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第2章 ユルガルム領へ

第2章第016話 蟻

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第2章第016話 蟻

・Side:ツキシマ・レイコ

 早い物で、ユルガルムに来て一月です。
 普段はだいたい、領主館でまったりしたり、市場をふらふらしたりしていますが。定期的に小ユルガルムの方に出かけて、サナンタジュさん達に講義をしています。化学だけでなく、科学全般についてもいろいろ話をしました。
 ただ。長さ、重さ、時間、これらを正確に計ることが科学の根幹ですが、まずここがこの世界にはまったく足りません。まずは四桁の精度を目指しましょうと言ったら、絶望的な表情をしてました。四桁って、まだ一メートルを一ミリの精度でという程度ですよ。家具を作るにもそれくらいの精度は必要でしょ? え?現物合わせ? 
 赤竜神の世界では、物理の定数レベルだとなんと九桁なんてのも当たり前と言ったら、ちょっと絶望しています。

 コークスの作り方にしても、石炭を加熱する温度と時間は重要な要素です。どうやって温度を測るか、どうやって正確に時間を計るか。
 まずは実用的な時計からということで、振り子時計の原理を説明したら、参加していた職人さんが目を輝かせます。そう言えば、正教国には歯車式の時計はあるようで。機械式時計はどうも正教国の秘密のようですね?
 ただ。精度と量産、一見相反する要素を治具や工具でどう解消するか。まぁ、今のこの世界で出来ることと出来ないことがありますので、創意工夫に期待しましょう。それが科学です。



 ある日の昼過ぎ頃。領主亭に急報が入りました。

 コークスの可能性に注目して追加試掘を始めた石炭鉱山にて、魔獣が出たそうです。
 魔獣と言っても獣ではなく"蟻"だそうで。鉱山の底から大量に湧いて出てきたそうです。
 えらく唐突な話ですね。

 「その蟻が魔獣の類いなら、目的は人のマナのはずだ!。ともかく人員の避難を優先させよ!」

 ナインケル辺境候が指示を飛ばします。

 でかいと言ってもしょせんは蟻。サイズも人より小さいくらいで、一匹々々はさほど強くないのですが。なにせ数が多いそうで、石炭鉱山入り口の周辺は蟻で真っ黒。当然、警備の兵だけでは捌ききれないようで。石炭鉱山周辺の人員は全員避難したとのこと。
 もちろん領軍も追加で出撃しましたが。まだしも軍隊のように固まって進軍してくるのならともかく、わらわらと広がって匍ってくる蟻には、どうしても手が足りず。結局は小ユルガルム全域に避難命令が出ました。

 領軍は、避難誘導と救助で手一杯です。
 小ユルガルムから大ユルガルムに続く谷には、貨幣鋳造所の保全のための関所のような砦があるのですが。多勢に対処するには前線の縮小が必須と言うことで、その谷の砦が対蟻防衛の最前線になってしまったそうです。
 本来この砦は、大ユルガルム側"から"の敵に対しての防御施設のはずが、今回は逆に内側への防御施設となってしまいました。
 反対側の階段を急遽破壊したりなどで、辛うじて大ユルガルム側からの壁として機能しています。

 急遽、キャラバンの護衛にも応援の要請が来ました。もちろん私も出撃です。
 第一任務として、小ユルガルムの内側で遊撃をして、外輪山を越えようとしている勢力の阻止です。殆どの蟻が大ユルガルムの方に向かっては来ているのですが。一部が外輪山を越えようとしているようです。
 第二目標は、蟻たちを石炭鉱山へ押し戻すこと…ではありますが。ただ所詮はキャラバンの護衛戦力。遊撃はともかく、領軍でも裁き切れていない状況で、蟻を石炭鉱山へ押し戻すのは無理です。

