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ラヴリィ・ラヴリィ・リリー@アパートA一室

らゔりり⑵

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「……変だ」

 雪佳は一通り部屋を調べて、浅く息をついた。

「うまく言えないけど……なんか、変……けど、何が変なのか分かんない」

 狭い下宿先とはいえ、細かい物の配置なんて覚えていない。だからどこ、とはっきりとは言えない。ただ、喉に引っかかった小骨のような違和感があちこちにあった。

「今のところ、明らかにおかしい物は無いって事か?」

 大きく正体の分かっている違和感、虚宮が首を動かして雪佳に確認してきた。雪佳は頷く。

「多分、物が無くなってたり勝手に増えてたりはしないと思う……何か気になるところある?」
「じゃ、まずは照明のカバーの中と、クローゼットから全部服出してもう一度調べようぜ。それからゴミ箱の中と底、二つの花瓶の中、カーペットの下、姿見の後ろ、壁に掛けた服、カレンダーの全部のページ、棚の敷き布、時計の裏、本とカバーの中に何か挟まってないか、テーブルの裏、換気扇のカバー、冷蔵庫は良いとして冷凍庫の底、皿の裏、非常用持出袋の中、消火器、ポストの中、洗濯機の中と蓋の裏、君の通学カバンの中、天井とか壁に違和感があれば切り裂いてみるのもありだな。……あ、後は、電気消して部屋暗くするのとぬいぐるみの中に何か入ってないか確認もしたいな。それと」
「えっ、ちょっと待って待って」

 予想外に多くのポイントを指示されて雪佳は慌てる。ただ寝ていただけではなくて、虚宮は見える範囲でよく考えていたらしかった。

「えっと、その」
「まずは照明。何か入ってるっぽいぞ」

 見てもよく分からないが、雪佳は藁にもすがる思いで電気を消すとミニテーブルを部屋の中央に引き寄せて乗る。椅子と机を置いていないから、いつもベッドかこれを台がわりにしている。丸みを帯びた照明カバーは回すと外せる。たしか正式名称はシーリングカバーだ。

「あ、本当だ」

 カバーの中には、小さなカギが貼りついていた。金属板を切り抜いただけのような、オモチャみたいなカギだ。

「何だろ、これ。……もしかして、手錠のカギ?!」

 雪佳はカバーとテーブルを戻して、虚宮に近づいた。

「んー、もうちょっとゴツい奴だな」
「ゴツい?」
「オモチャの手錠ってカギ無くても外せるんだよ。チャチだから最悪壊せるし。これ、もっと本格的だ」
「へえ……」

 ジョークグッズの手錠で遊んだ事なんてないから雪佳にはよく分からない。念のためカギを合わせてみたが、鍵穴の方が大きかったし、そもそも平らなカギではなさそうだ。

「……ダメ」
「だよな。ま、それはそれで持っとけよ」
「うん。……他の所も見てみるね」

 次はどこだっけ、と考えて雪佳はクローゼットの中をもう一度確かめる。よくよく服をかきのけて見ていると、外出用のワンピースのポケットに何か紙が入っていた。

「?」

 雪佳は紙を取り出す。それは覚えのないファストフード店のレシートで、クルリとひっくり返すと裏の白地に赤いのたくったような字で何かが書かれている。

「『ゆるされない』『ころしてやる』……!」

 雪佳はレシートを取り落としかけた。

「大丈夫か?」
「だっ……大丈夫……これ」

 雪佳は端をつまむようにして虚宮にレシートを見せる。

「……なるほどな。見覚えは」
「無いよ!」
「分かった分かった。もう少しこれ見てていいか?」
「うん」

 不気味なレシートから逃れるように、枕元に置いて雪佳は離れる。

「ふうん。ゆるさない、ね……」



 ◇◇◇



「もう、嫌……」

 それから何十分経ったのか、正確な時計のないこの部屋では分からない。よくよく探してみれば、あちこちから謎の言葉が書かれた紙片やお札、酒瓶までもが出てきた。

「いや、私未成年なんだけど……しかもスピリタス? って書いてない、これ?」

 冗談っぽく言ってはみるが、疲れた理由は当然、酒瓶ではない。そのラベルに書き殴られた『このエフェボ野郎』の字だったり(意味は分からないが)、ボロボロのお札に切れ目で表現された怖そうな英語(読めなかったが)だったり、狂気的な筆跡で文字が一文字ずつ書かれた『か』『え』『し』『て』の4枚の小紙片だったりのせいだ。

「何よ、あんうぃっしゅ? ゆー、って」

 その時、虚宮のかすれた声がした。

UNWISH YOU呪い殺す、だな」
「うわ……っていうか声酷くない?」
「……悪い、喉渇いた」
「えっ、水で良い?」
「良いけど、ベッドに寝ながらだと零しそうだな」
「あはは、今更だよ。でもストローなら飲めるでしょ」

