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5.スコーン地獄

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5.スコーン地獄



「俺は今悩んでいる」

教室で砂原が言った。

完全無視しようと思っていたのだが、砂原が俺の腕を掴んだので仕方なく顔を向ける。



「えっと、なにを悩んでいるって?」

「七瀬ちゃんと石井さんだよ! どっちもかわいいからさー、俺選べなくて」

「聞いた俺がバカだったよ」

見たくもない次の授業の英語の教科書を開いてみた。

「なんだよ、ちゃんと聞けよ」

砂原は前の席の椅子に勝手に座り、俺の身体を揺さぶる。

「うるさいなー」

俺が眉を顰めているのにお構いなしで、砂原は机に身を乗り出す。

「七瀬ちゃんはふんわり天使のような美少女、石井さんの方はキリリとした凛々しい女の子。いや、本当どっちも甲乙つけがたく魅力的で悩んじゃうね」

「別に悩む必要ないだろ。二人ともお前なんか相手にしないよ」

「バカ、なんて事言うんだよ! だいたいな好きな子がいるかいないかってだけで、学校生活は大きく変わるんだよ、お前それ分かってんのか?」

確かに今までの俺は分かってなかった。でも今の俺は違う。七瀬嬢という存在のお陰で、なんだか学校生活がキラキラして見える。





「やっぱり絶世の美女といったら七瀬ちゃんだよなー、ここは七瀬ちゃんに絞った方が良いかなー」

砂原を見つめた。バカみたいにポワンとした顔でなにやら妄想しているようだったが、こいつが二股というか、二人をいっぺんに狙っていない所にちょっと感心してしまった。バカだけど根は良い奴だなと。



「七瀬が何だって?」

ふいに聞こえた声に俺も砂原も条件反射的にビクリとした。見ると机のすぐ横にドエス王子がいる。

「お、おはようございます! お兄様!」

「お兄様?」

リキが冷たい視線で砂原を見た。砂原は慌てて首を振る。

「い、いえ、菱形先輩、今日もご機嫌うるわしゅう」

うるわしゅうってどこの少女マンガのセリフだ? 全寮制寄宿舎学校が目に浮んだぞ。





「それで、俺の大事な妹がなんだって?」

リキの問いに砂原は立ち上がって何故か敬礼する。今度は軍隊か?

「はい、七瀬さんはとても美しい方です。この俺なんか彼女の前ではただのゴミです。彼女に踏まれるリノリウムの床です」

そこまで自分を卑下するか。しかもリノリウムときた。聞いた事もないセリフだ。

そう思っていたら、砂原が小声で俺に呟いた。

「俺、やっぱ石井さん狙いな。七瀬ちゃんはかわいいが、こんな怖いお兄さんは困るよ」

「先輩、砂原君が先輩の悪口言ってます!」

チクってみた。

「わーバカ! マモルなんて事を言うんだ! ち、違いますよ、俺は何も言ってません、こいつが今勝手に言ったんです」

俺は更に付け加える。

「確かドエス王子って言ってましたよ」

「わー! それ、お前が言ってるんじゃないか! 俺じゃないからな!」

リキはそんな俺達の会話を聞いて、形の良い顎をつまんだ。



「ふーん、ドエス王子ね。ま、正しいから許してやるか」

言うとリキは俺を見た。なんか俺が名づけたとバレてる感じだが、許すと言っているし気にしない事にしよう。

「つーかリキさん、何しにきたんですか?」

リキは黒い前髪をサラリとかきあげた。なんか俺の後ろで女子がバタバタと数人気絶した。いったいどこのビジュアル系バンドマンだよって感じだ。いっそリキの後ろに薔薇の花をばらまいてやりたい感じだ。



