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参 海ノ妖ノ章

参ノ拾弐 対決、牛鬼

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 聖龍の背に乗り海に飛び込んで、どれ程進んだでしょう。フェノエレーゼとナギはついに牛鬼に追い付きました。
 海底にできた洞穴に逃げ込もうとしたところに行く手を阻むようにして聖龍が塞がり、牙をむき出します。

「牛鬼よ、ワシの領域で人々に悪さをしようなど百年早い! 陰陽師のもとに成敗されるがよい」

『聖龍!? マサカ、聖龍ヲ味方ニツケテイヨウトハ。グ、ウウウウ!!』

 聖龍は長い尾で牛鬼を巻き、締め上げます。
 そして牛鬼を捕まえたまま海面に向かって一気に浮上しました。
 夜空に牛鬼を放り投げ、低くなきます。

「フェノエレーゼ、お主の出番だ!」

「言われなくても。風よ、私に力を!」

 フェノエレーゼは扇を持つ腕を大きく振りかぶり、牛鬼が落ちてこないよう風を生み出します。

 渦を巻く風に押し上げられ、牛鬼は必死にあがきます。けれど水に属するあやかしゆえ、空中において牛鬼は無力でした。

「今のうちにやれ、ナギ!」

「承知した! 吐普加身依身多女トホカミエミタメ寒言神尊カンゴンシンソン利根陀見リゴンダケン波羅伊玉意喜餘目出玉ハライタマイキヨメデタマウ!」

 ナギは右手の人差し指と中指で札を挟み、祓呪はらえしゅを淀みなく詠みあげます。
 聖龍の背中から飛び降り、札を牛鬼の額に叩きつけました。

『ギャウウウウウ!』

 牛鬼はみるみる小さくなり、断末魔の叫びと共に、小さな蜘蛛になってしまいました。
 ただの蜘蛛が海中で生きられる訳もなく、そのまま海に沈んでいきます。
 フェノエレーゼが腕を伸ばし、落ちてくるナギの左腕をとります。

「よくやった、誉めてつかわすぞ」

「あはは。フエノさんと聖龍様が協力してくださったからです」

 ナギは晴れやかな気持ちでフェノエレーゼの手を握り返し、聖龍の背に戻りました。
 フェノエレーゼの背後に見える山あいから光が射し、いつの間にか夜が明けていたことを知ります。
 オーサキがナギの首筋に頭を擦り付けて鳴きます。

『きゅいきゅい! さすが主様! あたし、主様ならできるって信じてたわ!』

「ありがとう、オーサキ」

 ナギはオーサキの背を指先でなで、自然と笑みをこぼします。

「終わりましたね」

「いいや、まだだ」

 フェノエレーゼはなぜか渋い顔をしています。
 もしかして戦いが終わっていないのかと背筋を凍らせるナギに、

「あの小娘、危ないから出てくるなと命令したのに破りおって! 一発殴ってやらねば気がすまん」

 と、フェノエレーゼはわなわなと拳を固めながらこたえました。

「あ、あんな小さい子相手に何言ってるんですか、貴女は」

「やれやれ。フェノエレーゼ、なんと情けないことを言うのだ。二百年も生きているのにそんな風に狭量だから、サルタヒコ様もお怒りになるのだ」

『きゅいー。貴女って長生きのあやかしのくせに心が狭いのね。乙女を殴るなんて男じゃなくてもサイテー』

 言葉は違えど、彼らが言っている意味は“大人げない”。しかもうち一匹は式神です。
 フェノエレーゼは一人残らず殴りたい衝動にかられましたが、大人げないと釘を刺された手前、固めた拳の下ろしどころが見つかりませんでした。

 クダギツネに乙女のなんたるかを説かれるなんて、おそらくフェノエレーゼが史上初めてではないでしょうか。

「貴様ら、黙って聞いていれば……」

 フェノエレーゼの怒声を、のんきな女の子の声が遮りました。

「フエノさーーん! おんみょうじのお兄さーーん! 聖龍さーーん!」

 波打ち際で大きく両手を振っているのはヒナです。それはもう嬉しそうに顔を輝かせています。

「はぁ……。あのバカ。おとなしく待っていろと言ったのに、聞きやしない」

 ため息をつきながらも、フェノエレーゼはかすかに口元をゆるませます。
 本人は気づいていませんが、生まれてはじめて、心から笑ったのでした。
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