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第1部 第1章

10 ほんとうのきもち

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 森の木々を背に、シャドウが奏でた詠唱に乗って荘厳華麗そうごんかれいな王城が映し出された。きらびやかな宝飾で着飾られた貴賓室のような広間が目の前に広がる。

 「え?なにこれ?いつの間に」

 雪は瞬時に切り替わった風景に目を瞬かせた。舞台が変わるのは、この世界の十八番だとわかって来たところだが、右を見ても左を見ても、今までの人生の中で見たこともない場所に変わっていた。火を灯すシャンデリアはカサがフリルのような繊細な形で、少しでもぶつかったら壊れてしまいそうだ。壁に彫られたレリーフも蔦の葉と大きな鳥がいた。今にも飛び立ちそうな勢いがあった。天井は七色のステンドグラスがはめ込まれていて、華やかな光が差し込まれていた。
 足元には濃淡なワイン色の絨毯が敷き詰められていた。踏みしめた感覚はまさに絨毯で映画館を思い出す。質はだいぶ違うが。土足のまま絨毯を踏める場所を他に思い出せなかった。従兄弟の結婚式の会場にもあったかと頭に浮かんできた時には、何だかもう遅すぎだと恥ずかしくなった。
 足元ばかり見ていて気がつくのが遅れたが、広間には大勢の人がいた。襟を立てて身なりをきちんとしている。手には分厚い書物。その隣には長机を前にノートを広げて座っている人。向かい側にも同じような配置に人がいた。まるで裁判中の弁護士と検察官と書記官みたいだった。その後ろに平服を来た老若男女と、甲冑を来た兵士が大勢並んでいた。不穏な物々しさを感じた先には、玉座があった。ここは玉座の間か。王様がいた。王様なんて見たことないけれど、きっとあの人がそう。彼をまとう空気だけが違う。
 
 雪が見上げた先には、大きな椅子に腰をかけた恰幅のいい男がいた。髪の色は眉毛も髭も同じダークグレーだった。五十~六十歳ぐらいか。初老と言うにはまだ早いかもしれないが目や口元には皺が見えた。黒っぽい濃紺の服には銀色はよく映えた。身に付けた宝飾や腰に下げた剣のような武器がギラギラと光る。
 「ここは裁判所?」
 ようやく口を開いた雪は王とおぼしき男をまじまじと見た。
  私は裁かれるのだろうか?
  雪はシャドウに「はい」とだけ言えばいいと言われたことを思い出した。後ろにいるはずのシャドウに振り返る。シャドウは腰を下ろし膝をついた姿勢でいた。目が合ったものの、すぐに外されてしまった。
 「ちょっと…」
 酷くない?何この仕打ち?
 勝手に連れてきといて、勝手に王様に裁かれるなんて聞いてない!
 雪はシャドウを睨みつけた。シャドウは申し訳なさそうな顔つきでいたが、目を合わせることはなかった。
 ディルは心を読むまでもなく、イライラしている雪を見つめた。
 (さあ…、どうでるかな)
 鬼が出るか邪が出るか。
 この世界に呼びこまれた「影付き」の処遇を決めるのは王の役目なのだ。未練を断ち切れた者は晴れてこの世界の住人になれるが、断ち切れなかった者は影を抜かれ彷徨うか、消されるかのどちらかだ。勝手に連れてきといてなんだが、扱いはとても雑だ。このお嬢さんが怒るのも目に見えている。今のままでは未練は断ち切れない。どうする?

 「申し上げます。北の森にて、「影付き」を一人、連れて参りました」
 シャドウの声が広間に響いた。
 人々の間がざわつき出した。ひそひそ声が雪にも届いた。聞き逃すことなく、全て耳に入ってきた。書き出すのは躊躇うほどの罵詈雑言。雪の全身を舐め回す視姦、セクハラ、モラハラもいいところだ。雪は罵られて悔しいが、涙は堪えた。泣いても何も変わらないことをこの世界に来て身に染みて感じたからだ。

 「ほう」
 王の溜息が漏れた。たった一言でざわめいていた音がピタリと止んだ。
 静寂が訪れた。
 王の席から雪のいる場所まで一筋の道が出来た。距離にて百メートルくらいか。空気の壁のようなものが出来て、野次馬達を遮断した。彼らは気が付いてない。
 道の中には、雪とシャドウとディルと裁判官達。そして、王とその隣に茶髪の青年がいた。
 「これでゆっくり話ができるな」
 王は手を軽く振り、シャドウに立ち上がるよう命じた。シャドウは頭を下げた後にゆっくりと立ち上がった。
 「の国の者よ。ようこそ、我が城へ」
  王は玉座に座ったまま、雪に話しかけた。重低音の声質は絨毯の上を押し潰すかのように雪に届いた。
 「名は?」
 たった一言で雪の体を一歩退けさせた。圧を感じた。
 「…」
 雪は怯むまいとグッと足に力を込めた。先ほどから少々苛ついているのだ。
 「何も答えるなと言われてますから、答えられません」
 雪はシャドウに言われた通りのことを口にした。隣でシャドウがギョッとした表情を見せた。
 「ンふっ」
王の側付そばつきの青年とディルは同時に吹き出し、同時に咳払いをしてコソコソとした。
  「おい!」
シャドウが慌てふためき、雪に駆け寄った。
 「王の御前だぞ!」
 「あなたがそう言えと言ったんでしょう!だいたい人の名を聞くときは自分から名乗るのが礼儀よ」
  雪はがんとして名乗ることはしなかった。この世界に来てから理不尽なことばかりで、かなり嫌気がさしていたのだ。裁判官達が騒めき出す。雪を捕まえようと衛兵を呼んだ。
 それでも賽は投げられたのだ。投げた賽は戻せないのだ。どんな目が出ても曲げたくないことがある。こんなことでしか反発できない自分の力の無さを痛感するが、今はこの場を抑えたい。
 雪は衛兵をかわしながら広間を走り回った。

 王は目を細め、自分の顎髭を撫でて雪をじっと見つめた。
 「ほう。なかなか度胸のある娘だな」
 王のつぶやきに側付きの青年、レアシスも同調した。
 「でしょう。彼女が来たおかげで貴重な花も蕾を付けましたから」
 レアシスは満足気に王に微笑んだ。森に降らせた風花の溶け出した水が、貴重な花に蕾を付けたのだ。
 「…婚礼の儀式には間に合うかと」
 レアシスは王に囁いた。
 「ふむ」
  
 「痛っ!」
  王とレアシスが話し込んでいる間に、雪は衛兵達に取り囲まれていた。たかだか女一人を捕まえるにしては大がかりだ。両腕を後ろに縛られ、床に突っ伏された。暴れるうちに捻ったのか手首に激痛が走った。
 「手荒な真似はするな!」
 シャドウが止めに入るが、ある言葉で一蹴された。
 「だまれ罪人が!「影付き」ごときに手を煩わせやがって。たかが娘一人黙らせられぬくせに偉そうに言うな!」
 衛兵の一人がシャドウの胸ぐらを掴んで罵倒を始めた。
  「王直々の指令をまともにこなせぬ奴が偉そうに我らを咎める気か!」
 「なんだと!」
  シャドウに代わり、ディルが応戦した。怒鳴る口元からは鋭い牙をのぞかせていた。
 「獣人め」
 チッと舌打ちをして衛兵はシャドウから離れた。獣人と人間の力の差は歴然で勝負にはならないのだ。
 床に転ばされた雪はシャドウとディルを見上げた。私の余計な一言で場を混乱させてしまい、空気が読めないバカな奴と再認識させられた。しかも、あの二人に暴言を浴びさせてしまった。ザイニンだのジュウジンだの…。
 「罪人?」
 あの人が?
 雪はシャドウを見上げると眉間に皺を寄せ、険しい顔つきをしていた。
 私のせいであんな表情かおをさせてしまったなら申し訳なくて仕方がない。今すぐに謝りたいけれど、体を拘束されて思うように動けない。
 「はーなーしーてー」
 背筋を使って上体を起こすが、衛兵の一人に腕の上から膝で押し潰されて身動きがとれなかった。かろうじて上げた声も人混みにかき消された。
 「黙れ、娘」
 「王を愚弄した罪はでかいぞ。王はお前のような魂の声にも耳を傾け、救済しておられるんだ。それなのに楯突くとは、気でも触れたか」
 「「影付き」だろうと王に刃向かう者は容赦せんぞ」
  衛兵達は口々にこう言うが、雪は憤慨した。
 なにが救済だ。勝手に人の気持ちを読み取って、勝手にこんなところに連れて来て。迷うことさえ取り上げて。悩むことだって必要なのに。悩みもしないで楽な方向に行ったって、あとで必ず後悔する。別の世界に行かなければならない理由は何?そんなのは自分で答えを出すものだ。考えて考えて悩んで悩んで、それでもダメなら一度忘れて、また迷うんだ。
 こんなこともわからない人達のせいで、あの人達が暴言を吐かれて悲しい思いをするのは耐えられない。
 
 私が悪いなら、私が動かなければ!

 雪は顎を掴んで来た衛兵の手に噛み付いた。
 「ぎゃっ」
 「なんだっどうした?」
 背中を抑え付けていた衛兵の力が緩んだのと同時に、雪は体を回転させ、男の足を払った。態勢を崩し尻餅をつく男を避け、すかさず体を起こして叫んだ。

 「王よ!」

 今日こんにちまでで一番、澄んだ大きな声だった。王を始め、レアシスやシャドウ、ディル、その場にいた全員が雪を見た。

 「私の無礼があったなら謝ります。だけど、救済だのなんだの言われても、私は全然嬉しくないし感謝もしない。
 世界を変えてまで自分が助かろうとは思わないし、未練はそんな簡単には消えない。
 そういう、想いや迷いとかを、誰かに決められて捨てなきゃいけない理由もない。
 私が、私らしく生きていくには必要な要素なんです。
 迷って、悩んで、また迷っての繰り返しで、立ち止まることもあるけど、自分が解決しなきゃいけない問題ばかりだから、捨てなきゃいけないとか、断ち切らなければいけないとかじゃないんです」

 一呼吸する。

 「…人間わたしはそういうものを抱えて生きていくんです」
 雪は王を前に言い切った。
 今更、人格形成も容易じゃない。
 仕事も家族も楽に片付けられる問題じゃない。 迷うことだらけだけど、決して捨てられない。
 不思議と口に出したらすっきりした。頭の中でごちゃごちゃ考えても埒が明かない筈だ。言葉にしないと何も始まらない。
 清々しい表情を浮かべた雪を見て、シャドウもディルもホッとした。

 「…貴様、舐めおって!」
 雪に転ばされた衛兵が木刀をふりかざした。咄嗟にシャドウは雪の前に立ち塞ぐ。
 「やめぬか!!」
 シャドウの頭に届く前に、王の怒声が衛兵を貫いた。衛兵の手から木刀が落ち、床に転がった。ヒェェと怯えて床に突っ伏した。申し訳ありません、申し訳ありませんと床に頭を擦り付けて叫んだ。
 「頭を冷やせ馬鹿者が!」
 衛兵を一瞥し、王は吐き捨てた。我が城の衛兵とはいえ礼節がなっとらん!再教育だとブツブツとレアシスにこぼした。

 「部下の非礼を詫びよう。すまなかった。私はこの国の王ヴァリウス。あなたの名前を聞かせてはくれまいか」

 一国の王が自ら頭を下げるなど、大変珍しい。いや、あり得ないことだ。観衆も雪も微動だに出来なかった。

「…わ、私は泉原いずはら雪です」
  もう答えるしかなかった。
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