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第四章 3
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■
幼い頃、御格子クツナには同い年の、二人の友人がいた。
一人は、父方の従兄弟である真乃アルト。もう一人は、遠い血縁らしいがほぼ他人同然の、季岬キリ。
クツナとアルトは、共に繭使いの家系で産まれたため、物心ついた頃から一緒にいた。
クツナは、能力の乱用を懸念した父親の意向で、あまり本格的な施術を幼少期から身に付けていたわけではないが、持ち前の好奇心で順調に繭使いとしての技術を伸ばしていた。
それに対しアルトは、機会があればことごとく試すべしという父親の教えによって、小学校からの帰り道でも、虫や小動物を捕まえて帰っては繭使いを学んだ。
アルトの灰色の髪と目は、繭使いには何代かに一度現れる身体的特徴だったが、さすがに目立ちすぎるということで親がウィッグをかぶせていた。しかしやはり不自然さは隠せず、好奇の目にさらされるようになってクラスから孤立しがちだったアルトには、クツナは貴重な友人だった。
クツナは目こそ灰色がかっていたものの、髪は漆黒だった。それでも、自分の特異な身体的特徴を小さい頃から意識せざるを得なかったアルトにとって、同じ色の瞳を持つクツナの存在は特別だった。友人を作るのが不得手だったことがそれに拍車をかけ、アルトが
子供心にクツナをかけがえのない存在として強く意識したことは、無理のないことだった。
お互いに仲良くなってからは、いち早く実地経験を多く積んだアルトが、いくばくかのコツをクツナに教えたりもした。近所の林の中に洞穴があり、その中は二人にとって格好の秘密基地だった。
時には、繭の繰り方を失敗した。ちぎれた脚を治してやったはずのカナブンがひっくり返ったまま起き上がらなくなったこともあれば、なめくじがスライム状に溶けてしまったこともある。
繭使いは、ただの治療術ではなく、生命の機構に分け入る禁断の能力なのだということを、二人はこの時期に学んだ。親の言う通りの手順を守って身に付けた技術とは違う、痛々しい失敗こそが彼らに繭使いの真義を知らしめた。
同時に、暗い洞穴の中での二人だけの秘密の体験が、彼らを強く結びつけもした。
小学校中学年を迎えた頃、アルトは洞穴で、弱々しくつぶやいた。
「クツナ。僕は、繭に触るのが、この頃少し怖い」
「俺だって怖いよ。でも、俺はこの能力を、『幸福の舟』だと思ってる」
「何、それ?」
「母さんに昔買ってもらった絵本なんだ。壊れて沈んでしまうかもしれない舟も、乗らなければ先にはたどりつけない。乗らない方がよかったと思うことはあるかもしれないけど、ないよりはずっといい。そうして、無事に目的地にたどり着いたら、その舟は夢を叶えてくれた『幸福の舟』になる」
「そうか。なら、難破しないように漕ぎ方を練習しないとね」
アルトは、顔の前で握り拳を固めた。
「……カナヘビ握りながら微笑むなよ。怖いだろ」
クツナは半眼で、そう告げた。
親から紹介され、二人がキリに出会ったのは、十一歳の頃だった。
クツナとアルトはどちらかというと自分たちの生活領域を積極的に広げようとはしない性分だったが、キリは活動的――というよりは無鉄砲に近い性格で、よく小さなトラブルを起こしては、三人で解決するというのが常だった。
一度、小学校からの帰り道で、こんな話をしたことがある。
「アルト。キリを、もう少し大人しくさせる方法はないもんか」
「無理じゃないかな。暴れザメに泳ぐなって言うようなものだし」
「……二人とも、聞こえてるんだけど」
後ろからそう言ってきたキリに、二人は「うわあ」と悲鳴を返す。
