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第三章

その十二 タルタロス:田舎娘、遂に深淵を覗きこむ

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「あそこに行きたいとはね……言っとくが、このソドムにおいて、一番ヤバいと噂される場所だぞ。従業員としてはお勧めしないね」
 ヨハンセンが渋い顔でジャンを睨んだ。
「しかも、お嬢さんと一緒ときた! まったく! 男というものは危機から女性を守る物であって……」

 ジャンは溜息をつくとロングデイに目をやる。ロングデイは頷くと、木戸を開き、脇によけ、ダイアナとレイを廊下に入れた。
「へいへい、俺達に案内してほしいって? どこだい? 今なら安くしとくぜ~」
 ロングデイがぎろりと睨むと、レイはさっとダイアナの影に隠れた。ジャンが喋り続けるヨハンセンを無視して、ダイアナの前に立つ。
「残酷大公の像の土台だ。あそこに行きたい」
「……それは中に入りたい、ということでよろしいですか?」
 マヤが腰を屈め、ダイアナの顔を見る。ダイアナはさっと視線を逸らした。
「中に入れるの? あたしらは、あれが何なのか確認してぶっ壊すつもりなんだけど」
 レイが口笛を吹いた。
「あそこなら良く知ってるぜ。残酷大公が定期的にあそこに通ってるってのも知ってる。
 俺の昼寝する場所はエレベーターシャフトでさ、あいつは時々ガラス張りのエレベーターで船底まで下りてくんだよ。三度ほど追っかけたな」
 ロングデイが凄い勢いでレイの肩を掴む。
「何を考えているのですか! あの男は危険だと言ったでしょう!」
「だ、大丈夫だってば。双眼鏡で離れた所から見てただけだから」
 ヨハンセンがため息をつき、まだ何か言いたげなロングデイを優しく引き離した。

 ガンマがジャンの肩にひらりと乗った。
「時間が無い。階層警察はいずれここにやってくる」
 マヤが先程までいた部屋を振り返った。
「じゃあ、あの三人を――」
「問題ないよ。ラヴクラフト氏は既に『去った』よ。テスラ氏に関してはヨハンセン夫人にお任せする。よろしいかな?」
 マヤは真っ暗になっている部屋を覗いた。テーブルと奥のベッドに寝るテスラはそのままだったが、ラヴクラフトとツァンは影も形もなかった。

 一時間後、マヤ達はエレベーターシャフトに到着した。
 鉄骨を組んだ立坑で、螺旋状の階段が並走し、ずっと下まで続いている。作業用の電灯があちこちで明滅しているが、如何せん弱々しく、泥のように下に溜まった闇を退ける事は出来ていない。

 マヤは手摺を掴むと、体を乗りだし、その闇を――深淵を覗きこんだ。
 きりきりと、こめかみが痛くなってくる。
 何か――何かが下にうずくまっているような感じがした。
 酷く大きく、酷く禍々しい何かが――

 ジャンに肩を叩かれ、マヤは、はっとして手摺から離れた。
「下に何か――」
「行ってみればわかる。だから、あんまり覗き込むな」
 マヤは目を瞬かせ、うん、そうだなと弱々しく答えた。
 
 正直――行きたくない……。

 レイは下を指差した。
「このまま階段を下れば行けるぜ。ただ、案内はここまで。これ以上行ったら、またロングデイさんに怒られちまう。
 大体、下は嫌な噂が多いんだ。悲鳴が聞こえるとか、幽霊が出るとか……」
 マヤは眼鏡をずらすと、手摺より向こうに行かないように、ちょっとだけ再び下を覗いた。
 どんよりとした水を、目を細めて覗く感じ。
 渦巻くように何かがうねっている感じ。
 何か小さな音がする、と辺りを見回し、ようやく自分が発生源だと気付いた。眼鏡がちりちりと細かく震動しているのだ。

 この下は、普通じゃない。やっぱり、あたしはこの下に行きたくないって思ってる……マヤはジャンの腕にしっかりと腕を絡ませた。
 でも、行かなければならないんだ。
 絶対に行かなければ……。

