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32話:仲間とポルトガル、スペイン旅行1
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そして、各自部屋で、休んだが、時差のために、よく眠れず、翌・4月27日、朝10時半過ぎに起き、軽く朝食をとり、11時半にホテルを出て、タクシーで15分で、アズレージョ博物館に送ってもらった。ポルトガルを旅すれば、毎日、必ず目にするのが、アズレージョ。「アズレージョ」とは、ポルトガル伝統の装飾タイルのこと。
ポルトガルの街を歩けば、教会やホテル、レストラン、民家など、あちこちで多種多様なアズレージョに出会う。ここは、元・マドレ・デ・デウス教会を改装して建てられた博物館で、15世紀から現代までの芸術的、歴史的価値の高いアズレージョの傑作が集結。「アズレージョ」という単語は、アラブ語で「モザイク片」を意味する「アズレイチャ」に由来すると言われてる。
現在のアズレージョの原型となったタイルは、14世紀にイスラム教徒によってスペインに持ち込まれ、15世紀後半にスペインのセビーリャからポルトガルへと輸入された。17世紀には、戦いや狩猟の場面を描いたアズレージョが王宮や貴族の館の内壁を飾り、方、教会や修道院では、聖書や聖人といった宗教的なモチーフを描いたアズレージョが盛んに用いられた。
大量生産が開始された18世紀、公共の建物や一般の建物にもアズレージョが取り入れられ、描かれるモチーフの幅も広がった。アズレージョに使用される最もポピュラーな色は青ですが、黄色や緑といった多彩色のアズレージョも多々見られる。一枚のタイルに1つの模様を描いたものから、何枚ものタイルをつなぎ合わせて一枚の絵画のように描いたものまで、形や表現手法もさまざま。
ここは、ポルトガルのアズレージョを勉強するには、うってつけの場所だった。博物館内に残る礼拝堂に見る、黄金の装飾や絵画、アズレージョが一体となった荘厳な空間は圧巻で、ポルトガル・リスボンに来たら、是非、訪れるべき場所と言える。じっくり、様々な種類のアズレージョを見て、写真を撮り、その後、修道院の礼拝所、祭壇と壁、天井を彩る絵画の素晴らしさに心を奪われた。
そこで、多くの写真を取り続けた。そして、博物館を出た頃は、日が傾き、午後17時を過ぎた。散歩し終えて、夕食をとった。19時にホテルに帰り、今晩、ファドレストランを予約して欲しいと、智惠さんがフロントの人に依頼すると了解しましたと言った。20時半にタクシーを呼び、おつまみとワインのついたナイト・セットで予約しておきますと答えた。その後、部屋に戻り、各自シャワーを浴びたり、ベッドで休んだりして、20時過ぎに、ホテルのフロントに集まった。
夜20時半にタクシーを2台が到着し、乗り込んだ。ファド・レストランに着いた。ナイト・セットで予約してあり、ポルトガルワインと、おつまみが出され、8人掛けの大きなテーブルに案内されて、飲んでいると21時過ぎからギター演奏が始まり、やがて、ファドの女性歌手が出て、哀愁を帯びたファドが聞こえてきた。すると、智惠さんが、このリズム、どっかで聞いたと言った。
あ、そーだ、異邦人だと言った。その後、みんな、静かに、ファドを聞きって、ステージが終わると、なんか、ちあきなおみの感じに似てないと、内藤の奥さんが言うと、智惠さんが、鋭いことを言いますねと笑い、事前に調べたんだけれど、日本人歌手で、ファド歌手として認められたのが唯一、ちあきなおみで、彼女は、一時期ファドにのめり込んで何曲ものファドを日本に訳して唄ったのよと言った。
あのファンドの女王といわれた、アマリア・ロドリゲスの「難船」を日本語で唄った「霧笛」という曲が代表曲よと教えた。斎藤が、日本の演歌、民謡のような、何となく郷愁を誘う、良い曲だねと、つぶやいた。その話に、斎藤君、するどいわね、ポルトガル語でサウダージ、または、サウダーデと言う言葉がある。
ポルトガルの街を歩けば、教会やホテル、レストラン、民家など、あちこちで多種多様なアズレージョに出会う。ここは、元・マドレ・デ・デウス教会を改装して建てられた博物館で、15世紀から現代までの芸術的、歴史的価値の高いアズレージョの傑作が集結。「アズレージョ」という単語は、アラブ語で「モザイク片」を意味する「アズレイチャ」に由来すると言われてる。
現在のアズレージョの原型となったタイルは、14世紀にイスラム教徒によってスペインに持ち込まれ、15世紀後半にスペインのセビーリャからポルトガルへと輸入された。17世紀には、戦いや狩猟の場面を描いたアズレージョが王宮や貴族の館の内壁を飾り、方、教会や修道院では、聖書や聖人といった宗教的なモチーフを描いたアズレージョが盛んに用いられた。
大量生産が開始された18世紀、公共の建物や一般の建物にもアズレージョが取り入れられ、描かれるモチーフの幅も広がった。アズレージョに使用される最もポピュラーな色は青ですが、黄色や緑といった多彩色のアズレージョも多々見られる。一枚のタイルに1つの模様を描いたものから、何枚ものタイルをつなぎ合わせて一枚の絵画のように描いたものまで、形や表現手法もさまざま。
ここは、ポルトガルのアズレージョを勉強するには、うってつけの場所だった。博物館内に残る礼拝堂に見る、黄金の装飾や絵画、アズレージョが一体となった荘厳な空間は圧巻で、ポルトガル・リスボンに来たら、是非、訪れるべき場所と言える。じっくり、様々な種類のアズレージョを見て、写真を撮り、その後、修道院の礼拝所、祭壇と壁、天井を彩る絵画の素晴らしさに心を奪われた。
そこで、多くの写真を取り続けた。そして、博物館を出た頃は、日が傾き、午後17時を過ぎた。散歩し終えて、夕食をとった。19時にホテルに帰り、今晩、ファドレストランを予約して欲しいと、智惠さんがフロントの人に依頼すると了解しましたと言った。20時半にタクシーを呼び、おつまみとワインのついたナイト・セットで予約しておきますと答えた。その後、部屋に戻り、各自シャワーを浴びたり、ベッドで休んだりして、20時過ぎに、ホテルのフロントに集まった。
夜20時半にタクシーを2台が到着し、乗り込んだ。ファド・レストランに着いた。ナイト・セットで予約してあり、ポルトガルワインと、おつまみが出され、8人掛けの大きなテーブルに案内されて、飲んでいると21時過ぎからギター演奏が始まり、やがて、ファドの女性歌手が出て、哀愁を帯びたファドが聞こえてきた。すると、智惠さんが、このリズム、どっかで聞いたと言った。
あ、そーだ、異邦人だと言った。その後、みんな、静かに、ファドを聞きって、ステージが終わると、なんか、ちあきなおみの感じに似てないと、内藤の奥さんが言うと、智惠さんが、鋭いことを言いますねと笑い、事前に調べたんだけれど、日本人歌手で、ファド歌手として認められたのが唯一、ちあきなおみで、彼女は、一時期ファドにのめり込んで何曲ものファドを日本に訳して唄ったのよと言った。
あのファンドの女王といわれた、アマリア・ロドリゲスの「難船」を日本語で唄った「霧笛」という曲が代表曲よと教えた。斎藤が、日本の演歌、民謡のような、何となく郷愁を誘う、良い曲だねと、つぶやいた。その話に、斎藤君、するどいわね、ポルトガル語でサウダージ、または、サウダーデと言う言葉がある。
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