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第五章 明石
第15話 毒と薬と訣れ
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その後、頼朝の義歯は何とか収まる所に収まり、頼朝の機嫌は直った。その頃から鎌倉は大姫の入内の為の上洛準備でひどく騒しくなる。あちこちで行なわれる宴の饗宴。大路も小路も道という道は大勢の人や馬が行き交い、ごった返して、うかうかしていると跳ね飛ばされそうになる。ヒメコは屋敷内に籠って過ごすようになった。
そんなある日、不意の訪問客がある。女官姿で笠を被った八幡姫だった。
「大姫様?まぁ、お一人でいらしたのですか?」
「ええ、そうよ。そろそろ鎌倉を離れる事になるから最後に由比の浜辺を見に行って、その帰りに寄ったの」
「そうでしたか。この雑踏の中をよくご無事で」
ヒメコは八幡姫を急いで中へと案内して水菓子を勧める。でも八幡姫は手に取ろうとしない。よく見ると八幡姫の顔色は透けるように青白く、生気が足りていなかった。
「姫さま、お身体の具合があまり宜しくないのですね」
八幡姫は、そうねと相槌を打つと、胸元を押さえた。
「近頃、色々な薬を飲まされることが多くて気分が悪いのよ。何も食べる気がしないの。でもそう言うと、もっと薬を飲んで、何とか食べ物を摂るようにと皆が騒ぎ立てるの。欲しくないって言ってるのに」
「薬?」
八幡姫は頷いた。
「唐渡りのとても高価な薬なんですって。京からやって来た薬師が父に献上してきたものなのだけれど、私はそれを飲むのが嫌で堪らないのよ。でもずっと拒否していたら、食事に混ぜてくるようになって閉口してるの。父も母も病に絶対効くからと無理強いするばかりで私の言葉なんか聞いてくれない」
「その薬は苦いのですか?」
八幡姫は首を横に振った。
「いいえ、味も匂いもないわ。ただ赤いだけの粉よ。不老不死の妙薬と言われる、とても高価な薬なのだとか。父と母はひどく有難がって、ご飯にまで振りかけて平気で食しているのだけれど、私はどうもあの硬い赤色が気味悪くて」
「不老不死の赤い粉」
辰砂だろうか。祖母からそのような薬の話は聞いたことがある。ただ、確かに何となく気にかかる。でも京の薬師が持参して将軍と御台所が有難がって飲んでいるものに正面から異を唱えるわけにもいかない。ヒメコは少し悩んでから口を開いた。
「物事には全て、表と裏の両面があると聞きます。だから、薬は時に毒にも等しい場合があるかも知れません。先だってのキノコが痛みを和らげてくれる代わりに気を惑わすのと同じように、薬には人を傷める力もある。でもそれも相手と使い様次第なのでしょう。例えば、腕や脚に負荷をかけると一時的に痛む代わりに、少し時が経つと腕や脚がもっと強く太くなるように、薬は身を毒して、多少の負荷をかけることによって身の内からの生命力を呼び覚ます力もあるのだと思います」
そう話したら、八幡姫は納得したように頷いた。ヒメコは言い繋ぐ。
「でも、姫さまが受け入れられないとお感じになるのなら、その薬は拒んで構わないのではないかと私は思います。私たちの心と身体は、常に真摯に私たちの魂に語りかけてくれています。それが自分にとって本当に必要なものかそうでないかを。だから祖母はよく言っていました。考えるのではなく、感じなさいと」
「考えるのではなく、感じる?」
ヒメコは頷いた。八幡姫は暫し黙っていたが、ややして胸元から何かを取り出した。
「ねぇ、ヒメコ。貴女は前にこれを小四郎叔父様に託してくれたでしょう?これはどう使えばいいの?」
胸元から取り出した包みを見てヒメコは微笑んだ。
「開いて中を見てみてください」
八幡姫は包みを開いた。中から出てきたのは少し青みがかった銅の鏡。
「姫さまに魔が寄らないようにと祈りながら磨いた鏡の御護りです。重いでしょうに持ち歩いて下さってるのですね」
八幡姫は頰を緩めた。
「この重さが、護られてるって気がして却って安心したから。それに、この絵は金剛ね?」
鏡を包む紙に描かれていたのは鳩の絵。