「それは、どんな幽霊だったんだい?」
 ガンマの問いに、ダイアナがぼそりと「聞く限り、幽霊じゃないわ」と言い、そっぽを向くと、来た道を引き返していった。
 レイは肩を竦めて決まり文句を口にした。
「あいつの態度を許してくれよ。
 で、その幽霊だがね、女だったんだな。真っ赤な目をしてて、その友達に気が付くと、手招きをしたっていうんだな。美人だったんだと。
 で、その赤い目を見てると、ついふらふら~っと歩きだしそうになってさ、その時、残酷大公が例の演説を始めてさ、ここにもスピーカーがあるんだけど、それで、はっ! として止まったわけよ。
 そしたら、その女、すげえ唸り声を上げて走ってきやがった! その時にそいつが口を開けたら……」
 マヤは中腰でごくりと唾を飲み込んだ。そんな反応にレイはもったいつけたように溜めると、一気に大声を上げた。
「でかい牙が生えてた! 犬釘みたいなでっかい歯だ! そう! 吸血鬼さ!」
 マヤがぎくっと体を硬直させ、ちょっと躓いたのを目にして、レイは満足そうに笑った。
「はっはっは! ねーちゃんは脅かしがいがあるなあ! ダイアナなんて『ふーん、でも残酷大公よりは人間味があるんじゃない』だもんな!
 まったく、巧い事言うもんだぜ!」

 ジャンとマヤ、そしてガンマはゆっくりと階段を下って行った。
 寒くなってきた、とマヤは感じた。
「吸血鬼……って、本当にいるの?」
 マヤの問いにジャンは頷いた。
「ああ。何度か交戦したこともある。厄介だよ。恐ろしく強い」
「ふうん……。
 あ! もしかして残酷大公って吸血鬼とか? なら、あの不死身っぷりも納得だね!」
「いや……吸血鬼は心臓が弱点だ。残酷大公は心臓すら再生させてたろ」
「あ……じゃ、じゃあ、打つ手なし?」
「いや、お前も見た通り、あいつは『高速では再生できない』んだ。高速化させるのには、あの紅い液体――血清とか言ってたあれが必要なんだ。だから、あれを打たせないようにして、徹底的にあいつの肉体を破壊すれば――まあ、並みの攻撃では無理だろうが……」
 ガンマがふすっと息を吐いた。
「それについては、策がある」

 ジャンはガンマを見下ろした。
「……聞こうか」
「残酷大公の不死について、君達の見解は間違ってはいない。
 だが、今の君達の力や武器では、あれを殺しきるのは不可能だ。だから――」
 ガンマは、彼と彼の依頼人が残酷大公に何を仕掛けるのかを話した。
 ジャンとマヤは聞き終ると、顔を見合わせ、しばらく無言だった。
「……成功するのかな、それ」
「……わからん。だが――そうでもしなけりゃ、勝てそうもないな」
 マヤは頭を掻くと、大変そうだなあ、と呟いた。
 そんなマヤにジャンは静かに、そしてはっきりと宣言した。
「一応言っておく。俺はお前の父親を殺すつもりだ。
 何か意見があるなら、聞こう」

 マヤはジャンの顔を見て、それから足元を見た。
「……嫌と言えば嫌な話だな。母さんは母さんじゃなかったわけだし。実の父親はあんなだし……。
 あいつが死ぬと、あたしは天涯孤独って奴か……。
 レイの言いぐさじゃないけど、生きるのって大変だな」
 マヤは苦笑いを浮かべると、ジャンの腹をポンポンと叩いた。
「ま、やっちゃってちょうだい。子供を殺す奴は容赦の必要なし」
 ジャンはマヤを見つめた。
 マヤもジャンを見上げる。
 ジャンが口を開こうとした時、足元にいたガンマがあくびをした。
「ふわぁ……。あのね、二人とも、良い雰囲気の所、非常に悪いんだけども、下から感じられる魔力が膨れ上がったよ。これは先を急いだ方がいいかもしれない」
 ジャンは懐を探ると、汽車で見せたあの探知機を取り出した。
 針は凄まじい速度で回転し、鈍い唸りをあげている。

 マヤは、更に気温が下がったのに気がついた。
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