ハルフェン戦記 -異世界の魔人と女神の戦士たち-

レオナード一世

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第八章 虚無の呪詛

虚無の呪詛 第四節

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「ついたよ。ここが僕のアトリエなんだ」
ウィルフレッド達はカトーの案内で、町離れの小さな巷内にある小ぢんまりとしたボロボロな建物に到着する。無人になって暫く経っていたのか、あちこち老朽化が進んで埃まみれで、ドアは開けっ放したった。中にはカトーの作品と思われる荷物や、道具と作りかけの彫刻などが散乱しており、搬送するために纏められたまま置いているものも結構あった。

「酷い有様だな。アトリエというよりは廃屋だ」
ミーナが歯に衣着せずに言う。
「あはは。ごめん、実際僕が来る前は本当に廃屋だったんだよ。それに暫くしたら町を離れることになるから、一部荷物はそのまま置いてあるんだ」
「お前、ここから出るのか?」

カトーが少し切なそうな表情をする。
「ちょっと色々あってね。本当はもっと早くこの町を離れるつもりだったけど、情けないことに最寄の町まで移動する旅費さえ僕にはなくて…それで旅費が溜まるまでこの廃屋にいようと思って。家賃を支払ったままじゃいつまで経ってもお金は溜まらないから」

「そっか…ちなみにどこへ行くつもりなんだ?」
「それがまだ決まってないんです。本当はヴィーネスに行く予定ですけど、中々厳しくて…」
「ヴィーネスっ?あの文芸の都っ?」
「はい。僕、あそこで自分のギャラリーを開くのが夢で…」

「なるほどな。ルーネウスのアーティストなら王国内で芸術活動が最も盛んなヴィーネスに行こうとするのが自然だ」
「ええっ。正にアーティストって感じでカッコイイですカトーさんっ。ですよねウィルさん」
「ああ。夢があるのは良いことだ」

「あはは、ありがとう皆さん。まあ本人はご覧のとおりそれどころじゃないですけど」
恐縮そうに少し萎縮しながらも照れ笑いすると、照れを隠すように部屋を簡単に片付けるカトー。
「皆さんどうぞ好きに見て周ってください。気に入ったものがあれば、その、さっきと同じように買ってくれれば嬉しいなあ、なんて」

ウィルフレッド達はアトリエ内を見渡す。確かに屋内は埃だらけで荷物と作品が無造作に散らかっているが、そこはやはりアトリエ、寧ろ乱雑さ自体がアート的な雰囲気を引き立てているとも感じられた。

「おっ、これってあれか?確かロクロで陶芸をやる道具だよな?」
「あっ、机を回して作るあれ?」
カイやエリネが面白そうに作りかけの壷が置いてあるロクロに近寄る。
「はいっ。自分は彫刻や絵画、装飾品がメインですが、最近は色んなものに挑戦したくて。エリーさんは触って構いませんよ。でも手を挟まらないように注意してね」

楽しそうにロクロを見て触るカイとエリネに、ウィルフレッドやミーナも寄って見た。
「ロクロってこういう構造なんですね。ガバンさんから話は聞いたことありますけど、こうして触れるの初めてです」
「あいつ、陶芸は手びねりこそって言ってたからなあ」
「あはは、確かにロクロだと作れる形に限りはありますけど、こっちはこっちで味ある作品が作れると思うけどね。せっかくですから試しに使ってみません?結構楽しいですよ」

「いいんですかっ?ぜひぜひっ!」「キュキュッ」「お、俺もやってみたいなっ」
「分かりました。すぐ用意しますのでちょっと待っててくださいね」
賑やかに騒ぐ中、後で自分も試したいとちょっと恥ずかしそうに言い出せないウィルフレッドであった。

「ええと、こんな感じでしょうか」
「そう、こうして手を回転する粘土に当てて形を練っていくんです」
カトーの指導で、エリネは手の感触に意識を集中しながら、ロクロが回す粘土を丁寧に、じっくりと形作っていく。程なくして、予想以上に綺麗な形をした壷が出来上がり、カトーやカイ達が歓声を上げた。

「上手くできましたねエリーさんっ。それにしても初めてでこんな素敵な造形に仕上がるなんて、エリーさん陶芸に結構向いてるのかも」
「ほんとですか?えへへ、私、アーティストの卵になっちゃいました」
照れながらも得意げに笑うエリネに、ウィルフレッド達もつられて微笑む。