 冷凍庫から出したイチゴ型の氷をいくつか入れて、雪佳はグラスを差し出した。少し頭を上げてストローを咥えた虚宮は、一気に水を吸い上げて、はあ、と息をつく。

「……なんか、顔赤くない?」
「そうか?」

 雪佳よりも白いんじゃないかというくらい白い頬に差す赤みは、よく見れば違和感だ。手の温度が高かった事を思い出して、雪佳ははっとした。

(登校時間から私の帰宅時間まで、暑いこの時期に、冷房も付いていない室内でこんな風に放置されたら、熱中症になるかも……)

 安アパートの部屋にはたいした防熱機能はない。現に、この部屋は現在少し蒸し暑い。

「……クーラー付けるね!」

 言いながら手を伸ばすが、不思議とリモコンがない。 

「あれ、いつも壁のリモコン立てに置いてたはずなんだけど……」
「無いなら別に、後で良い。そこまでヤワじゃないし」
「そうもいかないよ。それに、私も暑くなってきた」

 雪佳は冷凍庫から、さっきので氷は使い切ってしまったので、とある物を取り出してミニタオルで包むと虚宮の頭に乗せた。

「ん……」

 案外素直に乗せられるがままにして、虚宮は心地良いのか目を閉じると少し穏やかな顔になる。どこか子供のようだ。そのギャップが、突然に雪佳の心に突き刺さった。

(こ、これが……母性?)

「悪い、少し休む……」
「まっ任せて! お母さん頑張るから!」
「はは、何それ。せめて姉だろ」
「うっ」

 雪佳はぺちぺちと頰を叩いて、自分を正気に戻すとエアコンのリモコンを探し始めた。散らかっていない部屋だから、収納のどこかに入っているはずだ。でなければ、棚の後ろなんかに入り込んでいる。雪佳は棚、クローゼットの下の引き出し、ベッド下の収納をざっと見て回った。

「あった」

 ほっとして、雪佳はしまった覚えのない収納から出てきたリモコンを操作した。

 ガガガガガガ……

「なんか、嫌な音がする。これ本当に風出てる?」
「出てない。けど、これ故障というより、何か詰まってる音だよな」
「えっ?」
「エアコンの中見てみたほうがいいかもな」
「ええ、もう嫌だ……」

 嫌だ、というのは理由が二つある。一つは、何が出てくるか分からない怪しいところを見たくないという思い。そしてもう一つは、ベッドの枕側の高い壁面にエアコンが取り付けられているからだった。
 エアコンを確認するには、背の高さ的にも配置的にも、雪佳はベッドの上に立つしかない。つまり、高確率で動けない虚宮の頭の傍に立つ事になる。そして雪佳は今制服姿、つまりスカートだった。

「……ちょっと隣で着替えてくるね」

 雪佳はクローゼットの中から短パンと、ついでにシャツを取り出してリビングの間仕切りのカーテンを引いた。変な話だけれど、虚宮に見られないようにキッチンで上下制服だけ着替えて戻る。と、虚宮がじっと見ていた。

「な、何?」
「ストップ。そこのカーテン? のれん? に、こっち側から何か書いてある。そういやそういうパターンもあるよな」
「え?」

 もう一度カーテンを引き直して、今度はリビング側から見てみると、ピンクの布地に何かが書かれているのが雪佳にも見えた。ずっと開けていたから気づかなかったのだ。

「『時は細ありてこそ』って書いてある……けど、これよくそこから見えたね。字けっこう小さいのに」
「視力は両眼2.0超えてる」

 ちょっと自慢げに虚宮は言う。雪佳は、お気に入りの柄の布に落書きなどされてちょっと悲しかったので何も返さなかった。

「時って時計の事? 細ってなんだろう」
「その事だけど、時計見てみないか? どうもさっきから七時のまま止まってるみたいなんだよな」
「ほんとだ」
「あとエアコンもな」

 エアコンにしろ壁掛け時計にしろベッドで高さを稼がないといけない。雪佳はそっとベッドに乗って、まずはエアコンの送風口に定規を差し込んでみた。面倒だからカバーを外さないで済むならそれに越した事はない。と、何かが引っかかる感覚がして、小さなものが転がり落ちた。

