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11.王城へ
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アルミオがクレーリアの手伝いに向かってすぐだった。
侯爵が一人で酒を傾けている談話室に、音もなく侵入した者がいる。
「パメラ、か」
「侯爵ともあろう者が、こんなに簡単に背後を取られて良いのか?」
「良くはないが、出来る者は少ない。そもそも屋敷の抜け道は娘すら知らんのだからな」
勝手知ったる様子で、パメラはグラスを手にして酒を注ぐ。
侯爵は背後の音でそれを察しながらも何も言わなかった。いつものことなのだ。
「彼は信用できるのだろうね」
「馬鹿正直な奴だよ。誰かに騙されることはあっても、騙すような真似ができるやつじゃない。そんな頭なんかないさ」
誉め言葉にはなっていない。
侯爵はパメラの評価に微妙な反応をして、彼女が傾けたボトルからグラスへと酒を受けた。
「あたしは、この時期に王都に行くのは反対だ。昨日も襲撃を受けたばかりだし、背後関係がまだわかってねぇ」
「だが、断るわけにはいかん。国王陛下のご希望なのだ」
しかし、王都から護衛を呼ぶとなれば目立ってしまう。
王が配下の護衛を大勢使ってクレーリアの守りを固めたとなると、他の貴族たちの余計な注目を集める。
「お嬢は王都見物をしたいなんて言い出さないだろうから、そのあたりは気楽だけどよ」
「あの子は自分の研究とその結果についてしか興味が無い。だが、それを知っている人物が敵にいるとなると厄介だ。……もし、王都で何か問題を見かけても、関わり合いになるなよ」
できるだけそうする、とパメラは言う。
「でも、約束はできないよ。お嬢が本気ならあたしは止められねぇ」
「その時はその時だ。万が一の時は……彼に死んでもらおう」
「同じ貴族なのに切り捨てるのかい?」
「騎士とはそういうものだ」
グラスを置いて、パメラは部屋を後にした。
「やっぱり、貴族ってのはいけ好かない連中だ」
と言い残して。
「私も、貴族が嫌いだよ」
侯爵家に男子はいない。貴族家を女性が継ぐことは問題ないが、一人娘であるクレーリアを、陰謀渦巻く中央の貴族社会に放り込まねばならぬのは心苦しかった。
「だが、我がソアーヴェ侯爵家の後継としては最適な素養がある。因果なことだ」
貴族家を裁く立場上、公明正大を基本としなければならないソアーヴェ侯爵家にとって、実証を以て事実を導き出す能力に長けたクレーリアの存在は天の采配にすら思えるものだった。
「陛下が理解者でいてくださるのであれば……」
国王がクレーリアの才能を高く評価しているのは、王に近い貴族たちの間ではよく知られている。社交界にこそ顔を出すことはないが、死体趣味を囁かれながらも排除の動きが少ないのはそのためだ。
しかし、王は永遠ではない。
後継者たる王子たちは、噂の方に引っ張られてクレーリアを評価していないと侯爵は聞いていた。
「問題が起きるのは好ましくない。だが……」
問題が発生し、クレーリアの腕前を目の前で見ることがなければ、王子たちの評価は覆らないだろう。
「まさか犯罪を用意するわけにもいくまい。何もないなら、それで良いのだ」
グラスを置いた侯爵は、軽く酔いが回ってはいたがしっかりした足取りで部屋を出た。
そのまま部屋の清掃と馬車の用意を命じ、クレーリアとの穏やかで満ち足りた昼食の時間を愉しむと、早々に王都の屋敷へと戻っていった。
数日後の娘との再会を楽しみにしながら。
「侯爵閣下は帰ったらしいよ。いや、ここも家だけどさ、あっちの家に」
侯爵が出たことを知らせたパメラは、室内でイルダたちと共に机にかじりついているアルミオを見つけてニヤニヤと笑って手元を覗き込んだ。
「おやおや、頑張っておいでじゃあないか」
「茶化すなよ。暇だったらパメラも手伝ってくれ」