「ちぇっ、これぐらい俺でもできるって」
エリネの作品をカトーが傍に置くと、カイが意気揚々とロクロを回し始める。程なくして、潰れた形の壷が見事に出来上がった。
「あれ、こんなはずじゃ…」

「ま、まあまあ、ロクロは簡単そうに見えて結構難しいものだから…」
「ふ、カイが最初で上手くできたのならそれこそ天地がヒックリ返す出来事だから気にするな」
「うっせぇよミーナ」
一同の笑い声がアトリエに響く。

「ミーナさんやウィルさんもやってみます?」
「我は特に――」
「いいのかっ?」
待ちわびたかと軽く声を高く上げるウィルフレッドに一行が軽く目を見開いて、彼が慌てて弁解する。
「あ、いや、その、できれば試してみたい…」

エリネやカトー達が笑い出す。
「ふふ、別に気にしなくてもいいのに、ウィルさん可愛い」
「あはは、ちょっとクールな方だと思ったら結構面白い人ですね」
「兄貴はこういうギャップが良いんだよ」
「まったく、やりたいのなら素直にそう言えばいいのに」
ミーナ達の言葉にウィルフレッドは恥ずかしく口元を手で隠した。

カトー達に囲まれて、ウィルフレッドが目を輝かせながら陶芸をしている中、ミーナは臨時アトリエの中を見回った。そこに置かれた多くのものは、先ほど市場で見たもの以上に流行の芸術スタイルとはかけ離れた大胆な意匠や色彩が使われている。今の人々には受け入れ難い前衛的なデザインだが、間違いなく光る何かがあると彼女は思った。

「うん、ウィルさんも中々上手だね。とても良い形になってるよ」
「そ、そうか?」
ウィルフレッドは子供のように目を輝かせて自分が作った壷を見た。今度はわざと視覚の投影機能を切ってるから、割と普通な形に仕上がってるが、かつてキースが自分に木彫りを教えてくれた時の感動を思い出し、心がしんみりと感じられた。

「なあ、カトーも何か作ってくれないか。俺、アーティスト本人が作るところを見て見たいんだ」
「私も聞きたいっ、ガバンさんが彫刻をしている時の音、とても素敵だったのだから」「キュ~ッ」
「いいですよ。自分もまだまだ作り慣れてないけど、それでも構わないのなら」

カトーはカイ達の作品を傍に置いて速やかに準備すると、ロクロを回して粘土に手を当て始めた。カイ達が興味津々とその様子を観察する。
「おお、やっぱ本職の人がやるとそれっぽいよな兄貴っ」
「ああ、俺達よりもずっと様になっている」
「あはは、そんなことはないと思うけどなあ」

照れながら形作りしていくカトーに、エリネは耳を立ててロクロが周る音に聞き入る。
「…なんだか不思議な音ですね。妙に落ち着くと言うか。さっきもそうですけど、この音に合わせて形作るのって、凄く没頭できる気がしますし、とても楽しく感じられます」

「上手いこと言いますねエリーさん。僕はね、陶芸に限らず、こういうのを物作りの楽しさだと思ってるんだ。絵を描くときも、彫刻を彫るときにも、環境と自分の関係が至極単純になって、自分の思いを形にして表現する。その過程の楽しさがまた堪らないです」

「ふ~ん、そんなもんなのかなあ」
カイは、話し終えて作りに集中するカトーの楽しそうな表情を見た。ロクロが回す音の中、丁寧に粘土を形作る彼の一挙手一投足に何か物言えない感覚を覚える。たとえ貧しそうな環境の中でも、楽しさを見出して夢中になり、何かを創造していくその様に、こういうのがアーティストの、気品あるものの気質なんだろうなと彼は思った。

纏められた荷物の中身をも覗いてアトリエを回るミーナは、ふと部屋の角に布で被られた何かに目を惹かれ、布を取り上げる。
(これは…)

「ありがとうカトーさん。とても面白かったですよ」
「どう致しまして。もしまだ時間あるのなら他の物も――」
「カトー。この絵に描かれてるのはおぬしなのか」

ウィルフレッド達がミーナの方を見た。彼女が布を取ったそこには、一枚の水彩画があった。晴れた日の下、花びらが舞う中、カトーと思しき少年と淑やかで愛らしい少女が、手を取り合って微笑ましく花畑を歩いていた。

