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2章

69.選ばれなくて当然

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「やぁっぱり、イレーニアじゃありませんの。アナタも招待されていたのねぇ」

 声のした方を向くと、金髪碧眼に胸元がざっくり開いた青のセクシーなドレスを身に纏った女性がいた。
 背丈も声のトーンもキツめの目元もイレーニアに似ている。

 ──体型以外は。

 イレーニアはウエストのくびれが際立つほどに出るところが出ているが、その女性はどこぞの遺跡の出土物とどっしり感がそっくりだ。コルセットで多少搾られているものの、はみ出る肉やたるんだ二の腕、二重あごは隠せない。

 イレーニアに目を向ければ、小声で「姉ですわ。名はウルオーラ」とそっけなく返された。その視線は声色同様、うんざりといった様子でウルオーラからは逸らされている。

 それが気に食わなかったのか、ウルオーラはムッとした表情を一瞬だけ見せた。しかしすぐ甘ったるい笑みを浮かべると、こちらににじり寄ってくる。

「せっかくのお姉様との感動の再会なのに、何故黙っているのかしらぁ? あ、今のアナタはメイドだったわね。なら仕方がないわ。主人の許しがないと声も出せないだなんて、ホント可哀想。でもお似合いねぇ。その地味なメイド服。ドレスなんかよりよっぽど似合ってるわぁ。平民に給仕するなんて、とても真似できないわ。アナタのような優秀な妹を持ってアタクシ、鼻が高いわ、ホホホ」

 扇子の奥でニタニタ笑いながらウルオーラはアルティーティに流し目を送った。

 嫌な目だ。

 イレーニアもたまに気位の高そうな厳しい視線を向けてくるが、この姉は相手を下に見ていることを隠しもしない。明確な敵意と悪意がそこにこもっている。

 意外なのは、アルティーティだけでなく、妹であるイレーニアにも同じ視線を送っていることだ。そこまで敏感な方ではないが、相当仲が悪いことは見てとれた。

 しかし困った。

 アルティーティとて、なにやらニタニタ話し続けるウルオーラに思うところが無いわけではない。むしろこのわずかな間だけでも言いたいことがたくさんある。

 しかし、アルティーティはこの場では平民で通っている。本来の身分も男爵令嬢。
 一方、夜会に招かれているのはほとんどが高位貴族やその子女。つまり彼女が名実ともに一番下の身分だ。

 イレーニアに以前、「身分が下の者は上の者に許された時だけ話すことができる」と教わった。この夜会中、アルティーティは自分から声をかけられない。他の貴族から話しかけられるのを待つのみだ。

 今の会話は妹に向けられたもの。アルティーティに向けられたものではないので、何も言えない。ただ笑みを作るだけだ。

 そしてイレーニアもまた、声を上げられない。

 短期間ながら、彼女はルーカスの忠実なメイドという自負がある。家族から声をかけられたとしても、仕事を優先する。それが彼女の今の役割だ。

 他家の貴族も集まるこの場で、それを破ることは彼女の矜持だけでなく、リブラック家の信用にも関わるのだろう。庭園にも、夜会を抜け出してきたであろう人影がいくつかある。

 だからこそ、彼女は黙って耐えているのだ。

 ウルオーラもそれを知ってか、イレーニアに口撃しながらも、アルティーティを値踏みするかのように見ているだけだ。

「ホント、ジークフリート様も罪作りな方よねぇ。今までどれだけの御令嬢たちを袖にしてきたことか。でもそうなって当然よねぇ。だって選んだ女が『魔女の形見』。その上、平民だなんて、ねぇ? アタクシたちが選ばれなくて当然よねぇ。そう思うでしょ? ね、イレーニア?」

 これ見よがしに声を高くするウルオーラは、イレーニアに同意を求めるように笑いかけた。

 他の者が聞けばこれは罵倒だと憤慨するだろうが、アルティーティには至極真っ当な主張に思えた。

 婚約者を亡くした哀れな彼が、やっと選んだ相手がよりにもよって『魔女の形見』だったのだ。これでは、選ばれなかった令嬢も泣く泣く彼を諦めた令嬢も浮かばれない。

 しかも平民だ。「仕方ないわ、あの方が選んだ方は素晴らしいもの」とお決まりの言い訳すらできない。相手がイレーニアのような容姿も教養も家柄も申し分ない令嬢だったなら、ここまでは言われてないはずだ。

 そう、これは彼に袖にされた令嬢の当然の怒り──だがそんなこと知ったことではない。

 初対面の相手にわざわざ当てこするようなことなのか。当然の怒りならば、相手にぶつけるのも当然のことなのだろうか。文句なら隊長ジークフリートに言え、と思わなくもない。

