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安土城、着工
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上様が家督を譲られたと言っても隠居したわけではない。跡目争いを防ぐために早めに家督を譲るのはよくあることだ。武田家はこれに失敗し、先の長篠の戦の失策を招いたのだ。
しかし岐阜城も信忠さまに譲られたことで新たな拠点が必要となった。そこで南近江の安土山に新しい城を作ることになった――僕と行雲さまが以前献策したことを覚えていたようだ。
総奉行は丹羽長秀さまで大工の棟梁は尾張の熱田神宮の宮大工、岡部又右衛門。そして縄張奉行には秀吉が任命された。
縄張とは城や堀、石垣などの配置や曲輪の造形を決めることで、守りの要となる大事な役目を秀吉は仰せつかったのだった。
「しかし、上様は途方もなく大きな城を建てるつもりだぞ。織田家には銭がうなるほどあるが……」
南近江の安土山麓。
秀吉はうんうんと唸りながら普請が始まった安土山を見ている。僕も傍に控えて「できる限り落としにくい城を考えればいいんじゃないか?」と言ってみる。
「簡単に言うな。今までの町割とは違うのだぞ?」
「秀吉だったら落としにくい城を作ることができるだろう? 攻城の天才だって言っていたじゃないか」
「誰がそのような世迷言を……」
「秀吉自身だよ。この前のかすみの婚姻のとき言っていただろう」
秀吉は顔をしかめて「よくもまあそんなくだらんことを覚えているな」と呟く。
「だったらほれ。おぬしも手伝わぬか。こういうのは得意とするところだろう?」
「じゃあ僕が試作として配置してみて、秀吉がそれを頭の中で攻めてみて、駄目なところを直してみるのはどうだ?」
「ふむ。面白そうだな……それでやってみるか」
あれこれ言いながら縄張を書いていくと「おう。楽しそうだな」とこちらに長益さまと津田信澄さまがやってきた。
「お久しぶりですね。御ふた方」
「あー、雨竜殿。あんたの娘の婚姻に立ち会えなくてごめんな」
すまなそうな信澄さまに「お気になさらず」と笑顔で返す。
「御ふた方は、どうしてここに?」
秀吉の問いに「俺はただの見物だが信澄は普請奉行の一人だ」と長益さまは言う。
「こいつは若いのになかなか賢い。流石に行兄の息子だな」
「あんたから褒められると、何か裏があると思って怖いんだが……」
「ふん。賢すぎて臆病になっているな。雲を見習え。こいつ、公方さまを恐れ多くも気軽に呼んでいるのだ。もちろん将軍を辞する前もだ」
「ええ……礼儀正しい人だと思ってたのに……」
僕は「悪評を流さないでください」と注意した。
「義昭さんとは友人ですから、気軽に呼んでいいでしょう?」
「あ、本当なんですね……」
「信澄さま。引かないでください」
そんな会話をしていると信澄さまは僕と秀吉が書いていた図面を見る。
「これは縄張か……よくできているなあ」
「分かりますか? 今、模索中でして」
信澄さまは「ここをこうしたほうが……」と意見を出してくれた。
すると秀吉が「しかしこう攻められたら……」と参加してきた。
「あー、なるほど。流石秀吉殿だな」
「いえいえ。ではここに堀を巡らすのは?」
「そうなると門が狭くなるから――」
すっかり二人は話しこんでいる。
ぽんと長益さまに肩を叩かれた。
「雲。少し話せるか? どうせ二人は縄張に夢中だろうよ」
「ええ。いいですよ」
僕と長益さまはその場を離れて、大工たちや人足たちの居ない裏手まで行く。
長益さまが裏手の大きな岩に腰掛ける。僕は立ったまま長益さまの話を待つ。
「雲。お前とは長い付き合いだな」
「今更改まってなんですか?」
「たまには良いではないか。俺はお前を友だと思っている。お前はどうだ?」
僕は「織田家の一門衆になったので、友人だと思っています」と素直に答えた。
