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第十三章 ウィルフレッド

ウィルフレッド 第二節

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エリネは力の流れが成す、果てのないトンネルの中を飛んでいるような感じがした。
「うっ!くぅ…っ!」
流れに体がバラバラにされないよう、エリネは自分の両肩を強く抱きしめる。

「…あっ」
ふと周りが静まり返り、エリネは両足が地についたような感覚を覚えた。試しに周りの様子を確認しようとするが、それができなかった。

。地形らしきものも物体らしきものも、マナもなにも感じられない。生来目が見えないエリネには暗闇の概念がなかったが、今この瞬間、他人にとって何も見えないことは、正に今の状況ではないかと感じた。

「お兄ちゃん?レクス様?ミーナ様!」
「エリーかっ?」
周りでミーナの声が響き渡る。
「ミーナ様!」

現実の部屋にて、いまだ床に横たわっているエリネとウィルフレッドを見守るミーナとカイ達。
「どうなっているんだミーナ?エリーは無事か?」
「うむ、魔法は一応成功しているようだ。アイシャ、投影を」
「はい」

アイシャが軽く呪文を唱えると、レクス達の目の前が真っ暗になった。
「うわっ!どうなってんのこれ!…ってエリーちゃん!」
「この声…レクス様っ?」
暗闇の中で、エリーが戸惑いながらポツンとそこに立っているのが見えた。

「慌てるな。エリーの感覚や周りの様子を、アイシャの幻惑魔法の応用で我らや部屋に投影しているだけだ。幻惑魔法に長ける月の巫女ならではだな。迂闊に歩くでないぞ、周りは普通に宿の部屋のままだからな」
「へえ~これは凄い…これならエリーの様子を僕達でも見張れるって訳だね」

「うむ。この部屋の声はエリーにも伝わってるから、何か気付いたことがあればそのまま彼女に伝えるように。…エリー、そちらは無事なようだな」
「はい。その…周り、なにもないですけど、これがウィルさんの魂の中、なの…?」
「我も分からん。今は試しに進んでみてくれ。そちらの様子は我やカイ達も確認できてるから、何かあったらすぐにフォローする」

「うん…」
まだ少し落ち着かないが、エリネはとりあえず一歩を踏み出し、問題ないと確認するとゆっくりと前へと進んでいく。

延々と続く暗闇を進むエリネの姿は、現実世界のラナ達もはっきりと確認できた。
「…本当になにも見えないわね。知らないうちに変なところに飛ばされたとかありえます、先生?」
「ううむ…、魔法自体は成功している手応えだし、エリーの魂も無事だからそんなことはまずないと思うが…。エリー、何か異常は感じるか?」

「ううん、特になにも。まるで無のなかを歩いているようで…あ」
いきなり声を上げるエリネにカイが問いかける。
「エリー?どうした――」

景色だけでなく感覚まで投影されてるカイ達はすぐその理由が分かった。足元の、虚空の空間の真下に、何かが存在感を発している。
「? 何かが、下――」


下に顔を向くと、エリネが悲鳴を上げた。
「きゃああああぁっ!?」

足元の地面の感覚が消え、エリネは落下していった。真下にある、目にするだけで飲み込まれそうなに向けて。

「「う、うわあああぁぁっ!」」
「「きゃあああぁっ!」」
「キュウウゥ~~~!?」
エリネの落下する感覚と周りの光景がダイレクトにカイやアイシャ達にも投影され、一斉に悲鳴を上げる。恒星。銀河。星雲。宇宙。イメージと情報が洪水のように一行の脳内へと押し込まれては離れていき、意識が宇宙の深淵へと落ちていく。

「アイシャ!」
「はい!」
ミーナの一声でアイシャは手を振ると、感覚の投影具合が緩和されて落下する感覚が消える。

「きゃああああっ!」
「エリー!」
いまだ落下し続けては悲鳴を上げるエリネに、カイは床で横たわっている彼女の肉体の手を急いで掴んだ。

「あうっ!」
エリネの魂の落下が止まる。手にカイの確かな感触を感じると、彼女の足が再び擬似地面についた。
「大丈夫だエリーっ、ちゃんと掴まえてるからな…っ!」
「お兄ちゃん…っ」
姿こそ見えないが、自分の手にはしっかりとカイの手の感触を感じたエリネ。

