上 下
91 / 190
第三章『王都』

91話 宰相の相談事

しおりを挟む

 準々決勝第三試合を横目に持ち掛けられた相談は、戒律の解釈を歪めて大儲けする聖職者や貴族をどうしたら良いかというものだった。

 何でも、彼らは『聖水』なる水で大儲けしているらしい。現物を見せてもらったら、かなり高濃度に蒸留されたアルコールだった。僕が作った次亜塩素酸ナトリウムも、聖水と同じように消毒できるので、『擬似聖水』なんて呼ばれ方をしているぐらいだ。

 結構キツいアルコール臭がする。これなら確かに消毒できるので、インチキとまでは言えないだろう。

 しかし、公国派と呼ばれる貴族と結びついた司祭たちは、これで病や罪が洗い流せるとして、高値の寄進を求めているらしい。さすがにそこまで行くと、詐欺っぽい気もする。

(なんか世界史で似たような話がなかったっけ?)

 心の中で自称天使さんに尋ねると、世界史の教科書が浮かび上がってきた。開かれたページには『宗教改革』と書かれている。
 
『宗教改革は、ルターが免罪符を批判したことによって起きた、宗教上の改革なのである。活版印刷の普及によって、口語訳された聖書が大量に出回ったのが要因とも言われているのであるな』

 なるほど。活版印刷の技術は、アスキーさんの手によって再現され、こないだの『ヒッサン訓蒙』の出版にも使われていた。一文字ごとに組み替える活字部分を再現するのに苦労していたようだが、賢人ギルドでテストを重ねて、実用化は近いらしい。

 だが、マイナ先生から教会には注意しろと言われている。その信徒もだ。宰相閣下だからといって、無条件で信用するわけにはいかない。ちょっと確認しておこう。

「ところで、宰相閣下はゼロについてどう思います?」

 教会では、ゼロは認められていないらしい。もちろん負の数も。

 それは、賢人ギルドと教会を隔てる壁でもある。

「ふむ。神学上、存在しない数字は数字ではないと言われているな。だが、聖典にはゼロそのものが存在しないとは書かれていない。神は虚無を嫌う、とあるだけだ。
例えば歩数を数える場合、一歩めは確かに存在するが、その前のゼロ歩めが虚無なわけではない。神はゼロを否定していない」

 宰相の答えで、マイナ先生がヒュっと声を立てた。見ると、目が潤んでいる。

「そういうこと言うと、異端審問官が動きませんか?」

 前の婚約者を異端審問で失ったマイナ先生の横で、こんな話をするのは気が引けるが、これは必要なことだ。

「私は宰相で、この国の信徒の中でも大きな力を持っている。ゼロを異端とするのは、テレース派神学者たちの解釈だが、私はテレース神学を支持しない。私が信じるのはただ聖典のみ」

 なるほど解釈か。つまり、聖典を信じても、ゼロを異端とは考えていないということか。

「マイナ先生?」

 声をかけると、マイナ先生が涙ぐんでコクコクとうなづいた。これは、信用しても良いということかな?
 相手は別派閥だが、この国のナンバー2である。恩を売っておいて損はない。

「わかりました。ではまず、先ほど宰相閣下が見せてくれた『聖水』ですが、人工的に同じものを作れます。器具から作る必要がありますが、出来上がれば方法を共有させていただきましょう。その後はそちらで自力で生産してください。
基本的に塩の場合と同様の戦略ですが、供給が増えて競争が起これば、『神の見えざる手』によって、値段は下がります。相手は『聖水』を現値で売れなくなるでしょう」

 僕が真面目に答えると、宰相は驚いたようだった。

「聖水は神の御業と言われているが、人工的に作れるのか?」

「はい。原料としてお酒が必要になりますが、蒸留という仕組みで可能です」

 エタノールの沸点は水よりも低く、だいたい80度ぐらいで気化する。その気体を冷やせば、濃度の高いアルコールが取れる。
 暖めて冷やすだけなので、難易度はさほど高くないだろう