「俺が何しに来たかって?」

リキは蕩けそうな笑顔で、俺の顎を人差し指で持ち上げて顔を寄せた。

「もちろん君に会いにきたに決まっているだろう?」

後ろで更に女子が10人位バタバタと倒れた。なんか俺達の周りに違う意味の薔薇の花が飛んで見えた気がした。

「勘弁して下さい。気色悪いです」

リキの手を払いのけた。

「あはは、もちろん冗談に決まっているじゃないか。この俺が君のようなちんちくりんを相手にすると思うかい?」

「ちんちくりんってイマドキ聞かないセリフですね。しかもすこぶる気分が悪くなるセリフです」

「ああ、気分が悪いか、それは結構」

「ぜんぜん結構じゃないです」

そんな不毛な会話の後で、リキが急に屈んで顔を寄せた。また顔が近いので身構えると、リキは耳元で囁くように言った。

「放課後、第二校舎一階にきてくれ」

「それって……」

リキは姿勢を戻すと微笑んだ。

「じゃあ、またよろしく頼むよ」

それだけ言うとリキは教室を出ていった。



今日の放課後。それってやっぱり新たなバトルって事だよな? 今度はまたどんな目に俺は遭うんだろう。なるべく穏便に済む相手だと良いなと思った。

俺がふと振り向くと、倒れていた女子達がゾンビのように立ち上がっていた。そして何故かお祭り騒ぎだ。なんつーか、ああいう王子様みたいな人間がクラスに頻繁にやってくると、女子が壊れて仕方ない。女の子に夢見ていたい年頃の俺達男子には厳しいですよ。

俺はあとで、そのヘンもリキに文句を言ってみようかと思った。







放課後になった。俺は第二校舎に向かって歩いた。

普段俺達が居るのが第一校舎。第二校舎は主に特別教室が集まっている。音楽室、理科室、地理室、調理室等などだ。

その二つの校舎は渡り廊下で繋がっているわけだが、まあ、新設校なだけあって、廊下というよりも空中回廊といった趣きだった。



うちの学校は将来は老人ホームになるようにと設計されているため、実におかしな造りをしている。

校舎と校舎の間には無駄としか思えない四角い空間がある。庭でもなければ休憩所でもない。ただのコケ生えた地面だ。今現在何に使われるんだ、これ? という学校の七不思議ならぬ七つの無駄がある。だがしかし、そんな無駄を気にしている生徒はいない。いや、俺も気にしてないけどさ。だってそれよりもアニメやドラマの動画見るのに忙しいからな。



渡り廊下を渡って第二校舎一階に辿り着いた。リキの姿はすぐに見つかった。廊下の壁に寄りかかっている。

リキはただ寄りかかっているだけなのに、まるで映画でも見ているんじゃないかって位、綺麗な光景だった。なんて言うか、口さえ利かなければ本当に美形なので、実に惜しい感じだ。



「来たか」

俺に気付くとリキは壁から背を離した。そしてすぐ横の教室の扉を開けた。

「じゃあ、中に入ってくれ」

その教室を確認するため、ドアの上のプレートを見た。そこには調理室と書かれていた。

「調理室?」

今日の相手とは料理対決か? そう思いながら覚悟を決めて教室の中に入った。





俺達男子にとって、調理室というのは馴染みがあまりない。男子の必修科目には入っていないからだ。いや、多分イマドキの学校では珍しいのではないだろうか。だって世情を考えれば、今の世の中男子だって家庭科の科目があっていいはずだ。だがしかし、ここは新設高校。俺が思うに、男子の授業にするには、単純に教師が足りないんだなって感じだ。

独特の水道や調理台が並ぶ教室を見渡す。特にバトル相手は見当たらない。俺はリキを振り返った。するとリキは指を鳴らした。

「は?」

いきなりドアからふりふりのメイド姿の女の子が入ってきた。これはもしや。



「紹介しよう、我が僕、ファンクラブ会員の二宮さんだ」

「この前が一宮で今度は二宮? それって本当に本名かよ!?」

俺の突っ込みを無視して、二人はなにやら勝手に動いた。気付けばまたどこから出したのか、リキはロココ調猫足の椅子に座っている。

「なんでそこだけ貴族なんだよ!?」

「気にするな、人には相応しい家具というものがあるんだよ。まあ、君はせいぜいレジャーシートかダンボールの上にでも座ってくれたまえ」

「普通にここの椅子に座るよ!」

そんな俺達の会話の合間に、二宮さんはテキパキと薬缶に水を注ぎ、お湯を沸かしだした。

リキは優雅に足を組む。だがその顔はどこか晴れない。細く美しい眉を顰めて憂鬱そうに額に手を当てる。



「君は今日の、一年女子の家庭科の授業がなんだったか知っているか?」

「家庭科? 知らないよ」

俺の回答にリキは目を閉じる。

「まあ、そうだろうな。では軽く説明してあげよう。今日は家庭科の授業があったワケだが、我が高は新設校であるため教師が足りない。家庭科教師は一人しかいない。その教師の都合で、今日は朝からこの教室は一日中、調理実習の授業が行われていたんだ」