「裏山やら家に引っ込みがちなあんたたちを、広い世界に誘い出してあげてるとは思えないの?」
アルトが、右の拳をあご先に当てながら答えた。
「なるほど。引きこもっているカタツムリの中身を、無理矢理殻から出してくれてしまうようなものかな」
「アルトのたとえは、なんでいちいちちょっと怖いんだ……」
中学生になる頃には三人それぞれが開き直り、幼少期からの性格を特に変化させないまま成長していたが、その時には三人は、互いに親友といっていい状態になっていた。
住んでいるところが多少離れているので、中学校は三人ともバラバラだった。それでも、ことあるごとに彼らは誘い合って、中学の友人よりも三人でも時間を優先した。
「クツナ。君、キリのことをどう思う」
「なんだよアルトお前、色気づいたのか」
中学最初の夏休みに、クツナの部屋で二人はそんな話をした。施術室ではクツゲンが繭
使いを客に施している、ある昼間のことだった。
「そんなことを言っているのじゃない。キリは、天才なんじゃないか。僕の親族で、あの年であれだけの技術を持つに至った人間はそういない」
「確かにな。あいつ、僕らよりずっと繭使いがうまいしな。特に体のケガに関しては恐ろしい腕だぜ。下手すると、もう単純骨折くらいなら治せるんじゃないか」
「ちょっと待て、クツナ。今、自分のこと僕って言ったか」
「ああ。キリが、僕はただでさえ目付きが怖いから、一人称くらい僕にしとけって言うもんだから」
「それで言いなりになってるのか」
クツナが苦笑する。
「そんな大袈裟なことじゃないだろうよ」
「クツナ。確かにキリは僕らにとって大切な友人だ。でも最近の君は、彼女に影響され過ぎていないか。なぜだ。キリの才能のせいか」
「僕らと違って、キリの家は繭使いとしての系譜が希薄だよな。おじさんもおばさんも、明らかにキリを持て余してる。そんな状態でもあいつ、全然性格曲がらないだろ。そういうところを、ちょっと尊敬してる。繭使いの才能とは関係なくだ。そんな奴からは、影響くらい、受けるだろう」
「キリをないがしろにしろと言ってるんじゃない。でも今君が言った通り、キリの家は繭使いとしての繋がりが弱い。僕ら二人とは違う」
クツナは、アルトの勢いに、妙な居心地の悪さを感じた。こんなアルトは見たことがない。
「アルト。僕は、家やら系譜やらで、友達を区別しないぞ」
「違う。僕ら二人が、世にある他のどんな関係よりも特別だと言っているんだ。キリが繭使いにならなくても、誰も困りはしない。でも僕らは、密かに続く家業を継ぐことを半ば当然に期待されている。繭使いも段々その数を減らして、僕らより下の世代に、繭使いを仕事にできそうな才能の持ち主なんて見当たらないじゃないか。まともな繭使いは、きっといずれ、君と僕だけになる」
「そうか? 探せばその辺にいるんじゃないか、一人や二人」
「クツナ!」
「もうよそうぜ、そんな話」
そういえば、とクツナは思い至った。自分にはキリやアルト以外にも友人がいる。キリも学校に女友達がいる。しかしアルトには、クツナとキリ以外の友人がほとんどいない。
アルトは今も外出する時は黒いウィッグを着けており、学校でもそれを悟られないよう周囲から一線を引いている。それこそ自分とキリがいたので、これまではあまり気にしてこなかったのだが。
ただ、友人など、無理に作ればいいというものでもない。特に問題があるわけではないか、とクツナは別の話題をアルトに振った。
アルトはアルトで、唇から漏れかけた言葉を危ういところで飲み込んだ。あまりに情けなくて、非建設的な問いかけだったからだ。
――僕とキリ、どちらがより大切かい――……と。
中学の一年目が終わりに近づいた二月、放課後帰宅したクツナの家へ、キリがやってきた。
「クツナあ!」
腹から出された声は壁を通してクツナの耳に届く。玄関のサンダルを履いて、クツナが表に出た。
