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第四章 4
しおりを挟む「うん、また来るよ」
少女がうなずき、家路らしい道の向こうに消えるのを見届けてから、二人は自転車に乗った。
「無口なんだな、あの子」
「今日は慌ただしかったけど、じっと待ってると結構しゃべってくれるよ。それにしても、歯がゆいな」
「気を許してくれていない相手の、繭をいじるわけにはいかないしな」
「事故の可能性が高くなるからね。それに、勝手に頭の中覗くようなもんだし。何かあったのか、それがどんなものかも知らないのに繭使いをやるのは、ちょっとね。クツナやアルトのおじさんたちならともかく、私なんかじゃまだまだ」
「ずいぶん遠慮がちじゃないか」
「私は、自分が気持ちで突っ走りがちだって、これでも分かってるよ。だから知識が大事なの。知らないことを、思い込みで処理はできないでしょ」
「意外」
「失礼な」
来た時よりも、町はずっと暗くなっていた。往来の人通りも減っている。
その中を、他の誰も持ち合わせていない力の話をして、二人で並んで走っている。
自分たち二人。特別な二人。
その存在を確かめるように、クツナとキリは、家に着くまで絶え間なく話し続けた。
翌日、クツナの家にアルトとキリが来て、三人揃った。こうして集まるのは、どうしてもクツナの家になりがちである。他の二人の家は、親との兼ね合いでどうも気疲れする。
アルトはランドセルの少女の話を聞き、
「なんでわざわざ繭使いのことを教えるんだ……」
と天を仰いだ。
「信頼を得るには、やっぱり私の方から情報を開示しないと」
「ことによるだろう? クツナも、キリのことをもう少し」
「アルトは直に見てないからそう言えるってのもあるぜ。あんな子に、あんなところで所在なげにされてたらな」
「キリは、お節介過ぎるって……」
なおも続けようとするアルトを、クツナが苦笑して制する。
「分かった分かった、あんまり行き過ぎるようなら僕が止めるよ。お、麦茶切れたか。持ってくるな」
「重いだろう。僕も行く」
男二人で台所へ行き、クツナが麦茶のボトルを冷蔵庫から取り出したところで、アルトが耳打ちしてきた。
「クツナ。忠告しているのに」
「キリの言いなりになんてなってないぞ。僕も正しいと思って、そうした」
そう言って部屋へ戻ろうとするクツナを、アルトが腕を壁につき、通せんぼして制した。
「クツナ。もう一度言う。僕らとキリは違う」
「突き詰め過ぎなんだよ。そんなに穿ってると胃に穴空くぞ」
部屋に戻ると、キリはうつらうつらと居眠りしていた。
「お前……すごいな。五分も経ってないだろ」
「最近、あんまり寝てなかったから」
アルトはキリのグラスに麦茶を注ぎ、
「親のことで?」
と聞いた。
「そう。シングルマザーだってことには、何も不満はないんだけど。夜遅く帰ってくるのも仕方ないと思う。でも、お酒とタバコが臭いの。毎日、臭い。あれってどっちも、最初からあんなに臭いの? それとも人間が使うと臭くなるの? あんなに臭いのに飲んだり吸ったりするなんて、信じられない」
「おばさんにはそれ、言ったことあるのかよ」
「あるよ。怒って、しばらく口きいてくれなくなった。大人って、本当のこと言われると怒るって本当だよね。臭いのは本当なのに、臭さと向き合ってくれないんだもん」
クツナは息をつき、アルトが頬杖をついて答える。
「臭いって言いすぎだよ……君だって生きた人間である以上、どこかしらは臭いだろうし」
キリが、傍らにあったクッションをアルトの顔面に投げつけて、ついでに平手で後頭部をはたいた。
「アルトは、私が責任持って、デリカシーというものを教えなくちゃならないような気がしてきた」
「君に教えられるものでも」
「私以外に誰が教えるのよ」
「僕は、君に暴力反対の思想を教えたいけど……。でも、匂い程度なら、キリなら自分の繭を捜査して嗅覚を一時的に鈍らせるくらい、わけない。別の不満があるよね」
アルトはアルトで、彼なりにキリを心配している。疎外しようとしているわけではない。そのことはクツナにも分かっていた。ただ、執着の仕方が、クツナへとキリへとで異なるだけだ。三人には三人なりの繋がり方があり、アルトも確かに三人の中の一人なのだから。
アルトにいかにも痛いところを突かれたというように、キリが絶句している。しかし固まっていた表情から次第に力が抜けていくと、静かに話し出した。
「お母さん、お店が終わった後にどこかに行ってるの。お母さんの勤めてるお店、閉店が十二時なのに、帰ってくるのはいつも明け方だから。その時、いつも、タバコの匂いが違う。それも何時間も前にお店でついたんじゃなくて、ついさっき隣にいる誰かが吸ってたような、強い匂い。お母さんは自分では吸わないし。……それが、嫌で。どうして、毎日匂いが違うの……。父さんが出て行った時、あんなに泣いてたのは何だったの」
キリの言葉には、クツナもアルトも、反論はもちろん、同意も示さない。助言などもっての他だった。ただ聞く。そして、キリの感情を肯定する。
子供なりの正論は言える。けれど言わない。それが三人の信頼関係でもあった。
「この間、私たち、プチ家出したじゃない」
「ああ、まあ、家出って言っても、週末に一泊二日ですぐ帰ったやつな。ただ単に親に連絡入れずに遊んでただけって気もするが。結局町中にいたし」
