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第八章 虚無の呪詛

虚無の呪詛 第三節

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「物好きな…ツバメ…?」

アオトが自分を見つめる中、ウィルフレッドは本を読み始めた。それは、今の時代から見ると実に滑稽で馬鹿らしいと称されるであろう話だった。

ある日、とある所のお城の庭で一羽のツバメが水遊びしていた。暫くしてツバメが城の窓で一休みしていると、その部屋のベッドに病で死にそうな王子が声をかけ、自分の代わりに人々を助けて欲しいとお願いした。

遊び好きのツバメは最初嫌がってたが、食べ物の虫をお礼にすると約束した王子に、ツバメは一度きりの人助けをすることに同意し、宝物庫から宝石を貧しい人に渡した。王子はお礼の餌をツバメにあげたと同時に、満面の笑顔でツバメに礼をした。

それから妙なことに、ツバメはどんどん自分から人助けをしていくようになる。財宝を貧しい人達に分け合ったり、それが少なくなったら城の高価な装飾などをとり、また王子の短剣で人々を脅かす悪魔を追い払ったりもした。

しかも王子に、自分へのお礼のは要らないと云う。助けられた人々はみな幸せの笑顔を浮かべるが、誰もそれがツバメの助けに気付かないし、その理由も知ろうとはしない。それでもツバメは人々を助け続け、それを見た仲間たちがツバメを物好きとからかった。

冬がいよいよ訪れる時期に、ツバメはまた王子の部屋に入るが、王子は満面の笑顔のまま息を引き取っていた。傍の机には、王子がツバメ当てに、今まで自分の手伝いをして人々を助けてくれたお礼と、今ならまだ間に合うから仲間と一緒に行きなさいと書かれた紙が置かれた。

けれどツバメは離れなかった。例え雪が降り始めても、誰に知られなくとも人助けをひたすら続けていた。そうする度に、ツバメはいつも王子の亡骸に戻ってそのことを伝えていた。やがて冬の寒さで弱くなったツバメは最後の力を振り絞って王子の亡骸に寄り添い、その唇に口づけして亡くなった。

城の財産や装飾がすべて剥がれ、中がめちゃくちゃになったのを見た村人は、こんな水ぼらしい城は街に相応しくないと言い、王子とツバメの亡骸を燃やし、城も壊して豪華なものに建て替えた。

二人の行いは終ぞ知られることはなかった。そして王子とツバメの魂は神の元へと招かれ、永遠に祝福されたという。

ウィルフレッドは少し眉を寄せる。
「なんだか救いようのない悲しい話だな。ツバメや王子は結局、彼らがしたことは誰も知られずに死んでしまっただろう?周りの人もそれを知ろうとしないし、さっきの話と違って正直何を言いたいかあまり良く分からないな」

アオトが苦笑する。
「普通ならそう思うよね。でも僕はね、この話のキモはツバメがなぜ人助けを続けた理由にあると思うんだ」
「人助けを続けた、理由?」
「うん。読んでると分かるけど、この話、なぜツバメは人助けを続けたことについてまったく触れてないよね?」

ウィルフレッドは改めて本を確認する。
「確かに…どこにも書かれてないな」
「僕はね、ツバメは王子に恋してしまったんじゃないかと思ってる」
「恋?ツバメが?」
「そうだよ。そのツバメは王子の心からの笑顔に魅了されて恋をし、彼のために人助けを続けた。王子の笑顔を何度も見られるため、最後まで彼に寄り添うために、ね」
「そうなのか…?」

ますます困惑するウィルフレッドにくすりと笑うアオト。
「あはは。そう難しい顔しなくてもいいよ。ここの答えは人によって様々だから。僕が最初これを読んだ時、ツバメが恋したと解釈したようにね。ウィルはどう思う?ツバメはどうして最後、王子に寄り添ったの?」
「それは…」

暫く考え込むウィルフレッド。この時の彼は、まだ自分なりの答えを出せずにいた。
「ふふ、こう考えさせるところも、僕が童話やおとぎ話に魅力を感じた理由の一つなんだ。とにかく僕は最初にツバメの恋、と思われるところに魅入られて、それから色んなお話を集め始めたんだ。さっき君が読んだ雪の女王や人魚姫、ラプンツェルとか、そういう恋に関する話は特に好きなんだ」
「…アオト、お前ひょっとしたら」

アオトが純真な子供のように耳まで赤くなって照れる。
「はは、やっぱ分かっちゃう?僕、童話とかロマンチックな恋に結構憧れてるんだ。笑っちゃうでしょ?今の時代にこんな旧世紀の恋愛に幻想を持つなんて、夢見すぎだよね」
ウィルフレッドは小さく笑う。
「まさか、まだ一冊しか読んでないが、この内容は本当に魅力的だからな。憧れるのも無理はないと思う」

