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第三章

その十一 タルタロス:暗き日曜日

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 ガンマがふうと息を吐いた。
「その通りだ。僕の依頼主はそれを憂いていてね。今度大戦を引き起こされたら、世界はとんでもないことになってしまう、とね。 
 マヤちゃん、君は最悪の兵器の秘密の一端を担っているんだよ」
 マヤが頭を振った。
「あのクソ大公……世界中を脅迫して、征服でもするつもりなのかよ?」

 ラヴクラフトが静かに頭を振った。
「もっと性質が悪いのですよ。
 ここに居るツァン氏は無名のヴィオル奏者です。何故無名なのかといいますとね、それは彼が魔術師だからなのです」
 マヤはギョッとしてツァンを窺う。
 ツァンは肩を竦めた。ラヴクラフトが続ける。
「ツァン氏は現代では少なくなった魔術師の中でも、更に少なくなった降神術の使い手なのです。
 この方ははヴィオルの音色を使い自分の魔力を増幅させ、神を呼び、神託を受けるのです。それで残酷大公に目をつけられた」
 ジャンの顔が歪んだ。
「おい、まさか――」
「そうです。残酷大公はツァン氏の音楽を改変し、それをレコードにして、全世界で売りさばこうと計画していたらしいのです。
 ツァン氏はご自身で神託を受け、逃亡し、私がこうして保護しているわけです」
 マヤが眉をひそめた。
「え? そんなとんでもない状況で、なんでここに……」
「灯台下暗しというでしょう? 残酷大公の足元のこここそ、残酷大公にとって一番見えない場所なんですよ。ちなみに、試作品が数百枚作られ、その九割が破棄されましたが、未だ全部廃棄にはならず、ここにも一枚――」
 ラヴクラフトは椅子の下に置いた鞄から、一枚のレコードを取り出し、テーブルに置いた。
 マヤは手に取ると、少し眼鏡をずらす。途端に、反吐を吐きそうな感触が下っ腹に湧き上がった。

「うっ……と」
 マヤは眼鏡を戻すとレコードをテーブルに置いた。粗雑な印刷が施された紙のケースには、髭文字のフランス語で、大きくタイトルが書かれている。
「『暗き日曜日』……売れなさそうなタイトルですね」
 ラヴクラフトは微笑んだ。
「そうですね。だが、無視できないタイトルでもある。大戦後の不穏な欧州の空気を、ずばりと表していると思いませんか?」
 ジャンは腕を組んだまま、レコードには触ろうともしなかった。
「これを聞くとどうなるんだ?」
 ガンマがジャンを見た。
「邪神の一部――まあ、爪の先程だけど、ともかくそれが降臨し、その場にいた人間はもれなく発狂してショック死か自殺だね」
「……確率は?」
 ジャンの質問に、ガンマはふすっと笑った。
「なんと六割さ。結構なもんだろ? 
 残酷大公はこれの全世界同時発売を目論んでいた。ツァン氏が逃亡したせいで、精度が六割に抑えられてしまったから、発売は見合わせた……らしい」
 溜息をつくジャンの横で、マヤは目を瞬かせた。
「……じゃ、じゃあ、なんだ、あいつは――世界中の人間を殺す気なの?」

 ガンマはすっと姿勢を正すと、マヤの目を真っ直ぐ見つめた。
「その通り。
 戦争と集団自殺の連鎖攻撃だ。
 原因が子供と音楽じゃあ、誰が止められるって言うんだい? 
 片方は潰れたけどね、それだって、始まったらどれだけ被害が出るか想像もつかないよ。
 しかも、この実情を完全に知っているのは、今この場にいる僕らだけ。各国の諜報員達だって、ここまでは到達していないんだ。精々『マヤちゃんが、凄い兵器の一部』ってところだろう」
 マヤは頭を振った。
「そんな呑気な事を言ってる場合じゃないよ。世界が終わるかもしれない瀬戸際じゃないか……」
 ガンマは、ふすっと鼻を鳴らすと、テーブルの中心に移動した。
「……さて、ここらで僕の目的を話そうかな。
 僕は――残酷大公の計画を、全てを潰そうと思ってる」
 マヤが怒り顔で、うんうんと頷く横で、ジャンは眉をひそめた。
「そう依頼されたのか?」
「それは伏せておこう。
 ただ、僕は僕の意志で、ソドム及び残酷大公を始末したいと思ってる。
 でも僕の力は非常に弱い。だから君達を巻き込んだ。
 すまないとは思ってるが――まあ、二人とも、僕が何もしなくても、今と大して立ち位置は変わらなかったんじゃないか……と思うけどねえ」

 ジャンがにやりと笑った。
「ふん、結構な話だが、肝心な事を二つ聞いてないぞ。お前の報酬と、お前がそう決断するに至った心情って奴だ」
 ガンマは姿勢を低くすると、腰をふるふると振った。猫が何かに飛びかかる直前の動きである。
 マヤは場違いながら、成程ガンマさんはよく猫を研究している、と感心した。
「僕の報酬は、賢者の石だ」
 マヤはさっと手を伸ばすと、ガンマの顎下を撫でた。ツァンがふっと小さく笑った。
 ゴロゴロ言い始めたガンマを見ながら、マヤはううむ、と唸った。
「賢者の石って、確か錬金術で作る――なんだっけ?」
 ジャンが肩を竦めた。
「何でもできる石って思っとけば間違いない。おい、ガンマ、それがここにあるのか?」
「ああ、そう聞いてる。残酷大公が作ったのか、それとも――まあ、ともかく魔力の塊らしいと依頼書に書いてあってね、それを飲み込めば、もう魔力を補充する必要がなくなる。
 ……それと僕の心情だけど――」
 ガンマは体の一部をほどくと、家のような形にした。
「お隣さんが一人もいないんじゃあ、家を持っても面白くないだろう?」
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