「あの時、私、とっても開放感があったよ。限定的でも、子供のわがままでも、楽しかった。でも帰った時、すごく空しくなったの」
「なんでだよ」
「僕は分かる気がするな。どんなに楽しくても、この親のところに結局帰らなくちゃいけないんだなって思い知らされるから」
キリがうんうんとうなずき、クツナは首をかしげる。
「そういうもんか?」
「クツナには、分かんないかもねー……」
「クツナのご両親は、優しいからね。お父さんはうるさくないし、お母さんは優しいし」
自分だけが恵まれていると言われたようで、クツナは反論しかけたが、やめた。この二人の家庭事情は、二人にしか分からない部分が多くて当たり前だった。
「でもアルトの親父さんは、厳しいけど、そんなに悪いイメージないけどな」
「さすがに、クツナだってよその子だからね。実子と同じようには扱わないよ。僕は家にいても、常に一人ぼっちみたいだ。あの家が僕の居場所だなんて、思ったことはない」
さっき、感情まかせに反論しなくてよかった。クツナはアルトの表情を見てそう思いながら、胸中で嘆息した。それからキリの方を向いて、聞く。
「僕は、なんだかんだでこの家が居場所だと思えるからな……キリも、アルトと同じか?」
「うん。だから、クツナの家は居心地がいいよ」
いいことなんだか悪いことなんだか、とクツナが苦笑した。
それを見て、アルトは、穏やかに微笑むクツナの両親の顔を思い浮かべていた。自分がもしこの世からいなくなっても、あの両親がいればクツナの居場所はなくならない。しかしクツナがいなくなったら、アルトの居場所はどこにもなくなる。
――不公平なんじゃないか?
――僕らはこの世に一対だけの、特別な二人なのに。
心の奥に生じた染みのような苦味は、クツナの家を出て帰途についても、いつまでもアルトの中からぬぐわれはしなかった。
クツナの前で、その両親と同じような穏やかさで笑うキリに対しても、これまでにない不快感を覚えて言えた。
――キリと、クツナの両親。あの三人が嫌いだ。三人とも優しくて、大切で、何も悪くなんかない。何もされていないし、むしろ好意を寄せてもらっている。
――でも、嫌いだ。僕もあの人たちが好きだけれど、でも、嫌い。
そう、アルトは思った。
家に着いたアルトを待っていたのは、父の怒号だった。
アルトの父は、時折、クツナに繭使いの稽古をつけることがある。実父とは違うアプローチと技術に、クツナは素直に感激を伝え、第二の師に敬意を表していた。
その時の教え方も甘いものではなかったが、己の息子であるアルトに対しては、父親は更に厳しかった。アルト自身、自分は父親に嫌われているのだと幼少期から信じ込むほどに。
「お父さん、僕はクツナの家に行っていたんです」
「今日の練習はどうした。来週には、またお前に助手をやらせるぞ。修練は充分なのか」
「まだ、指が痛いんです。最近の稽古量は異常だ。これじゃ、できることもできなくなります」
そこまで言った時に、アルトは左の頬を張られた。二人がいるのは居間だった。台所から心配そうに覗いている母親と目が合う。助け船など出されないことも分かっている。それならせめて、顔を見せないで欲しかった。ほんの少し、わずか数パーセントだけ、いつも期待してしまうのが、辛い。
父親が何かを教えてくる時は、必ず痛みが伴った。それは必要なことなのだと父親は思っていたし、アルトもどこかで納得していたから、嫌がることもできなかった。
結局、少し練習しますと言って、アルトは奥の作業室へ入った。
ハムスターやトカゲといった、小ぶりな生き物がそれぞれにケージに入っている。そこから、ハムスターを一匹取り出した。どんなに人間相手の繭使いに慣れても、真野家では動物による訓練を欠かさない。
しかし、繭による治癒の訓練をするには、まずこの生物たちを傷つけなくてはならない。それもたまらなく嫌だった。
二人の友人のことを考える。
少し離れたところへ、自転車で出掛けたらしい。アルトは誘われなかった。父親に訓練を課されていることを知っているからだ。他の二人ほど気ままに外出はできない。気を遣ってくれた。それは理解している。
しかし、胸の中は屈辱で一杯だった。
のけ者にされた。理由は関係ない。むしろその理由によって、これからどんどんあの二人から、自分だけが別方向に枝分かれしていくのではいかと思うと、恐ろしかった。
クツナとキリが関係を深めていく中で、自分だけが取り残される。
クツナには多くのものが与えられ、いや、キリと与え合い、彼らの道を歩んでいく。そして自分には何も手に入らない。ただ一人取り残され、無人の荒野で干からびていく。そう考えると、顎がかちかちと震えて鳴った。
――僕にはクツナ以外に必要なものなんてない。
――クツナだってそうあるべきなんじゃないのか。
――僕とクツナは、お互いに、お互いだけがいればそれでいいんじゃないのか。
いつしかアルトは、両手で握り締めたハムスターに、尋常ならぬ圧力を加えていた。
さっきまでは、傷つけたくないと思っていた、小さくてか弱い生き物。手のひらの中でそれは、乾いた嫌な音を身体中から響かせながら、絶叫していた。
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