「……なんでキリは、僕の名前を呼ぶ時いちいち叫ぶんだよ。せめてチャイム鳴らせよ」
「大声は小声を兼ねるんだって」
「過ぎたる大声は小声に及ばざるがごとし、てのはどうだ」
「そんなことより、ちょっと相談に乗ってよ」
クツナは私服に着替え、スニーカーを履いて、キリに連れられて夕方の町を歩きだした。
「隣町の隣の先の辺りに、変わった子がいるの。もう何日も、同じ場所に同じ時間に」
「そこそこ遠い上にどこだかよく分からん説明をありがとうよ。変わってるって、キリよりか?」
ぺちんと平手で背中を叩かれ、クツナがむせる。
「キリは、なんでそんなところに行ったんだよ」
「だってうち、自転車があるんだもん」
理由になっているのかいないのかはよく分からなかったが、とりあえず気にするだけ無駄らしいことは、クツナも悟った。
「あの子たぶん、家で何かあったんじゃないかな」
並んで歩いていたキリが、そう言いながら立ち止まり、傍らの塀の陰に停めていた自転車にまたがって、あごをしゃくった。二人乗りしろ、ということらしい。
「え。まさか今から行くのか? その子のところ? 隣町の隣の先?」
「いいから、その子の繭を見てみて。あれは、……虐待だと思う」
キリは真顔だった。クツナもうなずく。
「僕が漕ぐ」
目的地は、クツナが思っていたより遠かった。少なくとも、知り合いでも何でもない子供のために、気軽に出かけて行ける距離ではない。
クツナは母親に、夜には帰ると告げてきたが、それなりに遅い「夜」になることを覚悟した。
夕方が終わり、二月の空気が冷えていく。背中に感じるキリの体温が、クツナには心地よかった。
通りを行く人々の顔が、暗さのせいでよく見えなくなり、クツナにはこの町が自分とキリの二人だけのための舞台に思えてくる。繭使いという能力の特別さがそうさせるのかもしれない。同じ能力を持つ、同い年の三人。キリとアルトの二人をおいて、同じ思いを共有できる友人は、きっと他にありえないだろう。
いよいよ日が暮れて、町は濃いブルーに包まれる。住宅街、田畑、小さな商店街。それらを通り抜け、ようやくキリが「あそこらへん」と指を指した。
いた。
公園、というよりは空き地に近い、小さな草むら。何本かの木の杭の間に渡された太いロープの上に、ランドセルを背負った少女が座っている。ややけば立ったトレーナーに、硬そうなスカートを穿いていた。
「こんばんは。また来たよ、キリお姉さんです。こっちはクツナお兄さん」
互いにぺこりと頭を下げるクツナと少女。ついこの間まで自分も小学生だったというのに、クツナには、少女がひどくはかなく、弱々しく感じられた。
「またちょっとおしゃべりしようか」
「は、はい。でも私、お話しできることなんて、その、あんまり」
「じゃあ、私たちがくだらない話するから、聞いていて。ほらクツナ、反対側に座る」
クツナとキリは、少女を挟む格好になった。
「……君、居心地悪くないか? 言っておくけどな、僕らがするくだらない話というのは、たいてい本当にくだらないぞ」
「いえ、だ、大丈夫です。話すのは苦手なんですけど、人の話を聞くのは、嫌じゃないですから」
「あんまり長々と話してると疲れちゃうから、私たちは要点を抑えて手短に話そうね」
「それでくだらない話をするのは難しいんじゃないか……?」
少女の表情が緩んだ。その時、三人の足元に小さな影が走る。
「ひゃっ」
「野ネズミだな。放ってお――」
「うん、捕まえよう」
三者三様の反応をして、唯一腰を上げたキリが地面に手のひらを向ける。
「おい!?」
制止しようとするクツナに構わず、少女の目の前で、キリは繭を操り出す。キリの靴先辺りで動きを止めていた野ネズミのそれを、指先でつまんだ。
「見なよ、クツナ。歩き方がおかしいでしょう。足が折れてるみたい」