「そうか。やはりお前は優しいな」
「……何か、あったのですか?」
長益さまは「その、公方さまのことだ」と語り出す。
「元将軍の権威がどのくらい通用するか分からんが、今の毛利家に行くのは危険だ。しかし兄上や周りが何を言っても聞かん」
「…………」
「お前は――そんな公方さまを送り出していいのか?」
長益さまが何を言いたいのか、分かる気がする。
もし、公方さまが毛利家に殺されたとしたら――僕は後悔することになるだろう。
その罪の意識に耐えられるのかと、長益さまは言いたいのだ。
でも僕の答えは――決まっていた。
「……義昭さんが決めたことに口出しはしませんよ」
「しかし――」
「公方さまだからとかじゃない。一人の男が覚悟して決断したことに、口出しなんてできやしない」
僕は空を見上げた。真っ青な空に雲一つ。
「僕は義昭さんを信じています。必ず帰ってくると」
「……そうか。お前も止められない、いや止めるつもりはないんだな」
長益さまは「まったく俺には理解できねえ」と軽く笑った。
「どうして無茶するのかねえ。将軍を辞したときも思ったよ。あのままで居れば安泰だったのに」
「義昭さんは日の本を良くしようと思っています。だから命を懸けられるんです。立場はちょっと違うけど、紛れもない武士ですよ」
「そういう感覚、俺には分からないな。自分の身を守るだけで精一杯だ」
長益さまらしい言葉だ。思わず笑みが零れる。
「なに笑っているんだ?」
「長益さまは、長生きするなあと思いまして」
「当たり前だ。百歳まで生きるんだ俺は」
「人の二倍ですか? そんなに生きてどうするんですか?」
「女と茶の湯を楽しむさ」
長益さまは「お前は何歳まで生きたい?」と問う。
「考えたこともありませんけど、六十ぐらいは生きたいですね」
「じゃああと三十年で太平の世にしなくちゃな」
長益さまは楽しそうに笑った。無邪気な笑みだった。
「太平の世になったら茶の湯を広めて金儲けだな」
「金儲け……俗っぽいこと考えますね」
「武士など用済みになる世になるからな。できるだけ稼いだほうが良い」
「百年生きるんですからね。そりゃあ贅沢に暮らすには足りませんね」
「なあ。雲よ。お前も茶の湯で稼がないか?」
「僕はあまり才はありませんから。でも協力はできますよ」
僕の言葉に長益さまは「どんな協力だ?」と訊ねた。
「まず、長益さまが茶の湯で名人になるじゃないですか」
「ほう。それで?」
「長益さまが今焼を作るんです。いや、実際に作るんじゃなくて、企画するんです。その職人と費用は僕が集めます」
「つまり俺のお墨付きの茶器を作って、売るって訳か」
「ええ。今焼なら土さえあればいくらでも作れますからね」
「……雲。お前、商人になったほうが良かったんじゃないか?」
そんな会話をしていると、小姓らしき者がこちらに走ってくる。
「御免! 上様が御両名お呼びです!」
「俺たちをか? ……行くぞ雲」
小姓が焦っている様子から、あまりよろしくないことが起きたのだと推測できた。
早足で上様のいらっしゃる屋敷に向かう。
上様は具足を小姓に着せながら「長益、雲之介。貴様らも準備しろ」と言う。
「兄上、戦ですか?」
「ああそうだ。かなり不味いことになった」
やけに早口で上様は言う。
「猿にも伝えておいた。あやつも出陣する」
「一体、何があったんですか?」
「塙直政を知っているな? 本願寺攻めを命じていた武将だ」
織田家の武将で大和国の四分の一を支配している人だ。
「その方がどうかしましたか?」
「討ち死にした」
思いもかけない言葉に僕も長益さまも絶句した。
「天王寺砦に光秀が篭城している。あの金柑頭を救いにいく」
「戦力はどうなっていますか?」
長益さまの問いに「本願寺は一万五千だ」と答えつつ具足の準備を終えた上様。
「こっちにはほとんど兵は居らん。道中、武将たちに集めさせる」
「……承知しました」