ミーナが大きく安堵する。
「あ、危なかった…っ。見事な対応だカイ。アイシャ、感覚の投影同調の度合いは半分ぐらいにしとくんだ。エリー、無事か?」
「は、はい。お兄ちゃんのお陰でなんとか…、それにしても、さっきのはいったい――」
「下を向くな!お主らもだ!見るんじゃない!引きずり込まれるぞ!」
下の方を向こうとするエリネやレクス達をミーナが制止する。

「ミーナ殿、いったい何が起こったのか説明してくれるかなっ?エリーちゃんの下にいるアレ、いったいなんなのっ?」
「に、俄かには信じがたいが…あれはアスティル・クリスタルだ。エリーは今、ウィルの胸のアスティル・クリスタルの中にいる」
ラナ達が驚愕してウィルフレッドの胸を見る。
「アスティル・クリスタル、ですって…?」

「訳わかんねえよっ。さっきのあの…どう言うのかも分からないアレが、兄貴の胸のクリスタルだっていうのかっ?」
「そうだ。先ほど見たあれはクリスタルを構成するなにかが、記憶みたいなもの、或いは…神秘の塊だ」
「神秘だって…?」

「実際には違うが、あくまで我々の世界で最も近い比喩の言葉だ。それを正確に例えられる言葉なぞ我らの世界にはないと思う、あんなものが、あるはずには――…そうか、あの時はそういうことか」
その言葉にアイシャが困惑する。
「あの時、ですか?」

「覚えているか、妖魔ライムがウィルを呪殺しようとする時、ひどく怯えていたのだろう?呪いは大半は魂に働くもので、術によっては相手の魂を自分と繋がらせる必要もあるが、恐らくライムは呪詛をウィルにかける際に触れてしまったのだろう、先ほど我々が見た、クリスタルの奥にあるをな」

先ほどの虚空へと落ちるような感覚を思い出し、レクスは思わず震える。なるほど確かに、あのようなものを見ては、恐らくこの世界に属するものなら誰でも怖れを感じずにはいられないだろう。それだけアレは異質だった。そのものだった。

「先生。それってつまり、ウィルくんの魂はそのクリスタルの中にいるということなの?」
「分からん。とにかくもう二度とソレを見るな。運がよくて精神に異常をきたすか、悪ければ意識が完全に吸い込まれて戻れなくなる。――エリー、聞こえるな?」

「はい。でも、だとしたら私はどこに行けば…」
「試しにウィルに呼びかけてみよ。声にするのではなく、祈りの要領で心で、魂で呼びかけるんだ」
「…分かりましたっ」
エリネが両手を合わせ、思い人のことを念じた。

(ウィルさん…聞こえます?聞こえたら返事をして…っ)

――――………

「あっ」
「どうしたエリー、ウィルが見つかったか?」
「泣き声が聞こえる…」
「泣き声?」
「こっちです」
ある方向に向かってエリネが走り出す。

(((――うぇぇぇ…)))
(間違いない、これって誰かの泣き声…っ、しかも子供のような…)
がむしゃらに走るエリネの前に、出口のような感覚のものを彼女は感じ、思い切って通り抜ける。周りが眩い光に包まれ、風のような圧がエリネに向けて吹かれた。
「…っ」



暫くの静寂。やがてゆっくりと周りを感知するエリネは、思わず声をあげた。
「え…」

最初に、冷たい雨の感触がした。午後で時々浴びる心地良い雨ではない。敏感なエリネの皮膚が、かすかにかゆみが感じるような雨。
次に、今まで嗅いだこともない、鼻をつく刺激的な匂いがした。少し吸うだけで目眩みが感じられるほどの、ねっとりとした空気。

さらに、耳を思わず塞ぎたくなるような喧騒。途轍もない人の群から発せられる声、声、声。叫び声、笑い声、愚痴の声が、かつてない規模で自分の傍を、いや、知覚できる範囲内の全てを埋め尽くす。他にも頭上から響き渡る、ラッパにも似た甲高い音。さながら人の注意を引くために放たれる低俗な音楽。空と地面に何かが走る音と、さらに衝突や爆発の音まで随所に響き渡る。

