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嫁ラブと夫放置でお出掛けしたい嫁との攻防戦です。

父親は息子の急激な成長に驚き、そして考え方を改めることにしたようです。

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 食事をかきこむと、采明あやめが再び泣きそうな顔になる!!
と理解していた神五郎しんごろうは、采明の動きを真似るように、優雅な作法で食事をとる。

 采明は、礼儀作法や立ち居振舞い、服装には厳しく、その時々に合った衣を揃え、何か分からなくなった時には、懐に入れておいた、采明が使っていないので使ってほしいと手渡された『手帳』と呼ばれる小さい紙を束ねた物と、不思議な筆を使って書いておき、後で調べてみるといいと言っていた。
 最初は理解に苦しんだが、小さい手帳に書き込んだものを後で確認すると、つじつまが合わないことや、意味不明のやり取りがあり、采明やけやきに確認し、そのやり取り……の深い意味を教わり、次からはこれが自分達に不利益とならないように振る舞うようになっていた。
 それを繰り返すことにより、自らの不勉強さと、軽んじられていた理由が次第に理解できるようになっていた。

 若さではない。
 力でもない。

 一応、父と言う後ろ楯と、義理の兄になった欅を通して、晴景はるかげにも信頼を得ていた。
 間違っていたのは、正しいと思い込み、周囲を見ることもなく、真っ直ぐ自分勝手に進み続けていったこと。

 その結果が、周囲に侮られることになり、意見も軽んじられていたのである。
 それをようやく理解した神五郎は考え方を改め、晴景の館に出向く時には慎重になり、そして逆に昔のように気軽に屋敷の者や、街の者に声をかけ、情報を集めることにした。
 そしてその情報を采明や義兄の欅、姉の橘樹たちばなに相談しているのだが……。

「……ごちそうさま」

 采明がよく使う言葉『ごちそうさまでした』を告げると、膳が下げられ、欅が采明をそっと抱かせる。

「ほら、采明が言う通り、ちゃんと食べられるようになっただろう?」
「本当です。すごいです。旦那様!!」
「采明のお陰だ。ほら、采明?寝ていいぞ?私が抱いているから安心しろ。話は戻ってきた母上と父上、重綱しげつなと今後の事を話し合うつもりだ」
「……はい」

 頷くとウトウトと眠り始める。

「で、遅くなりましたが、父上」
「……ようやっておる!!」

 橘樹が、寝室から持ってきていた神五郎の様々な書き込み、文章に目を通していた親綱ちかつなは感心する。

「これは、本当にいい考えだ!!神五郎。よう考えた!!」
「いえ、これは元々采明が考えたものです。采明はこの屋敷の者に塩や魚の値段、そのようなものを聞き出し、表に纏めておるのです」
「何!?この娘がか?まだ幼いではないか!?欅か橘樹ではないのか!?」
「いえ、親綱さま……お父上。私たちではありません。近いところまでは考えられたとしても、采明が分かりやすく丁寧に、そして必死に……神五郎様を支えたいと、この直江家の事を思ってくれているのです」

 欅は首を振り、橘樹も、

「それに優しい、周囲に気を使い、家の者からも慕われている自慢の妹です。このような可愛い妹に『お姉さま』と呼ばれる私は幸福者ですわ」
「お、お前からその言葉を聞けるとは……あかねはともかく、お前は常々『神五郎には私や母上の目にかなった嫁を!!』と言って聞かなかったではないか!?それなのに……」
「采明は姉上や、欅兄上の目にかなった、特別な嫁ですよ」

神五郎は自慢げに伝える。

「とても賢く、優しく、幼いように見えますが、私の師匠です」
「師匠というのは……」
「采明が色々教えてくれるのですよ。言葉や、学問について、立ち居振舞い、どういったものを考えるべきか……自分達だけがではありません。たとえ直江の姓を名乗っていなくとも、屋敷の者や領地の民も私たちの家族で、守るべきものです。私は、覚悟が足りなかったと本当に反省しております。そして、この頑固な私を変えてくれた采明を妻に迎え、これほど幸せだと思った事はありません」

 微笑み、妻を見るその甘さに、父と弟は見知らぬものを見るような眼差しになる。

「采明は賢いのですが、本当は寂しがりの子供です。甘えたいのに甘えられず、我慢をして笑顔でこの館の中を変えてくれたのです。その必死に寂しいのをこらえ、泣くのを耐えて……不安そうに私たちを見送る姿に、大切に思えるようになり、共にいたいと思うようになりました。そして、この書簡の内容を纏めたり、私たちを支えてくれる、しっかりしている姿だけでなく、手を握って欲しい……今のように寂しいのでだっこして欲しいと言って貰える……甘えさせてあげられる度量の広い夫になれたらと思います」
「……なっ!?直江家の男が!!そ、そのように嫁が……嫁に……とどうするのだ!!」

