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第十三章 ウィルフレッド

ウィルフレッド 第三節

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自分が何故、路地のゴミの傍で泣いていたのか、もう覚えていない。養う金がなくて捨てられたのか。親たちが仕事帰りで交通事故、または強盗かギャング達の闘争に巻き込まれて野垂れ死になり、孤児となってさ迷っていたのか。可能性はいくらでもあったが、今となってはどうでもよかった。

体は寒さに震え、飢えと心細さがまだ幼い自分を苛むなか、俺は胃の中のものを吐き出すほど懸命に泣いた。こうすれば誰かが自分を助けてくれるだろう、親が戻って自分に大丈夫と撫でながらなだめてくれるのだと心の中で信じていた。

けれど、目一杯泣き声を出しても親は来なかった。振り返ってくれる人もいなかった。返事してくれるのは、体に打つ冷たい酸性雨だけ。飲み込まれそうなほどの人波に無視し続けられ、この世界で誰も自分を気にかけてくれない事実が、幼い自分の心に強く圧し掛かった。あの時感じた恐怖や孤独感は、例え今でも心から消えることはなかった。

やがて泣き疲れた自分はその場を離れた。大通りでなく路地の中に入ったのは、ひたすら歩き続ける高い人達の中に入ったら、無視されて踏みつぶされそうな恐怖を感じたからだ。

帰れる場所がある訳でもなく、ゴミから漁った合成食料の残滓を食べ終わった自分は、そのまま路地裏の中でうずくまって震えては嗚咽し続けていた。

「…きみ、かえる家ないんだね」
自分と同じぐらい小汚い子供が傍から俺に声をかける。
「死にたくなかったらついてきて」
拠る所のないストリートキッズからの誘いだった。拒む理由はなかった。


******


「いいかっ、大人から盗んだ食べ物とかは必ずリーダーのところにもってくるように!リーダーがちゃんと公平に分けるからな!」
自分達の中で14歳ぐらいの一番年長な子供達が、大人から盗んだ拳銃を挙げて仕切るように俺達に命令した。

そこは、シティの繁華街から少し離れた住宅区を横切る巨大なハイウェイの下、半分廃棄された建造物の陰で隠れるように拙く建てられたテント群で、俺達は『住家』と呼んでいた。ギャングや市警などから逃れるよう孤児達が集まって作られた隠れ家だ。

孤児たちがもしストリートのギャングに出会った場合、大抵特別な施設に売られて金にされるか、憂さ晴らしのサンドバックになる場合が殆どだ。自分の勢力下に吸収するギャングもなくはないが、大抵は道具として利用されて碌な目に会わないし、よくしてくれるギャングなんて一等賞以上に希少な例だ。だから孤児たちがこうして集まって生き延びようとすることは自然な流れだった。

この団体の中で、俺は自分を最初に見つけてくれた子ヘンリーによって『フレディ』という名前を貰った。姓は付けられていない。これはここの孤児たちの間で決められたルールで、自分達を捨てた非情な大人達みたいにはならないという決意の現れ、そしてそんな彼らのことを許すなという戒めのためでもあった。

だが群を成せたといって、これで生活が楽になるなんてことはなかった。
「このコソドロめが!うちのブツを盗みおって!」
「うわああぁっ!」
店や露店で食べ物とかを盗む時はいつも命がけだった。大人達に捕まれば、運がよければ殴打で終わるか、悪ければやはりその場で殺されるか、シティの警察機構に差し出され、これまた別の特別な施設送りになる。

無事調達した食料は均等に配られるとはいえ、その日の成果次第で食べられるのが合成クッキー一枚だけという日も珍しくはない。そんな時は決まって別の戦いが起こる。

「おまえっ、それをオレにくれ!」
「やだよっ!これは僕の分だっ…、うあっ!」
分配し終わった食料を、年長の子が他の小さい子から奪っていた。
「このこと、リーダーに言ったらまた打つからなっ!」

キッズ達には一応、互いの取り分は奪ってはいけないなどの規範はあるが、リーダー達に知らされなければ無法は通る。俺もあの頃はまだ体が弱く、腕っ節の強い子にはよく食べ物を奪われていた。