「わわわっ、それはっ!」
カトーが慌てて布を被りなおすが、時既に遅しだった。
「おぉ~、カトーって見かけによらずやるじゃん、さっきのって彼女とのデートの絵なのか?」
「いやその、これはですね…」
ニヤニヤと問い詰めるカイにカトーが茹でた卵の如く顔が真っ赤になる。

「別に良いじゃんか。相手は誰?カトーも隅に置けないたたたたぁっ」
「キュキュキュッ」
絵の見た目をウィルフレッドから教えて貰ったエリネがカイの耳を引張り、ルルが頭で暴れていた。

「もう意地悪しないのっ。ごめんなさいカトーさん、無神経なお兄ちゃんで」
「い、いえ、別に大丈夫ですよ。ただ…、近いうちに処理しようとする絵なだけなのですから」
カトーの声から、どうしようもない諦めと悲しい気持ちをエリネが感じ取った。

「処理って…何かあったのですか」
カトーは絵から身をどかし、楽しそうに微笑んでる彼と少女の絵を切なく見つめる。
「彼女…アリスとは、むかし町で開催されたアート展で出会ったのです。殆ど人のこない僕の店の作品を熱心に見て、いろいろと質問してくれて、数日間のアート展で何度も通ってくれた彼女と話すうちに、その、お互いのことが気になってて、それでお付き合いすることに…」
気恥ずかしさで声が小さくなるカトー。

「へえ、結構良い話じゃないか」
頬をさするカイに苦笑するカトー。
「そうですね。…彼女が領主の娘でなければ、普通に良い話で終わるはずなんだけど」
「えっ、彼女、貴族の令嬢だったの?」
「僕も最初に聞いた時は驚きました。最初に出会った日も、実はお忍びで町に遊びに来ていただそうで」

話の続きをミーナは察した。
「なるほど…おぬし、領主である彼女の父に付き合いを反対されたのだな?」
カトーが切なそうに頷く。
「…ケント様は美術商でもある大商人です。そういう事もあってか、売れないアーティストである僕のことをこころよく思ってなくて、この前も直接警告しに来たんです。娘のためと思ってるなら別れるようにって」
「それで町から出ようと思ったのか?」

「…別れるのに同じ町にいるんじゃアリスも辛いだろうし、僕もちょっとそれに耐えられなくて。それにケント様の話も一理あるかなあと。そもそも身分が違いすぎるし、隣の町までの旅費さえ稼ぐのに一苦労する僕だから…。ヴィーネスのことも丁度諦めようとしてたし、ここで縁を切って――」
「あんたはそれで良いのかっ!?」

カイの大声にカトー達が目を見開く。
「俺は芸術には疎いけどさ、この絵を見るだけでアンタがどれぐらいアリスが好きなぐらい分かるさっ。それなのにあいつの親父に言われただけでそう簡単にあきらめるのかよっ!?」
「お兄ちゃん…」
何か感じるところがあるように呟くエリネ。

「で、でも仕方ないよ、さっき言ったように彼女は貴族のご令嬢で、僕のような売れないアーティストと一緒にいても――」
「なら少しぐらい売れるがんばりはしろよなっ!そもそもこのこと、彼女と相談したことはあるのかっ?」
「そ、それは…」
「何もしないまま諦めて、あの子がどんな思いになるのか彼女の立場で考えてみろよっ!好きなんだろっ?」

カトーは言葉を失った。確かにカイの言うとおり、このまま何も言わずに離れると、アリスの気持ちを裏切ることにならないのだろうか。自分は売れないアーティストな故に、昔から自分を矮小化して考える傾向があった。アリスと付き合ってる時も、時折自分の身分のことが気になって後ろめたい言葉を言うたびに、彼女に軽く叱られることもあるぐらいに。そのためか、それが無意識に自己本位で物事を考えていたのだろうか。

「別れるならちゃんと口で伝え、そうしたくないなら一緒にがんばるってのが筋ってもんだろっ?どうなんだよカトーっ!」
「僕は…」

カトーがダンマリするその時、意外にもミーナが話に割り込んだ。
「我は恋沙汰には疎いが、カイの言うように売れないのならば売れ出す努力をすればいいのではないか?」
「え…」