「キリ……お前まさか、この子の前で」
キリは少女に微笑みかけた。
「ね、見ててね。私に何ができるのか、教えてあげる」
キリの指が、野ネズミの頭上で踊り出す。やがて、それが止まると、野ネズミはさっきよりもさらに俊敏に跳ね、暗い草むらに消えた。
「どう?」
胸を張るキリ。
「どうじゃないだろ!?」
くってかかるクツナを完全に無視して、キリは少女の前にかがみ込んだ。
「私は――私たちは、もしあなたに痛いところや辛いことがあれば、それを治してあげることができる」
びくんと少女の体が震えた。ランドセルの金具がカタカタと音を立てる。学校を出た後、どうやら一度家にも帰っていないまま、少女はここにこうしている。何か事情があるのか、大したことではないのか、今の時点では判別できないが。
クツナは嘆息すると、とりあえず人好きのする笑み――だと自分では思っている表情――を浮かべた。
「そう。僕らは君に協力できる。その気になったら言ってくれ」
キリは自分の連絡先を書いたメモを少女に渡した。道行く通行人が何人か、不審そうにこちらを見ている。注意でもされる前に、この日は解散することにした。
「ただでさえ寒いし、暗くなると危ないから、なるべくもう、こんなところにいるのはよしなね」
「は、はい。あの、あのう」
「うん」
「あの、……」
そこで、しばらく間が空いた。
会話がキャッチボールだとするなら、相手に投げ返す意志があるのかどうか、疑わしくなってくるのに充分な沈黙。クツナは、少女に先を促してみようかと思った。しかし、キリがそれを視線で制する。会話のキャッチボールでバットをフルスイングして来ることもある友人にそうされては、クツナも黙らざるを得なかった。三十秒近くしてから、ようやく少女が続きを口にした。
「また、会って、もらえますか。これからも……いいですか」
消え入りそうな疑問形に、キリが膝まづいて少女の正面に顔を据えて答える。
幼い頃、御格子クツナには同い年の、二人の友人がいた。
一人は、父方の従兄弟である真乃アルト。もう一人は、遠い血縁らしいがほぼ他人同然の、季岬キリ。
クツナとアルトは、共に繭使いの家系で産まれたため、物心ついた頃から一緒にいた。
クツナは、能力の乱用を懸念した父親の意向で、あまり本格的な施術を幼少期から身に付けていたわけではないが、持ち前の好奇心で順調に繭使いとしての技術を伸ばしていた。
それに対しアルトは、機会があればことごとく試すべしという父親の教えによって、小学校からの帰り道でも、虫や小動物を捕まえて帰っては繭使いを学んだ。
アルトの灰色の髪と目は、繭使いには何代かに一度現れる身体的特徴だったが、さすがに目立ちすぎるということで親がウィッグをかぶせていた。しかしやはり不自然さは隠せず、好奇の目にさらされるようになってクラスから孤立しがちだったアルトには、クツナは貴重な友人だった。
クツナは目こそ灰色がかっていたものの、髪は漆黒だった。それでも、自分の特異な身体的特徴を小さい頃から意識せざるを得なかったアルトにとって、同じ色の瞳を持つクツナの存在は特別だった。友人を作るのが不得手だったことがそれに拍車をかけ、アルトが
子供心にクツナをかけがえのない存在として強く意識したことは、無理のないことだった。
お互いに仲良くなってからは、いち早く実地経験を多く積んだアルトが、いくばくかのコツをクツナに教えたりもした。近所の林の中に洞穴があり、その中は二人にとって格好の秘密基地だった。
時には、繭の繰り方を失敗した。ちぎれた脚を治してやったはずのカナブンがひっくり返ったまま起き上がらなくなったこともあれば、なめくじがスライム状に溶けてしまったこともある。