書類の複写を始めてから五時間ほどだが、アルミオはすでに限界を感じていた。ちまちまと文字を書き続けることに不慣れなのもあったが、何より頻繁に登場する『擦過痕』やら『壊疽』やら『革皮化』やら、耳慣れないどころか初めて見る言葉に悩まされた。
知らない言葉、書いたことが無い言葉を書くのは何倍も疲れる。
これでクレーリアに意味を質問しようものなら、短くて十五分。長くて一時間近い解説と周辺用語の補足が始まるのだから、うっかり疑問を口にすることもできない。
「あっはっは。そりゃ無理だ」
「なんでだよ。三分の一でも良いんだが」
「あたしは文字の読み書きができないからね。残念でした」
「まじかよ……」
平民の、成人の識字率は都市部で六割。農村部になると三割以下にまで落ちると言われている。傭兵であるパメラにしても、契約は口約束が基本という世界だ。文字が読めずとも不思議ではない。
「そういう教育受けた奴が、こんな仕事してるわけないだろ」
「むぅ……」
「むしろあの双子の方が特別なのさ」
パメラが声を低くして指したのはイルダとエレナのことだ。
彼女たちの出自をアルミオは知らないが、平民であるのはわかっている。
「お嬢の教育もあって、その辺の学者よりよほど賢いんじゃないか?」
「そうかも……」
かなり偏った知識ではあるが、自分の研究に没頭する学者は元来そういうものだろう。騎士訓練校にも座学の講師でそういう連中が少なからず存在する。
中にはそういった講師に同調して騎士ではなく研究者になってしまう者がいるのだ。
「まあ、お前さんも引きずられてそっち側にならないように気を付けな」
「心配しなくとも、適正はなさそうだよ……」
アルミオは立ち上がり、今しがた書き終えた書類をイルダにチェックしてもらうのだが、いくつもの訂正指示を食らってすごすごと戻ってきた。
「な?」
「あっはは。たしかに」
アルミオの様子をひとしきり笑ったパメラは、自分の出番はないからとクレーリアに挨拶をして執務室を出た。
それからしばらくアルミオは忙殺されていてパメラと顔を合せなかったが、どうやらのんびりと過ごしていたらしい。
いくつかの標本と大量の書類を馬車に積み込み、ようやく自分の出発準備が出来たアルミオは、屋敷の玄関前で久しぶりにパメラと顔を合わせたのだが、ずいぶんと血色が良かった。
「随分と元気そうだな」
「そういうお前はかなり草臥れてるな。そんなんで護衛が務まるのか?」
「正直、自信が無い……王都に到着するまでは寝かせてくれ」
「なら、荷物用の馬車に乗っておきな。道中は任せておけ」
「助かる……」
言われた通り、車列の最後尾にある馬車へふらふらと歩いていくアルミオと同様に、イルダとエレナもなかなかに疲労感が明らかな顔を見せている。
「……籠城戦でそういう面をした連中を見たことがあるぞ。ちゃんと飯食ったか?」
「疲れすぎて食欲がありません……」
イルダの言葉に、エレナも頷いている。
仕方ないな、とパメラは彼女たちに硬く焼いたクッキータイプの保存食を渡した。
「水はあるだろ? 大してうまいもんじゃないが栄養はある。せめてこれくらいは移動中に食っておきな」
「ありがとう……」
彼女たちもふらふらと使用人用の飾り気のない馬車へと向かう。恐らく食べたら眠ってしまうのだろう。
「……で、お嬢はなんでそんなに元気なんだ」
「そうですか? いつも通りですが」
パメラはクレーリアを一種の化け物ではないかと感じていた。アルミオや双子たち以上に長い時間書類と格闘し、拝謁に向けた準備を進めていたにも関わらず、何一つ見た目が普段と変わっていない。
いや、むしろ顔色が良いようにすら見える。
「アルミオも双子ちゃんたちも限界だ。馬車はあたしと二人で乗ってもらうよ」
「ええ、構いません。道中の警護をお願いします」
スカートの裾をつまんで颯爽と乗り込むその後ろから、使用人たちが次々と書類を持って行くのを見て、パメラは「うえ」と声を上げた。
「おい、書類は後ろじゃないのか?」
