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第三十六章

駆け出しと名優と

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 ニコルさんの楽屋は意外と遠く、その分ミガサさんとお話をする時間がとれた。狭い所を通る事もあるので俺と彼女が前列、ステフとエオンさんが後列という並びになり、より話に集中し易かったという面もある。
 何にせよその話によると彼女はこんな見た目だがデイエルフで、その長く美しい銀髪も天然のものらしい。内気な自分を変えようと傾国歌劇団へ入団し演劇を学ぶ日々、とのこと。
 そんな訳で演劇を学んで日が浅く下っ端として様々な雑用をしているそうだ。俺たちの案内をするのもその一環なのだろう。
「でもお綺麗ですし存在感もあったから、すぐ台詞の多い役を勝ち取って有名になられそうですね」
「ええええ!? いや、そんな……」
 俺が素直な感想を言うとミガサさんは大げさに首を横に振った。その動きで銀色の長髪が揺れて花の様な香りが漂ってくる。なんと、匂いまで美しいんだな。
「私なんてまだまだで……」
「そうですよ監督さんっ! 芸能界ってそんな簡単なものじゃないですうっ!」
「んだんだ」
 俺たちの会話にエオンさんとステフが割り込んできた。そういうもんか。まあ専門家たちが言うからそうなんだろう。
「でもこれから頑張って勉強していけば可能性は開けますよ! 応援してます!」
 一方、俺は俺で素人らしい声援を贈る。実際の所ミガサさんの美貌は群を抜いており、美男美女だらけの傾国歌劇団でも頭ひとつ抜けている。なのに謙虚で真面目だ。もしナリンさんが違う道を選んでたらこんな感じかもしれない。
 たぶんその妄想が俺を、彼女を応援する気にさせたのだ。
「あ、り……がとう、ございます」
 ミガサさんはそう言うと真っ直ぐ俺の方を向いて深く頭を下げた。ワンピースの隙間から胸の谷間が見えて慌てて目を背ける。
 前言撤回、ナリンさんにここまでのモノはない。彼女とはまた違った道になるだろう。
「ステフ、黙っててくれたら一つ借りだ」
「おいよ! そろそろ新しい楽器が欲しいな~」
 俺は心を読んでいるであろうダスクエルフに声をかけ、彼女は素早く返答した。
「えっ!? 何なの監督さんっ!?」
「あ、着きました、どうぞ」
 エオンさんにもミガサさんにも意味不明の会話であったが、タイミングよくニコルさんの楽屋へ着いたようだ。俺たちはドアを押さえる銀髪のエルフに頭を下げ、中へ入った。

「おお、ショーキチ監督のお出ましだ! みんな、拍手~!」
 入るなり、ニコルさんの独特のしゃがれ声が聞こえ室内のエルフたちが一斉に手を叩いた。
「どうも、本日はお招きに預かりまして……」
 俺は目の前の光景に圧倒されながらもお辞儀をする。フットサルのコートくらいあるニコルさんの楽屋には彼以外に5名ほどのエルフがおり、肩を揉んだりペティキュアを塗り直したりと如何にも『スターに仕える付きエルフ』ぽく働いていたのだ。
「いやいや、監督が我らが代表にしてくれた事の百分の一にもならんさ! よし、みんな出て行け! ミガサは残ってそっちに座れ。エオンはこっちだ。それはステフか? 久しぶりだな! お前は好きにしろ」
 ニコルさんはニコルさんで如何にもスターらしい感じで周囲に命令し、周囲もそれに唯々諾々と従う。傲慢と言えば傲慢な筈なのに不快さを感じないのは、彼のもつ天性のカリスマというヤツなんだろうか?
「監督は……そこの一番フカフカのヤツに座ってくれ。何か飲むか?」
「ありがとうございます。あれば、強くない酒を」
「ほいきた!」
 羨ましくも思うがそれは俺のやり方ではない。素直に礼を言って座りながら、彼自ら用意してくれた酒のグラスの一つをを受け取る。
「話の前に乾杯だ。アローズの栄光に」
 ニコルさんは他のみんなにも同じモノを渡すと、グラスを掲げて言う。
「素晴らしい公演に」
 俺もそう告げてグラスを掲げると彼は目を合わせてニコっと笑い、一気に酒を煽った。ニコルさんはハンサムではあるが割と癖のある顔のエルフ中年で、いま着ている服もバスローブのような緩い服装だ。
 しかし何というかその仕草や話し方がとてもチャーミングで、このわずか数秒で俺も彼の事が好きになりかけている。これが国民的名優ってやつか……。
「げはっ!」
 と、そんな事を考えながら呑み込んだ酒に、俺は思わずむせてしまった。
「監督さんっ!?」
「おいおい大丈夫か?」
 思わずせき込んだ俺をエオンさんとステフがのぞき込み、ミガサさんが慌てて手拭いを持ってくる。いやこの酒、めっちゃアルコール度数高いぞ!? 軽いの頼んだでしょ!?
「あーすまんすまん! ショーキチ監督に渡したの、女の子を誰か酔わせてアレする為に濃くしたヤツだったわ」
 そんな俺を観てニコルさんは楽しそうに笑った。くっ、このオッサン意外と油断できないぞ!
「すすすすみません! 監督さん!」
「いえ、大丈夫です」
 謝罪し手拭いを渡すミガサさんにそう言って、俺は顔を拭いた。涙や涎を拭い終わって顔を上げると、ニヤニヤ笑うニコルさんと目が合う。
「悪かった悪かった! 俺くらいになるとな、そういうのが無いと女の子とアレできないんだよー。監督はこんなの無くてもアレをアレし放題だろうけどよお?」
 どれだよ! と怒りたかったが、彼の無邪気な顔を見るとそういう気が失せる。しかもさらっとこちらを上げる言葉を混ぜてくるし。
「ショーキチ、で良いですよ」
 カリスマ性で張り合うつもりは無かったが、ここで器の小ささを見せると何か負けな気がする。
「ニコルさんも、ミガサさんも。監督じゃなくてショーキチって呼んで下さい」
 俺はそう言って、少し乱れた服装を直し椅子に深く座り直した。どうやらこの言動に感銘を受けたらしく、ニコルさんは声に出さずほう、と口だけを動かした。今がチャンスだな。
「それで、どういうご用件で招待して下さったんですか?」
「おう、それな」
 その質問にニコルさんは指を一本たてて待ってくれ、と合図した。そして後ろのテーブルからあるモノを取り出してきた……。
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