかないんだ。だからだ。何ためにヒナを旅に同行させていると思っている」
いささか物騒なことですが、ナギのいうことは事実です。フェノエレーゼがその気になれば、小さな村なんてひとたまりもありせん。
かつてのフェノエレーゼなら、サルタヒコの呪いなんて無視して人里で暴れまわっていたでしょう。
「ふふ。そうですね。貴女がそう言うのなら、そうしておきましょう」
「な、ナギ、なぜ笑う! 私はおかしなことを言ったか?」
あまりにも必死に言い訳をならべたてるフェノエレーゼが可愛く見えて、ナギは笑います。
自身はそんなに食べないのにたくさん山の恵みを採ってきたのは、誰のためか。なんのためか。
嫌いで憎い相手のためにそんなことできるものはいません。
『きゅいいいいーー!! ちょっとそこの白いの! 主様に色目使ってんじゃないわよ!!』
小姑……もといオーサキが二人の間に割り込んできました。さらに雀を肩に乗せたヒナが、汚いボロ切れ片手に走ってきます。
「フエノさーーん! みてみて! わたし、ソウジくんから文字をおそわったわ! 自分の名前かけるようになったの! これで役に立てる?」
『チチチチィ、嬢ちゃん嬢ちゃん、あっしの名前も書いて欲しいっさ!』
耳元で三人同時に叫ばれて、フェノエレーゼの堪忍袋の緒が切れました。
「あーー、もう! うるさいおまえら!! 静かにしろ!!」
フェノエレーゼの特大の怒鳴り声が、陽の落ちた山にこだますのでした。
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