馬車を覗き込んだパメラが見たのは、シートの両脇に書類を積み上げて、携帯用のガラスペンを取り出していたクレーリアの姿だった。
「あれはすでにまとまった分です。これから書くのは最近の実例からの考察と今後王都や他地域でも採用可能と思われる検査方法についてなどです。王都まで馬車で数時間あるのですから、無駄にはできません」
結局、意味不明な書類に囲まれての旅になってしまったパメラだったが、馬車が動き始めると時折外を確認するような動きをしつつ、警戒を怠ることはなかった。
「落ち着かないようですが、何か気になるのですか?」
「この前の襲撃事件な」
「あの実験池沼にコンタミ……汚染した件ですね」
「重要なのは池の方じゃねぇよ……たまには生きている人間の方にも目を向けてくれ」
死体試験場への侵入者が発生したのは初めてではない。
遺体に対する冒涜だとする反対派連中が押し寄せてきたこともあるし、前回のようなクレーリアを狙った刺客が来たことが以前にもある。
だが、そのいずれも発案者から実行犯までしっかり身元が確認できたのだ。今回のように完全なプロが雇われたのは初めてだった。
「今までとはちょいと状況が違うぜ」
「任せます」
「任せるったって、なぁ……」
「私はその方面の知識がありません。敵対したい貴族も居るようですが、私は他の貴族家のことは何も知りません。心当たりはありませんし、元より私がやりたいことを邪魔するような連中に感心を持つ気はさらさらありません」
だから、身を守ることに関してクレーリアは自分で役立たずだと自覚している。
「大体、科学の発展を目指す人間を邪魔するような連中、まともに相手するだけ時間の無駄です。実験用の動物を逃がしたり、機器のコンセントを抜いたりするような連中を権力と暴力で排除できるだけ、今はずいぶんマシなのですよ……!」
「何を言っているのかわかんねぇけど、恨みが溜まっているのはわかった」
クレーリアは、パメラと二人の時だけはこういう表情を見せることがある。
言っている内容については理解できないが、彼女の本質は研究生活の中にあるのであって、令嬢として着飾ったり社交界に出たりするようなところにはない。
「ふぅ……実のところ、今回は良い機会だと思っています」
「なんの?」
「国王陛下を通じて、王立研究所を作るという目標に関してです」
クレーリアは密かに考えていたことがある。
侯爵領で検視解剖の実績を積み上げることで、国内の誤認逮捕率を下げて検挙率を上げることで科学捜査の礎を作り、ゆくゆくは王国全土にしっかりとした警察組織を作ることを。
そのための人材育成の場として、王立の研究所なり学校なりを作ることまで考えている。
「教育に関してはイルダとエレナという優秀は助手がいてくれることで、説得力ができます。ベルトルドさんが上手に捜査資料をまとめてくれているので、それも王への説明に仕えるので助かります」
これまでは上手く事が運んでいる。
それは侯爵領内であり、クレーリアの権力が及ぶ範囲であるからだということを彼女自身が自覚していた。
「だからこそ、王国で一番権力のある国王陛下を説得することこそ、私の目標達成に一番の近道というわけです。それに……」
クレーリアはちらりと振り返った。
「アルミオ・ヴェッダさんという『外部の人』に私の研究を見せて反応を確かめることもできました。できれば、もう少し彼を観察する時間が欲しかったところですけれど」
「ったく、よくやるよ」
「やれる状況があるからこそ、なのです。権力の偏りについては思うところもありますが、権力を使って成せることなら、やってやろうという気にもなります」
鼻息荒く話している彼女の“目標”は、多くの人物には「理想」として伝えられてこそいるが、パメラ以外にはその具体的な内容を知る者はいない。
国王を利用してでも王国に解剖学を広めて検死をはじめとした科学捜査の礎を作る。
死体に触れることすら忌避される世の中であることを考えると気の遠くなるような目標だが、クレーリアはまだ8歳のころからこの目標を考えていたらしい。
