10 / 66
虚 実 (ニ)
しおりを挟む
カキーン。ガッガッ。刃が交わる音が響いた。互いに跳びずさって、ふたたび元の構えにもどった。
「胎中、破れたり!」
小太郎が叫んだ。
優男には似つかわしくない鋭い一喝だった。
互いに間をおいて叫び合う理由というものが、ようやくわたしにもわかりかけてきた。口から放たれた気のようなものが、見えない刃となって対手の体幹を貫くこともあるのだろう。
ふいに、彦左の切っ先が閃いた。
小太郎は左肩からくるりと回転しながら地面に転げざま一刀を放った。
それが、彦左の首を斬った。
たしかにそのように見えた。
けれど、一寸手前で小太郎が刀を止めたのだとわかって、安堵のため息が出た。
彦左は硬直したまま呆然としていた。さぞ悔しかったろう。駆け寄ろうとすると、彦左の声が耳にはいった。
「ま、参ったずら……」
潔さが感じられる語調だった。すると、取り囲んでいた群衆が、やんややんやの喝采を浴びせかけた。
彦左が照れた顔を小太郎に向けた。
小太郎が口を開きかけたときであった。ガバッと彦左が小太郎に飛びつくや否や、そのまま地面に倒れこんだ。
「卑怯なり!」
叫んだのは、誰でもないこのわたしだ。
意趣返しなのだろう、小太郎に恥をかかせようとする彦左の所業は断じて許せない。
「ひゃああぁ」
誰が挙げた声であったろうか。
小太郎に上乗りになった彦左をめがけて突き出された何本もの短槍を視た。
群衆のなかの菅笠をかぶった足軽たちが、彦左と小太郎の二人をめがけて斬りかかっていた。
三、四……の少数ではない。
十数人はいただろう。あの群衆に紛れ込んでいたのだ。
すると、別の菅笠の一群が、二人を襲った菅笠に応戦した。
視界には、まるでお祭り騒ぎのように、菅笠と菅笠が乱れに乱れていた。これでは、誰が敵か味方なのかわからない……。
「姫さま、危のうございます」
背後から複数の腕がのびてきて、羽交い締めにされた。
笹がわたしの頭に両の手をかぶせ、わたしをしゃがませた。笹の指揮で、侍女たちが一斉に周りを取り囲み、わたしに覆い被さってきた。
四方から悲鳴と甲高い声がこだましている。馬の嘶きすらも、人が発する叫びに聴こえてくる。
銃声。
火矢。
土埃。
……このとき、長槍をしごいて戦っている彦左の勇姿を視た。
彦左が小太郎に飛びついて押し倒したのは、矢か鉄砲の弾を避けるためであったのだ。卑怯者呼ばわりしてしまったことが悔やまれた。
と、地に倒れていた菅笠が、急に起き上がったかとおもうと小太郎に襲いかかった。
「小太郎!うしろに!」
ありったけの声を振り絞って、わたしは叫んだ。
敵に気づいた小太郎だが、避けるのが遅すぎると身をすくませたとき、別の菅笠が小太郎を突き飛ばし、かばうようにして短い刀で襲撃者を斬った。
間一髪の出来事だった。
「ひゃああぁ」
またしても誰の声か判らない。小太郎を助けた菅笠が、いきなり小太郎に抱きついた。
その二人に彦左が近づいていった。
中庭での襲撃者による乱闘は、ひとまず決着がついたらしい。
わたしを護ってくれた侍女たちに目配せで謝意を伝え歩き出した。すると彦左が駆け寄ってきて、傷を負っていないかを確認した。いつもの饒舌の彦左とはちがい、丈夫の貌つきになっていた。
黙ったまま、彦左と歩調を合わせ小太郎に近づいた。
小太郎を救った菅笠は、かれの肩や腕を撫でていた。傷の有無を確かめていたのだろう。菅笠が小太郎の配下の者ならば、主思いの忠臣といっていい。
小太郎がわたしに気づき、菅笠になにごとかを耳打ちした。