ミーナがアトリエの中を見渡しながら続けた。
「ここの物をざっと見る限り、確かに万人受けとはいかなくとも、結構良い売り筋があるものも少なくない。さっきの屋台を見て思ったが、おぬしあまり自分の作品の宣伝とかしてないだろう?」
「う、うん…僕、芸術以外のことは全然だから…試しに試作品を商人さんにあげても、あまり上手く行かなかったようだし」

「それはあげる相手が悪いからだ。いくら才能があっても、それを人に知らしめなければ意味がない。物作りの形を作るには相応の道具や技術が必要みたいに、願いを実現するにはちゃんと考えて行動する必要もある。それがしっかりしていれば、ヴィーネスの夢を諦める必要もないし、ルーネウスにおける芸術界最高の舞台でギャラリーを開けるアーティストなら、領主の娘と肩を並べても見劣りせぬはずだ。試さない理由はなかろう」
「そ、それは…」

ミーナは改めてカトーを見つめる。
「どうする?この子を諦めて傷心の旅に出るか、それともカイが言ったように、売り出せる努力を試してみるか。どっちにしても我は構わないがな」
「僕は…」
カトーはアリスと自分が描かれた絵画を見つめた。彼女と過ごす日々を思い出し、胸が苦しくなる。

「僕は、諦めたくないよ。ヴィーネスも、アリスも。でもどうすれば…」
「心配するな。おぬしは運が良い。何故ならこの我に出会えたのだからな」
ミーナの妙に誇らしげな表情に一行は困惑した。


******


町の離れへと向かう小道に、ラナとアイシャは大家から貰った地図を手にして歩いていた。
「あ、見てラナちゃん、大家さんが教えた大樹ですよ。ここを周って暫く歩けば例の小屋につくはず」
「ええ。思ったよりも町に近くて助かるわ」
「中は殆ど片付けられたって言ってましたけど、何か見つかると良いですね」

ラナ達三人は先ほど大家から、三日前、彼が所有する小屋に起こった自殺事件の話をしていた。話によれば、小屋を賃貸した男もまた、暫く前までは全然無名なアーティストだった。それがある日突然、彼の作品が売り出し始め、数日ほどでかなり稼げて有名になったという。

だが何故か知らないがこれまたいきなり不祥事が立て続けに起こった。商品の盗作疑惑、他所からのアイデアの剽窃、劣化材料の使用など。その名声は一瞬にして地に落ち、その男は罪の意識に耐えられず小屋で毒を飲んで自殺した。最近似たようなケースが自分のところ以外も結構良く聞き、世知辛い世になったと大家も愚痴していた。

小屋は町の警備を担ってる領主の私兵に一通り確認させ、町の唯一の片付け屋に委託して現場を処理した。そういえば結構前にオーナーが代わったという話も聞いたと言及した。それを不審に思ったラナ達は二手に分かれ、ラナとアイシャは小屋に向かい、レクスは片付け屋の調査に向かうことになった。

「ふふ、ねえラナちゃん、正直言ってレクス様のことはどう思ってるのですか?」
「アイシャ姉様…まったく飽きないのね…」
苦笑するラナにアイシャが面白がって後ろから彼女の肩に両手を置いて身を寄せる。

「本当に素直じゃないですねラナちゃん。さっきレクス様が一人で調査に行く時、やはりキツく注意したじゃないですか、些細なところも見逃さないようにって。ここまで素で誰かに強く当たるラナちゃん一度も見たことないんですもの」
「大事なことだから注意して当たり前ですよ。アイシャ姉様こそ、カイくんのことどう思ってるの?」
「カイくん?」

そう言われ、アイシャが少ししどろもどろになり始める。
「ええと、カイくんはとても優しい男の子ですよ?照れる時のあの子、とても可愛らしいし、ついからかいたくなると言いますかあ…まるで弟ができたみたくて楽しいです」
「なるほど、それで、異性としてのカイくんはどう思ってらっしゃるの」
「え」
怪訝としてるアイシャに、ラナが軽くため息する。