ガラクタ製の小さなテントの中。俺は一切れのボロ布とダンボールの紙を被りながら、同じテントにあてがわれ、食料を奪われたばかりのもう一人の子ダニーのすすり泣く声を聞いていた。
「う…、うぅ…」
テントの外から寒い隙間風が吹き込んで、俺と彼は寒さで震えだし、ボロ布をより一層強く握りしめる。

自分達のいるシティは良く雨が降るし、気温も低めで、ダンボールや鉄板などで作ったテントや小屋では寒さを凌げることなぞ当然できなかった。飢えと寒さで死にそうと思った矢先に、同じこのテントで住むヘンリーが入ってくる。

「ダニーっ、フレディっ」
ダニーが泣き過ぎて掠れた声で応えた。
「ヘンリー…?」
「あんたら腹減っただろ?ほら、これ」
ヘンリーが懐から一つの合成肉の缶詰を取り出して僕達に渡してくれた。俺は思わず目を見開いた。

「ちょっ、これどこで手に入れたのっ?」
「今日の俺の分だよ。二人とも、今日の分はテッドの奴らに取り上げられてまだ何も食べてないだろ?」

ダニーが心配そうに彼と缶詰を見る。
「で、でもっ、それじゃ君が…」
「いいんだよ。俺にはまだこの前貰った分が少し残ってるからさ。早く食べな」

ヘンリーの顔を見て戸惑うも、あまりの飢えで俺とダニーはすぐさま缶詰を開けてはがつがつとその中身を食べ、そのさまをヘンリーは嬉しそうに見守ってくれた。

俺を見つけてくれたヘンリーは、ここの子供達の中でも一際正義感が強く、時折こうして食料を分けてくれたり、俺とダニーをかばって他の子と喧嘩したりした。俺とダニーにとって、彼は正に俺達の兄貴分で、憧れの人だった。食料不足でまともな食事ができない日が続いたあの時もそうだった。

「二人とも起きろ!」
ある日の真夜中、珍しくぐっすりと寝てる俺とダニーのテントに、リーダーが数名のガードと一緒に入ってきた。訳も分からずたたき起こされた俺達は震えながらリーダーの前に並ぶ。
「さきほど食料庫から食べ物が盗まれた!盗人がこのテントに入ったのを見たとの報告があったが、二人の誰がやたんだ!?答えろ!」

自分達よりも遥かに年長のリーダーとその部下達の恐ろしい剣幕に、俺とダニーは答えられずに震えていた。そんな時にヘンリーがいつものようにテント内へと割ってはいる。
「待ってくれ!さっきのは俺がやったんだ!」
「「ヘンリーっ?」」
俺とダニーが怪訝して声を上げた。ヘンリーは黙ってと言わんばかりの眼差しを俺達にすると、いつものように真っ直ぐとリーダーに向かって毅然と立つ。

「盗んだのがあんただって?」
「そうだっ!だから文句があるなら俺に言え!二人は無実だ!」
「一応聞くよ…なぜ食料庫のものを盗んだ?」
「テッドが俺やダニーたちの食料を奪ったからだよ!ついでだ、俺はここでテッド達を告発する!あいつのせいでダニーとフレディはいつも虐められてきて、碌に食事もできない日もよくあった!それが本当かどうか、あいつとその仲間に聞いてみろ!」

あの時のヘンリーの顔は今でも覚えている。自分達より少しだけ年長とはいえ、その年では思えない凜とした風格で不平を訴える彼は、シティの底辺に生きる俺達にとって正に何よりも頼れる正義の象徴だった。


パァンッ!

「「うわぁっ!」」
乾いた銃声と俺達の悲鳴がテント内で響き渡った。何が起こったのか理解できなてないヘンリーがそっと自分の胸に触り、赤い血が小汚い彼の服を濡らし、やがて崩れ倒れていく。俺とダニーはただ呆然と見つめるだけだった。

「おかしいな。さっき盗人のことを通報したのが正にテッドで、彼は前から君が食料をくすねてることを疑っていたんだ。あんたが彼に罪をでっち上げることも予想していた」
発砲したリーダーを見つめるヘンリーの見開いた目は、程なくして動かなくなった。

「うわああっ!ヘンリー!」
「ヘンリー!」
「いいかっ!これは見せしめだ!大人達の圧政から俺達が生き延びるためには、規律は絶対でなければいけないんだ!そして大事な食料庫を漁った罪は死刑!それを忘れるな!」
リーダー達がテント内の食料を全部取り上げると、その場を離れた。死体となって徐々に冷たくなっていくヘンリーの体を、泣きながら揺さぶり続けた俺とダニーを残して。