「ありがとっ、やっぱウィルなら理解してくれると思ったよ」
本棚に並んだ本に優しく触れるアオト。
「僕の独自解釈だけれど、恋した王子のために例え命を失くしても彼に寄り添いたいツバメの愛が凄く尊く見えてさ。僕にもいつか自分の命までも捧げられる程の運命な相手に会って、その人だけのツバメになれればと思ってね」

そして先ほど廊下で見せた寂しい笑顔がアオトの顔に浮ぶ。
「でもさすがに、人殺ししか才能のない自分じゃあ、それも無理だろうね」
「…そんなことはないさ」
そんな彼にウィルフレッドは平穏な口調で語りかける。

「少なくとも、君に助けられてる俺とギルにとって、君は間違いなくツバメだ」
アオトは少しきょとんとして、少しだけ流した涙を拭いて小さく笑い出す。
「ふふ、ありがと。僕としてはどちらかと言えば寧ろウィル達の方がツバメなんだけどね」
その言葉にウィルフレッドは少し違和感を感じていた。

「そうだろうか。俺はただ自分がしたいことをしただけで…」
「そういうところがツバメらしいんだよ」
眉を寄せるウィルフレッド。

「まあとにかく、これから暇な時は好きにここの本を読んでいいからさ。必要なら自分の部屋に持っても良いけど、ちゃんと専用のケースに入れといてね」
「ああ。そうする。…それにしても本当に量が多いな。初心者にお勧めの本とか紹介してくれるか?」
「勿論だよっ。まずはね――」

これ以降、ウィルフレッドはアオトから本を良く貸すことになり、時にはその幻想的な世界に浸し、時にはアオトと読書会も開いて内容の議論をしたりもした。アオトほど童話の世界に強く憧れる訳ではないが、それらを読む時、そしてアオトと内容について議論する時の時間は、実に楽しく充実なものだった。


******


ウィルフレッド達がいる地区とは反対側の入り組んだソラ町の商店街で、領主の館から出たラナ、レクスとアイシャが歩いていた。
「アリス殿の話によれば、アトリエはもう少し奥にいるはずだよ」
「さすが最初期に発展された地区だけであって、建物が凄く複雑に建て込んでるわね」
「そうですね。まるで今回の事件の行き先を示すような迷路…でも迷ってはいられません。アリス様のためにも、なんとしてもこの難関を突破しませんとっ」

ラナが苦笑する。
「もうアイシャ姉様ったら。ただの聞き込みですからそこまで誇張しなくても――」
「何を言うのですラナちゃんっ、うら若き少女の恋に関わる一大事ですよっ。ラナちゃんは昔から恋愛事情を雑に扱うからいつまでたっても――」
「はいはい、分かりましたから早く行きましょうね」

興奮して語るアイシャをなだめながら進ませるラナ。レクスもまた軽く溜息して苦笑する。
(ほんと、アイシャ様がここまでミーハーなお方とは想像もしなかったよ。さっき館でアリス殿と話したときもそうだしさ)

――――――

「邪神教団に連れ去られた…?」

館の廊下で、緊迫な表情のアリスから語られる一言にラナ達三人の表情も真剣になる。

「はいっ、最近あの人から何も連絡がなかったので、きっと噂の教団に拉致されたに違いありませんっ!お願いです、どうか巫女様のお力で彼を――」
「ちょっとちょっと、落ち着いてお嬢様、ええと、アリス殿」
取り乱すアリスを慌ててなだめるレクス。
「そのお話、できれば最初から詳しく説明してくれないかな?」
「あ、す、すみません…」

ようやく落ち着いたアリスが、ラナ達三人をすぐ傍の客室へと案内した。
「あの、先ほどは失礼しました。彼のことがあまりに心配で、つい…」
「いいえ、どうか気にしないでください。先ほどの話、どうぞ詳しく聞かせてください」
ラナの優しい声でより落ち着きを取り戻したアリスは軽く頷く。

「はい、その…私、町に一人の恋人がいまして…。私と彼は時折逢引したり、普段は信頼できるメイドを経由してこっそりと手紙のやりとりもしてました」
年頃の貴族令嬢らしく頬を染めて語るアリス。

「ですが暫く前にまたお忍びで彼のアトリエに行ったら、そこはもぬけの殻で、あの人の姿はどこもありませんでした。生真面目な彼のことですから、理由もなくいきなり行方不明になることはないはずで…」