繭使いは、ただの治療術ではなく、生命の機構に分け入る禁断の能力なのだということを、二人はこの時期に学んだ。親の言う通りの手順を守って身に付けた技術とは違う、痛々しい失敗こそが彼らに繭使いの真義を知らしめた。
同時に、暗い洞穴の中での二人だけの秘密の体験が、彼らを強く結びつけもした。
小学校中学年を迎えた頃、アルトは洞穴で、弱々しくつぶやいた。
「クツナ。僕は、繭に触るのが、この頃少し怖い」
「俺だって怖いよ。でも、俺はこの能力を、『幸福の舟』だと思ってる」
「何、それ?」
「母さんに昔買ってもらった絵本なんだ。壊れて沈んでしまうかもしれない舟も、乗らなければ先にはたどりつけない。乗らない方がよかったと思うことはあるかもしれないけど、ないよりはずっといい。そうして、無事に目的地にたどり着いたら、その舟は夢を叶えてくれた『幸福の舟』になる」
「そうか。なら、難破しないように漕ぎ方を練習しないとね」
アルトは、顔の前で握り拳を固めた。
「……カナヘビ握りながら微笑むなよ。怖いだろ」
クツナは半眼で、そう告げた。
親から紹介され、二人がキリに出会ったのは、十一歳の頃だった。
クツナとアルトはどちらかというと自分たちの生活領域を積極的に広げようとはしない性分だったが、キリは活動的――というよりは無鉄砲に近い性格で、よく小さなトラブルを起こしては、三人で解決するというのが常だった。
一度、小学校からの帰り道で、こんな話をしたことがある。
「アルト。キリを、もう少し大人しくさせる方法はないもんか」
「無理じゃないかな。暴れザメに泳ぐなって言うようなものだし」
「……二人とも、聞こえてるんだけど」
後ろからそう言ってきたキリに、二人は「うわあ」と悲鳴を返す。
「裏山やら家に引っ込みがちなあんたたちを、広い世界に誘い出してあげてるとは思えないの?」
アルトが、右の拳をあご先に当てながら答えた。
「なるほど。引きこもっているカタツムリの中身を、無理矢理殻から出してくれてしまうようなものかな」
「アルトのたとえは、なんでいちいちちょっと怖いんだ……」
中学生になる頃には三人それぞれが開き直り、幼少期からの性格を特に変化させないまま成長していたが、その時には三人は、互いに親友といっていい状態になっていた。
住んでいるところが多少離れているので、中学校は三人ともバラバラだった。それでも、ことあるごとに彼らは誘い合って、中学の友人よりも三人でも時間を優先した。
「クツナ。君、キリのことをどう思う」
「なんだよアルトお前、色気づいたのか」
中学最初の夏休みに、クツナの部屋で二人はそんな話をした。施術室ではクツゲンが繭
使いを客に施している、ある昼間のことだった。
「そんなことを言っているのじゃない。キリは、天才なんじゃないか。僕の親族で、あの年であれだけの技術を持つに至った人間はそういない」
「確かにな。あいつ、僕らよりずっと繭使いがうまいしな。特に体のケガに関しては恐ろしい腕だぜ。下手すると、もう単純骨折くらいなら治せるんじゃないか」
「ちょっと待て、クツナ。今、自分のこと僕って言ったか」
「ああ。キリが、僕はただでさえ目付きが怖いから、一人称くらい僕にしとけって言うもんだから」
「それで言いなりになってるのか」
クツナが苦笑する。
「そんな大袈裟なことじゃないだろうよ」
「クツナ。確かにキリは僕らにとって大切な友人だ。でも最近の君は、彼女に影響され過ぎていないか。なぜだ。キリの才能のせいか」
「僕らと違って、キリの家は繭使いとしての系譜が希薄だよな。おじさんもおばさんも、明らかにキリを持て余してる。そんな状態でもあいつ、全然性格曲がらないだろ。そういうところを、ちょっと尊敬してる。繭使いの才能とは関係なくだ。そんな奴からは、影響くらい、受けるだろう」
「キリをないがしろにしろと言ってるんじゃない。でも今君が言った通り、キリの家は繭使いとしての繋がりが弱い。僕ら二人とは違う」
