輿乗(よじょう)の敵 ~ 新史 桶狭間 ~

四谷軒

文字の大きさ
84 / 101
第十五部 敦盛の舞

82 迫り来るもの

しおりを挟む
 織田信長は、まっすぐに善照寺砦に入ったわけではなく、まずは丹下砦に入ってから、それから善照寺砦に入ったと言われる。
 その善照寺砦には、守将として佐久間信盛が配置されていた。

「来て早々何でござるが、かんばしゅうない知らせでござる」

 信盛は沈痛な面持ちで、丸根と鷲津の両砦の陥落を告げた。
 特に丸根砦の佐久間大学盛重は同じ佐久間一族の勇将であるので、信盛としては気を落とさざるを得なかった。

「…………」

 信長もまた沈痛な面持ちである。
 海上から服部党、北条水軍が迫っている以上、早く今川軍に攻めかかりたい。
 されど、その攻めかかるところは、でないとならない。
 起伏に富む、に。
 なれば、そのためには。

「丸根と鷲津のは必要なことじゃった……。時……時が必要なのだ。今一番必要なを、丸根と鷲津は、稼いでくれた……」

「…………」

 信長としては、正当な評価を下して、もって報いているつもりである。
 だが信盛としては、それは分かるにしても、今は……今はその力戦奮闘を讃えるべきではないかと思う。
 ……このあたりの齟齬そごが、のちのち信長と信盛の関係にひびを入れていくのだが、それはまた別の話である。

「……して、敵は?」

「大高城を目指しておる様子ですが……」

 信盛は言葉を濁した。
 物見を放っているが、ある者は今川軍は大高城を目指してまっすぐ西に進んでいるらしいと言うが、またある者はそうではなく南回りで向かっていると言う。

「……で、あるか」

 予想通り、まずは「回復」の目的である、大高城にと進んでいるのか。
 あるいは、今川義元自身も決めかねているのか、大高城へは入らず、鳴海城を目指し、この善照寺砦をはじめとして、丹下、中嶋の砦をくだし、鳴海城周辺を「回復」した方が良いと考えているのか。

「いずれにせよ、輿こしの――今川義元の近くにて彼奴きゃつを見張っている簗田政綱やなだまさつなや木綿藤吉らから、話を聞かねば」

 信長はその場に座り込み、「寝る」と言って寝てしまった。
 あきれる信盛らであったが、帰蝶だけが、信長がそうやってに邁進していることを、知っていた。



 沓掛城。
 出陣する今川軍を見送るふりをして、簗田政綱と木綿藤吉は、城を出た。
 今川軍の進む方向に注視しつつ、元いた忍び小屋へと戻る。

「オウ、今、けえったぞ」

 間延びした声で木綿が言うと、無言で小屋の戸が開いた。
 政綱と木綿は焦りつつ、だがゆっくりと小屋に入った。

「長秀どの、戻りまいた」

 前田利家が、小屋に入って気が抜けてしまった木綿の肩をかつぎつつ、政綱に報告した。
 言われた長秀――毛利長秀が、政綱の前で一礼する。

「手前、清州にて信長さまに会いました。それで……」

 すでにこの場にいる毛利新介と利家は知っていることだが、長秀は丁寧に説明した。
 輿乗よじょうの敵・今川義元を討つことに決めたこと。
 その今川の双頭の蛇の胴体部分、服部党と北条水軍が迫りつつあること。

「猶予はありません。信長さまにおかれましては、善照寺砦にて、われらの合流を待つ、とのことです」

 何故待つのか、ということは言わない。
 それは――今川義元を捕捉し、その居場所に狙いを定めるためである。
 つまり、政綱や木綿らに、義元の「本陣」がどこになるか調べ推理せよと暗に言っているのだ。

「…………」

 政綱は少し考えた。
 このまま全員で尾行しても
 それよりかは、現時点で得た情報と推測を伝えるため、半数は善照寺砦に向かってもらう。
 そして。

にて、残り半数は合流する」

 そしてまず善照寺砦に向かう半数とは、毛利長秀と毛利新介、そして前田利家である。

「長秀どのには来て早々ご苦労だが、ここから先は野伏のぶせりの如く忍んで今川を追う。根っからの武者のそなたらは、

 政綱としては結構な諧謔かいぎゃくのつもりだったらしく、笑顔だった。
 木綿は渋い顔をしていたが、それでも不満を言うことは無かった。
 あとの面々は、この場の采配は政綱であることは、かねてから信長に申し付けられており、また、何よりも一刻の猶予もないことは百も承知であるので、善照寺砦へと向かうことにした。
 だが新介は疑問を呈した。

「……で、中嶋砦というのは」

「ああ、それか」

 政綱は懐中から地図を取り出した。
 地図上、中嶋砦を指し示す。

「今川が大高城に入るにせよ、鳴海城を目指すにせよ、この中嶋砦が一番近い。信長さまなら、きっと中嶋砦そこに向かわれるはず」

 信長に長年仕えて来た政綱は、ある程度信長の思考の癖をたどることができた。

「ではの。お互い、次は会えぬかもしれぬ」

「……ああ」

 政綱は信長の一の忍びであり、新介は信長の一の武者である。
 言葉少なでも、互いに通ずるものがあった。



 毛利新介、毛利長秀、前田利家らが馬を飛ばして善照寺砦へと向かい、しばらく経ってから、簗田政綱と木綿藤吉は行動を開始した。
 二手に別れたのは、何もこの段階での情報伝達のためばかりではない。
 新介らは、自分たちがおとりになることも承知だった。