「それで彼の身に何かあったと思ったのですね。でもそれが教団の仕業だと思ったのは何故でしょうか」
「実はこの街で最近、一部アーティストが失踪を遂げている噂がありまして。しかもそんな彼らの周りに、黒い服を着た人達がうろついてるだそうで。それがひょっとしたら最近世間で騒がれている邪神教団かもしれないと、この前メイド達が囁いてました」
ラナ達が顔を少ししかめる。

「その噂についてケント様はご存知ですか?」
「それが、あくまで噂程度ですし、お父様は最近開催したばかりのイベントで忙しくてあまり気に留めていないのです。それに…」
アリスの表情が少し沈む。

「それに?」
「実はと言いますと、私と彼との交際を、お父様は反対していたのです。結構前から色んな理由をつけて私の外出を制限したり、出かけても護衛を無理につけたり…。さっき言ってた、メイド経由でお手紙をしてるのもそれが原因で…。彼もまたアーティストなのですから、私から例の噂の話をお父様に聞いたら逆に警戒されるのかと、中々踏み出して聞くことができなくて…」

恋する彼に焦がれるようにギュッと手を強く掴むアリス。
「お願いします皆様っ。これがもし本当に教団の仕業でしたら、命の危険があってもおかしくありませんっ。手遅れになる前にどうか彼を――」

「ご安心くださいアリス様っ!」
いきなりの大声にラナやレクス、アリスまでもが瞠目する。
アイシャが身を乗り出して、今までにない真剣な眼差しでアリスを見つめてその手を握りしめる。

「貴方の恋人、私達が必ず見つけ出してみせますっ。そしてケント様に、貴方と彼の恋仲を認めてもらえるよう全力で説得いたしますから!」
「は、はあ…」
「どうしても認めてもらえなければ、その時は私達と一緒に駆けおごもおおぉっ」

アイシャの口を優雅に塞いで座らせるラナ。
「アイシャ姉様はちょっと落ち着いてくださいね。レクス殿、お願い」
「んはあっ、アリス様っ、貴方がたの禁断の恋!私達が何が何でもかなえんむむむっ」
「どうどう、アイシャ様お菓子でも食べて、これ美味しいよ~」

レクスがニコニコしながらアイシャを押さえるうちに、ラナは何事もない優しい笑顔を愕然としたアリスに向ける。
「ご安心を、この件がもし本当に邪神教団絡みの事件でしたら、私達もこのまま見過ごす訳にはいきませんから」
「それでは…っ」
「ええ。私達なりに調査をしてみます。それで、彼のお名前を伺っても?」

「はいっ。彼の名前はカトー。カトー・マルファンテと言いますっ」

――――――

こうして三人は、マティにこの件と、場合によっては一日長く滞在する可能性をアラン達に伝えるよう帰らせ、自分達はアリスの情報を元に、まずカトーが元々住んでいたアトリエへと向かっていた。

「にしてもここにも教団の噂が出てくるとは、あいつらやっぱ水面下に色々と進行させてるようだね」
「ええ。細かい活動をいちいち潰す時間はないにしても、さすがに聞き流す訳にもいかないし、これを機に何か情報を掴めればいいけど」
「そうですよっ。それに人の恋路を邪魔する奴らは、それこそ巫女として見過ごせませんですっ」

張り切るアイシャにラナはいつもの苦笑いを浮かべた。
「アイシャ姉様、今回は本当に張り切ってるわね」
「だって身分違いの恋!禁断の恋ですよ!こんなおもしろ…いえっ、ロマンチックな恋話は誰でも応援したくなるものじゃないですかっ!」

「いま面白いと言いかけてませんアイシャ様?」
「き、気のせいですよレクス様っ!」
慌てて否定するアイシャにラナが軽くため息をついた。
(姉様ったら、アリス殿の立場が場合によっては自分のことにもなるかもしれないと気付いてないのかしら)

「さて、ここが例のカトー殿のアトリエのようだけど…」
騒いでいるうちに、三人はドアに張り紙が張られた無人の建物の前に立った。レクスは窓を覗く。
「なるほど誰もいない。家具もないし完全に空き家だね」

ラナはドアの張り紙に寄り、レクスやアイシャも一緒に近寄ってみると、それは建物の大家らしき人が張った賃貸宣伝の紙だった。
「カトーさん、大家さんからここを賃貸してたのですね」
「となると、失踪以外にカトー殿が自分から引越しした可能性もあるわね」

