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第五章『開戦』

138話 撤退戦

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「制圧完了! 狼煙をあげろ!」

 たった数分で数百人が死んだ。僕らは迅速に、敵兵の処理を実行した。

 仙術士が全力で突撃すれば、騎兵などより圧倒的に速い。しかも、僕やシーピュの『縮地』に対応できる敵兵はおらず、ミスリルメッキは強靭で、フェイントの必要すらなく斬り放題。鎧や武器ごと斬殺された敵兵がそこかしこに転がっている
 気がつけば、『断罪の光』が配備されていた敵陣周辺は、敵兵の空白遅滞になっていた。

 一方的な虐殺じみた殺戮になったかと思っていたが、見回してみると、死体の山には村から参加した顔見知りも紛れ込んでいた。動かない彼を見下ろしながら、彼の家族を思う。

「フィーちゃん、天涯孤独になっちゃったかぁ……」

 彼とちゃんと話したことはないが、彼の娘のフィーちゃんとは何度か挨拶をしたことがある。気が緩んだのか、そんなに面識があるわけでもないのに鼻がツンと痛くなる。続いて、涙がポロポロこぼれた。
 
 フィーちゃんは僕と同い年の女の子だ。僕と同じく、生まれてすぐ母を失い、幼い頃から父親に背負われて一緒に山に入っていたが、ある日魔物に足首から先を片方、食いちぎられた。
 
 僕が彼女を覚えているのは、杖なしでは歩けなくなって以降、アンの文字教室に通うようになったからだ。領主の館で開かれていたので、よくすれ違っていた。

 うちの村は移住してきた元冒険者や軍人が多く、そういった村人は一族で移住してくる訳ではないので、だいたい核家族なのだ。そして今回動員された村人は武力を持つ元冒険者や軍人。

 このまま戦死者が増えたら、家族を失った領民は生活が立ちゆかなくなるだろう。

「ごめん」

 涙を拭おうとすると、顔中に返り血を塗りつける結果になった。仕方なく、そのまましゃがんで遺体から髪の毛を少し切り取り、首にかけられた識別票を引きちぎって小袋に入れる。

 それから再び周囲を見回すと、血がべっとりとついた白い杖が落ちていた。先端には何かの魔石がついている。
 
「これが『断罪の光』……」

 拾ってみると、案外軽い。見回すと、同じものがところどころに落ちている。

「罪、罪かぁ」

 感情は何も感じないのに、涙が止まらない。

「坊ちゃん、狼煙と戦死者の識別票回収、完了しやした」

 シーピュが報告に、空を見上げると、僕らが用意した狼煙の赤い煙が高く上がっていく。

 作戦は順調だが、ここにいたら次の敵がやってきてしまう。戦場は嫌いだ。一刻も早く帰りたい。

「よし! 次はこれと同じものを探して、魔石を切り取って持ち帰るぞ!」

 兵士たちに新しい指示を出す。僕らの目的は『断罪の光』の無力化。ここに置いて帰ればまた使われてしまう。幸い、使える人間の服装は色が違うらしく、見つけるのはそう難しくない。作業は一瞬で終わった。

「坊ちゃん、敵増援が来やす! 霊馬騎兵だ!」

 霊馬は『死の谷』にはいない種類の魔物で、見るのは初めてだが馬より足が速いらしい。

「撤退!」

 踵を返し、来た道を見回すと、先程くぐり抜けた戦場の空気が一変していた。

 おそらく、僕らが『断罪の光』の部隊を制圧したせいで、ミスリルアマルガムを防御に回さなくて良くなったからだろう。

 親父とシーゲンおじさんは全身に赤く光る刺青が浮かび上がっていて、空中に描かれる聖紋を素手で殴りつけて何やら術を放っている。
 一撃で一帯が吹き飛びかねない。なるほど、闘技場が崩壊したのも納得の威力だ。

 義母さんは翠色の宝石のような棍をくるくると振り回して、翼から降り注ぐ羽根を次々と打ち落としている。天使みたいな見た目の人物なので、こちらの世界の人には神々しく見えそうだが、義母さんは時折ミスリルアマルガムを展開して、防御しなければ敵軍が吹っ飛ぶ絶妙な角度で大規模な神術を叩き込んでいる。

 つまり、帰り道は即死級の神術や仙術が飛び交う、本物の戦場だ。

「いーやーだー」

 あんなところに飛び込んだら死んでしまう。かと言って、ここにとどまれば霊馬騎兵に追いつかれてやっぱり死ぬ。

「坊ちゃん、それなら山に登りましょう。我らと木々に紛れて戦って、勝てる者など滅多にいません」

 シーピュが耳打ちしてくる。僕らの役割は『断罪の光』を止めること。その意味では、もう充分役目は果たした。

「よし、それで行こう! 右の山に逃げるぞ」

「逃がさん!」

 最後尾で部隊に指示を出したところで、予想外の距離から声がした。

「げ!」

 振り返るとちょうど槍の穂先が僕に迫っていて、反射的に左手の籠手で払い除ける。

 が、攻撃が重すぎて、僕の身体が横に吹き飛んだ。

「ぐぼへ」

 地面を転がりながら、馬が宙を走っているのを見てしまう。まるで『雲歩』のようだ。しかもその背には、フル装備の白い騎士がまたがり、異様に長い槍を操って、通り抜きざまにうちの兵士を串刺しにしていく。