正直、明智さまとは因縁がある。
かといって織田家の重臣であるあの方を見捨てるわけにもいかない。
しかしこの戦で思いもかけないことが起こる。
誰も想像できない、重大事が起こるのだ――
しかし岐阜城も信忠さまに譲られたことで新たな拠点が必要となった。そこで南近江の安土山に新しい城を作ることになった――僕と行雲さまが以前献策したことを覚えていたようだ。
総奉行は丹羽長秀さまで大工の棟梁は尾張の熱田神宮の宮大工、岡部又右衛門。そして縄張奉行には秀吉が任命された。
縄張とは城や堀、石垣などの配置や曲輪の造形を決めることで、守りの要となる大事な役目を秀吉は仰せつかったのだった。
「しかし、上様は途方もなく大きな城を建てるつもりだぞ。織田家には銭がうなるほどあるが……」
南近江の安土山麓。
秀吉はうんうんと唸りながら普請が始まった安土山を見ている。僕も傍に控えて「できる限り落としにくい城を考えればいいんじゃないか?」と言ってみる。
「簡単に言うな。今までの町割とは違うのだぞ?」
「秀吉だったら落としにくい城を作ることができるだろう? 攻城の天才だって言っていたじゃないか」
「誰がそのような世迷言を……」
「秀吉自身だよ。この前のかすみの婚姻のとき言っていただろう」
秀吉は顔をしかめて「よくもまあそんなくだらんことを覚えているな」と呟く。
「だったらほれ。おぬしも手伝わぬか。こういうのは得意とするところだろう?」
「じゃあ僕が試作として配置してみて、秀吉がそれを頭の中で攻めてみて、駄目なところを直してみるのはどうだ?」
「ふむ。面白そうだな……それでやってみるか」
あれこれ言いながら縄張を書いていくと「おう。楽しそうだな」とこちらに長益さまと津田信澄さまがやってきた。
「お久しぶりですね。御ふた方」
「あー、雨竜殿。あんたの娘の婚姻に立ち会えなくてごめんな」
すまなそうな信澄さまに「お気になさらず」と笑顔で返す。
「御ふた方は、どうしてここに?」
秀吉の問いに「俺はただの見物だが信澄は普請奉行の一人だ」と長益さまは言う。
「こいつは若いのになかなか賢い。流石に行兄の息子だな」
「あんたから褒められると、何か裏があると思って怖いんだが……」
「ふん。賢すぎて臆病になっているな。雲を見習え。こいつ、公方さまを恐れ多くも気軽に呼んでいるのだ。もちろん将軍を辞する前もだ」
「ええ……礼儀正しい人だと思ってたのに……」
僕は「悪評を流さないでください」と注意した。
「義昭さんとは友人ですから、気軽に呼んでいいでしょう?」
「あ、本当なんですね……」
「信澄さま。引かないでください」
そんな会話をしていると信澄さまは僕と秀吉が書いていた図面を見る。
「これは縄張か……よくできているなあ」
「分かりますか? 今、模索中でして」
信澄さまは「ここをこうしたほうが……」と意見を出してくれた。
すると秀吉が「しかしこう攻められたら……」と参加してきた。
「あー、なるほど。流石秀吉殿だな」
「いえいえ。ではここに堀を巡らすのは?」
「そうなると門が狭くなるから――」
すっかり二人は話しこんでいる。
ぽんと長益さまに肩を叩かれた。
「雲。少し話せるか? どうせ二人は縄張に夢中だろうよ」
「ええ。いいですよ」
僕と長益さまはその場を離れて、大工たちや人足たちの居ない裏手まで行く。
長益さまが裏手の大きな岩に腰掛ける。僕は立ったまま長益さまの話を待つ。
「雲。お前とは長い付き合いだな」
「今更改まってなんですか?」
「たまには良いではないか。俺はお前を友だと思っている。お前はどうだ?」
僕は「織田家の一門衆になったので、友人だと思っています」と素直に答えた。
「そうか。やはりお前は優しいな」
「……何か、あったのですか?」
長益さまは「その、公方さまのことだ」と語り出す。
「元将軍の権威がどのくらい通用するか分からんが、今の毛利家に行くのは危険だ。しかし兄上や周りが何を言っても聞かん」
