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五章
13.画廊で語られる『罪』①
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「この部屋に入る前にもう一度確認させてくれ。全てを知ってもマリアの友人でいてくれるか?」
マリアの絵が飾ってあるという部屋のドアノブに手をかけて、彼は今日で何度目かになる問いかけを投げかける。絵を見ながら話すと宣言してからずっとこうだ。答えなんて知っているはずのキースの身体は小さく震え、何度でも肯定の言葉を欲しがった。親友だと伝えても、彼女への愛を伝えても彼の心配は収まらない。一体何を心配しているのか。イーディスには分からない。キースの手に自らの手を重ね、そして至近距離で彼の目を見つめる。
「私は例えマリア様が天界から舞い降りた使いだろうと、魔界から暇つぶしにやってきた王様だろうと彼女を愛しますよ」
「……っ」
「マリア様が何者であろうとも関係ないんです。彼女が私の友人である限り、私にとってもまた彼女は友人であり続けます」
「本当に? あの子が魔界から来たとしても否定しないか?」
「もちろん」
ゲートを管理するギルバート家にとって魔界が最も恐れるべき存在なのだろう。イーディスは未だこの世界の『魔』が何か掴めていないのだが、恐怖心はない。むしろ婚約者を令嬢達のサンドバッグ状態で放置している男の方が怖い。
「だから隠さず見せてくださいね!」
そう告げると同時にドアノブを捻る。天井も床も、カーテンや額縁に至るまで純白で埋め尽くされた部屋にはいくつもの絵が並んでいる。どれもマリアの絵である。だが、イーディスの想像していたようなものはどこにもなかった。
「……宗教画?」
並んでいる絵はいずれも生活感のかけらもなく、どの絵のマリアも同じ宗教服のような物を着ていた。頭からはベールを被り、目が覆われてしまっているものも多い。まるで聖女だ。それも癒やしの聖女のような気軽さはない。人の子は触れてはならぬとさえ思える神聖さがある。
「ここにあるのは全て『慈愛の聖女 モリア=イストガルム』を描いたものだ」
「マリア様のお姉様か妹さんですか? 一瞬マリア様かと……あれ、でもマリア様の絵があるって」
「マリア=アリッサムは偽名だ。マリアの本名はモリア=イストガルム、イストガルム王家の姫だ」
「なっ!」
「慈愛の聖女として生まれたモリア姫が利用されることを恐れ、王家は彼女が生まれてすぐに亡くなったとした。城にある王家の墓地にはモリア=イストガルムの墓もある。モリア姫はマリアと名を変え、そして彼女には聖女の役目を告げず、ギルバート家の親戚筋に当たるアリッサム家で育てることにした。だが完全に役目から逃れられた訳じゃない。……どんなに足掻いても役目からは逃れられないんだ」
キースは一枚の絵を撫でながら『罪』について教えてくれた。
◇ ◇ ◇
始まりは何千年も前。
大陸がこんなに多くの国で分かれていなかった頃のこと。
イストガルム王国には不思議な力を持つ姫がいた。人から出る負の感情を見ることが出来るのだという。彼女はその力を使い、国内のみならず大陸中の人の心を癒やしていった。負の感情を取り除いてもらった人々の心は軽くなり、次第に彼らは姫を『聖母』と崇めるようになった。『聖母』と呼ばれるようになった姫の元には連日多くの人々が訪れ、彼女は来る日も来る日も人々を癒やしていった。
けれど不思議な力があるとはいえ、姫はただの人にすぎなかった。人の身体には限界がある。それでも姫は人々のために力を使い続け、そして倒れてしまった。疲労が溜まりすぎていたのだ。おそらく少し休めば治るようなもの。けれど人々は聖母が倒れたことで不安に陥り、そして大量の負の感情が生み出されるようになった。
「どうか私を癒やしてください」
数人程度であれば護衛役の騎士が止められた。だが人々の不安は感染する。少し、また少しと広まり、不安で満ちた人々は聖母の元へと押し寄せた。少し前までは自分で処理出来たようなものでさえ、聖母の力を頼るようになった。彼らはもう聖女なしでは生きられなかったのだ。
聖母は重い身体を引きずって、再び人々を癒やし始めた。