「はい。私が大姫さまの御守りにと鏡を磨いておりましたら、頼時が、大姫様にお渡しする御護りなら、これで包んで欲しいと持って来たのです。大姫様は源氏の姫君。八幡様の白鳩が共にいますよ、と」
八幡姫は嬉しそうに微笑んだ。
「頼時は私の乳兄弟で弟だものね」
「え?」
「二人ともヒメコという乳母に育てられた乳兄弟。そして半分同じ血が流れた弟。今日は頼時はいないのね」
「はい。御所に出仕してます」
「では頼時に伝えておいて。鎌倉のこと、くれぐれも頼むわよって私が言ってたって」
「姫さま」
不意に八幡姫は膝を直し、その場で手をついた。
「ヒメコ、今まで有難う。貴女は私のもう一人の母さまよ。幼い頃から私が困ったり悩んだりした時には側について助けてくれた。本当に本当に有難う。京に行ったら貴女がいないと思うと切ないわ。でも寂しくなったらこの鏡を見て貴女の顔を思い出すからね。鏡の向こうから声をかけてね。『姫さま、私の祖母が言っておりましたが』って」
「ええ。いつでも飛んで行きますよ。私の心はいつも姫さまの隣におりますから」
途端、八幡姫がヒメコに抱きついた。
「鎌倉を離れたくないわ。怖い。怖いの。私が私でなくなりそうで」
「姫さま」
「どうして人は生まれてくるのかしら?成長するのかしら?どうして変わっていくの?変わらなければならないの?このままでいいのに」
精一杯の力でヒメコにしがみついてくる八幡姫。その細い身体をヒメコも精一杯の力で抱き締め返した。
「愛別離苦。求不得苦。あと何だったかしら。仏様の教えの八苦なのだからしょんないって母さまは言ってたわ。仏さまも人の時にやっぱり苦しんだのかしら?でも仏になったらもう苦しくなくなったのかしら?」
独り言のように呟く八幡姫の声。その愛らしい声を聞きながら、ヒメコは黙ったまま八幡姫に寄り添って過ごした。
八幡姫はやがて笠を被り外へ出て行った。
「またね」
いつものように笑顔で手を振る八幡姫。その後ろ姿を見送りながらヒメコは上洛の際には京までの見送りに付き添わせて貰おうと思った。
だが、そのヒメコの願いは叶わない。上洛直前にヒメコの妊娠がわかったのだ。
「頑張って元気な子を産むのよ。私も私で頑張るからね」
笑顔で手を振り、牛車に乗り込む八幡姫。
それがヒメコと八幡姫の今生の訣れとなった。
そんなある日、不意の訪問客がある。女官姿で笠を被った八幡姫だった。
「大姫様?まぁ、お一人でいらしたのですか?」
「ええ、そうよ。そろそろ鎌倉を離れる事になるから最後に由比の浜辺を見に行って、その帰りに寄ったの」
「そうでしたか。この雑踏の中をよくご無事で」
ヒメコは八幡姫を急いで中へと案内して水菓子を勧める。でも八幡姫は手に取ろうとしない。よく見ると八幡姫の顔色は透けるように青白く、生気が足りていなかった。
「姫さま、お身体の具合があまり宜しくないのですね」
八幡姫は、そうねと相槌を打つと、胸元を押さえた。
「近頃、色々な薬を飲まされることが多くて気分が悪いのよ。何も食べる気がしないの。でもそう言うと、もっと薬を飲んで、何とか食べ物を摂るようにと皆が騒ぎ立てるの。欲しくないって言ってるのに」
「薬?」
八幡姫は頷いた。
「唐渡りのとても高価な薬なんですって。京からやって来た薬師が父に献上してきたものなのだけれど、私はそれを飲むのが嫌で堪らないのよ。でもずっと拒否していたら、食事に混ぜてくるようになって閉口してるの。父も母も病に絶対効くからと無理強いするばかりで私の言葉なんか聞いてくれない」
「その薬は苦いのですか?」
八幡姫は首を横に振った。
「いいえ、味も匂いもないわ。ただ赤いだけの粉よ。不老不死の妙薬と言われる、とても高価な薬なのだとか。父と母はひどく有難がって、ご飯にまで振りかけて平気で食しているのだけれど、私はどうもあの硬い赤色が気味悪くて」
「不老不死の赤い粉」
辰砂だろうか。祖母からそのような薬の話は聞いたことがある。ただ、確かに何となく気にかかる。でも京の薬師が持参して将軍と御台所が有難がって飲んでいるものに正面から異を唱えるわけにもいかない。ヒメコは少し悩んでから口を開いた。