クツナは、アルトの勢いに、妙な居心地の悪さを感じた。こんなアルトは見たことがない。
「アルト。僕は、家やら系譜やらで、友達を区別しないぞ」
「違う。僕ら二人が、世にある他のどんな関係よりも特別だと言っているんだ。キリが繭使いにならなくても、誰も困りはしない。でも僕らは、密かに続く家業を継ぐことを半ば当然に期待されている。繭使いも段々その数を減らして、僕らより下の世代に、繭使いを仕事にできそうな才能の持ち主なんて見当たらないじゃないか。まともな繭使いは、きっといずれ、君と僕だけになる」
「そうか? 探せばその辺にいるんじゃないか、一人や二人」
「クツナ!」
「もうよそうぜ、そんな話」
そういえば、とクツナは思い至った。自分にはキリやアルト以外にも友人がいる。キリも学校に女友達がいる。しかしアルトには、クツナとキリ以外の友人がほとんどいない。
アルトは今も外出する時は黒いウィッグを着けており、学校でもそれを悟られないよう周囲から一線を引いている。それこそ自分とキリがいたので、これまではあまり気にしてこなかったのだが。
ただ、友人など、無理に作ればいいというものでもない。特に問題があるわけではないか、とクツナは別の話題をアルトに振った。
アルトはアルトで、唇から漏れかけた言葉を危ういところで飲み込んだ。あまりに情けなくて、非建設的な問いかけだったからだ。
――僕とキリ、どちらがより大切かい――……と。
中学の一年目が終わりに近づいた二月、放課後帰宅したクツナの家へ、キリがやってきた。
「クツナあ!」
腹から出された声は壁を通してクツナの耳に届く。玄関のサンダルを履いて、クツナが表に出た。
「……なんでキリは、僕の名前を呼ぶ時いちいち叫ぶんだよ。せめてチャイム鳴らせよ」
「大声は小声を兼ねるんだって」
「過ぎたる大声は小声に及ばざるがごとし、てのはどうだ」
「そんなことより、ちょっと相談に乗ってよ」
クツナは私服に着替え、スニーカーを履いて、キリに連れられて夕方の町を歩きだした。
「隣町の隣の先の辺りに、変わった子がいるの。もう何日も、同じ場所に同じ時間に」
「そこそこ遠い上にどこだかよく分からん説明をありがとうよ。変わってるって、キリよりか?」
ぺちんと平手で背中を叩かれ、クツナがむせる。
「キリは、なんでそんなところに行ったんだよ」
「だってうち、自転車があるんだもん」
理由になっているのかいないのかはよく分からなかったが、とりあえず気にするだけ無駄らしいことは、クツナも悟った。
「あの子たぶん、家で何かあったんじゃないかな」
並んで歩いていたキリが、そう言いながら立ち止まり、傍らの塀の陰に停めていた自転車にまたがって、あごをしゃくった。二人乗りしろ、ということらしい。
「え。まさか今から行くのか? その子のところ? 隣町の隣の先?」
「いいから、その子の繭を見てみて。あれは、……虐待だと思う」
キリは真顔だった。クツナもうなずく。
「僕が漕ぐ」
目的地は、クツナが思っていたより遠かった。少なくとも、知り合いでも何でもない子供のために、気軽に出かけて行ける距離ではない。
クツナは母親に、夜には帰ると告げてきたが、それなりに遅い「夜」になることを覚悟した。
夕方が終わり、二月の空気が冷えていく。背中に感じるキリの体温が、クツナには心地よかった。
通りを行く人々の顔が、暗さのせいでよく見えなくなり、クツナにはこの町が自分とキリの二人だけのための舞台に思えてくる。繭使いという能力の特別さがそうさせるのかもしれない。同じ能力を持つ、同い年の三人。キリとアルトの二人をおいて、同じ思いを共有できる友人は、きっと他にありえないだろう。