疲労は次第に彼女の身に溜まっていき、力も弱まっていく。そして聖母は三十にさしかかった頃、彼女の力は完全に消えてしまった。見えなくなったのだ。
特別な力はもうない。
だが姫が生まれる前のようにはもう戻れなかった。
人々は力を求め、彷徨うようになった。負に取り付かれた者の中には我を失い暴走する者もいたそうだ。
まるで魔物のよう。
誰かが言った言葉から大きくなりすぎた負の感情は『魔』と呼ばれ、暴走した者は『魔に犯された』と言われるようになった。だが『魔』の影響は人間だけに収まらなかった。動物や、感情を持たぬはずの道具も魔に犯されるようになったのだ。これが人間界から発生した魔物と魔法道具の始まりだ。多くの魔に犯された人や動物、物は共通して魔の少ない人間を襲うようになった。
危機感を抱いた人々はその魔を大きな穴に落とすことにした。
深く、深く。二度と這い出てこれないほど深い地のそこに封印することにしたのである。
魔に犯された者の家族を囮におびき寄せ、そして上から土をかけた。這い出てくる者を何度も突き落とし、さらに土をかけていく。
残忍な方法で人が殺されていると知った聖母は護衛の目をかいくぐり、止めるように説得に向かった。けれど人々は止めにきた聖母を責めた。
「あなたのせいで彼らは苦しんでいるのです」
「あなたが再び力を使えば彼らはこんな目に合わずに済むのです」
「あなたが魔から解放される喜びを教えたから」
「あなたさえいなければ」
かつて助けた者達に囲まれて責められた聖母は「以前のようにあなたが彼らを癒やしてやればいい」との声と共に穴に落とされーー埋められた。
到着した騎士達が救出しようと試みたが、大量の土がかけられた場所を掘り起こしても彼女の亡骸どころか他の者達さえも見つからなかった。魔物に食われてしまったのだろう。掘り起こされた穴を見て正気を取り戻した人々は涙を流し、穴に関わった人間は皆、処刑された。
姫の死を悲しんだ王家によって城の敷地内には聖堂が建てられ、王は亡骸のなき娘のために銅像を建てた。二度と同じ悲劇が起こらないように願った。姫の護衛をしていた騎士は穴からほど近い場所に小屋を建て、これ以上主が穢されないように穴を死ぬまで守り続けた。
マリアの絵が飾ってあるという部屋のドアノブに手をかけて、彼は今日で何度目かになる問いかけを投げかける。絵を見ながら話すと宣言してからずっとこうだ。答えなんて知っているはずのキースの身体は小さく震え、何度でも肯定の言葉を欲しがった。親友だと伝えても、彼女への愛を伝えても彼の心配は収まらない。一体何を心配しているのか。イーディスには分からない。キースの手に自らの手を重ね、そして至近距離で彼の目を見つめる。
「私は例えマリア様が天界から舞い降りた使いだろうと、魔界から暇つぶしにやってきた王様だろうと彼女を愛しますよ」
「……っ」
「マリア様が何者であろうとも関係ないんです。彼女が私の友人である限り、私にとってもまた彼女は友人であり続けます」
「本当に? あの子が魔界から来たとしても否定しないか?」
「もちろん」
ゲートを管理するギルバート家にとって魔界が最も恐れるべき存在なのだろう。イーディスは未だこの世界の『魔』が何か掴めていないのだが、恐怖心はない。むしろ婚約者を令嬢達のサンドバッグ状態で放置している男の方が怖い。
「だから隠さず見せてくださいね!」
そう告げると同時にドアノブを捻る。天井も床も、カーテンや額縁に至るまで純白で埋め尽くされた部屋にはいくつもの絵が並んでいる。どれもマリアの絵である。だが、イーディスの想像していたようなものはどこにもなかった。
「……宗教画?」
並んでいる絵はいずれも生活感のかけらもなく、どの絵のマリアも同じ宗教服のような物を着ていた。頭からはベールを被り、目が覆われてしまっているものも多い。まるで聖女だ。それも癒やしの聖女のような気軽さはない。人の子は触れてはならぬとさえ思える神聖さがある。
「ここにあるのは全て『慈愛の聖女 モリア=イストガルム』を描いたものだ」
「マリア様のお姉様か妹さんですか? 一瞬マリア様かと……あれ、でもマリア様の絵があるって」
「マリア=アリッサムは偽名だ。マリアの本名はモリア=イストガルム、イストガルム王家の姫だ」