「アイシャ姉様も分かってるでしょ。カイくん、貴方に完全に惚れ込んでるのよ。まさか本気で気づいてない訳ではないですよね?」
「そ、それは…」
目が泳ぎ始めるアイシャ。
「姉様、まさか本当にただカイくんをからかって――」
「あっ、ラナちゃん見てください!あの小屋がきっとそうですよっ」

タイミングよく前方に小屋が見えてきて、アイシャは誤魔化すように走りかける。
「やれやれ、カイくんも苦労するわね」
ラナは苦笑してアイシャについていく。

小屋の正門に立つ二人。ドアには大家の張り紙が貼ってあり、それで間違いないとラナ達は確認できた。
「それじゃ入るわよ」「ええ」
ラナは大家から貰った鍵でドアを開いて入る。中は誰かがここで自殺したとは思えないほど、家具の一つもなく綺麗に片付けられていた。

「大家の話によると、例の男性は毒によって耳や目から大量の血が流れて、ここに倒れたと聞きますけど…」
アイシャは大家がくれた見取り図を頼りに、倉庫らしき部屋のドアを開けて中へ踏み入れたが、そこも既に綺麗に片付けられている。

「さすがにここまで綺麗に片付けられると、何か証拠を探すのは難しいですね」
部屋を見渡すアイシャに続いてラナも入ると、ふと懐から小さな袋を取り出した。
「ラナちゃんそれは?」
「さっき館でマティから貰った彼の道具よ。教団絡みの調査するから、念のため先に貸して頂いて正解ね」

ラナは見取り図を頼りに男が倒れたと記された位置に、袋に詰めてある粉を振りまくと、床に血痕らしき痕跡がぼんやりと光り出した。
「まあ、凄いっ」
「さすがエル族が配合した粉。傷ついた狩りの獲物を追跡するためのものだけど、実に効果覿面てきめんね。アイシャ姉様、ちょっと下がって」
ラナはアイシャとともに下がり、その粉を部屋の中へと振り撒き続けた。

「うっ、これは…」
アイシャが思わず手で鼻と口を遮った。部屋中に事件発生時の凄惨さを物語っているように、大量の血が飛散った痕跡が天井までに伸び、部屋の至るところに広がっている。片付け屋による拭き取りの痕跡もまた一層血を不気味に広げていた。

「凄まじいわね…。というか不自然なほど飛散っているわ」
「どういうことですか?」
「例え毒で自殺しようとする人でも、わざわざこんなに血を噴出して自分を苦しませるような毒薬は使わないわ。そういう毒薬だと知らずに飲んでしまったのか、或いは別の原因にあるかもしれないってことよ」

「なるほど、言われて見れば確かに…。あら、なんだか不自然に途切れてる血痕がいくつありますね」
「恐らくそこに家具とか何か置いてあったのでしょうね。アーティストって言うから、彼の彫刻とかでも置かれてたのかも…あら?」
「ラナちゃん?」
ラナは部屋で一番広い壁の一部についてある、奇妙な拭き取り跡の痕跡へと近寄る。

「ここあたり血の拭き取り方、妙に念入りにされてるわね。いえ、これは別のものを拭き取ろうとする痕跡…?」
ラナが顔を寄せて嗅ぐと、非常に軽微だがカビ以外の匂いもあることに気付く。
「これは、何かの顔料…?」

ラナは今度は別の、液体が詰まれた小瓶を取り出し、それを壁一面にかけた。
「あぁっ」
アイシャが軽く声を上げ、ラナも眉をしかめた。

魔法陣だ。例え魔力が残ってなくとも、見るだけで禍々しく感じられる術式輪郭が魔法円の中に刻まれていた。

「ラナちゃん、これって…」
「ええ。どうやらこの件、単純な自殺って訳ではないわね」
二人は魔法陣に近寄り、その不詳極まりない術式をじっくりと観察する。

「見たこともない術式だけど、ラナちゃんは?」
「私も見たことないわね。相当古い術式なのはなんとなく分かるけど」
「不気味な魔法陣ですね…。これを描いたのが邪神教団なのかしら」
「今は断定できないわね。まずこれが何なのか判明しないと」

ラナは懐から筆記道具を取り出し、それを紙に写していく。
「ミーナ先生なら何か知ってるのかも。後で聞いてみましょう」
「そうね」

二人は最後に小屋内を一通り回り、他に見落としがないかを確認したあと、小屋から離れていった。



【続く】

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