すると、菅笠はわたしの足元で片膝をついた。菅笠の手は、土と埃にまみれていたけれど、ところどころが白く光っているように見えた。
斜陽がもたらす木洩れ日の淡い光が、菅笠にあたっていた。違和感をおぼえたのは、このときである。さらしを巻いた胸のあたりが膨らんでいた。
……なんと、菅笠は女人であったのだ。
笠をはずして、わたしを仰ぎみた。
「ひゃあぁ!」
わたしが立てた叫びではない。彦左の声だ。わたしも唾を飲み込んだ。
髪は赤みがかった栗色、青い瞳、そうして白い肌……。明国の皇女かともおもったけれど、そうではない。あきらかに、南蛮の異国人であった。
小太郎には、そのような配下までいるということなのか。かれはその女人の腕をつかんで立たせた。
「姉上……」
聴き間違いではない。たしかに小太郎はそう呟いた。
刹那、わたしの思念の流れが、ぽつんと音を立てて崩れ落ちていくかのような感覚にとらわれた。
「胎中、破れたり!」
小太郎が叫んだ。
優男には似つかわしくない鋭い一喝だった。
互いに間をおいて叫び合う理由というものが、ようやくわたしにもわかりかけてきた。口から放たれた気のようなものが、見えない刃となって対手の体幹を貫くこともあるのだろう。
ふいに、彦左の切っ先が閃いた。
小太郎は左肩からくるりと回転しながら地面に転げざま一刀を放った。
それが、彦左の首を斬った。
たしかにそのように見えた。
けれど、一寸手前で小太郎が刀を止めたのだとわかって、安堵のため息が出た。
彦左は硬直したまま呆然としていた。さぞ悔しかったろう。駆け寄ろうとすると、彦左の声が耳にはいった。
「ま、参ったずら……」
潔さが感じられる語調だった。すると、取り囲んでいた群衆が、やんややんやの喝采を浴びせかけた。
彦左が照れた顔を小太郎に向けた。
小太郎が口を開きかけたときであった。ガバッと彦左が小太郎に飛びつくや否や、そのまま地面に倒れこんだ。
「卑怯なり!」
叫んだのは、誰でもないこのわたしだ。
意趣返しなのだろう、小太郎に恥をかかせようとする彦左の所業は断じて許せない。
「ひゃああぁ」
誰が挙げた声であったろうか。
小太郎に上乗りになった彦左をめがけて突き出された何本もの短槍を視た。
群衆のなかの菅笠をかぶった足軽たちが、彦左と小太郎の二人をめがけて斬りかかっていた。
三、四……の少数ではない。
十数人はいただろう。あの群衆に紛れ込んでいたのだ。
すると、別の菅笠の一群が、二人を襲った菅笠に応戦した。
視界には、まるでお祭り騒ぎのように、菅笠と菅笠が乱れに乱れていた。これでは、誰が敵か味方なのかわからない……。
「姫さま、危のうございます」
背後から複数の腕がのびてきて、羽交い締めにされた。
笹がわたしの頭に両の手をかぶせ、わたしをしゃがませた。笹の指揮で、侍女たちが一斉に周りを取り囲み、わたしに覆い被さってきた。
四方から悲鳴と甲高い声がこだましている。馬の嘶きすらも、人が発する叫びに聴こえてくる。
銃声。
火矢。
土埃。
……このとき、長槍をしごいて戦っている彦左の勇姿を視た。
彦左が小太郎に飛びついて押し倒したのは、矢か鉄砲の弾を避けるためであったのだ。卑怯者呼ばわりしてしまったことが悔やまれた。
と、地に倒れていた菅笠が、急に起き上がったかとおもうと小太郎に襲いかかった。
「小太郎!うしろに!」
ありったけの声を振り絞って、わたしは叫んだ。
敵に気づいた小太郎だが、避けるのが遅すぎると身をすくませたとき、別の菅笠が小太郎を突き飛ばし、かばうようにして短い刀で襲撃者を斬った。