いよいよ日が暮れて、町は濃いブルーに包まれる。住宅街、田畑、小さな商店街。それらを通り抜け、ようやくキリが「あそこらへん」と指を指した。
いた。
公園、というよりは空き地に近い、小さな草むら。何本かの木の杭の間に渡された太いロープの上に、ランドセルを背負った少女が座っている。ややけば立ったトレーナーに、硬そうなスカートを穿いていた。
「こんばんは。また来たよ、キリお姉さんです。こっちはクツナお兄さん」
互いにぺこりと頭を下げるクツナと少女。ついこの間まで自分も小学生だったというのに、クツナには、少女がひどくはかなく、弱々しく感じられた。
「またちょっとおしゃべりしようか」
「は、はい。でも私、お話しできることなんて、その、あんまり」
「じゃあ、私たちがくだらない話するから、聞いていて。ほらクツナ、反対側に座る」
クツナとキリは、少女を挟む格好になった。
「……君、居心地悪くないか? 言っておくけどな、僕らがするくだらない話というのは、たいてい本当にくだらないぞ」
「いえ、だ、大丈夫です。話すのは苦手なんですけど、人の話を聞くのは、嫌じゃないですから」
「あんまり長々と話してると疲れちゃうから、私たちは要点を抑えて手短に話そうね」
「それでくだらない話をするのは難しいんじゃないか……?」
少女の表情が緩んだ。その時、三人の足元に小さな影が走る。
「ひゃっ」
「野ネズミだな。放ってお――」
「うん、捕まえよう」
三者三様の反応をして、唯一腰を上げたキリが地面に手のひらを向ける。
「おい!?」
制止しようとするクツナに構わず、少女の目の前で、キリは繭を操り出す。キリの靴先辺りで動きを止めていた野ネズミのそれを、指先でつまんだ。
「見なよ、クツナ。歩き方がおかしいでしょう。足が折れてるみたい」
「キリ……お前まさか、この子の前で」
キリは少女に微笑みかけた。
「ね、見ててね。私に何ができるのか、教えてあげる」
キリの指が、野ネズミの頭上で踊り出す。やがて、それが止まると、野ネズミはさっきよりもさらに俊敏に跳ね、暗い草むらに消えた。
「どう?」
胸を張るキリ。
「どうじゃないだろ!?」
くってかかるクツナを完全に無視して、キリは少女の前にかがみ込んだ。
「私は――私たちは、もしあなたに痛いところや辛いことがあれば、それを治してあげることができる」
びくんと少女の体が震えた。ランドセルの金具がカタカタと音を立てる。学校を出た後、どうやら一度家にも帰っていないまま、少女はここにこうしている。何か事情があるのか、大したことではないのか、今の時点では判別できないが。
クツナは嘆息すると、とりあえず人好きのする笑み――だと自分では思っている表情――を浮かべた。
「そう。僕らは君に協力できる。その気になったら言ってくれ」
キリは自分の連絡先を書いたメモを少女に渡した。道行く通行人が何人か、不審そうにこちらを見ている。注意でもされる前に、この日は解散することにした。
「ただでさえ寒いし、暗くなると危ないから、なるべくもう、こんなところにいるのはよしなね」
「は、はい。あの、あのう」
「うん」
「あの、……」
そこで、しばらく間が空いた。
会話がキャッチボールだとするなら、相手に投げ返す意志があるのかどうか、疑わしくなってくるのに充分な沈黙。クツナは、少女に先を促してみようかと思った。しかし、キリがそれを視線で制する。会話のキャッチボールでバットをフルスイングして来ることもある友人にそうされては、クツナも黙らざるを得なかった。三十秒近くしてから、ようやく少女が続きを口にした。
「また、会って、もらえますか。これからも……いいですか」
消え入りそうな疑問形に、キリが膝まづいて少女の正面に顔を据えて答える。
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