――――――

渋滞したハイウェイで鳴り響く電子クラクションの音と、ゴウゴウと熱気を排気し続ける建物外のラジエーターの騒音。夕方に、天を覆う暗雲が異様な色彩を発している。そんな空の下、ヘンリーの死体の処理を指示された俺達は、さならがコンクリートの檻をなすかのような摩天楼群の隙間にあるゴミ捨て場で処理をし終わっては、暫く路地の裏で言葉も交わさずに座っていた。

似たような出来事や俺達みたいな子なんざ、今の地球ではどこにでも見られるし、こうしていきなり命を失くすこともごくありふれた光景だが、それでも、悲しみが消える理由にはならなかった。

「うぐっ、ヘンリー…っ、ヘンリィー…っ」
未だに嗚咽しているダニーの傍で、同じ涙を堪えながら、俺は空に浮ぶ月を見上げた。この冷たい摩天楼の牢獄の中で、数少ない俺の心を躍らせる月のコロニーの明かりでも、今の俺の心を慰めてはくれなかった。

――――――

間もなくして冬が到来した。積もるほどにはならない、重金属を含んだ雪がしんしんと降り、時折吹く夜風が住家をいっそ寒くさせる。
「うぅ…うぅぅ~…寒い…寒いよぉフレディ…」
「しっかりしてダニー…っ」

俺とダニーは他の子ども達と一緒にゴミなどを燃やしたドラム缶の傍で、濡れないように注意しながらありったけのボロ布やダンボールの切れ端を被り、互いに寄り添いながら震えていた。今日の食べ物はテッド達に奪われずに済んではいるが、この寒さの前には何の役にも立たなかった。

この時期になると住家では必ず何名かの子供が凍死する。冬が来るたびにいつも次は自分なのかと怯えては、必死に防寒用の布とかを調達するが、ゴミ場や盗みでとれる資源ではやはり限度がある。

「フ、フレディ…ぐすっ…僕…もう、だめかも、し、しれない…」
「バカなこと言うなよダニーっ、君なら大丈夫だよっ」
俺はダニーを抱きしめては必死にその背中をさする。けれどあまり効果がなく、寧ろ彼の体が段々と冷えていくのがはっきりと分かってしまう。

「う、ううん…もう、いいよ…それよりも…聞いてフレディ…。この前…食糧庫から食べ物を盗んだのは…僕、なんだ…」
「なんだって…」
ダニーがボロボロと泣き出す。
「我慢できなかったんだぁ…二日連続で、テッドに食べ物を奪われて…っ、そ、そのせいで…っ、ヘンリーが…撃たれて…っ、ううぅ…っ!」

「そんな…、でもそれはテッドのせいだよっ、ダニーのせいじゃないっ」
「でも、僕、あの時言えなかった…っ!ヘンリーがいつも僕たちをかばってくれたのに…僕は…怖くてそれができなくて…っ、う、うぅ…ごめんよヘンリー…っ」

けどもしあの時ダニーが自白したら、きっとヘンリーもろとも撃たれているに違いない。君はそのお陰で生き延びたんだ…なんてことを、俺は段々と弱くなっていく彼には言い出せなかった。

「それでも…それでも…、ヘンリーはきっと君を恨んでないと…思うよ…」
それが俺の精一杯の慰めの言葉だった。
「うぅっ…ありがと…フレディ…フレディは、優しいよね…勇敢なヘンリー…優しい、フレディ…僕…いままでずっと泣いて…いいことあまり、なかったけど…君たちに、出会えて、よ、よかった…」
「ダニーっ、しっかりしてダニー…っ!」
涙で腫れた目がゆっくりと閉じていこうとするダニーを俺は必死に抱きしめて揺さぶる。

「ごめんね…ヘンリー…ありがと、フレディ…どうか…君、は…い、きて――」
「ダニーっ、ダニー…っ」
目を半開きしたまま動けなくなったダニー。俺はすでに冷え切った彼の遺体を強く抱きしめた。

ダニーの遺体を、他のこと切れた子供たちのところに移動し、俺は彼からはぎ取った服で体を包んでは、元の場所に戻った。
(ダニー…っ、ヘンリー…っ!)
ヘンリーにも泣き虫と言われるほどのダニーのように一晩中すすり泣きながら、俺は必死に寒さに耐えた。