「はあ、まあ、なんとなく分かりますよ。教師の授業全部いっぺんに済ませちゃおう計画ですよね」

「今日の授業はスコーンの作成だったらしい」

俺は素直に感想を言う。



「へえ、スコーンか、良いですね。俺大好きですよ、家じゃめったに食べられない高級品って感じで」

リキの目がキラリと光った。

「え?」

なんだか寒気を感じたぞ。気のせいか?

「ほう、それは良かった。まあ、君はこの前も俺のアフタヌーンティーを欲しがった位だ。今日もそう言ってくれると信じていたよ」

俺は嫌な予感を払拭出来ないまま訊ねた。

「えっと、そのスコーンが何か?」

リキはまた指を鳴らした。その動作ってキザな男か手品師だよな? つーかこの人の場合は両方か? 

そう思っていたら、二宮さんが机の一つに近寄った。今まで気付かなかったが、その机の上にだけ、こんもりと山が出来て布がかけられている。

二宮さんはその山にかかっていた布を掴んでどかした。

「え?」

そこに現れたのはスコーンの山だった。



「な、なんですか、これ?」

あまりの数に呆然とする。えっと、いったい何個あるんだ? 数百個?

リキは先ほどよりも更に眉を顰めて言う。

「これは調理実習で作られたスコーンだ。ま、だいたい想像がつくと思うが、女子生徒というのは調理実習で作ったお菓子を好きな男子に貢ぐものなんだよ」

「え、それってもしかして……」

俺はその数百個のスコーンを見た。

「全部リキさんへのプレゼント?」

「そういう事だ」

「ええ! マジっすか!? なんて羨ましい!」

リキはニヤリと笑った。

「ははは、羨ましいと言ったな。喜べ、君にもこれを食べさせてやろう!」

「え?」

驚く俺にリキは悪の幹部のように高笑いする。

「遠慮するな! 思う存分食べたまえ!」

「い、いや、嬉しいけど、でもちょっとこの量は一人で食べるには多すぎるのではないかと……」

「安心しろ」

リキはナプキンを掴んで膝に乗せた。

「この俺も一緒に食べてやる」







こうして俺とリキの、放課後スコーン大会が始まった。



俺とリキの二人はそれぞれスコーンに向かっていた。フリフリ服のメイドの二宮さんが紅茶を注いでくれるし、一個食べるとすぐにお替りを皿に置いてくれる。いや親切でありがたいんだけどさ、なんかこれ、わんこそば大会ですかって感じだよ。



「さあ、どんどん食べてくれよ。いちごジャムもクロテッドクリームもハチミツもあるぞ。たまに気分を変えるためにワサビとハバネロも用意した。遠慮なくつけてくれ、まあ俺はつけないけどな」

「俺もそんな危険なモノつけませんよ! つーかそれ罰ゲームじゃないですか!」

つっこんでみたが、でもこの状態自体罰ゲームみたいなもんだなって思った。



「スコーンもアレですね、いろんなサイズと味がありますね」

スコーンを口に入れながらリキが答える。

「女子生徒の手作りだからな、こんなもんだろ」

俺はスコーンを咀嚼しながら言う。

「でも、すごいですね、こんだけの数をもらえるなんて、男としては羨ましいですよ」

素直な感想にリキは目を細めた。

「羨ましいね、確かに君からしたらそうだろう。だがしかし、俺がこのスコーンを受け取るだけでも、大変な労力があったと君は理解しているのかな?」

「労力?」

指についたジャムを舐めながら訊ねた。

「休み時間の度に廊下に列が出来上がるんだ。頬を赤らめてウジウジと渡す女子に、俺は笑顔で礼を言い続けないといけないんだぞ。それがどんなに大変だと思う?」

言われてみれば確かにそうかもしれない。自分の時間を奪われるし、毎度同じような言葉で礼を言うのも大変で疲れるだろう。しかもこの量のスコーンを食べなければいけないんだ。