「あ」

 虚宮が首を傾けて直撃を避け、枕に落ちたのは、木でできた小さなキューブ状のキーストラップだった。短いチェーンがついている。

「何だろう……」

 雪佳はとりあえずストラップを拾った。見覚えのないただの木片だ。数字錠のヒントが書いてある訳でもなし、鍵が付属しているでもない。ひとまず短パンのポケットに入れた。

「あっ、落ちてるじゃん」

 首を動かした拍子に虚宮の額から落ちた氷枕を戻していると、ようやくエアコンから冷気が入り込んできた。

「外が完全にこの液で満たされているなら換気ができずにエアコンは稼働しないはず。ベランダは水没しているようにしか見えない……どういう事だ? いやそもそもこの部屋、換気が為されて……時間制限? おいおい、勘弁しろよロメ……」

 ブツブツと虚宮は何か考え始めてしまう。雪佳は無視することにして、次に壁掛けの時計を外した。直径20センチくらいの電池式アナログ時計だ。外した後の壁や裏側には何もないが……

「……あ」
「どうした?」
「こういう時計って、普通秒針ついてるよね?」
「いや、俺に聞かれても。君覚えてないの」
「家の置き時計に秒針が付いてるかって意識しなくない? でも、多分、あったはず」
「外された秒針、か。……電池切れてるのか?」
「えっと、替えてみないと分かんないけど、予備の電池持ってないし……」
「リモコンの電池、使えない?」
「! やってみる」

 と言ったものの、すぐに雪佳は首を振る。

「……駄目だ。時計、単一電池だったけどリモコン単三だし……単一なんてこの部屋のどこにも無いよ」
「懐中電灯とかは?」
「持ってない。普段スマホ使うし」
「……A4のコピー用紙と、パチンコ玉……は無いだろうから、アルミホイルか一円玉たくさん」
「え?」
「紙で厚みを増やして、電気通すところだけアルミを当ててやれば、電池自体は単三でも単一の代わりになる」
「え、ええっと」

 虚宮に指示されるままに雪佳は折った紙を電池に巻きつけ、マイナス側の端子部分には固く丸めたアルミホイルをしっかりと押し込んで、サイズだけは単一の電池を作る。本当に動くか疑問だったが、恐る恐る入れ替えてみると時計から作動音が聞こえた。

「良かっ……」

 しかし、長針も短針も一目盛り未満のところで振れるだけで、時間が進み始める様子がない。

「壊れちゃったのかな……」
「『時は細ありてこそ』」
「ん?」
「秒針が抜けてるから、うまく作動しないのかもしれない。どこかに落ちてないか?」
「どこかにって言っても……」

 そもそも、時計を動かして何の意味があるのだろう。ふいに気づいたが、折角なので雪佳はそのまま秒針探しに入る。ついでにまた何か異変を探そうと思いながら……思っていた。

「……見つかんない! どこにも無いよ」
「机の裏と脚、マットレスの裏、は見たか?」
「……見てないです」

 ……秒針はすぐに机の天板の裏から見つかった。

「で、ドライバーは持ってるのか?」
「うん、いつもここに……あれ、無い」
「OK。探せ」



 ◇◇◇



「よし、じゃ針つけてみるね」

 雪佳はようやくクローゼットの上から見つけたドライバーを手にした。ミニテーブルに置かれた時計にはアクリル板が嵌め込まれていて、普段は針の動く文字板部分に触れないようになっている。背面のネジを数個外して剥き出しになった文字板の中央に秒針を押し込んでみる、と、滑らかに針が動き始めた。普通の時計よりも進みが早いようだ。

「動いた!」


 その時、すぐ近くで音がした。見やれば、テーブルの上に、先程まではなかったはずの真新しい封筒が落ちている。

「ひゃっ」
「急に現れたな。なるほど、超常現象ってわけか」
「なな、なにこれ」
「開けてみたらどうだ? あの下水道業者の封筒だろ」
「う、うん」

 呪詛でも書かれていたらどうしようかと思いながら、雪佳は恐る恐る封筒を開いた。

 ◇

『皆様におかれましては今回の工事にご理解とご協力を頂き深く感謝申し上げます。さて、ただ今、予定より大幅に早く○○地区○○○ アリスハウス208号室の時間が動き始めましたため、工事が予定よりスムーズに終わることが予想されます。皆様にはご不便・ご迷惑おかけしておりますが、208号室のお客様含め、今しばらく、種々ご協力頂ければとお願い申し上げます』

 ◇

「どういう事……?」
「延びるならともかく早く終わるの知らせる必要あるのか謎。で、時計の事なんだろうな」
「時計を直したから、『時間が動き始めた』……?」
「比喩じゃないかもしれないぞ。外から差す光が微妙に動いてる」
「え」

 窓を指差されても、雪佳にはよく分からない。

「ま、早く工事するなら良いんじゃないか?」
「そういうもの……?」
「もしかしたらこの時計で8時になった時に来るかもな」
「ずっと止まってたズレてる時計だよ?」

 虚宮は不自由な状況で器用に肩をすくめてみせた。
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