「なっ!」
「慈愛の聖女として生まれたモリア姫が利用されることを恐れ、王家は彼女が生まれてすぐに亡くなったとした。城にある王家の墓地にはモリア=イストガルムの墓もある。モリア姫はマリアと名を変え、そして彼女には聖女の役目を告げず、ギルバート家の親戚筋に当たるアリッサム家で育てることにした。だが完全に役目から逃れられた訳じゃない。……どんなに足掻いても役目からは逃れられないんだ」
キースは一枚の絵を撫でながら『罪』について教えてくれた。
◇ ◇ ◇
始まりは何千年も前。
大陸がこんなに多くの国で分かれていなかった頃のこと。
イストガルム王国には不思議な力を持つ姫がいた。人から出る負の感情を見ることが出来るのだという。彼女はその力を使い、国内のみならず大陸中の人の心を癒やしていった。負の感情を取り除いてもらった人々の心は軽くなり、次第に彼らは姫を『聖母』と崇めるようになった。『聖母』と呼ばれるようになった姫の元には連日多くの人々が訪れ、彼女は来る日も来る日も人々を癒やしていった。
けれど不思議な力があるとはいえ、姫はただの人にすぎなかった。人の身体には限界がある。それでも姫は人々のために力を使い続け、そして倒れてしまった。疲労が溜まりすぎていたのだ。おそらく少し休めば治るようなもの。けれど人々は聖母が倒れたことで不安に陥り、そして大量の負の感情が生み出されるようになった。
「どうか私を癒やしてください」
数人程度であれば護衛役の騎士が止められた。だが人々の不安は感染する。少し、また少しと広まり、不安で満ちた人々は聖母の元へと押し寄せた。少し前までは自分で処理出来たようなものでさえ、聖母の力を頼るようになった。彼らはもう聖女なしでは生きられなかったのだ。
聖母は重い身体を引きずって、再び人々を癒やし始めた。
疲労は次第に彼女の身に溜まっていき、力も弱まっていく。そして聖母は三十にさしかかった頃、彼女の力は完全に消えてしまった。見えなくなったのだ。
特別な力はもうない。
だが姫が生まれる前のようにはもう戻れなかった。
人々は力を求め、彷徨うようになった。負に取り付かれた者の中には我を失い暴走する者もいたそうだ。
まるで魔物のよう。
誰かが言った言葉から大きくなりすぎた負の感情は『魔』と呼ばれ、暴走した者は『魔に犯された』と言われるようになった。だが『魔』の影響は人間だけに収まらなかった。動物や、感情を持たぬはずの道具も魔に犯されるようになったのだ。これが人間界から発生した魔物と魔法道具の始まりだ。多くの魔に犯された人や動物、物は共通して魔の少ない人間を襲うようになった。
危機感を抱いた人々はその魔を大きな穴に落とすことにした。
深く、深く。二度と這い出てこれないほど深い地のそこに封印することにしたのである。
魔に犯された者の家族を囮におびき寄せ、そして上から土をかけた。這い出てくる者を何度も突き落とし、さらに土をかけていく。
残忍な方法で人が殺されていると知った聖母は護衛の目をかいくぐり、止めるように説得に向かった。けれど人々は止めにきた聖母を責めた。
「あなたのせいで彼らは苦しんでいるのです」
「あなたが再び力を使えば彼らはこんな目に合わずに済むのです」
「あなたが魔から解放される喜びを教えたから」
「あなたさえいなければ」
かつて助けた者達に囲まれて責められた聖母は「以前のようにあなたが彼らを癒やしてやればいい」との声と共に穴に落とされーー埋められた。
到着した騎士達が救出しようと試みたが、大量の土がかけられた場所を掘り起こしても彼女の亡骸どころか他の者達さえも見つからなかった。魔物に食われてしまったのだろう。掘り起こされた穴を見て正気を取り戻した人々は涙を流し、穴に関わった人間は皆、処刑された。
姫の死を悲しんだ王家によって城の敷地内には聖堂が建てられ、王は亡骸のなき娘のために銅像を建てた。二度と同じ悲劇が起こらないように願った。姫の護衛をしていた騎士は穴からほど近い場所に小屋を建て、これ以上主が穢されないように穴を死ぬまで守り続けた。
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