そして、魂ゆえか、マナを読み取らなくても分かる冷たい鉄のような感触が、さながら山のように、天へと届くかのように自分の周りに聳え立っていた。
「なに…これ…」

エリネを観測しているカイやレクス達も、目の前に投影された光景の中で立ち尽くし、唖然としていた。
「な、なんだこれ…っ、いったい何がどうなってんだ…っ?」
「すごっ…!なにこの人波っ!?てかあっち見て!鉄の箱に人が乗って…!箱が光って動いて…!と、飛んだぁっ!?」

アイシャが天まで聳える摩天楼群を見上げる。
「こ、これ…建物…ですか…?こんな、まるで山みたいに、天まで届くような建物が…?しかも、雨が降ってる割には凄く明るいですし…、これって夜?それとも昼?」

「みんな、あそこっ」
ラナが指差す遠方を見ると、そこにはまるで蜘蛛の糸についた朝露のように明滅する明かりが、天から垂れる巨大な影に沿って付いていた。レクスが驚嘆する。
「なっ、なにあれ…っ、明かりがついてって…まさか、建物なのっ?でもそれ、雲の上まで延びてるように見えて――」

「あっ!上!」
アイシャが空を指した先に、雨雲の隙間から少し垣間見る月の姿があった。流石のミーナも驚きを隠せずにいた。
「あれは、月、なのか…?我らの見る月とは模様が少し違…明かり?月の上にさらに明かりがついてるだとっ?」
エリネを含んだ誰もが仰天したまま、目の前に広がる景色に見入っていた。

暫くしてレクスがようやく口を開く。
「ねえ、この光景、ひょっとして…ウィルくんの世界、じゃないかな?」
「そうだと、思います…。あの動く箱…天まで届く建物に、月に町のような明かり…ウィルくんが私達に教えた光景に一致してますから…」
「じゃあ…このデタラメに高い建物が、兄貴が言ってた摩天楼って奴か…?そしてそこに見えるのは雲の上まで届く軌道エレベーターって奴で…」

普段真面目なラナでさえも、少し興奮気味に周りを見渡す。
「恐らくね。…それにしても、口だけ聞くと中々想像しにくいものだけど、こうして実際の光景を見せられると想像を絶するわね…」
暫くして、ミーナは高揚する好奇心を押さえ、エリネに呼びかけた。

「エリー、聞こえるか?」
「はい。聞こえますけど、これはいったい…」
「まだ憶測に過ぎないが、そこは恐らくウィルの世界だ」
「ウィルさんの、世界…っ?ここが…」
「お主、魂の状態でも目は見えないのだな。その中を歩くことはできるか」

「はい。その、なぜか分かりませんけど、マナを全く感じないのに、周りの様子がどうなっているのかちゃんと認識できるんです。遠いほうで雲の上まで貫いてる建物や月まで…」
「そうか、目が見えないままなのは、おぬしの魂に視覚の概念がないからだと思うが、それでも周りを認識できるのは、今のお主が魂の状態でウィルの魂…らしいものの中にいるため、彼の情報がそのまま流れ込んでいるからだろう」

「あっ」
「どうしたエリー?」
「泣き声!こっち!」

飛行バスビーグルから降りる人達。ぎらぎらと激しい主張をするネオン看板がかけられた店から出てくる人達。地下鉄の入口から駆け出る人達。雨の中で全員俯いてはいそいそと行き来するそれら人波の中を、エリネが早足で進んでいく。その様子を観測しているカイがふと耳を塞ぐ。

「それにしても、すげえ煩い…っ。祭りの騒ぎでもここまでうるさくないぞ?妙に耳が痛くなるし…っ」
「空気も凄く悪いよこれ…ケホッ、呼吸するだけでツーンと喉や鼻に来るし、目もなんだかムズ痒く感じるしぃ…」
「キュウ…っ、クキュッ!」
げんなりそうな顔をするレクスとともにルルもまた小さくクシャミをする。

「そういえばウィルが言っていたな。あやつの世界は過度の発展によって自然が殆ど汚染し尽くされていると。なかなか実感の湧かない話だったが、実際こうして感じるとなるほど確かにひどいな…」
「大丈夫でしょうか先生。エリーちゃん、この中で何か病気になってしまう可能性とか…」

「心配ない、アイシャ。先ほどエリーにつけた縄は護符にもなっていて、肉体や魂に有害の情報をある程度遮断できる。これぐらいなら問題ないだろう」
「そ、そうですか…」
(…しかし、先ほどから微妙な違和感みたいなのを感じるな。魔法的なものではない。これは…この光景に対するもの、か…?)