「まて。それでは神秘が失われるのでは? 聖水は聖典に存在する」

「世の理はすべて神秘ではないでしょうか? 神術だって人間が使えるのですから、聖水が作れてもおかしくありませんよ。実際、聖水はここにありますし」

 なんせ、別の世界から転生してきた僕みたいな存在や、自称天使さんのような存在がいる世界だ。神が本当にいても驚かないし、神の術を人間が使えても驚かない。

「むぅ。確かに。にわかには信じられないが、まずは実際にできたモノを見せてもらおう」

 準々決勝の3試合目は続いていて、誰とも知らない二人が剣を交えている。連続する試合に疲れているのか、誘いなのか、二人とも動きが鈍い。

「そうですね。蒸留に必要な器具は親方に頼んでおきます。実際に再現できてからお話しましょうか。
 次に戒律の解釈を歪めているという話ですが、聖典を現代語に訳して読みやすくし、たくさん印刷してみてはいかがでしょうか? 宰相閣下のおっしゃるとおりなら、信徒が自ら読めば歪みに気づくでしょう」

 この世界は識字率が低すぎる。コンストラクタ村で言うと、領主一家を含めても、300人中30人いたら良い方だろう。
 こちらの世界の人々は信心深いので、古語ではない聖典があれば、識字率は上がるかもしれない。

「待て。"印刷"とは何だ?」

「同じ本を大量に作る技術です。シーゲンの街の賢人ギルドが、実用化に成功しました。マイナ先生の『ヒッサン訓蒙』も、その技術で作られているんですよ。ねぇ、マイナ先生」

 声をかけると、マイナ先生は少しだけ目を泳がせた後、うなずいた。

「そうです。ですから、聖典も同じように印刷できるでしょう。決めるのは父ですが、もしも賢人ギルドを異端審問官から守り、発展に協力いただけるということならあれば、活版印刷の技術を提供することは可能かもしれません」

「なるほど。聖典の復興運動か。面白い。本当に面白いな。少し用事ができたので、私もこれで失礼する」

 クセなのだろう。宰相は少しカールしたチョビ髭を軽くしごきながら、立ち上がる。

「ああそうだ。さっき言っていた貴族にお金を貸す話な。契約は王都の大神殿で結ぶと良いぞ。それで万が一にも異端とはならなくなる」

「あ、ありがとうございます」

 僕らは、全員で頭を下げ、宰相さんを見送った。

 いや、本当に、何で僕の話をちゃんと聞くの?
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ただしい異世界の歩き方!

空見 大
ファンタジー
人生の内長い時間を病床の上で過ごした男、田中翔が心から望んでいたのは自由な世界。 未踏の秘境、未だ食べたことのない食べ物、感じたことのない感覚に見たことのない景色。 未だ知らないと書いて未知の世界を全身で感じることこそが翔の夢だった。 だがその願いも虚しくついにその命の終わりを迎えた翔は、神から新たな世界へと旅立つ権利を与えられる。 翔が向かった先の世界は全てが起こりうる可能性の世界。 そこには多種多様な生物や環境が存在しており、地球ではもはや全て踏破されてしまった未知が溢れかえっていた。 何者にも縛られない自由な世界を前にして、翔は夢に見た世界を生きていくのだった。 一章終了まで毎日20時台更新予定 読み方はただしい異世界(せかい)の歩き方です

死霊王は異世界を蹂躙する~転移したあと処刑された俺、アンデッドとなり全てに復讐する~

未来人A
ファンタジー
主人公、田宮シンジは妹のアカネ、弟のアオバと共に異世界に転移した。 待っていたのは皇帝の命令で即刻処刑されるという、理不尽な仕打ち。 シンジはアンデッドを自分の配下にし、従わせることの出来る『死霊王』というスキルを死後開花させる。 アンデッドとなったシンジは自分とアカネ、アオバを殺した帝国へ復讐を誓う。 死霊王のスキルを駆使して徐々に配下を増やし、アンデッドの軍団を作り上げていく。