「それをいよいよ王に伝えるか。侯爵閣下の願い虚しくって奴だな……」
問題は発生するだろう。その予感をパメラは苦笑いで覚悟していた。
侯爵が一人で酒を傾けている談話室に、音もなく侵入した者がいる。
「パメラ、か」
「侯爵ともあろう者が、こんなに簡単に背後を取られて良いのか?」
「良くはないが、出来る者は少ない。そもそも屋敷の抜け道は娘すら知らんのだからな」
勝手知ったる様子で、パメラはグラスを手にして酒を注ぐ。
侯爵は背後の音でそれを察しながらも何も言わなかった。いつものことなのだ。
「彼は信用できるのだろうね」
「馬鹿正直な奴だよ。誰かに騙されることはあっても、騙すような真似ができるやつじゃない。そんな頭なんかないさ」
誉め言葉にはなっていない。
侯爵はパメラの評価に微妙な反応をして、彼女が傾けたボトルからグラスへと酒を受けた。
「あたしは、この時期に王都に行くのは反対だ。昨日も襲撃を受けたばかりだし、背後関係がまだわかってねぇ」
「だが、断るわけにはいかん。国王陛下のご希望なのだ」
しかし、王都から護衛を呼ぶとなれば目立ってしまう。
王が配下の護衛を大勢使ってクレーリアの守りを固めたとなると、他の貴族たちの余計な注目を集める。
「お嬢は王都見物をしたいなんて言い出さないだろうから、そのあたりは気楽だけどよ」
「あの子は自分の研究とその結果についてしか興味が無い。だが、それを知っている人物が敵にいるとなると厄介だ。……もし、王都で何か問題を見かけても、関わり合いになるなよ」
できるだけそうする、とパメラは言う。
「でも、約束はできないよ。お嬢が本気ならあたしは止められねぇ」
「その時はその時だ。万が一の時は……彼に死んでもらおう」
「同じ貴族なのに切り捨てるのかい?」
「騎士とはそういうものだ」
グラスを置いて、パメラは部屋を後にした。
「やっぱり、貴族ってのはいけ好かない連中だ」
と言い残して。
「私も、貴族が嫌いだよ」
侯爵家に男子はいない。貴族家を女性が継ぐことは問題ないが、一人娘であるクレーリアを、陰謀渦巻く中央の貴族社会に放り込まねばならぬのは心苦しかった。
「だが、我がソアーヴェ侯爵家の後継としては最適な素養がある。因果なことだ」
貴族家を裁く立場上、公明正大を基本としなければならないソアーヴェ侯爵家にとって、実証を以て事実を導き出す能力に長けたクレーリアの存在は天の采配にすら思えるものだった。
「陛下が理解者でいてくださるのであれば……」
国王がクレーリアの才能を高く評価しているのは、王に近い貴族たちの間ではよく知られている。社交界にこそ顔を出すことはないが、死体趣味を囁かれながらも排除の動きが少ないのはそのためだ。
しかし、王は永遠ではない。
後継者たる王子たちは、噂の方に引っ張られてクレーリアを評価していないと侯爵は聞いていた。
「問題が起きるのは好ましくない。だが……」
問題が発生し、クレーリアの腕前を目の前で見ることがなければ、王子たちの評価は覆らないだろう。
「まさか犯罪を用意するわけにもいくまい。何もないなら、それで良いのだ」
グラスを置いた侯爵は、軽く酔いが回ってはいたがしっかりした足取りで部屋を出た。
そのまま部屋の清掃と馬車の用意を命じ、クレーリアとの穏やかで満ち足りた昼食の時間を愉しむと、早々に王都の屋敷へと戻っていった。
数日後の娘との再会を楽しみにしながら。
「侯爵閣下は帰ったらしいよ。いや、ここも家だけどさ、あっちの家に」
侯爵が出たことを知らせたパメラは、室内でイルダたちと共に机にかじりついているアルミオを見つけてニヤニヤと笑って手元を覗き込んだ。
「おやおや、頑張っておいでじゃあないか」
「茶化すなよ。暇だったらパメラも手伝ってくれ」
書類の複写を始めてから五時間ほどだが、アルミオはすでに限界を感じていた。ちまちまと文字を書き続けることに不慣れなのもあったが、何より頻繁に登場する『擦過痕』やら『壊疽』やら『革皮化』やら、耳慣れないどころか初めて見る言葉に悩まされた。