「あっ…!」
エリネがある大通りにある、幾つかのゴミ袋が置かれていた小さな路地のすぐ入口あたりで足を止めた。

「うああぁぁん…っ、うわあああーーーんっ!」
まだ五歳ぐらいの小さな男の子が、冷たい雨を浴びながらゴミ袋の傍で座り込んでひたすら泣いていた。その小さな体には擦り傷がついて、癖のある短髪は銀色だった。

「まさか…ウィル、さん…?ウィルさんっ」
エリネが泣きじゃくる男の子を抱きしめようと手を差し出しても、彼の体をすり抜けてしまう。
「あっ?」
「落ち着けエリー、お主ではそれに干渉することはできない」
「ミーナ様…っ」

ミーナが目を閉じて杖を掲げる。
「…そうか、これはどうやらウィルの記憶。その投影みたいなものだ。お主はウィルの記憶の光景の中にいるようだ」
「ウィルさんの…記憶…」

「うあああああーーーんっ!うぇっ…、うぇ…っ!うああ、うぁぁぁあああーーんっ…!」
数度小さく嗚咽しては、また大きく泣き出すウィルフレッド。雨の寒気と孤独の恐れで震え、誰かに気付いてもらうように、誰かに求めるように彼はひたすら泣いた。その泣き声を聞くたびに、エリネの胸が強く引き締められる。
「…っ、みなさん!ここに子供が一人いますよ!」

例え記憶により再現された光景だと分かっていても、エリネは叫ばずにいられなかった。この子の…ウィルフレッドが感じる寒気と純粋な恐れを、その凄惨な泣き声の表情を通して、魂の繋がりを通してひしひしと伝わってくるから。
「ねえ!お願いです!誰かこの子を…っ!」

エリネ達が知る祭り以上の人波がすぐそこの大通りを歩いていた。だが、誰もウィルフレッドに顔を向けることなく、ただ俯いたままひたすら歩き続けた。まるで彼が最初からそこにいないかのように。

「おいっ、どうなってんだよ!?子供がすぐそこで泣いているのに、どうして誰も気付いてないんだよ!」
「やめなさいカイくん。記憶の光景に叫んでもなにもならないわ」
「ラナ様…っ」

「ラナ様の言うとおりだよカイくん。それに、僕が思うに、この人達はあの子…ウィルくんに気付いてないんじゃない。無視してるんだと思う」
何事もなく行き来する人達を見て顔をしかめるレクス。
「無視って…子供が泣いてるのにどうして無視なんか――」

「あああああーーーん!―――…うっ、うぅ…っ、ぇっ…」
泣き疲れたのか、またはこれ以上泣いても意味がないと理解したのか、ウィルフレッドは嗚咽しながらゆっくりと立ち上がり、路地の奥へとフラフラと歩いていった。
「あっ…」
その姿に心が痛んでは胸を押さえるエリネ。

(((――これが、俺が覚えている最も古い記憶だった)))

「っ!?この声、ウィルさんなのっ?」
いつも聞くウィルフレッドの声がエリネ、そしてミーナ達に届く。

「エリー、そこのウィルについていけ」
「ミーナ様?」
「さっきもう少し探ってみたが、どうやらお主ウィルの記憶…、その時間軸の最も古いところにいるようだ。彼の魂に相当する意識のようなものは、恐らくその最末端、現在の時間軸にあるかもしれない。そのまま記憶を追っていけば、ウィルを見つけることは出来ると思う。できるか?」

「うんっ」
即返答したエリネは、路地の奥へと歩いていく幼いウィルフレッドを追うと、周りの景色が暗転した。



【続く】


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