 まずい、空が飛べる馬とか反則だ。後続が追いついて来れば僕らは全滅しかねない。

「大丈夫です。飛んでるのはあいつだけです。あっしが足止めしますんで坊ちゃんらは山へ!」

 シーピュが何か言ってるのを無視して、弓に矢をつがえる。

「当たれ!」

 矢は思い描いた通りの軌道を描いたが、騎士は後ろに目があるように、ひらりとかわした。動きが早い上におそらく視野も広い。

「くそったれ!」

 うちの主力部隊は塹壕の中だが、術の嵐のせいで合流できない。助けてくれる予定だった親父たちは全員忙しそうだし、これは死んだかもしれない。

「足止めは僕ら二人でだ。二人で『縮地』して混乱させてやろう」

 さっきの戦闘では、僕らの『縮地』に対応できる敵兵はいなかった。

 追い抜いて行った霊馬騎兵が、ぐるっと弧を描いて、再びこちらへの突撃態勢に入る。

「わかりやした!」

 矢を緩急をつけて放物線を描くように軽く2連射。続けて、速射で直線的な2連射。計4本の矢を絶対に全部かわせないタイミングで放つ。矢は再び思った通りの軌道を描き、全て鎧に弾き返された。

「あれメッキしてたのに!」

 全く通じないとか冗談じゃない。あの鎧、何でできてるんだ。

 だが、挑発としては大成功だったらしい。槍の穂先が再び僕の方を向く。

「死ぬ気で走れ! 時間は稼ぐ!」

 つくづく、とんでもない一家に転生してしまったものだ。死にたくはないが、領民を死なせる責任も、とても重い。

「ご武運を!」

 兵士たちが、口々に何か言いながら走っていく。僕の涙が伝染したのか、泣いている者もいる。

 兵士たちを送り出して、前を向くと、空駆ける霊馬はもう至近距離にいた。

「しっ」

 今度は馬に向けて投げナイフを投げる。魔物の弱点はだいたい目だ。

 投げて即『縮地』でその場から逃げた。

「ちっ。ちょこまかと。ならば部下を殺すまでだ」

 『縮地』で離れた僕らを一瞥して、騎士は苛立たしそうに手綱を操る。視線は逃げ去ろうとする兵士を捉えていた。先ほどの投げナイフは、馬用の兜に弾き返されて、回転しながらどこかへ飛んでいく。
 おそらく、馬のまばたきと連動して、目を守る仕掛けがあるのだろう。

「おっと。そうはさせねぇ」

 今度はシーピュが上方に出現して、槍を突き下ろす。しかし鎧に小さな凹みを残しただけで弾き返される。

 入れ替わるように僕も脇差の抜き打ちで馬の足を斬りつけーー

 今度は変な手応えとともに刀が弾き返された。

「鎧が硬えです。ありゃ多分神器ってやつじゃねぇかと」

「馬、脚からはなんか吹き出してるね。刃が押し返される。あと、目もなんか仕掛けがありそう」

 背中合わせに短く情報交換して、再び二手に分かれる。そう言えば、神器って何だろうか? 確か『断罪の光』も神器と呼ばれていた。

「ええい。邪魔だ」

 背中にゾッと寒けが走り、思いっきり『縮地』で飛んだが、少しだけ遅かった。加速前に、何かが僕の鎧を切り裂いた。
 ベクトルを狂わされて、姿勢の制御を失った僕は、盛大に地面を転がる。

「くっそ。何だ今の」

 起きあがろうとして、腕から出血していることに気がつく。ついでに足首も捻ったらしく、僕は起き上がるのに失敗して再び倒れ込む。

 下手をうった。この足ではもう『縮地』ができない気がするので、次はかわせない。

「きっさまぁ! うちの坊ちゃんに何しやがる!」

 逃げるよう声をかけようとしたが、シーピュは鬼のような形相で騎士と槍を打ち合わせていた。『縮地』を繰り返しているその姿は、まるで分身しているようだ。

「坊ちゃん、時間稼ぎはもう十分です。あいつらを追ってくだせえ!」

 シーピュは苦しそうだが、真正面から打ち合えているあたり、ひょっとすると何とかなってしまうかもしれない。

「でも!」

「聞き分けてくだせぇ! その足じゃ足手まといですぜ!」

 シーピュの肩当てがはじけとぶ。まずい。僕が声をかけたら、集中力を阻害してしまう。

「わかった! シーピュもすぐ撤退して」

 逃げた兵士は、もう山の木々の中へ消えていた。確かに時間稼ぎはもういいだろう。

 片足に全身全霊の霊力を込めて、僕は強く跳んだ。
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