知らない言葉、書いたことが無い言葉を書くのは何倍も疲れる。
これでクレーリアに意味を質問しようものなら、短くて十五分。長くて一時間近い解説と周辺用語の補足が始まるのだから、うっかり疑問を口にすることもできない。
「あっはっは。そりゃ無理だ」
「なんでだよ。三分の一でも良いんだが」
「あたしは文字の読み書きができないからね。残念でした」
「まじかよ……」
平民の、成人の識字率は都市部で六割。農村部になると三割以下にまで落ちると言われている。傭兵であるパメラにしても、契約は口約束が基本という世界だ。文字が読めずとも不思議ではない。
「そういう教育受けた奴が、こんな仕事してるわけないだろ」
「むぅ……」
「むしろあの双子の方が特別なのさ」
パメラが声を低くして指したのはイルダとエレナのことだ。
彼女たちの出自をアルミオは知らないが、平民であるのはわかっている。
「お嬢の教育もあって、その辺の学者よりよほど賢いんじゃないか?」
「そうかも……」
かなり偏った知識ではあるが、自分の研究に没頭する学者は元来そういうものだろう。騎士訓練校にも座学の講師でそういう連中が少なからず存在する。
中にはそういった講師に同調して騎士ではなく研究者になってしまう者がいるのだ。
「まあ、お前さんも引きずられてそっち側にならないように気を付けな」
「心配しなくとも、適正はなさそうだよ……」
アルミオは立ち上がり、今しがた書き終えた書類をイルダにチェックしてもらうのだが、いくつもの訂正指示を食らってすごすごと戻ってきた。
「な?」
「あっはは。たしかに」
アルミオの様子をひとしきり笑ったパメラは、自分の出番はないからとクレーリアに挨拶をして執務室を出た。
それからしばらくアルミオは忙殺されていてパメラと顔を合せなかったが、どうやらのんびりと過ごしていたらしい。
いくつかの標本と大量の書類を馬車に積み込み、ようやく自分の出発準備が出来たアルミオは、屋敷の玄関前で久しぶりにパメラと顔を合わせたのだが、ずいぶんと血色が良かった。
「随分と元気そうだな」
「そういうお前はかなり草臥れてるな。そんなんで護衛が務まるのか?」
「正直、自信が無い……王都に到着するまでは寝かせてくれ」
「なら、荷物用の馬車に乗っておきな。道中は任せておけ」
「助かる……」
言われた通り、車列の最後尾にある馬車へふらふらと歩いていくアルミオと同様に、イルダとエレナもなかなかに疲労感が明らかな顔を見せている。
「……籠城戦でそういう面をした連中を見たことがあるぞ。ちゃんと飯食ったか?」
「疲れすぎて食欲がありません……」
イルダの言葉に、エレナも頷いている。
仕方ないな、とパメラは彼女たちに硬く焼いたクッキータイプの保存食を渡した。
「水はあるだろ? 大してうまいもんじゃないが栄養はある。せめてこれくらいは移動中に食っておきな」
「ありがとう……」
彼女たちもふらふらと使用人用の飾り気のない馬車へと向かう。恐らく食べたら眠ってしまうのだろう。
「……で、お嬢はなんでそんなに元気なんだ」
「そうですか? いつも通りですが」
パメラはクレーリアを一種の化け物ではないかと感じていた。アルミオや双子たち以上に長い時間書類と格闘し、拝謁に向けた準備を進めていたにも関わらず、何一つ見た目が普段と変わっていない。
いや、むしろ顔色が良いようにすら見える。
「アルミオも双子ちゃんたちも限界だ。馬車はあたしと二人で乗ってもらうよ」
「ええ、構いません。道中の警護をお願いします」
スカートの裾をつまんで颯爽と乗り込むその後ろから、使用人たちが次々と書類を持って行くのを見て、パメラは「うえ」と声を上げた。
「おい、書類は後ろじゃないのか?」
馬車を覗き込んだパメラが見たのは、シートの両脇に書類を積み上げて、携帯用のガラスペンを取り出していたクレーリアの姿だった。