「……この忍び小屋には、もう戻らぬ」

 今川軍・津々木蔵人の手の者か、何人かこの忍び小屋の様子をうかがっている者がいる。

「新介らを追った奴らもいるが……忍び小屋こちらを張っている者もいる。いいか、山仕事に出るをする。木綿、お前が先に出ろ」

「政綱どのは」

 木綿が野良姿になりつつ聞くと、政綱は無表情で答えた。

「……奴らを始末する」



 中嶋砦。
 織田信長、出陣の報にこの砦は湧いていた。
 中でも、客将である明智十兵衛と共に砦に来て、早速に最前線に陣した千秋季忠せんしゅうすえただは湧いた。

「あんまり興奮するんやないで」

 だが十兵衛は季忠の様子を浮足立っていると判じて、水を差した。
 十兵衛、季忠と共に来た、佐々政次もまた警戒するように言った。

「……すでに今川の先手さきてが見え隠れしているとの話もある。季忠どの、抜け駆けすまいぞ」

「……う、うむ」

 小豆坂七本槍のひとりである政次にそう言われると、季忠としても、首をすくめるしかない。
 だが季忠には、かつて熱田神宮で、信長の弟・織田信行と、かつての国主・斯波義銀しばよしかねを「会わせてしまった」という引け目がある。
 そして「信長包囲網」をめぐる陰謀により、織田信行は「死んだ」。
 季忠は「信長包囲網」について何も知らなかったことだし、(信長は誰にも言わなかったが)信行は実は生きているので、おとがめなしということで、これまで過ごして来た。

「……しかし、あの時、私がしなければ」

 その悔恨から、今回の今川とのに身を投じた季忠である。
 かつては海賊に計略を仕掛けて追い払った季忠であるが、その悔恨により、冷静さを欠いていた。
 ……このことが、季忠の命運を大きく左右することになる。



「出る」

 善照寺砦にて、座ったまま目を閉じて寝入っていた信長であるが、突如、目を開いて立ち上がった。
 ぎりぎりまで、簗田政綱らの合流を待っていたが、これ以上は無理だ。
 それに、政綱らの方でも現場の判断で動いていることもあろうし、これから信長の向かう先も、予想がついているはず。

「で、出るとは」

 砦の守将である佐久間信盛は突然の主君の言動に、面食らった。

「決まっておる。中嶋砦じゃ」

 行くぞ、と信長は甲冑を音立たせながら歩き出した。
 信盛は唖然としていたが、ではそれがしはと聞くと、信長から「ここにいろ」と返って来た。
 信盛が渋い表情をしているので、帰蝶が目配せした。
 信長は振り向いて言った。

「鳴海城の岡部元信は堅い。退き佐久間のお前がいないと、困る」

「……承知いたしました」

 鳴海城を囲む三砦のうち、鳴海城への対応は善照寺の佐久間信盛が指揮を執ることになっている。
 今、信長が今川義元本軍へ攻めかかるとして、その後背こうはいを岡部元信にかれるわけにはいかない。
 ……なぜなら、

「申し上げます!」

 これは信盛の弟にして、善照寺砦の副将・佐久間信辰さくまのぶときの声である。
 信辰の緊張した顔から、火急の、しかも良くない知らせであることがうかがわれる。

「……先ほど、熱田神宮の神人じにんの方が早馬にて参られ、熱田湊の沖に大きな船の群れを見た、とのよし!」

「…………」

 来るべきものがついに来たか、と信長は無表情でうなずいた。
 隣にいる帰蝶が、そっと肩に手を添える。

「……して、その神人はどうした。できれば話を聞きたい」

「そ、それが」

 信辰が周章しゅうしょうする。
 実はその神人は、信辰に伝えるだけ伝えると、「主に伝えなくては」とすぐに発った。

「その、主とは……大宮司である、千秋季忠さまである、と」

「何だと」

 季忠は信行のことを気にしているきらいがある。
 だからこそ、敢えて最前線に置き、思う存分働きをしてもらえるよう、気を遣った。
 それが、熱田沖に大船団などという報を受けたら、どうなるか。

「いかんな。下手に戦端を開かれたら」

 実は明智十兵衛、佐々政次、そして千秋季忠にはを仕掛けるよう言ってある。
 それによって、織田軍の戦略は、を数限りなく仕掛ける、というものであると誤認させるためだ。
 そのために、清州城にて、敢えて斯波義銀狙いであるという情報も洩らした。
 十兵衛ならその辺の詐術的なところはけているであろうし、政次は戦場勘の働く男である。
 ……そして季忠も、本来なら計略は得意とするところであるが、今、信行のことで気を悩まし、そして他ならぬ熱田に水軍が、という知らせを知ってしまったら。

「急ぎましょう」

 帰蝶の言葉に、信長はうなずいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

処理中です...