「それを確認するためにも」そういってレクスはドアの張り紙を剥がす。
「まずはこの大家さんに話を聞きにいこうか」

――――――

「カトー?ああ、あの冴えない若造のことか」
張り紙を頼りに捜し当てた大家は、レクス達から彼の名前を聞いてすぐに思いつく。
「あいつは大して売りにもなってない若もんでな。そのせいかいつも賃金の支払が遅れて困ってんだ。一応大目に見てやってるんだけど、この前なぜかいきなり引越しするって言ってきて、それっきりだったな」

「じゃあ彼は自分からそこから出て行ったってことなんだね?」
「ああ。ちゃんと未支払の金は払ったから引越しの理由は聞かなかったけどな。そういや少し前に、領主様がアトリエで彼に何か話をしてたようだから、どこかでの商売のタネでも提供されたんじゃないのかね」

レクスはアイシャやラナと一緒に傍に寄って話す。
「どうやら間違いない。カトー殿は恐らく、娘のアリス殿との交際に反対するケント様に追い出されたと思う」
「そんな…っ、それじゃカトーさんは」
「もうこの町にいない可能性が高いわね」

アイシャがぐっと拳を胸に握る。
「酷すぎますっ。こうしてはいられません、カトーさんがどこかに行ったのかすぐ聞き込みしないと――」
「残念だけど、それはできないわアイシャ姉様」

「どうしてですかっ?」
「この件が邪神教団と関係ない以上、私達はここで時間を潰す訳にはいかないの。忘れないで、私達本来の目的は教団を阻止することにあるのよ」
「そ、それはそうですけど…でも」

反論できずに落ち込むアイシャをレクスがなだめる。
「まあまあアイシャ様、アリス殿たちのことに関しては僕がケント様に直接相談してみるよ」
「まあ、本当ですかっ?」

胸を張るレクス。
「勿論っ、ここはぜひ僕に任せてくださいっ。ケント様が二人の恋仲を認めてもらえれば、あとは彼らがカトー殿を探し出すだろうし」

そんな彼にラナが手を組んで小さく笑う。
「貴方にしては殊勝の心がけね。最近やたらとやる気見せてるけど、どういう風の吹き回し?」
「酷いよラナ様。僕は元々いつでもやる気満々だよ?…冗談はさておき、このまま放置して悲恋に発展させてしまうってのも後味悪いしね。ラナ様だって、アリス殿を悲しませるのは不本意じゃない?」

「上手く言うわね。いいわ、本当は私からケント様に一言申し上げたかったけど、ここは貴方に任せるわ。無事彼を説得できたら、少しだけ貴方を評価してあげるわよ」
「そう言われるとますますがんばらないといけないねっ」
レクスが実に楽しそうに微笑む。

「…なああんたら、旅のもののようだが、こっちは宿の提供もしているんだ。今夜町に泊まるなら考えてくんねえか」
大家が横で気だるげに提案する。

「あ、ごめん。間に合ってるから大丈夫だよ」
「そう言わずに頼むよ。こっちは最近入居者がめっきり減ってキツイんだからさ」
「そうなの?この町、他のところから若者を結構呼び寄せてるから寧ろ需要あると思ったけど」

大家は長いため息をして愚痴始めた。
「確かに領主の政策で色んな若者がここに来てるのは事実だが、その殆どがアーティストの卵でよ。んで、あんたらも分かるとは思うがその手の奴らは収入が不安定なんだ。さっきのカトーの若造みてぇに支払がよく遅れるし、夜逃げする奴もいるぐらいだ。おまけに最近、生活のプレッシャーに耐えられず夜逃げとか自殺した奴とかもいてよ。まったく、女神様からの命を粗末に扱って…、それに人が死んだ物件とか噂が広まったら商売にならんぞ…。おっと後半はどうか聞き流してくれよ」

ラナがどこか軽く引っかかったのを感じて問うた。
「大家さん、さっき仰ってた夜逃げの話、もしかして最近この町に流れるアーティストの謎の失踪と関係あるのですか?」
「ああ、黒ローブの奴に誘拐されたというあの?ありゃどっちかと言うと誤解の類だな。失踪か自殺した人の残り物の処理にはいつも片付け屋に依頼して、あいつらが黒い服着てるからそういう変な噂になっちまってるんじゃねえのか」

「その片付け屋、昔から黒い服を着ているのですか?」
「うん?そーいやあ黒い服を着始めたのは最近になってからだな。清潔を保つために着てるとの話だったが」
ラナとレクス、アイシャが互いを見た。

「まあ、三日前にまた自殺した奴が出てるから、若もんがそれを面白がって作りだした噂だからあんま気にしなくても――」
「大家さん。その片付け屋、そして最近自殺や夜逃げしたというアーティスト達の情報を詳しく教えてください」
ラナが真剣な表情で大家に問い質した。



【続く】



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