「…………」
「お前は――そんな公方さまを送り出していいのか?」
長益さまが何を言いたいのか、分かる気がする。
もし、公方さまが毛利家に殺されたとしたら――僕は後悔することになるだろう。
その罪の意識に耐えられるのかと、長益さまは言いたいのだ。
でも僕の答えは――決まっていた。
「……義昭さんが決めたことに口出しはしませんよ」
「しかし――」
「公方さまだからとかじゃない。一人の男が覚悟して決断したことに、口出しなんてできやしない」
僕は空を見上げた。真っ青な空に雲一つ。
「僕は義昭さんを信じています。必ず帰ってくると」
「……そうか。お前も止められない、いや止めるつもりはないんだな」
長益さまは「まったく俺には理解できねえ」と軽く笑った。
「どうして無茶するのかねえ。将軍を辞したときも思ったよ。あのままで居れば安泰だったのに」
「義昭さんは日の本を良くしようと思っています。だから命を懸けられるんです。立場はちょっと違うけど、紛れもない武士ですよ」
「そういう感覚、俺には分からないな。自分の身を守るだけで精一杯だ」
長益さまらしい言葉だ。思わず笑みが零れる。
「なに笑っているんだ?」
「長益さまは、長生きするなあと思いまして」
「当たり前だ。百歳まで生きるんだ俺は」
「人の二倍ですか? そんなに生きてどうするんですか?」
「女と茶の湯を楽しむさ」
長益さまは「お前は何歳まで生きたい?」と問う。
「考えたこともありませんけど、六十ぐらいは生きたいですね」
「じゃああと三十年で太平の世にしなくちゃな」
長益さまは楽しそうに笑った。無邪気な笑みだった。
「太平の世になったら茶の湯を広めて金儲けだな」
「金儲け……俗っぽいこと考えますね」
「武士など用済みになる世になるからな。できるだけ稼いだほうが良い」
「百年生きるんですからね。そりゃあ贅沢に暮らすには足りませんね」
「なあ。雲よ。お前も茶の湯で稼がないか?」
「僕はあまり才はありませんから。でも協力はできますよ」
僕の言葉に長益さまは「どんな協力だ?」と訊ねた。
「まず、長益さまが茶の湯で名人になるじゃないですか」
「ほう。それで?」
「長益さまが今焼を作るんです。いや、実際に作るんじゃなくて、企画するんです。その職人と費用は僕が集めます」
「つまり俺のお墨付きの茶器を作って、売るって訳か」
「ええ。今焼なら土さえあればいくらでも作れますからね」
「……雲。お前、商人になったほうが良かったんじゃないか?」
そんな会話をしていると、小姓らしき者がこちらに走ってくる。
「御免! 上様が御両名お呼びです!」
「俺たちをか? ……行くぞ雲」
小姓が焦っている様子から、あまりよろしくないことが起きたのだと推測できた。
早足で上様のいらっしゃる屋敷に向かう。
上様は具足を小姓に着せながら「長益、雲之介。貴様らも準備しろ」と言う。
「兄上、戦ですか?」
「ああそうだ。かなり不味いことになった」
やけに早口で上様は言う。
「猿にも伝えておいた。あやつも出陣する」
「一体、何があったんですか?」
「塙直政を知っているな? 本願寺攻めを命じていた武将だ」
織田家の武将で大和国の四分の一を支配している人だ。
「その方がどうかしましたか?」
「討ち死にした」
思いもかけない言葉に僕も長益さまも絶句した。
「天王寺砦に光秀が篭城している。あの金柑頭を救いにいく」
「戦力はどうなっていますか?」
長益さまの問いに「本願寺は一万五千だ」と答えつつ具足の準備を終えた上様。
「こっちにはほとんど兵は居らん。道中、武将たちに集めさせる」
「……承知しました」
正直、明智さまとは因縁がある。
かといって織田家の重臣であるあの方を見捨てるわけにもいかない。
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