「あれはすでにまとまった分です。これから書くのは最近の実例からの考察と今後王都や他地域でも採用可能と思われる検査方法についてなどです。王都まで馬車で数時間あるのですから、無駄にはできません」
結局、意味不明な書類に囲まれての旅になってしまったパメラだったが、馬車が動き始めると時折外を確認するような動きをしつつ、警戒を怠ることはなかった。
「落ち着かないようですが、何か気になるのですか?」
「この前の襲撃事件な」
「あの実験池沼にコンタミ……汚染した件ですね」
「重要なのは池の方じゃねぇよ……たまには生きている人間の方にも目を向けてくれ」
死体試験場への侵入者が発生したのは初めてではない。
遺体に対する冒涜だとする反対派連中が押し寄せてきたこともあるし、前回のようなクレーリアを狙った刺客が来たことが以前にもある。
だが、そのいずれも発案者から実行犯までしっかり身元が確認できたのだ。今回のように完全なプロが雇われたのは初めてだった。
「今までとはちょいと状況が違うぜ」
「任せます」
「任せるったって、なぁ……」
「私はその方面の知識がありません。敵対したい貴族も居るようですが、私は他の貴族家のことは何も知りません。心当たりはありませんし、元より私がやりたいことを邪魔するような連中に感心を持つ気はさらさらありません」
だから、身を守ることに関してクレーリアは自分で役立たずだと自覚している。
「大体、科学の発展を目指す人間を邪魔するような連中、まともに相手するだけ時間の無駄です。実験用の動物を逃がしたり、機器のコンセントを抜いたりするような連中を権力と暴力で排除できるだけ、今はずいぶんマシなのですよ……!」
「何を言っているのかわかんねぇけど、恨みが溜まっているのはわかった」
クレーリアは、パメラと二人の時だけはこういう表情を見せることがある。
言っている内容については理解できないが、彼女の本質は研究生活の中にあるのであって、令嬢として着飾ったり社交界に出たりするようなところにはない。
「ふぅ……実のところ、今回は良い機会だと思っています」
「なんの?」
「国王陛下を通じて、王立研究所を作るという目標に関してです」
クレーリアは密かに考えていたことがある。
侯爵領で検視解剖の実績を積み上げることで、国内の誤認逮捕率を下げて検挙率を上げることで科学捜査の礎を作り、ゆくゆくは王国全土にしっかりとした警察組織を作ることを。
そのための人材育成の場として、王立の研究所なり学校なりを作ることまで考えている。
「教育に関してはイルダとエレナという優秀は助手がいてくれることで、説得力ができます。ベルトルドさんが上手に捜査資料をまとめてくれているので、それも王への説明に仕えるので助かります」
これまでは上手く事が運んでいる。
それは侯爵領内であり、クレーリアの権力が及ぶ範囲であるからだということを彼女自身が自覚していた。
「だからこそ、王国で一番権力のある国王陛下を説得することこそ、私の目標達成に一番の近道というわけです。それに……」
クレーリアはちらりと振り返った。
「アルミオ・ヴェッダさんという『外部の人』に私の研究を見せて反応を確かめることもできました。できれば、もう少し彼を観察する時間が欲しかったところですけれど」
「ったく、よくやるよ」
「やれる状況があるからこそ、なのです。権力の偏りについては思うところもありますが、権力を使って成せることなら、やってやろうという気にもなります」
鼻息荒く話している彼女の“目標”は、多くの人物には「理想」として伝えられてこそいるが、パメラ以外にはその具体的な内容を知る者はいない。
国王を利用してでも王国に解剖学を広めて検死をはじめとした科学捜査の礎を作る。
死体に触れることすら忌避される世の中であることを考えると気の遠くなるような目標だが、クレーリアはまだ8歳のころからこの目標を考えていたらしい。
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