「物事には全て、表と裏の両面があると聞きます。だから、薬は時に毒にも等しい場合があるかも知れません。先だってのキノコが痛みを和らげてくれる代わりに気を惑わすのと同じように、薬には人を傷める力もある。でもそれも相手と使い様次第なのでしょう。例えば、腕や脚に負荷をかけると一時的に痛む代わりに、少し時が経つと腕や脚がもっと強く太くなるように、薬は身を毒して、多少の負荷をかけることによって身の内からの生命力を呼び覚ます力もあるのだと思います」
そう話したら、八幡姫は納得したように頷いた。ヒメコは言い繋ぐ。
「でも、姫さまが受け入れられないとお感じになるのなら、その薬は拒んで構わないのではないかと私は思います。私たちの心と身体は、常に真摯に私たちの魂に語りかけてくれています。それが自分にとって本当に必要なものかそうでないかを。だから祖母はよく言っていました。考えるのではなく、感じなさいと」
「考えるのではなく、感じる?」
ヒメコは頷いた。八幡姫は暫し黙っていたが、ややして胸元から何かを取り出した。
「ねぇ、ヒメコ。貴女は前にこれを小四郎叔父様に託してくれたでしょう?これはどう使えばいいの?」
胸元から取り出した包みを見てヒメコは微笑んだ。
「開いて中を見てみてください」
八幡姫は包みを開いた。中から出てきたのは少し青みがかった銅の鏡。
「姫さまに魔が寄らないようにと祈りながら磨いた鏡の御護りです。重いでしょうに持ち歩いて下さってるのですね」
八幡姫は頰を緩めた。
「この重さが、護られてるって気がして却って安心したから。それに、この絵は金剛ね?」
鏡を包む紙に描かれていたのは鳩の絵。
「はい。私が大姫さまの御守りにと鏡を磨いておりましたら、頼時が、大姫様にお渡しする御護りなら、これで包んで欲しいと持って来たのです。大姫様は源氏の姫君。八幡様の白鳩が共にいますよ、と」
八幡姫は嬉しそうに微笑んだ。
「頼時は私の乳兄弟で弟だものね」
「え?」
「二人ともヒメコという乳母に育てられた乳兄弟。そして半分同じ血が流れた弟。今日は頼時はいないのね」
「はい。御所に出仕してます」
「では頼時に伝えておいて。鎌倉のこと、くれぐれも頼むわよって私が言ってたって」
「姫さま」
不意に八幡姫は膝を直し、その場で手をついた。
「ヒメコ、今まで有難う。貴女は私のもう一人の母さまよ。幼い頃から私が困ったり悩んだりした時には側について助けてくれた。本当に本当に有難う。京に行ったら貴女がいないと思うと切ないわ。でも寂しくなったらこの鏡を見て貴女の顔を思い出すからね。鏡の向こうから声をかけてね。『姫さま、私の祖母が言っておりましたが』って」
「ええ。いつでも飛んで行きますよ。私の心はいつも姫さまの隣におりますから」
途端、八幡姫がヒメコに抱きついた。
「鎌倉を離れたくないわ。怖い。怖いの。私が私でなくなりそうで」
「姫さま」
「どうして人は生まれてくるのかしら?成長するのかしら?どうして変わっていくの?変わらなければならないの?このままでいいのに」
精一杯の力でヒメコにしがみついてくる八幡姫。その細い身体をヒメコも精一杯の力で抱き締め返した。
「愛別離苦。求不得苦。あと何だったかしら。仏様の教えの八苦なのだからしょんないって母さまは言ってたわ。仏さまも人の時にやっぱり苦しんだのかしら?でも仏になったらもう苦しくなくなったのかしら?」
独り言のように呟く八幡姫の声。その愛らしい声を聞きながら、ヒメコは黙ったまま八幡姫に寄り添って過ごした。
八幡姫はやがて笠を被り外へ出て行った。
「またね」
いつものように笑顔で手を振る八幡姫。その後ろ姿を見送りながらヒメコは上洛の際には京までの見送りに付き添わせて貰おうと思った。
だが、そのヒメコの願いは叶わない。上洛直前にヒメコの妊娠がわかったのだ。
「頑張って元気な子を産むのよ。私も私で頑張るからね」
笑顔で手を振り、牛車に乗り込む八幡姫。
それがヒメコと八幡姫の今生の訣れとなった。
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