 父親の言葉に、采明を抱く腕の力を強め、

「采明と別れろ、もしくは他の女人を娶れと言われる場合は、即座に重綱に当主の座を譲り、采明と旅に出ます」
「なっ!」
「私は、今までの父上が知っている直江神五郎実綱なおえしんごろうさねつなではありません。私は采明の夫であり、采明を大切にする、慈しみ、愛でる権利があります!!」

何故か言い切った兄のその拳が気になる……と思いつつ、重綱が聞いていると、

「采明は元々余り物を欲しがらぬので、姉上のお下がりなどでしたが!!姉上!!母上と一緒に、采明に似合う着物に飾りに櫛を!!7つの子供の祝いもまだでしょうし、祝言を挙げたとはいえ、まだ何も贈っておりません!!姉上方も可愛い采明を、もっともっと可愛く装うように言ってください!!」
「……はぁ!?兄貴が壊れた!!」
「煩い!!采明は私の衣は幾つも揃えた。布に紐に、その色、柄も全て。その上、私に色々教えてくれる。その礼というか……采明が可愛く装っている姿が見たいと思うのが悪いのか!?」
「……完璧壊れた!!」

重綱の頭を拳で殴り、

「それほどまでに、この娘……采明を愛するか?」
「はい。采明は後で泣くかと思いますが、采明と直江家をどちらも私は大切ですが、選べと言われたら、采明を選びます」
「兄貴!!何いってんだよ!?家はどうするんだ!?」

再び殴られ頭を押さえ唸った重綱の横で、

「よう言った!!神五郎!!それでこそ直江家の男!!よう考えた!!」
「えぇぇ!?父上!!兄貴はいいの!?俺はぶん殴ったじゃねえか!!」
「うるっさいわ!!この、馬鹿息子!!お前が直江家の息子としての自覚があるなら許すが、お前は全くないではないか!!フラフラと遊び呆けて!!茜がお前のしでかしたことを必死に謝りに回っていると知らぬのか!!」

下の息子を叱りつけた親綱は、思い出したように、

「そうじゃ、あずさ。前に、と言うて売りに来た石が、変わっていて、珍しいからと買ったものがあったな?」
「あぁ、そうですわね。緑色ですが淡い……」
「でも、御父様、御母様。采明はどうしても緑は合いませんでしたわ」

橘樹が声を挟む。

「それよりも、前に聞きました。御父様のお知り合いが、西の大山積神おおやまつみのかみの祀られている島の近辺で、不思議な色の石を見つけたと」
「あぁ、青にも赤にも、桃色にもなるという石か?伊予国新居郡いよのくににいぐんの辺りで見つかったと聞いておる。珍しかったので、殿にとも思うておったが……」

 渋い顔になる。

「一応、元奥方とやらに、軽く使いを送って見たが、石ころなどと申されていたので、やめていたが……この嫁は……どうかの?」
「嫁ではありません。采明ですよ。呼ばないと泣きます」
「あやめ……花の名か?」
采女うねめの采に明るいと書きます。采明は言いましたよ。自分の名前は、柚子ゆずすべからくの、浦は『萬葉集まんようしゅう』の山部赤人やまべのあかひとの和歌である『田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける』の浦だと」

 目を丸くする。

「そ、そんな珍妙な名前は聞いたことがない!!」
「御父様」

 奥から持ってきた橘樹は、采明が来た日に身に纏っていたものを広げた。
 神五郎の腕の中にいる姿も幼く小さいが、広げられたものも小さい。

「これはなんだ?姉上」

 興味深そうに手に取ろうとした末弟の手を叩き、6人の中で一番小柄な母親に、

「御母様、少しよろしいですか?」

と声をかけ、白い単の上に肩までの上着、そして、下の袴のようなものを母親の体に並べる。

「このような格好でした。足袋もあり、下駄は……」
「このようなものです。お小さいのでびっくりしたのですが……」

 欅が見せる。
 ちなみに采明は足が小さく、20cm位である。

「革製の丈夫な袋も持っていた。それと……」

 あの後、采明からすりとった数珠を見せる。

「それは?」
「……景虎かげとら様の、大事にしていた数珠です。采明が持っておりました。采明は、これを見つけた代わりに、身に付けていた指輪を無くしたと」
「なっ!か、景虎様は如何いかにした!?」