【完結】いせてつ 〜TS転生令嬢レティシアの異世界鉄道開拓記〜

O.T.I
ファンタジー
レティシア=モーリスは転生者である。 しかし、前世の鉄道オタク(乗り鉄)の記憶を持っているのに、この世界には鉄道が無いと絶望していた。 …無いんだったら私が作る! そう決意する彼女は如何にして異世界に鉄道を普及させるのか、その半生を綴る。

転生したら《99%死亡確定のゲーム悪役領主》だった! メインキャラには絶対に関わりたくないので、自領を発展させてスローライフします

ハーーナ殿下
ファンタジー
 現代の日本で平凡に生きていた俺は、突然ファンタジーゲーム世界の悪役領主キャラクターとして記憶転生する。このキャラは物語の途中で主人公たちに裏切られ、ほぼ必ず処刑される運命を持っている。だから俺は、なるべく目立たずに主人公たちとは関わりを避けて、自領で大人しく生き延びたいと決意する。  そのため自らが領主を務める小さな領地で、スローライフを目指しながら領地経営に挑戦。魔物や隣国の侵略、経済危機などに苦しむ領地を改革し、独自のテクノロジーや知識を駆使して見事発展させる。  だが、この時の俺は知らなかった。スローライフを目指しすぎて、その手腕が次第に注目され、物語の主要キャラクターたちや敵対する勢力が、再び俺を狙ってくることを。  これはスローライフを目指すお人好しな悪役領主が、多くの困難や問題を解決しながら領地を発展させて、色んな人に認められていく物語。

役立たずと言われダンジョンで殺されかけたが、実は最強で万能スキルでした !

本条蒼依
ファンタジー
地球とは違う異世界シンアースでの物語。  主人公マルクは神聖の儀で何にも反応しないスキルを貰い、絶望の淵へと叩き込まれる。 その役に立たないスキルで冒険者になるが、役立たずと言われダンジョンで殺されかけるが、そのスキルは唯一無二の万能スキルだった。  そのスキルで成り上がり、ダンジョンで裏切った人間は落ちぶれざまあ展開。 主人公マルクは、そのスキルで色んなことを解決し幸せになる。  ハーレム要素はしばらくありません。

前世の記憶で異世界を発展させます!~のんびり開発で世界最強~

櫻木零
ファンタジー
20XX年。特にこれといった長所もない主人公『朝比奈陽翔』は二人の幼なじみと充実した毎日をおくっていた。しかしある日、朝起きてみるとそこは異世界だった!?異世界アリストタパスでは陽翔はグランと名付けられ、生活をおくっていた。陽翔として住んでいた日本より生活水準が低く、人々は充実した生活をおくっていたが元の日本の暮らしを知っている陽翔は耐えられなかった。「生活水準が低いなら前世の知識で発展させよう!」グランは異世界にはなかったものをチートともいえる能力をつかい世に送り出していく。そんなこの物語はまあまあ地頭のいい少年グランの異世界建国?冒険譚である。小説家になろう様、カクヨム様、ノベマ様、ツギクル様でも掲載させていただいております。そちらもよろしくお願いします。

ぐ~たら第三王子、牧場でスローライフ始めるってよ

雑木林
ファンタジー
 現代日本で草臥れたサラリーマンをやっていた俺は、過労死した後に何の脈絡もなく異世界転生を果たした。  第二の人生で新たに得た俺の身分は、とある王国の第三王子だ。  この世界では神様が人々に天職を授けると言われており、俺の父親である国王は【軍神】で、長男の第一王子が【剣聖】、それから次男の第二王子が【賢者】という天職を授かっている。  そんなエリートな王族の末席に加わった俺は、当然のように周囲から期待されていたが……しかし、俺が授かった天職は、なんと【牧場主】だった。  畜産業は人類の食文化を支える素晴らしいものだが、王族が従事する仕事としては相応しくない。  斯くして、父親に失望された俺は王城から追放され、辺境の片隅でひっそりとスローライフを始めることになる。

若返ったおっさん、第2の人生は異世界無双

たまゆら
ファンタジー
事故で死んだネトゲ廃人のおっさん主人公が、ネトゲと酷似した異世界に転移。 ゲームの知識を活かして成り上がります。 圧倒的効率で金を稼ぎ、レベルを上げ、無双します。

処理中です...