 「奥様方は、万が一のために脱出の準備を。南への経路の斥候も出せ!」

 ダンテ隊長が騎士達に指示をします。脱出経路の確認にも人を出すようです。この辺の対応のために、エイゼル領の騎士達は蟻の対応には出られません。

 「いざというときには、ターナンシュ様は当然だが、ユルガルム辺境候の妻子の方々も共に脱出させる。追加の馬車の点検も急げ」

 「ダンテ殿、かたじけない」

 ウードゥル様がダンテ殿に礼を言います。
 貴族だけ逃げるのか?と言われそうですが。領民全部を避難させるのは、避難時間、避難先、避難先での物資を考えると現実的ではありません。
 大ユルガルムの街には、既に警報が出されています。最初は混乱もありましたが。砦が突破された場合には、領民に城を避難場所として解放するとナインケル辺境候が布告を出したおかげで、収まっています。
 もしそうなった場合は、ナインケル辺境候とウードゥル様は、領民と共に籠城して周辺領及びネイルコード王都からの救援軍の派遣を待つことなります。
 事態は、最悪を想定しておかないといけない事態になってきました。



 私も遊撃部隊に参加します。砦のある谷の脇の山に昇って、外輪山を峰伝いに進むことになりそうです。

 「レイコちゃん気をつけて!」

 って。どうしてアイリさんが砦に来ているんですか? あ!狼のバール君まで一緒!

 領主館の方で人手が足らないので、エイゼル市側の観測員かつ連絡員として派遣されたそうです。いざというときには、砦からすぐに領主館へ知らせに戻る予定だそうです。
 あ…トゥックルだ。鳥馬です。まさかこんな時にその子に乗りたいからって…

 「私は戦力にはならないからね。男の人より軽い分、鳥馬での斥候には向いているのよ!」

 適材適所ですね、分りました。でも、砦からは離れていて下さい。
 バール君は、アイリさんの護衛として、クラウヤート様が付けて下さったそうです。
 足は既に完治しています。砦までも、鳥馬について走ってきたそうです。魔獣との戦闘経験もある頼もしい護衛ですね。それにしても頭の良い子です、自分の役目はちゃんと分っているようです。

 外輪山を峰沿いに進みます。こうなると、木が伐採され尽くしているのは、むしろラッキーと言えるでしょう。蟻が移動する足場が足りずに登れきれなくまっていますし、見通しが良いので斜面を越えようとしている蟻がすぐに分ります。
 護衛部隊の人達と一緒に外輪山を一周して、鉄鉱石鉱山あたりから越えようとする蟻の小集団をいくつか潰しました。
 蟻で危険なのは、その顎です。咬む力は相当な物で、剣を噛み折られる人が続出しています。

 「ああくそ、良い値段したんだぞ!この剣は!」

 タルタス隊長も剣を折られたようで、予備のダガーに持ち替えています。
 ただ、蟻の首の構造は昆虫なみで、ここに一撃を加えることが出来れば、比較的簡単に倒せます。…首を狙うのなら、剣より鍬の方が向いてるんじゃないかな?この戦闘。

 私も、この街で買った装備を付けています。子供用の皮鎧というか。皮で補強された丈夫な服というか。
 "店で一番重たいダガー"を持っています。普通のダガーではすぐ折れますので。おかげで、蟻の牙にも耐えてくれています。

 しかし。いかんせん数が多すぎます。
 高所から見ていると、蟻の流れがよく分ります。このままでは小ユルガルムから蟻が溢れ、大ユルガルムの方に流れます。
 一体どれだけの蟻がいるのやら。そもそもこれだけの生き物がどうやって生きているのかもよく分りません。
 蟻が魔獣である、すなわちマナが関係しているらしいことは分りますが。マナを集めようとする習性はともかく、発生必要な量のマナをどこから?

 「クー…」

 空から偵察してくれていたレッドさんが戻ってきました。
 蟻の数の多さに、レッドさんも情報処理が過負荷気味です。私の分解能では、ここから見ても全体が真っ白です。辛うじて、石炭鉱山の方にでかい反応があるのは分りますが…
 レッドさんが石炭鉱山の近くを飛行して。鉱山の底の方に、地盤を通しても分るくらいの大きな反応があるのを見つけてきてくれました。
 私やレッドさんがいくら強くても、今この数の前では出来ることが限られます。蟻の巣に抜本的な一撃が必要でしょう。ここは、一旦砦に引き上げて作戦会議です。

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