 そもそも彼が選んだと言うよりはアルティーティが選ばされたと言う方が正しいのだが、そんなことをこの場で言えば火に油を注ぐのは目に見えている。

 かといって、貴族令嬢とバチバチにやり合う舌戦の戦い方は知らない。知らないものに迂闊に手を出せば痛い目に遭う。そんなに口が上手い方でもなく、付け焼き刃の敬語ではすぐボロが出る。下手をすればジークフリートとは契約結婚だということもバレる。
 ウルオーラのこの様子だと、嘘がわかれば貴族の間にあっという間に広まりそうだ。それだけは避けたい。

 武器を使っての決闘ならば、経験もあるし勝敗もわかりやすいのに。

(どうしたものだか。はやく隊長帰ってこないかなぁ……)

 ジークフリートにそっくりそのまま丸投げしたい空気だ。

 微妙に困ったような笑みを浮かべながら、アルティーティは険悪なムードの姉妹の間で視線をさまよわせる。

「それにしても、わざわざ行儀見習いにまでなってジークフリート様にお近づきになろうとしたのに、残念だったわねぇ。国の剣の娘が国の盾の家に、なんて異例のことだったのに。ルーカス様にお願いでもしたのかしら? ホント、残念。アナタの初恋だったのに。行儀見習いになってすぐに別の方を婚約者にと連れてこられてしまうなんて、なぁんて可哀想な妹なのかしら! しかも相手が、ねぇ? どんな気持ちなのかしら、イレーニア?」

 面白がるようにウルオーラはニタリと笑みを深めた。

 あまり聞いてはいけない言葉を聞いた気がする。

 行儀見習い、お願い、初恋。

 下を向いたイレーニアの方を、アルティーティは見れない。よりによって姉にバラされ、よりによって婚約者の自分がそれを聞いてしまった。そんなこと、プライドの高い彼女が許せるはずがない。

「ちょっと……!」

 いくら姉だからといって好き放題言い過ぎだ、とアルティーティが言いかけた言葉はイレーニアの手によって制された。

「……ですわ」
「聞こえなかったわぁ? イレーニア、何をぶつぶつ言って」
「お嬢様はジークフリート様に選ばれて当然の素晴らしいお方ですわ! と、申し上げました!」

 ウルオーラの嘲りを遮って張り上げた声が、ました、ました、ました……とこだまのように四阿に響く。

「…………は?」

 思わず漏れた声が、ウルオーラと重なった。まさかこんな場で大声でヤケクソ気味に褒められるとは。目が点、とはこのことだ。

 一足先に我に返ったウルオーラの声が震える。

「い、一体何を言ってるの? 素晴らしい? 『魔女の形見』が?」
「ええそうです! お姉様がたった1日で音を上げた壺の訓練、お嬢様は文句ひとつ言わず3日間きっちりこなしましたのよ! これがどういうことかお分かりでして?!」
「な……本当なの!? あの壺の訓練を……!?」

 驚愕の表情でこちらを見てくる。まるで人外を見るような目だ。その気持ちはよくわかる。レッスン初日のアルティーティも壺を頭上に乗せたイレーニアに対してこんな目をしていたに違いない。

 対するイレーニアはなぜか得意げに胸を逸らした。

「ええ」
「……う、嘘よ!」
「本当ですわ」
「できたとして、あんなものできたところで何の役に立たないわ!」
「役には立つでしょう。お姉様はそれを身をもって知ってるはずですわ」

 ワナワナと震え出したウルオーラは、眩暈を起こしたのかテーブルに手をついた。かろうじて立っている様子にもかかわらず、その目は鋭く、アルティーティに今にも襲いかかってきそうな程だ。

(こわー……って『選ばれて当然の素晴らしいお方』って、もしかして壺の訓練を真面目にやったから、じゃない、よね……? もっと他に何かあるよね……? いや、そんな立派な人間じゃないけど、さすがに壺だけじゃないよね……?)

 まさかそんなはずは、と思いつつイレーニアを見るが、他に『素晴らしい』と評されるような根拠を言い出す気配がない。実に堂々とドヤ顔をしている。ウルオーラも声を上げる気配がない。

 壺の訓練に対するシルヴァ家の信頼度の高さに驚くばかりだ。確かに、辛く厳しい訓練だったけれども。誇れるか誇れないかと言ったら誇れるとは思うけども、役に立つかどうかはわからない。

「……お嬢様、参りましょう」
「え、でも」
「参りましょう」

 睨み合いなど不毛、とでも言うのか、イレーニアが天蓋を上げて退出を促す。

 彼女らの声が大きかったせいか、四阿の周りにはいつの間にか人が集まっていた。皆、好奇の目をアルティーティたちに向けている。目立ちたくないんだけどなぁ、と天蓋をくぐりながらボヤきかけ──。

 ガシャン、と背後からヒステリックな音が聞こえた。

「ア……アタクシはそんな……そんなの、認めなくってよ!!」

 咄嗟に振り向くと、イレーニア目掛けウルオーラが何かを投げたのが見えた。
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