間一髪の出来事だった。
「ひゃああぁ」
またしても誰の声か判らない。小太郎を助けた菅笠が、いきなり小太郎に抱きついた。
その二人に彦左が近づいていった。
中庭での襲撃者による乱闘は、ひとまず決着がついたらしい。
わたしを護ってくれた侍女たちに目配せで謝意を伝え歩き出した。すると彦左が駆け寄ってきて、傷を負っていないかを確認した。いつもの饒舌の彦左とはちがい、丈夫の貌つきになっていた。
黙ったまま、彦左と歩調を合わせ小太郎に近づいた。
小太郎を救った菅笠は、かれの肩や腕を撫でていた。傷の有無を確かめていたのだろう。菅笠が小太郎の配下の者ならば、主思いの忠臣といっていい。
小太郎がわたしに気づき、菅笠になにごとかを耳打ちした。
すると、菅笠はわたしの足元で片膝をついた。菅笠の手は、土と埃にまみれていたけれど、ところどころが白く光っているように見えた。
斜陽がもたらす木洩れ日の淡い光が、菅笠にあたっていた。違和感をおぼえたのは、このときである。さらしを巻いた胸のあたりが膨らんでいた。
……なんと、菅笠は女人であったのだ。
笠をはずして、わたしを仰ぎみた。
「ひゃあぁ!」
わたしが立てた叫びではない。彦左の声だ。わたしも唾を飲み込んだ。
髪は赤みがかった栗色、青い瞳、そうして白い肌……。明国の皇女かともおもったけれど、そうではない。あきらかに、南蛮の異国人であった。
小太郎には、そのような配下までいるということなのか。かれはその女人の腕をつかんで立たせた。
「姉上……」
聴き間違いではない。たしかに小太郎はそう呟いた。
刹那、わたしの思念の流れが、ぽつんと音を立てて崩れ落ちていくかのような感覚にとらわれた。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
多産を見込まれて嫁いだ辺境伯家でしたが旦那様が閨に来ません。どうしたらいいのでしょう?
あとさん♪
恋愛
「俺の愛は、期待しないでくれ」
結婚式当日の晩、つまり初夜に、旦那様は私にそう言いました。
それはそれは苦渋に満ち満ちたお顔で。そして呆然とする私を残して、部屋を出て行った旦那様は、私が寝た後に私の上に伸し掛かって来まして。
不器用な年上旦那さまと割と飄々とした年下妻のじれじれラブ(を、目指しました)
※序盤、主人公が大切にされていない表現が続きます。ご気分を害された場合、速やかにブラウザバックして下さい。ご自分のメンタルはご自分で守って下さい。
※小説家になろうにも掲載しております
訳ありヒロインは、前世が悪役令嬢だった。王妃教育を終了していた私は皆に認められる存在に。でも復讐はするわよ?
naturalsoft
恋愛
私の前世は公爵令嬢であり、王太子殿下の婚約者だった。しかし、光魔法の使える男爵令嬢に汚名を着せられて、婚約破棄された挙げ句、処刑された。
私は最後の瞬間に一族の秘術を使い過去に戻る事に成功した。
しかし、イレギュラーが起きた。
何故か宿敵である男爵令嬢として過去に戻ってしまっていたのだ。
殺戮ジパング ~元寇・九州本土防衛戦~
中七七三
歴史・時代
ユーラシア大陸の覇王、クビライハーンは黄金の国ジパングを狙う。
征服した高麗を尖兵として日本に向かう未曾有の大艦隊。
精強無比、大陸を席巻した蒙古の兵団。そして抑圧され鬱屈しまくった高麗兵。
迎え撃つは、騒乱の中で武を磨き続け、殺しの技を極めつくした鎌倉武士団。
重装騎馬弓兵の突撃が蒙古・高麗軍を蹂躙する。殺戮する。殺しまくる。
なぜ、クビライは日本を狙ったのか?