その冬を、俺はなんとか凌ぐことができた。


******


突如、ミーナ達と一緒にずっとウィルフレッドの記憶を見続けていたエリネの周りの光景がおぼろげになる。
「あっ、記憶が――」
「落ち着けエリー、心配ない。特に重要じゃない曖昧な記憶軸に入っただけで、前に歩けば時間軸が進むだろう」
「そう、ですか…」
エリネの声はどこか悲しく、彼女は涙を流していた目を拭った。

「…んだよ。なんなんだよあれっ!」
カイが憤慨の声をあげる。
「ちょっと落ち着きなさいカイくん」
「落ち着いていられるかよ!子供がっ!子供をっ!あんな、気軽に…っ、ころ、殺して…っ!大人の奴らもそうだよ!なんでただの子供にあんな酷い仕打ちを――」

「だから落ち着きなさいって言うのよ。異世界のことに愚痴を言ったってしょうがないでしょ」
「なんだよラナ様!それじゃあんな理不尽を見ない振りにしろっていうのかっ!?」
「ならどうするつもり?今からウィルくんの世界に行って革命でも起こすの?」
「そっ、それは…」

「勘違いしないで、私は貴方に怒るなって言ってる訳じゃないわ。ただ、私達と基本的に断絶していて、根本的に違う世界に力を入れ過ぎないようにと言っただけよ」
一見淡々と語っているラナの手にかすかに力を入れてるのをレクスは見逃さなかった。

「ラナ様の言いたいのは、自分の倫理感まで影響されない前提で、それが異世界の出来事であることを認識すべきってことだよカイくん。僕達はハルフェン僕達の世界で生きているんだ。ウィルくんの世界は基本的にここには影響しないし、こっちからも手出しできないものだから」

「…そもそも、その世界に女神などという概念がないとウィルが言っておった」
ミーナが割り込む。
「女神のような加護を賜る存在がないことでも、我々の世界とは大きく乖離しているのだ。これからの記憶は、それを前提に分別しながら見るべきであろうな」

まだ納得できずにカイは俯き、アイシャが少し苦しそうに胸を押さえ、頬に一筋の涙が流れる。
「理屈は…分かりますけど…それでも、あれはあまりに…」
さきほどヘンリーの正義感溢れる行動に感動した最中、いきなりの発砲声で自分やエリネ達が挙げた悲鳴がアイシャの脳裏に蘇る。

「ウィルくんの世界、技術は凄く進んでいそうなのに、なんて言いますか…全体的に、凄く冷たい感覚がします。人との繋がりがまるでないかのようで…」
「…そういや…あのなんとか船の残骸で兄貴言ってたよな。自分の世界は些細な喧嘩や闘争で命を奪われる子供が一杯いるから、あの銃ってものを使うのに反対して…。あれってそう言うことなんだな…」
レクスが手を口元に当てる。
「確かに、10代くらいの子供でも簡単に人の命を奪えるんだから、ウィルくんが危惧するのも無理はないよね」

レクス達が沈痛そうに語る中、ミーナは他の理由で厳しい顔を浮かべ、考え込んでいた。
(それにしても、ウィルの記憶に触れてからずっと感じるこの違和感…、それにあのヘンリーが撃たれたときの強烈な感覚…。ドッペルゲンガー変異体の事件で感じたは、もしかしたらそういうことだったのか…?)

淀んでる雰囲気を変えるためか、ラナが少し感心した口調で語る。
「私は逆にウィルくんのことを改めて見直したわね」
「ラナちゃん?」
「だってそうでしょ。あの過酷な環境の中で、彼は私達の知ってる優しいウィルくんに成長してるのよ?ある意味大したものだわ」

カイやアイシャ達も顔が綻ぶ。
「…確かにそうだよな。兄貴…」
「ええ、それもやはりなんらかの理由があってなのでしょうか」
「それはこれから分かるはずだ。エリー、大丈夫か?」
「う、うん」

先ほどまで考えことをしてるかのように返答するエリネ。
「大丈夫か?必要であれば少し休憩を――」
「ううん。いけます。このまま進めばいいですよね?」
「ああ、頼む」

エリネが力強く頷くと、毅然と朦朧な光景の奥へと歩んだ。
(ウィルさん…)



【続く】

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