リキは新たなスコーンを二つに割りながら言う。



「君もこれで少しは理解できたんじゃないか? 過剰な好意が迷惑だって事が」

言われてハっとした。

リキは俺を見ないで皿を見たまま、スコーンを口に入れている。でも俺はリキが言いたかった事が分かった。七瀬嬢の事をこういった過剰な好意から遠ざけたいのだと。相手は好意を示してやっても、負担になる事は多い。俺は無理やり騎士にされて戦わされて理不尽だって思ったけど、こういう負担から七瀬嬢を守っているんだと思うと、なんだか自分に自信が持てた。それに菱形リキという人間も、なんだかただのドエス王子ではないんじゃないかと思った。

だって。



「このスコーン、ちゃんと食べてあげるんですね」

「ん?」

リキはスコーンをつまんだまま俺を見た。そんなリキに微笑みながら言う。

「だって食べずに捨てたって良いわけじゃないですか。でも貴方は律儀にこのスコーンを全部食べようとしている」

「主に食っているのは君だけどね」

「うん、そうですけど、でもちゃんと彼女達の気持ちを汲んでくれていると思いますよ。なんかリキさんて、ちょっと良い人だなって思っちゃいました」

リキは笑った。

「はは、そんなに褒めないでくれよ。ま、俺様が出来た人間なのは確かだがな」

なんかいつもの調子に戻ったぞ。

「それにこれだけの量を捨てたらバレるからな。ちょっとでも彼女達の評判を落としたら面倒だ。第一彼女達は俺の大事なファンクラブ会員だ。俺のために末永く働いてもらうためにも大事にするべきじゃないか?」

「やっぱりなんか悪の発言ですね!」

俺はいつものように突っ込んでいた。でも、うん、そう、リキがドエスなだけじゃないって、ほんのちょっと思った。



「えっとリキさん、さっきからそっちのスコーンの数が減ってないんじゃないですか?」

俺の問いにリキはテーブルに頬杖をつきながら答える。

「ああ、俺はもうお腹いっぱいだ。後は君が全部食べてくれ」

ガタっと椅子から立ち上がる。

「ちょっと待って下さいよ! 俺リキさんの10倍は食べたと思うんですけど!」

「ああ、15倍位は食べていたようだな」

「だったら後はリキさんのノルマでしょう! もともとリキさんのもらったモノだし!」

俺が熱く叫んでいるのに、リキはシラっとした顔をしている。



「だがお前はスコーンを食べたいと言ったんだ。だから責任持って食え」

「ちょ、これ以上食べたらお腹壊します!」

「壊せば良い」

「鬼ですか、貴方は!」

「鬼というか王子かな? ま、この俺がルールだ」

やっぱりこいつは悪だ。ドエスだ。俺が拳を握り締めてプルプルしていたら、リキはトドメの一言を言った。

「あ、その中には七瀬が作ったのも入ってるんだった。まさか君は七瀬が作ったスコーンを残すつもりじゃないよな?」

「え?」

まだまだ残ったスコーンの山を見つめた。

「この中に七瀬さんの……」

俺は頭を抱えた。もう食べたくない! でも七瀬嬢のスコーンは何が何でも食べたい。

「うわー!」

叫びながら再び椅子に座り、スコーンに向かった。

とにかくもう、残さずに食べるしかないんだ。



覚悟を決めてスコーンを食べ出したら、横に居た二宮さんが紅茶を淹れてくれた。そして小声で「頑張って」と言ってくれた。

俺はそんな彼女にちょっと驚いたが、なんだか胸が温まった。

応援してくれる人もいるし、七瀬嬢のスコーンもあるし、俺は頑張ろうと、そう思ったのだった。

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