通説を完全無視したエンタメ「元寇」小説。
■参考文献■
戦争の日本中世史 呉座勇一
異国合戦 岩井三四二
日朝中世史恨みの起源 室谷克実/監修
アンゴルモア・-元寇合戦記- 1~10巻 たかぎ七彦
井沢元彦の激闘の日本史 北条執権と元寇の危機
モンゴル襲来と国土防衛戦 北岡正敏
蒙古襲来の真実 北岡正敏
モンゴル帝国の覇権と朝鮮半島 森平雅彦
本当に悲惨な朝鮮史 麻生川静男
時宗の決断
北条氏と鎌倉幕府 細川重男
鎌倉武士の実像 石井 進
モンゴル襲来と神国日本 三池純正
蒙古襲来 新井孝重
蒙古襲来と北条氏の戦略―日本国存亡の危機
「蒙古襲来絵詞」を読む 大倉隆二
襲来上下 帚木蓬生
鎌倉時代医学史の研究 服部敏良
悪党 小泉宜右
世界史のなかの蒙古襲来 宮脇淳子
モンゴル帝国の興亡 上下
軍事の日本史 本郷和人
北条時宗 川添昭二
中世社会の基層をさぐる 勝俣鎭夫
歴史群像 2014年8月号「蒙古襲来」中西豪
歴史群像 2016年6月号「武者の世①弓矢と騎馬」樋口隆晴 渡辺信吾
歴史群像 2016年8月号「武者の世②大鎧」樋口隆晴 渡辺信吾
戦争文化論 上下 マーチン・ファン・クレフェルト
新時代「戦争論」 マーチン・ファン・クレフェルト
兵器と戦術の日本史 金子 常規
戦争の世界史上 ウィリアム・H・マクニール
戦国の軍隊 西股総生
錯覚の心理トリック 清田予紀
暴力の人類史 上下 スティーブン・ビンカー
世界史の新常識 文藝春秋/編
いまさら!のぶなが?
華猫
ファンタジー
構想してから十数年。書き始めてもう3~4年になりますか?
手直しし始めてすでに1年たってしまいました!(まだ終わってませ~ん)
令和の時代にホント「いまさら信長?」なんて思った事からそのまま題名にしたんですがね~
2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」って、え~!!!なんかかぶってる?
でも知らない!原作も知らない!こんな事ってある?
でも!変えない!気に入ってるんだも~ん。
「いまさらのぶなが」このままいきます。
【本能寺の変】
亡骸が見つかっていない織田信長・・
大謀反人だけど出自が定かでない明智光秀・・
ホントに戻れたの?中国大返しの豊臣秀吉・・
そして・・天下泰平の世を作ったのは徳川家康だったのか?
思いがけず「平成」という名の「未来」へ飛んだ織田三郎信長
そこで目にしたのは「過去」という名の「現実」
戦国の時代は500年の昔に遠く過ぎ去り…
少年三郎が平成の世で託されたのは
『過去を変えない』という大役だった
目的を達成するために…
時空を超えて知恵と演者が集結し
まずは『本能寺』で!
上手に死んでみせましょう
【完結】後妻に入ったら、夫のむすめが……でした
仲村 嘉高
恋愛
「むすめの世話をして欲しい」
夫からの求婚の言葉は、愛の言葉では無かったけれど、幼い娘を大切にする誠実な人だと思い、受け入れる事にした。
結婚前の顔合わせを「疲れて出かけたくないと言われた」や「今日はベッドから起きられないようだ」と、何度も反故にされた。
それでも、本当に申し訳なさそうに謝るので、「体が弱いならしょうがないわよ」と許してしまった。
結婚式は、お互いの親戚のみ。
なぜならお互い再婚だから。
そして、結婚式が終わり、新居へ……?
一緒に馬車に乗ったその方は誰ですか?
改造空母機動艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。
そして、昭和一六年一二月。
日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。
「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した
若き日の滝川一益と滝川義太夫、
尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として
天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が
からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。
【完結】今更告白されても困ります!
夜船 紡
恋愛
少女は生まれてまもなく王子の婚約者として選ばれた。
いつかはこの国の王妃として生きるはずだった。
しかし、王子はとある伯爵令嬢に一目惚れ。
婚約を白紙に戻したいと申し出る。
少女は「わかりました」と受け入れた。
しかし、家に帰ると父は激怒して彼女を殺してしまったのだ。
そんな中で彼女は願う。
ーーもし、生まれ変われるのならば、柵のない平民に生まれたい。もし叶うのならば、今度は自由に・・・
その願いは聞き届けられ、少女は平民の娘ジェンヌとなった。
しかし、貴族に生まれ変わった王子に見つかり求愛される。
「君を失って、ようやく自分の本当の気持ちがわかった。それで、追いかけてきたんだ」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる