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七章 閃光の魔女プロキオン
183.孤独の魔女と起点か終点か
しおりを挟むルッフィアーナ酒場にて、劇団の前座ではあるものの仕事を一つ獲得したエリスはまさしく凱旋するような心持ちで口の周りのエードを舐めながらクリストキント旅劇団の駐屯する街の郊外へと向かう
「やりましたね、師匠 仕事取れましたよ」
「怪しい老父からだがな、しかしあの老父…何者だろうな」
師匠と共に手を繋ぎながら街の郊外へと向かう、ただ師匠は先程 エリス達に仕事をくれた謎の老父 パンチさんの正体に首を傾げているようだった
「怪しい…と言いたいのですか?」
「怪しいだろう、実際」
まぁ確かに、身元 身分 身形 全てが判然としない謎の人物ではある、エリスも仕事をもらえた喜びで大して言及しなかったが、師匠の思案もまぁ分かる
「劇団を率い 自ら公演を開けるだけの人物でありながら、宿無しのような格好でフラフラと歩いて回る、酔狂と言わずしてなんと呼ぶか」
「確かにそうですね…、パンチさん 悪い人なんでしょうか」
「そこまでは知らん、万全のわたしならそれさえも見抜けただろうが…、フッ ご覧の通りだからな」
と師匠は己を嘲りながら縮んだ体を見やる、今 師匠はルナアールの呪いにより体が縮んだばかりかその機能の大部分が失われている、魔術も使えないし 身体能力もその辺の子供に比べれば隔絶しているが 元のそれとはかけ離れている
その上、師匠が持つ相手を見抜くような眼力も今はないようだ、昔の師匠なら 相手の目を見ただけでその考えの凡そを見抜くことができた、が それも今は出来ないと…
故に相手の正体も考えも分からないんだ、謂わば四肢を捥がれているに等しい…師匠には不便な思いを続けてさせてしまっている事、弟子として不甲斐なく思う
「すみません師匠、直ぐにでもルナアールの首根っこ押さえつけて 元に戻してみせますから」
「ああ…、…ルナアールを捕まえれば…なぁ」
「どうしたんですか?師匠」
ふと、師匠が立ち止まり 青い空を思慮深げに見上げる、何か思い当たる節でもあるのだろうか
「いや、実は ルナアールを捕まえる以外に元に戻る方法がある と言ったらどうする?」
「え?戻れるんですか?」
「魔術陣は万能の魔術ではない、穴はある 故に術者に解かせる以外に戻る方法はある」
いや師匠が戻れないって言ったんじゃないですか、まぁ 確かに魔女の力を完璧に魔術陣で封じることが出来たなら、何故それをシリウス相手に使わなかったのだとか 何故それを開発したシリウスは使わなかったのだ と言う話になるからな
あるんだろうな、他にも戻る方法が
「で?どうする?、わたしがこの場で元に戻ったら お前はもうクリストキントに居座る理由はなくなるぞ?」
「それは…確かにそうですが」
確かに、エリスはルナアール捕縛を理由に今クリストキントに居着いている、もし師匠がルナアールを捕まえるまでもなく元に戻ったら その瞬間エリスは劇団に所属する理由は無くなるんだ
しかし何故だ、師匠を元に戻す と言う目的とクリストキントに所属する と言う理由が、今はもうエリスの中で別の問題になりつつある
けど、師匠が戻ったらもう無理に居着く必要がなくなってしまう、そうなったらナリアさん達ともお別れだ…、なんだかそれは嫌だ、クリストキントの問題を全て投げ出し途中で逃げるみたいで
それこそヴェンデルさんの語った 『目的が果たされればエリス達はクリストキントを捨てる』という話の通りになる
…でも…でも、エリスが無理に居着いて 何になるんだ…
「……………………」
「…すまん、こうは言ったが その方法に覚えがあるわけではないんだ、その方法も頭から抜け落ちてしまっているようでな、意地の悪いことを聞いた」
「な なんだ、まだ戻れないんですね」
なんでエリスは今胸を撫で下ろした?なんで安堵してるんだ?、師匠が元に戻れなくてなんで安堵してるんだ…、戻れなくてよかったと思ってるのか?、そんなわけない そんなわけがない…
「そう なんですね…」
師匠は意味もなくこんなことを聞いたんじゃない…きっと、問うているのだ、その時が来たら お前はどうするんだと…
「エリス、お前は飽くまで一時的に身を置いているだけだ、あまり肩入れはするな?…、永遠にあの劇団にいて その面倒を見てやれるわけじゃない」
「面倒を見よう…なんて、傲慢なことを思っているわけではありません、ただ …出来るなら クリストキントの皆さんの活動が少しでも健やかに出来ればと思いまして」
「それが傲慢だと言うのだ、…だが今はそれでいい、助ける判断をしたなら助け抜け、途中で投げ出すのはわたしが許さん…、それに わたしの件が解決してもこの国にはまだなんとかしなきゃいけない事が山とある」
そうだ、師匠の件はいきなり降って湧いた要件でしかない、エリス達はまだ『魔女の弟子ヘレナさんとの接触』『行方不明のプロキオン様の捜索、及び必要なら暴走からの救出』そしてこの二つに手をつけるためにはまず『月下の大怪盗ルナアールの捕縛』が必要だ
…どのみちルナアールは捕まえなきゃいけない上、それが終わってもまだ問題がある…、まだまだこの国の冒険は先が長い
それまでになんとか、クリストキントのみんなが 少なくとも崖っぷちの生活をしなくていいようにしないと、これはその第一歩なんだ
「そうですね、なら まずは目の前のことから着実に終わらせていきましょう」
「そうだな、む エリス、もうクンラート達は戻ってきているようだぞ、見てみろあの浮かない顔を、どうやら 仕事を取ってきて正解だったようだ」
馬橇を停めてある街の外れに赴けば、クンラートさん達仕事捜索隊の面々が集まっているのが見える、浮かない顔だ あれは全滅って感じだな、師匠の言う通り 仕事を見つけられてよかった
「おーい!、クンラートさーん」
「んぉ?、ああ エリスちゃん、仕事の方はどうだった?…先に言っておくがこっちは全滅だ、この街にゃ俺達旅劇団が何かをする余地はなさそうだ」
この街にはこの街でしか見られないサーカスや何やらが多くある、伊達に遊楽街なんて名乗ってないからね、わざわざ外から持ち込まれた娯楽なんかに目を向ける必要はないのだ
酒場の方も マルフレッドさんにシェアを奪われているし、この大人数で仕事を探しても見つからないのは無理からぬ事…しかし
「その件なら安心してください、エリス ちゃんと仕事見つけてきましたよ?」
「はぁ!?マジで!?、いやいや…おいおい…マジで?」
「マジです、一応野外公演を開く劇団の前座…ではありますが、それでも良かったでしょうか」
「物にもよるが、野外公演?…どこの劇団だ?」
む、しまった パンチさんの劇団の劇団名聞き損ねていたな、というよりエリスが何か深く追求するよりも前に そそくさと逃げていったと言ってもいい、しまったな…
「劇団名はわかりません、けど…仕事をくれた劇団の団長はパンチというお爺さんです、知ってますか?」
「パンチ…?」
パンチの名を聞くとクンラートは首を傾げて、おいお前ら知ってるか?と周囲の劇団員に投げかける、されど返ってくる答えは全て同じ…知りません だ、おいおい 有名な人じゃないのか?それってエリスの思い違い?
「悪いエリスちゃん、パンチなんて人間に心当たりはない」
「えぇ、もしかして ヤバい人でしたか?」
「いやぁ…どうだろうな 分からん、エリスちゃんから見てそれは悪人に見えたか?」
悪人に見えたか と言われるとそうではないな、少なくともクンラートさんよりは善人に見えるし、何よりエリスを助けてくれた
「悪人には見えません、他人を騙すような人にも」
「なら大丈夫だろう、依頼はいつ頃だい?」
「二週間後、街の郊外に野外劇場を展開するそうです」
「野外劇場…俺達と同じ旅劇団なんだろうが、規模がデカそうだな、でもそんなすげぇ劇団の団長にパンチなんて居たかぁ?、まぁいいともあれ仕事を取ってきてくれてありがとう、この二週間でエリスちゃんも劇の練習をしておいてくれ」
「はい、分かりました…その間皆さんは…」
「一応 そのパンチが何者か探っておくのと、ルナアールの件 聞き込みをしてみるよ」
「いいんですか?…」
「いいんですかって、仕事を取ってきてもらったんだ そのくらいさせてくれよ」
「ありがとうございます、クンラートさん」
思えばエリスはエリス自身でルナアールの聞き込みをしたことがないな、劇団での活動が忙しいかというのもあるが、ううむ それでは本末転倒な気がする、この劇が落ち着くまでは無理だろうが 次の街からはエリスも隙を見て聞き込みをしよう
「ではエリスも、ナリアさん達と練習してきますね」
「ああ、頼むよ…っと 噂をすれば」
「エリスさーーん!、お疲れ様ですー!」
エリスとクンラートさんの姿を遠くから見つけたのか、やや暖かい格好をしたナリアさんがポスポス雪に足跡をつけながらこちらに走ってくる、ああして駆け寄ってくる姿はまさしく美少女だ
ほんと、男の人には見えないな…
「ナリアさん、練習の方は好調ですか?」
「おかげさまでね、エリスさんは…上手く行ったみたいだね」
「ふふん、分かります?」
「分かります分かります、仕事を見つけられたって顔ですね、どんな仕事ですか?」
ああそれは…と、パンチさんから仕事を受けた経緯を説明しながらナリアさんと並んで歩き、お互いの時間を共有する…
「へぇ、パンチさんって人に助けられて そのまま仕事を…、なんか劇みたいな流れだね」
「確かにそうですね、偶然が重なると劇にも似たる物ですね…、もしこれが劇なら この後の展開はどうなりますかね」
「ええ?、現実のこの流れを劇に例えるとってことかい?…、ううん こういう大仕事の前は、決まって何か問題が起こるかな」
「問題?」
ふと、エリスが適当に話した 『この現実の状況を劇のお決まりに当て込めると この先の展開はどう予想できるか』という問いにナリアさんは真剣に考えつつ 縁起でもない事を言いだすのだ
問題が起きるって?、いやまぁ確かに 劇でもお決まりというか、物事とは上手く進んでいると思える時こそ 足元に特大の落とし穴が広がってたりするもんなんだ
そう考えるとやや怖いな、考え得る問題とはなんだ?…
パンチさんが実は悪人でエリス達を騙そうとしているとか、急な吹雪で公演が中止になるとか、そもそもパンチさんがそこまで集客できないとか?、うう 考え始めればいくらでも考えられてしまう
「まぁ、飽くまで劇なら…だけどね?、現実は劇みたいに上手くいかないように 悪くもならない、それより聞いてよエリスさん」
「なんですか?」
「実はね、あれからリーシャさん 凄いんだよ?」
「凄い…ですか?」
凄いと言ってもいろいろある、いい意味で凄い 悪い意味で凄い 色々だ、凄いという言葉は便利なようでいてとても曖昧だ、それ単体で言われても物事は的確には掴めない
「ほら、あそこ」
「あそこ…って!?リーシャさん!?、雪原のど真ん中で何してるんですか!」
エトワールの大地とは非常に寒冷だ、外はいつもだいたい雪が積もってるし 晴れていてもそれは溶ける事なく残り続ける、当然ながら寒い クソ寒い
そんなクソ寒い雪原のど真ん中に机を置いて、面と向かって何かペンを走らせている存在がいるではないか、誰だろう 何してるんだろう なんていうわけない、一発で分かる 口元から吹くタバコの煙…、リーシャさんだ
リーシャさんがわざわざ外で執筆しているのだ
「あ、ああエリスちゃん、御機嫌よう 調子はどう?」
「今のリーシャさんよりはいい自信があります」
くるりとこちらを振り向いたリーシャのタバコ咥える唇は青く 顔色も青く 鼻から垂れた鼻水プラプラと手の代わりに振られる、遂に狂ったか
「あの、なぜ外で執筆を?」
「いやいざ好きな台本書いていいと思ったら体が止まらなくて、この熱を冷やすために雪にまみれて書いてるんだ、いや気持ちいいよ…今にもぐっすり眠れそうだよ」
「死にかけているのでは?」
「首を吊って死ぬよりは良さそうですね、ああでも 死ぬ前にここだけ書かせてください…」
そう言いながら再び机に向かい合いカリカリとペンを走らせるリーシャさんの姿はなんとも異様というか、こう言ってはなんだが狂気じみている、台本はもう完成しているはずなのに 今更加筆するものなど無いだろうに…
「あの、何を書いてるんですか?」
「次の舞台の台本…、いいアイデアが思いついたから」
「いいアイデアって、もう仕事が決まって 次の公演の日取りも決まってしまったんですよ?、今から変えて 間に合いますか?」
「大丈夫、こう…なんて言ったらいいのかな、大筋を変えるつもりはないんだ、けどさ エリスちゃん私だけに劇を上手く進める案 教えてくれたでしょ?」
ああ、教えた、エリスが腹の中に抱える一計を彼女にだけは共有した、台本を書く彼女にだけは教えておかないと 連携が取れないから、ただし他の人間には教えていない ナリアさんにさえ教えていない、これは秘匿にするからこそ意味があるから
「はい、教えました…それに関する事ですか?」
「まぁね、まぁ 使う機会はないだろうけど、こういう無駄が多ければ多いほど面白くない?、見てみる?エリスちゃんにだけは見せてあげる」
「えぇー!、エリスさんにだけ!?僕は?」
「ダメ」
「そんなぁー!」
ごめんなさいねナリアさん、ただエリスの策を他人に知られるわけにはいかないんですよ、と軽く頭を下げて謝りながらリーシャさんの書いている台本に目を通す
「ん?…なんですかこの台本」
んん?、なんだこの内容…エリスの知ってる劇の内容と全然違う、登場人物は同じだけど 登場人物の立ち位置やセリフ 話の内容まで全部違う、これじゃあまるで 世界観が同じの別世界みたいな…
「…ああ!、そういう事ですか!いいですね!これ!」
「でしょ?、こういうのたくさん作っておけば話題になるんじゃないかな」
「覚える役者の労力はエゲツないですが、確かに こんな劇は他では聞きませんね…いや、これは凄い、これなら毎日でもみたいですよ」
「ちょっとちょっと!僕にも教えてよ!」
「ダメ」
「ダメです、ごめんなさい ナリアさん、また今度教えますから」
「ぶー!」
ぶーたれてもダメです、しかし うん…これなら上手くいく、上手くいった上で軌道に乗れば もしかしたらクリストキントの名声にも繋がるかもしれない、ただ 演じる役者の労力は本当に 想像を絶するものになるが…
「行けますね、リーシャさん」
「へへへ、エリスちゃんが発破をかけて動かしてくれたおかげだよ、やっぱり私 好きなものを書くためにこうしてペンを握り続けていたんだね、…久しく思い出せたよ」
そう 真摯に向かい合うリーシャさん、その姿は狂気的でありながらもどこか美しい、平凡は天才に勝てない 天才は努力に勝てない 努力は熱中に勝てない…そして、熱中は確たる決意には勝てない
努力し熱中し確たる決意の下でペンを握る今の彼女に一体誰が勝てようか
「好きなもの…ようやく書けるんだ、ようやく…こうして生きていけるなんて…夢みたいだ」
小さく口を開き誰にいうでもなく語る彼女その後ろ姿は、どこか切なげだ…まるでこの時を待ちわびていたかのようだ、ここに至るまでエリスの想像できない何かがあったんだろう
そう思えば、今の彼女はエリス達が思う以上の決意で台本と向かい合っているんだろうな
「…頑張ってください?、でも凍傷で死ぬのとかは勘弁してくださいよ?」
「うん、まだ語りたい物語と教えたいお話がある限り 私はもう死なないよ」
ならよかった、もう安易に死を選んだりしないんだな…、その言葉はエリスの胸の奥に吸い込まれ、どこか 大切な場所に突き刺さったのを エリスはまだ気がつかない
エリスはきっと、そうして明るく笑う彼女の姿を 永遠に忘れることはないでしょう…
「なんか二人だけずるいよー、僕もその中に入りたいなー」
「我儘を言うなサトゥルナリア、わたしもエリスから何も教えてもらっていないんだ」
「えぇ!?レグルスちゃんも?…相当だね、エリスさんとレグルスちゃん お互い知らないこと無いと思ってたよ」
「そうでも無いですよ、ね?師匠」
「あ…ああ、そうだな 互いに互いを思うばかりに踏み込めない場所だらけさ」
エリスだって師匠に教えてないことだらけだし、きっと師匠もエリスには教えていないことが山とある、昔はそれを気にしてたけど 最近は特にも思わなくなった
だって、例えどれだけ親密でも 別の人間の全てを知り得るなんて土台無理なんだ、それと同じで自分の全てを他人に理解してもらおうなんて話も無茶だ
だからエリスは気にしません、まぁ大事な話ならいつかして欲しいとは思いますがね
「あ!レグちゃーん!」
「げ、リリア…」
「レグちゃん!遊ぼ!人形で!」
なんで話し込んでいるとモコモコの防寒着を着込んだリリアちゃんが師匠の姿を見つけ、短い足を必死で回してこちらに走って来るではないか、そんなに師匠が好きなのか…なんだか可愛いな
「師匠、エリスこれから劇の稽古に行って来ますね」
「つまり、リリアの子守をしていろと?」
「まぁ…そうなりますね」
「はぁ、仕方ない 子供の遊びなんて分からないがやってみよう」
二週間という時間が長いと見るか短いと見るか、それは今後の行動で決まる、余裕ぶっこいて稽古を怠れば短く感じ 懸命に稽古に励めば十分な時間とも言える
故に師匠にはその間子供達の子守を頼むことになる…、申し訳ないが この子達を放置は出来ないしね
「子供の遊びは知らないって、レグちゃん 遊ばないの?」
ふと、リリアちゃんの疑問に気がつく、そういえば エリスもあまり遊ぶ方ではないが師匠も遊ぶイメージはないな…
「遊ばん…、わたしの子供時代は修練だけで終わったからな、誰かと遊ぶにしても その誰かもいなかったしな」
「おとーさんとおかーさんは?」
「父はわたしが生まれる前に死んだ 母もわたしを生むと同時に死んだ」
「じゃあじゃあ誰が育ててくれたの?」
「…………姉だ、おいリリア 遊んでやるからもう質問はやめろ」
エリスお姉ちゃんが育ててくれたの?と首を傾げつつ 師匠と共に遊びに出かけるリリアちゃんの背を見て、ため息をつく…なんて事聞くんだ エリスだってそこまで踏み入った事聞けないのに
いや、案外聞いたら教えてくれるのか?…、にしても 姉か…、リリアちゃんはエリスが姉だと思っているが、実際のところは違う、姉とはシリウスだ 大いなる厄災そのものだ
それに育てられた…か、おかしくなる前のシリウスは優しかったとは言うが、想像出来ないな
「よし、じゃあナリアさん 稽古に行きますか」
「そうだね、もうみんな稽古をか始めてるよ?」
「それは良かった、ヴェンデルさんは?」
「ヴェンデルにはちゃんと伝えてあるよ、好きに稽古しろって」
うん、エリスが伝えた通り 好きに稽古させているか、今回の策の要はヴェンデルさんだ、彼にちゃんとしてもらわないと全部おじゃんだからな
「でも、ヴェンデルあれから剣の稽古しかしてないんだけど」
「でしょうね、次の劇でもエリスと剣での決闘の場面がありますから」
「…またこの間みたいなことにならなければいいけれど」
「大丈夫ですよ、それよりエリス達も稽古しましょう、例の…問題が起きるかもしれないってんならそれに備えておきましょうよ」
「問題?…ああ、現状を劇に例えるとってやつだね、って飽くまで劇に例えたらだからね?」
それでもですよ、劇のように上手くいってる時に限って問題が起きる、というのは現実にもあり得る話だ、だが現実と劇は違う、事前に先に起こることを予見して努力し必要最低限の対策を取ることができる
そして、エリス達に今出来るのは公演を恙無く終わらせる為 稽古を積むことだけだ
「じゃあ、やりましょうか」
懐から台本を取り出しながら そのタイトルを眺める…、大丈夫 これならきっと上手くいく、上手くいくはずだ…
勝負は二週間後、そこで恙無く劇を終わらせることが出来たら 全部全部、上手くいく筈なんだと内心唱えるエリス
しかし、残念かな…ナリアさんの言った 『重要な場面にこそ起きる問題』とやら、これが どうやら現実になってしまったようなのだ……
………………………………………………………………
時は経ち 二週間後
エリス達はギャレットの街で二週間滞在してパンチさんから頂いた仕事を恙無く終わらせる為稽古を続け、ようやくその日がやってきたのだ
「みんな、準備はいいか?」
約束の日を迎え クンラートさんが劇団員に号令をかける、これから パンチさんの指定した野外公演場に向かうのだ
「……ようやくですね、師匠」
「そうだな」
既にエリスは劇に使う小道具と衣装を鞄に詰めて師匠と共に手を繋ぐ、この二週間 みっちり稽古した、不足はない あとは本番で稽古でつけた実力の半分くらいでも引き出せれば十分成功に導ける
例の策も抜かりはない、上手くいく いける
「相変わらず パンチって老父が何者かは分からなかったが、だが仕事は仕事!やるならきっちり大成功だ!、しかもこの仕事は普段のとは違う なんで今更言う必要はないよな!」
エフェリーネさんから指導を受けて初めての仕事、クリストキントの明暗を分ける第一歩なんだ、何が何でも成功させないと…
「頼むぜ!みんな!」
『おーー!!』
クリストキント その全員の声が轟き、さぁ 仕事だ!と全員が歩み出したその時
「…おい、ナリアはどこだ?」
ふと、クンラートさんが歩み出した足を止めてくるりと周りを見る、ナリアさんはどこって もう皆さんと一緒に支度して移動してるんじゃないのか?
「……?」
クンラートさんと一緒に右を見る いない
他の団員と共に左を見る いない
くるりと一周して周りを見切った辺りで、背中に寒気が走る、いない どこにも居ない
「ナリアさん?」
いやいや、落ち着け 落ち着け、いないわけが無い…いる筈だ、探せ 何処にいる?トイレに行ってるとかじゃ無いか?
そう思い、親指を噛みながら周りを見て思い出す、記憶を探る 最後にナリアさんを見たのはいつだ?
…昨日は一日稽古をしていた、それで夕方頃まで稽古をして ご飯食べて、夜中 一緒に他愛ない話をして、それで …別れたんだ ナリアさんが明日の本番に備えて小道具を見てくると言って、それでエリスはナリアさんを待たず寝て…
…朝は?朝はいたか?、いやいなかった、先に準備してるものと思っていたが…見てない
見てないんだエリスは今日 ナリアさんの姿を
「すみません!今日ナリアさんの姿を見た人はいますか!?」
どっと溢れる冷や汗を拭い 周りに問う、頼む 誰か見ててくれ、誰かナリアさんと今日会ってると言ってくれ
「……誰も見てないんですか!」
しかし、エリスの祈りは虚しくも挫かれ、誰も答えない 誰も見ていないと、そこでようやく劇団員達は悟る…今日 この日 サトゥルナリアを見た人間は一人もいないことに気がつくのだ
「…ナリア いないのか」
「ど どうするんだよ!ナリアは劇のヒロインだぞ!?、それが居なくなるなんて…」
「ナリア君が劇を前に居なくなるなんてありえないよ!、いつも誰よりも入念に準備する彼が いきなり消えるなんて!」
パニックになるクリストキント、そりゃそうだ この劇団の中心メンバーたる彼が居なくなったんだ それも劇当日に、いや そもそも仲間がいなくなったんだから慌てるのは当然か
「師匠…どう思いますか?」
「重要な劇を前にサトゥルナリアが緊張のあまり逃げ出した ということはあるまい、何かあったと見るべきだろう、それも昨日の夜に」
「ですよね、…何があったんでしょうか」
「ふむ、昨日の夜は雪も降っていない穏やかな夜だった、吹雪に吹き飛ばされたとか 足を滑らせて雪に埋もれたとかでは無いだろう、とすると サトゥルナリア以外の ここに居ない人間の意思が介在した…とも見えるが」
つまり、エリス達の劇を邪魔しようとしている人間がいると?…、誰がそんなことを
「………………」
指を額に当てて考える、ナリアさんがどこに消えたかでは無い この場をどうするかだ、もう劇は目の前 今更代役は立てられない、それ以前にナリアさんが無事かも分からない
劇を投げ出すのはあり得ない、…しかし今からみんなで探していては間に合わない
…よし
「すみません、皆さん 先にパンチさんの劇場に向かっていてください」
「エリスちゃん?…何言ってんだよ、ナリアが消えたんだぞ!そんなことしてる場合じゃ…」
「エリスが必ず見つけ出して 劇に間に合わせます!、だから先に行って直ぐに始められるように準備していてください!」
「うっ、…だが」
クンラートさんは言い澱む、エリスの提案を前に言い澱むのだ、そりゃそうだ 劇が上手くいくかとかそんなのは二の次、大切な仲間のナリアさんの安否が気になるのだ
だが、団長である彼は 意味から団員全員を動かしてナリアさんを捜索している暇がないことも重々承知している、これがベストであることは 彼だって分かってる
「見つけられるのか?ナリアを」
「必ず…!」
「……くっ、分かった、任せる 俺たちは準備に向かう、だから ナリアを頼んだ…」
「でも団長!、みんなで探した方が…!」
「いいんだ!、ナリアが見つかっても 劇が出来なきゃ…アイツはどう思う!、ナリアが!自分のせいで劇団の公演が潰れたと知ったら!、それは避けなきゃいけない 例え無事で戻ってきても ナリアが思い詰めたら 意味がねぇんだ」
サトゥルナリアという人物がどれだけ劇に命をかけているか、このクリストキントの人間は誰もが知っている、だから 公演は潰せない、ナリアさん自身のためにも
「任せていいんだな、エリスちゃん」
「任せてください、何が何でも 間に合わせます」
「わかった、みんなもそれでいいな」
渋々、と言った様子ではあるもののクンラートさん達は仕事に向かう、後のことをエリスに託して…ナリアさんの事をエリスに任せて
任されたならやらなければ、任されたからには必ず期待に応えなくては、任せてと言ったなら…何が何でも ナリアさんを見つけ出さないと
「さて」
クンラートさん達が立ち去った後でエリスは腰に手を当てて考える、さて 意気込みは別として、どうやって探したものか、足跡か何か残っていないものか…
「師匠、どうやって探したらいいでしょうか」
「ノープランだったのか!?」
「はい、考えるより先に 言葉が出てました」
「ノープランなのにそこまで啖呵きれるとは、さすが我が弟子」
なんか褒められた、けど 今は一刻の猶予もない 決断は早い方が良かっただろう、エリスも先程の判断が間違いとは思っていない、しかし それはそれとしてだ…
探すと言ってもどう探すか、世界は広いとはいえ人間なんか簡単に消えるわけがない、師匠の言った通り 何者かの介在があった…いやぼかしていうのはやめよう
エリスはナリアさんが拐われたと見ている、ナリアさんが消えた理由…その数ある理由の中で一番しっくりくる理由だしね、けど…どこの誰が
「ねぇ、エリスちゃん ちょっといい?」
「ん?あれ?リーシャさん…とヴェンデルさん?」
声に反応し意識を視界に戻せば、ややふてくされそっぽを向いたヴェンデルさんとその手をギュウギュウ引っ張るリーシャさんがいる、二人はみんなと一緒に行かなかったのかな
「どうしたんですか?、みんなと一緒に行かなくてよかったんですか?」
「うん、直ぐに追いつくつもりだけど…その前にね、こいつ 何か知ってるよ」
そう言いながら指差すのだ そっぽを向くヴェンデルさんのほっぺをむにーっと、って 知ってる?、知ってるって ヴェンデルさんがナリアさんの居場所を?
「本当ですか?ヴェンデルさん」
「………………」
「こいつ、さっきみんなと一緒に移動するフリして別の場所に行こうとしてた、それって ナリア君がどこに行ったか知ってて 助けに行こうとしてたんだよね?」
「……お前らには関係ないだろ」
関係ないかどうかの話は今していない、ナリアさんの居場所を知っているのか?どうなのか?、もし知ってるなら何故それを言わない 、なんでそっぽ向いて何も言わないんだ
「ヴェンデルさん、知ってるんですか?」
「………………」
「何か言ってください!」
「…………」
そんなにか、そんなに気に入らないか エリスが、分かる 分かるさ、貴方くらいの年齢は気に食わないと感じた相手はどこまでも気に入らないものだと、エリスもそうだったから分かりますよ
けど、今それを貫いて何になるんですか、このままじゃ…一体どうなるか、それが分からないわけじゃないでしょう!
「ヴェンデルさん!」
「うるさい!、誰が…お前なんか頼るか!」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう!、もしかしたらナリアさんの命に関わるかもしれないんですよ!、何かを知ってる貴方ならエリス達よりそれを理解できるでしょう!」
「……ふんっ」
ダメだ、話にならない…どうする、ここで怒りに任せてヴェンデルを殴り飛ばし、馬乗りになって知ってること洗いざらい吐き出すまでその顔に拳を叩きつけるのは簡単だ、だが…だが
これは感覚的な話だが、それをしてもなんだか意味がない気がする…怒りに任せて暴力を振るっていい結果に運んだ事が一度もないからだ
特に ヴェンデルさんは仲間だ 仲間に手をあげたらエリスの中で今まで時間をかけて積み上げた何かが崩れる気がする、けど…じゃあ どうすればいいんだ
「…どうしたら、教えてもらえますか」
「……………」
「この問答の時間も惜しいんです」
「………………」
そうかそうか、意地でも言う気がないんだな…分かったよ、そんなにエリスが気に食わないのか、もしかしたらここで聞き出そうと四苦八苦するより 動いた方が早いかもしれないな
話が聞ければそれでいいけれど、今 彼の心を動かしている時間も言葉もエリスにはない…、残念だがここは…
「おいクソガキ」
「は?」
ふと、見てみれば師匠が…レグルス師匠がそっぽを向くヴェンデルさんの太ももをペシペシ叩いているではないか、な 何してるんだ…
「な 何するんだよ!クソガキ!」
「クソガキはお前だろう、何意地はってるんだ そうやって怒りに任せてお前は以前失敗したばかりだろう、学ばない奴だな、もう少し大人になったらどうだ」
「何を…!」
「ここで、お前が黙っていたせいで ナリアが死んだらどうする?、皆で必死に準備した公演が潰れたらどう責任を取る?、また以前のように下を向いて黙って謝りもせず粛々と反省するか?、そもそも反省しきれるのか?お前に?、同じことを繰り返すお前に?」
「こ…この…」
雪崩のようにワッと言葉を浴びせかける、責めて責めて責め立てる そこまで言わなくてもいいのではと思えるくらい言いまくる、そんな師匠の不遜な態度に思わず彼もそっぽから目を背け 師匠の方を睨みつける…、こちらを向いたんだ ヴェンデルさんが
「割り切れ、好き嫌いするなとは言わん、だが 事と次第を考えろ、自分が一端の人間だと自称するならば 一時の感情で取り返しのつかない選択をするな」
「…取り返しのつかない?」
「ああ、助けられた命を目の前に何もしない時の後悔は凄まじいぞ、ああ失敗しちゃったじゃ済まないんだ、お前はその覚悟があって 黙っているんだろう、ナリアを見殺しにしても その責任を背負って生きていけるだけの覚悟を」
「み 見殺しなんて………俺は」
怒りで赤くなったヴェンデルさんの顔が現実を突きつけられて青くなる、子供の意地の張り合いを持ち込める領域にはないんだ
「嫌いという感情で好きという感情を殺すな、お前はナリアを嫌ってるわけじゃないだろう」
「そりゃ…アイツには…恩もあるし」
「なら、するべき事があるだろう…黙っていて何になる、助けたい人間がいるなら 下げたくない頭の一つ下げてみろ」
「…………」
下げたくない頭一つ下げてみろ…か、その言葉はある意味 エリスの方も向いているのかもな
ヴェンデルさんを子供扱いして 彼を宥める事もしなかったエリスにも責任がある、どこか苦手意識を持って腫れ物を見るように触らなかったエリスにも…
よし!
「ヴェンデルさん!」
「え?…な なんだよ」
「お願いします!教えてください!」
下げる 先んじて 己の頭を、深く腰を曲げ頭を落とし頼み込む、助けたい命一つ助ける為に 頭の一つも下げる…、そうだ エリスに足りていなかった方法はこれなんだ、怒りに身をまかせるよりも 平和的な解決法…
それが、きっとこれなんだろうな…
「…………」
「エリスは頭を下げたぞ、お前は何か答えないのか?クソガキ」
「うるせぇよクソチビガキ…、っ…」
するとヴェンデルさんは静かに踵を返し 何処かへ歩いていく、…ダメだったか、まぁ 頭下げただけじゃダメなのかな、彼との問題はエリスが想像しているよりも根深いのかもしれないな
「オレは!、お前なんか頼るのは嫌だ!、だから死んでも教えるもんか!」
「…そうですか」
「だから、オレは今から一人でナリアを助けにいく…、ナリアを連れていった連中がいるかもしれない場所に心当たりがある、だから…」
そう言いながら彼は立ち止まり こちらへ振り向くなり、ムッとした顔で…
「着いて来るなよ」
…ああ、そういうことですか、意地っ張りですね 彼も…
「分かりました、着いて行きません ですので、早く助けにいってあげてください」
「分かってるよ!」
雪に足跡を残しながら街の方へと走っていくヴェンデルさんを見送る、着いて来るな か…
「ねぇ、エリスちゃん いいの?、ヴェンデル一人でいかせて」
「いいんですよ」
「でもヴェンデル弱いよ?、荒事になったら…」
「はい、でも拒絶されちゃったので エリスはエリスで探しますよ」
そう言いながら歩く先はヴェンデルさんと同じ方向、そうだ 別にヴェンデルはエリスを案内するわけじゃない、エリスもヴェンデルさんに着いていくわけじゃない
偶々、同じ方向を探すだけだ
「全く…、おい リーシャ お前は先に戻っていろ、わたしはエリスに着いていく」
「え?え?、あ そういう…分かりました、お気をつけて?」
「はい、任せてください…必ず、全員連れて帰りますから」
そうだ、必ず連れて帰る…全員漏れなく連れて帰る、そして こんな事態引き起こしたであろう連中、そいつらには地獄を見せてやる…
パキポキと涼しい顔で拳を鳴らしながら走る小さな背中を追う、久しぶりに 体が動かせそうだ
……………………………………………………………………
昨晩、夜遅くまで起きて 台本を読み込んでいたヴェンデルは 偶然ではあるものの聞いていた 見ていた、その現場を ナリアが連れて行かれる様子を
『ちょっと!、貴方達 何者ですか!』
『大きな声出すな、おい ブロン 早くしろ』
『うす…』
小道具を確認しにいったナリアが ガラの悪そうな男達に囲まれ瞬く間に口に猿轡を噛まされ 麻袋に放り込まれる様を
助けに行きたかった、助けに行くべきだと思っていた、けれど 出来なかった…何故か?竦んでいたからだ、あんな恐ろしい現場に 治安の悪い現場に遭遇したのは初めてだからだ
おまけに奴ら ナイフも持ってたし、もし助けに入ったら殺されてたかもしれない…じゃあ誰かに言うか?、でも うちの劇団に喧嘩が強い奴なんていない
もし、ことを荒立てて劇団のメンバーが殺されでもしたら…そう考えると恐ろしかった、誰にも言えなかった、ただただ奴らが立ち去るのを待っていた 、毛布に包まり震えながら朝が来るのを待ってしまった
良くないことだと理解して 自分がとんでもない失敗をしてしまった事を察したのは朝日が昇ってからだ、またやってしまった…また失敗してしまった
もっと早くみんなに言っておけばこんなことにならなかったのに…、奥歯がカタカタと鳴るほどに怯えたヴェンデルは決意した、自分がなんとかしないと
奴らが向かっていった方向は知っている、街を散策している時 奴らの事も見かけたことがある、確か ルッフィアーナ酒場のサーカス団だ…そいつらが根城にしているところにナリアは連れて行かれたんだ
奴らの存在と場所を知ってるのは自分だけ 自分が助けに行かないと…………
そう決意しているところに、エリス達に捕まり レグルスのあの言葉を浴びた…、正直 エリス達は嫌いだったし 頼りたくないと言う意思の方が強かったが、…レグルスの言う取り返しのつかないと言う言葉で 背筋が冷えた
もしかしたらオレはまた 取り返しのつかない事をするところだったのかもしれないと、ここでエリス達を突っ撥ねる それは取り返しのつかない事態を招く、また 同じような失敗をするところだった
だから、エリスに着いて来るよう誘導しながらヴェンデルは走る、あのサーカス団が根城にしている汚い小屋、街の端にあるそこに 震える足で
「ここか……」
街の端にある煉瓦造りの汚い小屋、その扉の前に立てば 中から騒々しい笑い声が聞こえて来る、恐ろしい…その声を聞いているだけで恐ろしい、奴らは大人で 人数も居て オマケにナイフも持ち歩くような連中だ
「うぅ」
恐ろしい…気を抜いたらおしっこ漏らしそうなくらい怖い、けれど ここで踵を返しても何にもならない、もしかしたらナリアはあの恐ろしい男達に酷い目にあわされるかもしれない
その事を後悔しながら 一生を生きる方がよほど恐ろしい…
「ぐっ!」
音を鳴らす奥歯を噛みしめ、ドアノブに手をかけ回し 押し飛ばす
「お おい!、お前ら!」
「ああ?」
小屋の中には 酒盛りをしている男達が居た、ピエロの格好をした男 目つきの悪い男 山のように大きな巨漢、それらが質のいい酒片手にギロリとこちらを睨むのだ、まるで刃物で突き刺されるかのような視線に思わず肩が跳ねる
怖い 怖い怖い怖い、可能なら今すぐ逃げ出したい…けど
「な ナリアを攫ったの、お前らだろ!返せ!」
「なんだこのガキ?、おい…何を根拠にそんなこと言ってんだ?ああ?」
一人の男がチラチラと懐のナイフをちらつかせる、言外に言うのだ 帰れ お前は何も見てないと、こんなもの答え合わせしてるようなもんだ 自分たちには疚しいことがあると…
「み 見てたんだ、お前達が昨日 ナリアを攫う所を…」
「見てたぁ?、…団長 こいつどうします?」
「見られてたのかよ、チッ 面倒な」
隠すつもりはそんなにないのか、団長と呼ばれたピエロの男は面倒そうにグビグビと酒を飲み干すと…
「なぁ、坊主…お前は何も見てない、だよな?」
「え?」
ぬるりと滴るような動きでピエロはオレに近寄ると共にその肩に手を回し小屋の中に招き入れながら言うのだ、何も 見てないと 見たと言ってるのに…いやこれは
「何にも見てないから、お前はこのまま大人しく帰る だよな?」
「いっ…」
肩を思い切り握られ思わず顔を歪める、脅してるんだ 何も見てないことにしろと
見抜かれてる、ビビってるのが…だから脅してきてるんだ、小突けば尻尾巻いて逃げ帰ると思われてるんだ
「そうすりゃ、俺たちもお前を見なかったことにしてやるよ、態々怖い思いしなくてもいいだろ?人一人居なくたって 大して変わりはしないって」
そりゃ怖いさ、見ないふりして帰れたならどれだけいいか、でもここで尻尾巻いて逃げたらオレは一生負け犬だ、ここの敗北体験は一生尾を引き …主役になれない
「っ…!」
そうだ、舞台上で燦然と輝く主役達はいつだって挫けない、負けることはあれど挫けない、どれだけ苦しくても演劇が終わるその瞬間まで足掻き続ける
時に悪漢を前に立ち振る舞い、時に悪徳領主相手に渡り合い、時にはドラゴンを前に剣を抜く、そんな姿に憧れたから オレは家を飛び出して両親に逆らってまで旅劇団なんかやってるんじゃないのか
ここで逃げたら…オレはまた あの家に居た頃に逆戻りだ、皆の目を集めるヒーローではなく 、名さえ与えられないコロスに…、それが嫌だからここにいるんだろう
「なぁおい、なんとか言ったらどうだ?」
「い 嫌だ、オレ…あんたらのしたこと 見過ごせない!、あんた達は悪役だ!それに屈するオレじゃない!」
震える口でも言いたいことを言えるのは 今まで積み重ねてきた役者としての技術故か、ピエロを睨みつけ 吠える、負けてたまるかと…
解決出来る手段に思い当たる節はない、これは単なる意地だ、理屈理論を抜きにした意地だ、ただ意地だけで吠え立てた
その声を受けピエロは呆れるように バカを見るような目を細めると
「ああそうかい、じゃあ仕方ない 口を聞けないようにするしかないな」
そう言うなりピエロは腰に指したナイフをゆっくりと抜いて…抜いて、キラリと危険な光が煌めく
「ひっ…!」
こ 殺される、舞台の主役ならここでかっこよく大立ち回りを演じるのだろうが、あいにくヴェンデルは今まで戦ったことがない、舞台の上でなら死線を何度も潜り抜けたが そんなものここでは役に立たない
逃げようにも足が動かない、抵抗しようにも手が動かない、体に鉄の棒が差し込まれたように動けなくなり 張った意地が瞬く間に崩れる
死にたくない…!、こんなところで死ねない 、まだ主役になってないのに 脇役のまま死にたくない、主役になって 舞台の上で喝采を浴びて両親を見返してないのに!
オレでも主役を演じられるって!、自分たちが間違ってたって!、流石は私たちの息子だって!まだ…両親に…!
「っ!、ヴェンデル!逃げて!」
「な ナリア!?」
ふと、見てみると男達の足元には 簀巻きにされ誘拐されたナリアの姿が見える、幸い怪我はないみたいだ
アイツを助ければ全て解決なのに…悔しいな、オレは今 ナリアよりも危機的状況にある…
「君じゃ無理だ!逃げて!」
自分の方がヤバイ状況だってのに、オレと違ってビビらず、他人の心配までするかよ…!
「あーあ、くそ もう誤魔化せないよな…仕方ねぇーなー?へへへ」
「や やめ…」
「へへ、まずはその顔の皮を剥がしてやろうか…」
今まさに そのナイフがヴェンデルの顔に突き刺さり、バターのように顔を剥がそうとした瞬間…、それは 起こった
「くへへへへ…ぐべっ!?!?」
「へっ!?」
錐揉み すっ飛ぶピエロ 、今さっきまでヴェンデルに殺意を向けていたあの男恐ろしい恐怖の権化が、紙くずのようにくるりと空中で一回転し 壁に激突し断末魔をあげる
…何が起こった…、いや まさかとは思うが…
「役者は顔が命なんです、汚い手で触れないでください」
「え…エリス?」
「エリスさん!?」
エリスだ、邪魔者と嫌った彼女が 拳を握ってオレの横に立っていた、まさか こいつがやったのか?、あの男を 軽く殴り飛ばしたのか?
…こいつ、こんなに強かったの?…、いや元旅人だって言うから腕は立つだろうと思って誘導はしたが、…これは少し 想定外というか
「て テメェ!酒場の小娘!」
「あら、いつぞやのピエロじゃないですか、今日は溢さずお酒を飲めたんですね、よかったじゃないですか」
「こ この!」
「え エリス!こいつらナイフ持ってるよ!、あんまり刺激したら殺される!」
「そ そうだよ!、危ないよ!エリスさん!」
「ナイフ?」
思わずエリスの裾を引いて ナリアと共に忠告する、あんまり挑発するな こいつらは殺しさえ厭わない危険な奴らだ、例えどれだけ強くても 囲まれてナイフで刺されたら死んでしまう!
もう此の期に及んでこいつが嫌いとか そんなこと言ってられない、助けてくれた人が死ぬのを 見たくない!
が…オレの忠告を受けてエリスは男達の手に光るナイフを見て
「…そんなちっぽけなナイフで武装したつもりですか?、山賊にも劣るゴロツキが それで何するつもりですか?」
はっ と笑う、いやいやおいおい ナイフだぞ!ナイフ!刺されたら死ぬんだぞ!、武装とかなんとか言ってる場合じゃ…
そこでふと、思い出す…そう言えば いつぞやナリアが言ってたな、エリスは確か 5歳という年齢で 山賊を叩きのめしたことがあると…
「テメェ!ナメやがって!、丁度いい!殺せ!」
殴り飛ばされたピエロが怒鳴る、その声に呼応しナイフを構えた男たちが一斉に動く その数は五人か六人か どっちでもいい、大勢の男がナイフを構えて殺到するのだ それだけでヴェンデルは腰を抜かしてしまう
しかし
「死ねや!オラァッ!」
「死にませんよ、そんなのじゃ」
鋭い刺突、ナイフをまるで拳のように打ち出すその突きは真っ直ぐエリスの胸めがけ放たれた、まではいい しかし、その刃が乙女の柔肌を貫くことはない
受け止められたのだ、輝かんばかりに研がれた刃がエリスの二本の指に挟まれ、軽々と…、なんとも異様な光景だ、男はその屈強な体から発せられる力と体重全てを切っ先に乗せているのに エリスといえば指二歩で微動だにせず受け止めているんだ
その光景を見たヴェンデルは己の口があんぐり開かれていることに気がつかない、それ程までに 目の前の光景に釘付けになっているのだ
「う うごかねぇ!?お前何者だよ!?」
「エリスはエリスです、貴方達が怒らせた相手の名前くらい把握しておいてください」
「エリス…ぐぼぇっ!?」
男の顎先に拳が飛ぶ、直上にぐるりと何度も回転しながら天井に叩きつけられる、そんなバカみたいな光景に目を囚われるヴェンデルと男達、しかし 別に戦いが終わったわけではない
むしろ 始まったのだ、蹂躙が
「貴方達相手に魔術を使うまでもありませんね!」
風が吹いた いや違う、エリスが足を上げたのだ、たったのそれだけでエリスを囲む男達の側頭 鳩尾 脇腹 金的 複数箇所に衝撃が走り、いとも容易く男達の意識を奪い
あ、蹴ったんだ とヴェンデルが理解する頃には既に男達は気を失い倒れていた
…強い、強すぎる、エフェリーネの舞台上で本気で剣を持って襲いかかった時に少しは理解していたつもりだったが、こいつ あの舞台で手加減していたのか…本気で戦ってたの オレだけだったほか
「ヒィッ!?な 何でこんな小娘がこんなに強いんだよ…!は 話が違う、おい!ブロン!」
「うい、団長」
「やれ!押し潰せ!」
すると男達の切り札とも言えるような巨漢 ブロンがようやく鈍く動き始める、巨木のような腕 巨岩のような体 そして醜い顔…なんとも恐ろしい まさに怪物のような男が拳を握りドスドスとエリスの前に立つ
されど、エリスは竦む様子も見せない…オレと二つしか違わないのに、なんだこの度胸は…どんな生き方してきたらそうなるんだ
「へへへ、多少腕に覚えがあるかもしれねぇがブロンはそこらのゴロツキとは違う!、なんせ元アルクカースの戦士隊所属だったんだ!、確か 第十五戦士隊だったか?、頭は悪いが 腕っ節なら無敵なんだよ!」
戦士隊…あのピエロが語るそれには聞き覚えがある
無敵の戦闘民族アルクカース人、ただの村人でさえCランクの魔獣を狩ってしまう怪物のような人種の名だ、そんな奴らの中でも際立って強い戦士隊…、第百まで存在し 数字が少なくなればなるほど強くなる
つまり、第十五ということは戦士隊の中でも上位と言っていい実力を持っているということ、なんでそんな怪物がこんなところにいるのか分からないが 、少なくとも今さっきナイフを持って襲いかかってきた連中とはまさしく別格の強さと言える
「俺 あんまり頭良くないけど、お前敵なのは分かる、いくら強くても 俺には敵わない」
「へぇ、戦士隊所属ですか…、ですが 此の期に及んでも争心解放を使ってないってことは使えないんですね、争心解放が使えない戦士なんて 今更敵じゃありませんよ」
「うるさい!」
言われたくないことを言われたのか ブロンは瞬く間に顔を赤くし、ハンマーのような腕を振り上げエリスめがけ叩きつける…が
「遅い!」
避ける、高く跳躍しブロンの叩きつけを回避すると共に、まるで鎌鼬のように体を回転させ 一撃、ブロンの大きな顎に蹴りを加える…
「うげ…」
カクンとブロンの頭が斜めにずれ、口からヨダレを垂らしながらまるでドミノのようにふらりと背後に倒れる
一撃だ、一撃で倒してしまった…、ああ そういえばナリアはこうも言っていた…エリスは年端もいかぬ少女でありながら アルクカースの戦争にて戦ったこともあると
「嘘だろ…一発で」
それはヴェンデルの言葉が それともピエロ…ブリゲーラの言葉か、瞬く間に周りの取り巻きを叩き潰され ワタワタと口が震える
「さて、…態々貴方を気絶させずにおいた理由 わかりますよね」
「ひっ!?」
完全に立場が逆転した、先程までヴェンデルが立っていた 恐怖する側の場に、今 ブリゲーラが立たされている、エリスという力の権化を前に、恐怖し腰を抜かす
「お お前、こんなに強かったかのよう」
「ええまぁ、このくらいなら…、で?一応聞きますけど なんでナリアさんを攫ったんですか?」
「い いや、その 俺たちは…あの」
尻餅をついたブリゲーラの顔の横に エリスの蹴りが飛び壁に穴を空ける、嘘をついたら次はこれがお前の頭に飛ぶと言わんばかりに、エリスは強く ブリゲーラを睨み下ろす
「…はぁ、隠すと為になりませんよ」
というとエリスは先程までブリゲーラ達が酒盛りをしてきたテーブルに目をやり、空のボトルを持ち上げ そのラベルを見る
「随分いいお酒ですね、値段も高そうです…なんで、酒場で安酒しか飲めない貴方達がこんないいお酒を飲んでいるんですか?」
「そ それは…その…」
「おや、このお酒 ラベルに販売している商会の名前が書いてありますよ?、何々…『マルフレッド商会』…ですか」
「あ、いや…それはぁ…」
マルフレッド!?まさか、この一件 マルフレッドが裏で手を引いているのか!、いやだとしたら全て合点が行く、こいつらが態々ナリアを攫った理由 貧乏でありながらいい酒を飲んでいる理由…全てが
「さて、聞きます 貴方には今二つの選択肢があります、一つは 黒幕の名前を喋ること、そうすれば悪者はその黒幕ってことになり エリスの怒りはそちらに向かいます、二つは何も喋らず黙秘を続けること、これはお勧めしません だってそうすると悪者は貴方になりますから」
「わ 悪者…」
「ええ、エリスはエリスの敵に対して容赦出来るほど大人じゃありません、血祭りにあげます、エリスの知り得る限りの苦痛を与えて」
「わわかった!話す!話すから!これ以上はやめてくれ!頼むから!」
屈み込み 両手と額を地面につけて謝り倒す、エリスの脅しに屈して降参だと…
「で?、黒幕は?」
「察しの通りマルフレッドだよ!、そこの女を連れてきたら一生タダ酒飲ませてくれるって…」
「はぁ、なんともせせこましい理由ですね…、でもなんで誘拐なんか、勧誘したいならそんな強引な方法取る必要はないでしょう?」
「しらねぇよ!そんなの!!」
「それもそうか…」
でも、確かにこの街の酒場は殆どマルフレッドが牛耳っている、酒 それを一つ握るだけでこの街でマルフレッドは絶大な影響力を得ている、それを使って サトゥルナリアをゴロツキに攫わせたんだ
…そうまでして、ナリアが欲しいのか マルフレッドは、なんでそんなに欲しいんだ?コルネリアって言う一流の役者を持ち得ながら
「…分かりました、顔を上げてください?ブリゲーラさん」
「ゆ 許してくれるのか?」
「ええ、許します 悪いのはマルフレッド、貴方達は利用されただけ…」
「じゃ じゃあ!」
「はい、ですがそれはそれとして…ふんっ!」
一閃 燦めくようなエリスの拳が一撃 ブリゲーラの頬に叩き込まれブリゲーラの体が横に回転する
「ぐぇぇ!?」
「それはそれとしてヴェンデルさんに怖い思いさせたのは許しません」
カラカラとブリゲーラの口から歯が転び出て…再びその場には静寂が戻る…、倒してしまった、瞬く間に たった一人で…殲滅してしまった
こいつこんなに強かったのか、と言う感想しか出てこない、なんで役者なんてやってるんだこいつ…
「さて、ナリアさん 大丈夫ですか?」
「あ…うん、大丈夫…というか エリスさん本当に強いんだね」
「言ったでしょ?」
「まぁ、でも言葉で聞くより 実物を見ると違うね、この上魔術も使えるなんて…無敵じゃん!」
「あはは、無敵ならどれだけ良かったか…」
なんて虚しく笑いながらエリスは男達のナイフを奪い ナリアの縄を切り裂き 救出する、オレが…一人でやろうとして出来なかった事を、たった一人で成し遂げてしまった
これじゃあ…完全にエリスが主役だ、オレはどこまでいっても…脇役だな、惨めだ
「おい、ヴェンデル…」
「ん?、お前は…」
ふと、肩に手を置かれ顔を上げると、そこにはクソガキが…レグルスが居た、オレを諭した張本人が…、笑いに来たのか?やはり臆病者だと…
「な…んだよ」
「いや、よく彼処で引かなかった…、勇敢だな お前は」
「え?」
「かっこよかったぞ?」
そう言いながら肩をポンと叩く、褒められた?…引かなかっただけで?、いや もしかしたらエリスはギリギリまで見ていたのかもしれない、オレの様子を 試すように…オレの覚悟を見届けるために
エリスのあの強さだ、オレがこの小屋の扉の前に立った瞬間 オレを押しのけ瞬く間に男達を瞬殺出来だろう、だがそれをしなかった
それはきっと、オレの覚悟と決意に…花を持たせてくれようとしてたのか…
「……ちっ」
全く、いいお節介だ…けど、お陰でオレは思い知ることができた 自分の矮小さと、…それでも引けない決意を秘めている事を、…本当に どこまで介入すれば気がすむんだ アイツは
本当に…嫌な奴だ、だけど もう…心底嫌うような嫌悪感は どこにもないのも確かだ
「さて、ありがとうございました ヴェンデルさん、お陰でナリアさんを助けられました」
「オレは何もしてないだろ」
「ここまで案内してくれたじゃないですか、…でも まだ終わりじゃありません、これから野外劇場まで飛ばなきゃいけません」
そうだ、まだ終わりじゃない これからオレ達は劇に出演しないといけない…けど
「間に合うかな、ここから約束の野外劇場まで結構距離があるし、今から全員で走ったって…」
この小屋はギャレットの街の端にある そして野外劇場はその向こう側…言ってしまえば街一つ横断するほどの距離があるのだ、全員で走ってもしかしたらもう間に合わないかもしれない…
「いえ、大丈夫 間に合いますよ、ナリアさん ヴェンデルさん 師匠、エリスに掴まってください」
「掴まる?なんで…」
「もしかしてあれやるの!?だ 大丈夫!?こんな大人数抱えて…」
「問題ありませんよ、このくらい」
…うん?、今から何をしようと言うのか、ナリアには何やら心当たりがあるようだが生憎ヴェンデルには無い、何をするつもりだと問う間も無くエリスは背中にレグルスを 右手にナリアを左手にオレを抱え込むと…
「今から劇場に直行します、到着するまで喋らないでください、舌を噛むとこの後の演技に差し障ります」
「直行って…一体」
「ヴェンデル!いいから!エリスさんの言う通りにして、落ちたら死んじゃうよ!」
死ぬ?…一体何を…
「颶風よ この声を聞き届け給う、その加護 纏て具足となり、大空へ羽撃く風を 力を 大翼を、そしてこの身に神速を 『旋風圏跳』!」
刹那、エリスを中心に 不自然な旋風が渦巻き、まるで意思を持つかのような風が ふわりと、オレ達の体を浮かび上がらせる、これ…魔術!?でも魔術陣も使わず
…ああ、そうか 外の国では魔術陣を使わず言葉だけで魔術を発動させられるんだったな…って
「ま まさかこのまま飛んで行く気じゃ…」
「ヴェンデルさん!喋らないで!飛ばしますよ!!」
「え ちょっまっ…ッッーーーーーーー!?!?」
急速に襲い来る衝撃、後ろへと引っ張られるような急激な重力、視界が信じられない速度で目まぐるしく変わる…、見れば一瞬の間にオレ達は宙に浮かび上がり飛んでいるようだ
…ああ、今オレ飛んでるんだ 、などとロマンチックに思う暇も余裕もオレにはない、あるのはただ一つ
「ーーーーーーーッッッッッ!?!?!?」
叫び声さえ置き去りにする神速の恐怖だけであった、だけど同時に思う これならきっと間に合う!
…しかし、と 高速で動く視界の中、吹き荒ぶ突風の中ヴェンデルは視界を動かす
そこには、必死に前を見て飛ぶエリスの顔が見えて……
……………………………………………………………………
サトゥルナリアを攫ったのは 二週間前酒場で屯していたクズサーカス団共だった、マルフレッドの甘言に唆され あろうことか酒にありつくために誘拐を働いていたんだ連中は
そこに殴り込み 抵抗するブリゲーラ達を叩きのめし、エリスは力づくでナリアさんを連れ戻すことに成功した、人を攫うゴミ共に容赦する理由はないが 連中恐ろしく弱かった、多分ザカライアさんでも勝てるくらいの奴らだ
まぁそれはいい、問題はそこじゃない…問題はマルフレッドだ、最初 エリスはサトゥルナリアという人物の演技力を買ってマルフレッドは彼を欲しているのかと思ったが
どうやら違う、だって異様だ ナリアさんを役者として引き入れたいならチンピラを使って誘拐なんかするはず無い、これじゃあもう マルフレッドはただただナリアさんを手元に置ければなんでもいいと公言しているようなもの
…何がアイツをそこまでさせるのかは分からない、だがエリスの想像を遥かに超えるほど マルフレッドという男は手段を選ばない悪辣漢であるという事は分かった、これからはナリアさんの身にも注意をしなければなるまい
誘拐という手段を取った奴の、次に出る手が穏便なわけがないのだから
「とう…ちゃぁーーーーくぅっ!!」
そんな思考も程々にエリスは旋風圏跳の勢いのまま地面に突っ込み、周りの雪を吹き飛ばしながらザリザリと減速する、街の向こう側からトップスピードでパンチさんの指定した野外劇場まですっ飛んできたのだ
時間にして数十秒、三人抱えていても今のエリスなら街一つ飛び越えるのに1分もいらない
「すっげぇ、もう着いた…」
「うう、前飛んだ時よりも早い…一体どれだけ速く飛べるの…エリスさん」
「うむ、随分速く飛べるようになったな、エリス 旋風圏跳に関してはもはや熟達の域にあると言ってもいいぞ?」
「ありがとうございます、師匠」
ヴェンデルさん ナリアさん そして背中の師匠を下ろして一つ肩を回す、旋風圏跳に関しては子供の頃から使い続けてもう十年だ、オマケに戦闘の際は常に使ってきた、もうエリスにとっては軽く走るのと変わらないですよ
しかし…、と目を前に向ける エリスがここを一目見て目的地だと判断したのはパンチさんから指定された詳しい位置を記憶していたから だけではない
分かったからだ、遠目に見ても 『ああここで劇やるんだ』って、何せ
「ここが野外劇場?」
エリスは野外劇場と聞いて 雪原のど真ん中に座椅子を並べて 作ったスペースでやる青空劇場の事だとばかり思っていたが、この目の前に広がるそれを見る限りどうにも違う
じゃあ目の前には何があるって?、テントですよ 目の前にはテントがあるんです
ああいや、数人が野宿するようなあんな三角の小さな奴じゃありません、そこらの家屋なんか軽く飲み込むような巨大なドーム状のデカいテントがデカデカと目の前に設営されているんだ
これがあの飲んだくれ老人であるパンチさんが用意したと?…、あの人本当に何者なんだ
「凄いね、これ…こんな立派なテントを持ってる旅劇団なんて この国に数カ所しかないよ」
ふと、ナリアさんが驚いたようにほへぇー と見上げる…すると
「ナリア?ナリアか!、無事か!」
「クンラート団長!ごめん!ちょっと誘拐されてた!」
「はぁ!?誘拐!?」
テントの幕を上げ 既に衣装に着替えたクンラートさんが慌てた様子で駆け寄ってくる、もう準備は万端か、エリスの頼み通り ちゃんと演劇の準備を進めていてくれたみたいだな
「大丈夫か?怪我は?」
「大丈夫、ヴェンデルとエリスさんが助けてくれたから」
「お オレは…何も」
「ナリアさんにもヴェンデルさんにも傷一つつけていませんよ、それより公演の方は?」
「あ ああ、なんとか間に合いそうだ」
それは良かった、じゃあとっとと準備してしまおう 無事を喜ぶのは劇が終わってからでも出来ますしね、これで劇が潰れてしまったら 笑うのはマルフレッドだ、エリス達が笑わせたいのはあのデブチンではなく観客席のお客さんなのだから
「もう衣装は用意してある、こっちだ!」
「はい!団長!」
クンラートさんに先導されテントの中へと潜っていくナリアさんを見て、さてと と襟を正す、エリスも衣装に着替えないと…
「ん?」
ふと、歩みだした足が、背後から裾を引っ張られ止められる、まだ何かあったか?と振り向けばそこには ってまぁもうヴェンデルさんしかいないんですけどね
「どうされました?ヴェンデルさん」
「い いや、その…えっと」
もじもじそわそわ 珍しい態度だ、少なくともエリスに対して今まで見せていたそれとは違う、嫌悪とか拒絶とか マイナスの感情は感じない
分かりますよ、認めてくれたんですよね
「…オレは…お前のことを認めたつもりはない」
違った、認めてくれてなかった、あれー?おかしいなー…一緒に艱難を乗り越えた仲じゃないですか、一度協力したらもう友達じゃないですかー
「でも、もう意地張るのはやめてやる、…ただ 負けないからな、お前には」
「…なるほど」
意地を張るのはやめてやる…か、危うく殺されかかった歳下が何上から目線で抜かてるんだ 十年早いわ、など そんな失礼なことは言いませんよ、エリスは大人なので
それに、彼も彼なりに思うところがあったのだろう…ならば受けよう、その挑戦
「じゃあ、お願いしますよ 舞台」
「分かってる、けど…いいのか?」
「ええ、本気でお願いします…負けないんでしょ?」
「っ!勿論だよ!絶対負けないからな!」
捨て台詞を吐くなりテントの中へ逃げていくヴェンデルさん、よく逃げる子だ、でもいい そういう尖った反骨的な所はある意味彼の強みだ、そこを自分で丸めて潰す必要はない
それも個性ですよ、良いか悪いかはその場によって変わります
「エリス」
「はい?師匠」
「まだまだ子供だな、お前は」
えぇ…なんで…、子供でした?エリス…
分からない、けど 正真正銘の大人から見たら、今の対応はまだまだ子供なのかもしれないな…なんて、考えても分からないことをこれ以上深く考えるのはやめよう
「さぁエリス、行ってこい 劇…成功させて、クリストキントを前へ進めるんだ」
「はい、やってきます 見ててくださいね、師匠」
さぁ、公演だ 幕を開けろ、未来と戦いの 幕を!
エリス達の…いや!クリストキントの真なる一歩!ノクチュルヌの響光を!!
バッ!とコートをはためかせ、エリスは向かう 戦場へと
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4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
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全5章、最終話まで執筆済み。
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