 父親の声に、神五郎と橘樹、欅は首を振る。

「度々行方不明になります。あのお年頃です、厳しく言ってもあの方は賢い方ですので、別の方法をとると困ると……他の守役となっていた者はあの方が何を見ているか、知ろうとしているか解らず、ただ追いかけ回し、罵り去っていく事を心底嫌がっておられました」
「それに、好奇心旺盛な方ですから、他の守役が放置されておられたのを見かねてお預かりしていたのですが、屋敷の者にとても優しく、素直な方でしたので、そのままここに住まいを移されておりました」
「神五郎様が出仕を控え、自ら刀の稽古をされたり、私も、景虎様は兄上と呼んでくださり、私が学んでいたことをお伝えして……」
「欅兄上のお陰で、色々と詳しく学ばれるようになられたのですよ」

 神五郎は付け加えると、表情を沈ませる。

「……父上、母上……重綱。お願いがございます」

 采明を抱き寄せ、頭を下げる。

「もし、景虎様と采明が入れ替わって、景虎様が采明の生きるはずだった土地で……生きておられた場合……私は、そのまま……を望みます。鬼と呼ばれようが、臣下として生きる人間として恥と呼ばれようが……私は……私には、景虎さまを選べません!!」

 愛おしい存在を失うまいと必死に抱き締め、頭を下げる。

「直江家の恥と呼ばれようとも……私には、采明が必要なんです!!私は……私には、采明を見捨てて景虎さまを選ぶことは出来ません!!お願い致します!!お願い致します!!御許しください。幽閉されても、仕方がないと思います。ですが、采明は失えません!!」

 叫ぶように訴える神五郎に、そっと手を伸ばし、必死に単を引っ張る……。

「旦那さ、ま……駄目、ですよ……。直江の家だけでなく、領地の家族を支えるのが……当主の役目です……わがままは、だ、めです……」

 夫に抱きついて顔を見せない……しかし、ポタリ……ポタリと、諦めの欠片がこぼれ落ち……、親綱は口を開く。

「馬鹿もん!!柚須浦ゆすうらだろうが、山吉だろうが、采明!!お前はわしの娘じゃ!!お前は、わしらの事を甘く見ておるのか!!父を母を、姉を兄を、夫である神五郎が、早々お前を手放すと思うのか!!」

 采明は真っ赤になった顔を、潤んだ瞳を、親綱のいる方に向ける。

「で、ですが……だ、旦那さまだけじゃなく、お、御父様や……」

 潤んだ瞳から真珠のような涙がこぼれ落ちる。

「ご、ご迷惑……」
「かかっとらんわ!!采明!!お前はこの父を解ってはおらん!!元々鬼と呼ばれておったのはわしじゃ!!お前はわしの娘!!娘を泣かせる親などおらぬ!!ここにおるのは、お前の両親に兄に姉、そして出来の悪い弟じゃ!!甘えても構わぬ!!お前一人のわがままで直江家が傾くか!!よし、何が欲しい?父が探してこよう」

 泣き笑った采明は、

「早く……元気になります。元気になったら、御父様のご趣味を教えてくださいませ」
「ん?わしの趣味は、刀を磨くことだが……面白いかのう?」
「あ、采明は、父の仕事が、大陸の歴史伝承に、古い時代のものを探すことで……。父は……采明や妹が生まれてからも、ずっと大陸にいて、4年以上便りひとつ送って来ませんでした。行方も分からなくて……。御父様はとても、お強いだけではなく、御母様と直江家をもり立てていらしたと聞いております」

首をかしげ、そして、

「采明は、母も忙しくて……ですので……御父様と御母様の傍にいて、見ているだけでいいのです。大人しくします。み、見ていても……良いですか?」

可愛い嫁の上目使いの潤んだ瞳に、堕ちた親綱と梓。
 そして、

「重綱さまも、とっても面白いお話をお話しくださると、お家の皆さんがいっていました。采明も聞かせてくださいね?」
「わ、解った!!色々とあるから!!どれにしようかな!!采明……って、読んで大丈夫か?姉上の方が……」

重綱の言葉に、

「采明と呼んでください。重綱様は……お兄様とお呼びしますね?」
「あぁ!!」

直江家の後で言う『伊達男だておとこ』、今で言えば『チャラ男』も、采明には敵わなかったのだった。
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