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6.自転車バトル
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6.自転車バトル
宮沢賢治の銀河鉄道の夜という話はすごく悲しいけど綺麗な物語だ。
丘の上に現れる銀河鉄道。それに乗って旅をするカンパネルラとジョバンニ。
そう、我が銀鉄高校も丘の上に存在している。
学校名を決めてから丘の上に建てたわけではないだろうが、丘の上という立地は通う方からするとウンザリする。
いやさ、物語なら綺麗なだけで良いんだけど、実際毎日坂道を上らされる方はたまらない。
途中で先生達の車が追い抜いていったりした日には、殺意すら覚えるね。
だいたい花や草が生える見晴らしの良い美しい丘にあるならまだしも、キャベツ畑を抜けて歩く田舎道ときた日には心癒されない。
いっそ俺が青虫だったならこのキャベツ畑も宝の山に見えたかもしれない。
「っていくらなんでも青虫はないよな」
つい下らない思考に陥り、おかしな独り言を呟いてしまった。
一応はちゃんと舗装されたアスファルトの道に、登校途中の生徒が点在している。
あまり近くに人はいないから、幸い今の独り言は誰も聞いてないだろう。
そう思った時、後ろから気配を感じた。
刺客か?!
振り向こうとすると、俺の横を猛スピードで自転車が通過していった。
初夏に向かうこんな暑い日に、坂道を自転車で上っていくなんて元気な生徒だなと思った。
なんとはなくその自転車を目で追った。丘の上にある校舎。その校舎に向かって伸びる坂道。
歩いたってキツイこの坂を、その自転車はグイグイ上っていく。
「マジですか?」
普通は押していくよなっていう斜面を、バイクかと思うようなスピードで自転車は上りきっていった。
電動式ではなく普通の自転車でだ。
「うちの学校競輪部はないよな?」
なんと言ったって新設校だ。どんな部活があるか判らないから怖い所だ。
「競輪部ぅ?」
俺の問いに砂原は奇妙な声で答えた。
「いや、それはないだろう。いくらなんでも競輪部はないよ」
「だよな」
俺は一応確認していた。
「いくらウチの学校が変わってたって競輪部はないよな」
「ああ、でも競艇部はあるよ」
「そっちの方がおかしいよな!」
「あ、他には競輪部はないけど経理部はあるよ」
「どこの企業なんだ?」
俺が真面目に突っ込むと砂原は人差し指を立てて言う。
「この世知辛い世の中、即戦力として働けるように経理は必須。我が高校はそんな経理を学べる授業ではなく部活があるのだよ」
「なんか現実的すぎて夢がない感じ」
砂原は肩に腕を乗せてきた。
「そんな落ち込むなよ。かわりに我が校には夢のある授業があるじゃないか」
「夢のある授業?」
「宝くじを絶対当ててやろう! の確立統計、縁起担ぎの授業だよ。年末とサマーに合わせ、半年に一回はあるじゃないか」
やっぱりウチの学校はおかしい。今からでも高校入試をやり直した方が良いだろうか? 俺はそう思って額を指で押さえた。
休み時間に廊下を歩いていたら、偶然にも七瀬嬢を見かけてしまった。
彼女はホールの隅で女子の集団に混じっていた。暫し見惚れるように彼女を見つめた。
4.5人の女子の固まりだが、七瀬嬢は積極的に話す事はなく、ただ微笑を浮かべて話を聞いている。
時折話を振られるようだったが、七瀬嬢は特に多くを語っている様子はなかった。
自分をちょっと危ない人間かなと思いながらも七瀬嬢から目を離せない。
こんな所を砂原やリキに見られてストーカー呼ばわりされても、あんまり言い訳が出来ない感じだ。
誰かにみつかる前に移動しよう。そう思って動きかけた時、見てしまった。
七瀬嬢は会話の途中で悲しそうに、いや、淋しそうに? 眉を顰めた。
俺はその表情に動けなくなってしまった。
たった今まで、彼女はあの場所で友人と会話を楽しんでいるんだと思っていた。
なのに彼女のあの顔は楽しそうなモノではなかった。憂いを帯びた、どこか悲しそうな顔だった。
見ていると、彼女はまた悲しそうな顔をした。いや、悲しいというより諦めに近い顔だろうか?
苛められているとか嫌がっているとか、そんな風には見えない。
ただ何か諦めたように、悟ったように微苦笑しているんだ。
やがて彼女達はホールから移動して教室に向かっていった。列の後方を歩く七瀬嬢を複雑な思いで見つめた。
何かが彼女を悩ませているのだろうか? だったら少しでも彼女の力になりたい。
「なー完璧な美貌を持った人間が悩む事って何だろうな」
昼休みに俺の机の前でパンを齧っている砂原に聞いてみた。
「モテ過ぎて困るってヤツだろ」
「それは、まあ、あるよな……」
先日のリキのスコーン地獄を見れば分かる通り、度が過ぎた好意は負担になる。
もちろんストーカーとかの心配もあるだろう。
じゃあ七瀬嬢のあの顔はそういった悩みからくるモノだろうか? それとももっと違うモノだろうか。
あそこに居たのは女子。そう考えると美しい七瀬嬢は他の女子に妬まれて嫌がらせを受けている?
でもあの時の顔はそこまで酷い嫌がらせを受けたとか、そんな顔ではなかった。どこか諦観したような顔だった。
箸を持ったまま固まっていた俺に砂原が言う。
「弁当食わないの? じゃあそのウインナーいただき!」
砂原が指を伸ばすから叩き落とした。
「ひでー! せっかく質問に答えてやったのに!」
「たいした役に立ってないだろう」
「なんだよ、庶民顔のマモル君には分からない、美形の悩みをこの超イケメンの俺様が教えてあげたのに」
「お前のどこがイケメンだよ。ああ、髪型? そうだな、髪型はイケメンだよな」
「失礼だな! でもまあ許してやろう、自分の庶民顔は否定しなかったからな。自覚があるんだよな、よし相打ちって事にしてやろう」
何が相打ちだよって思ったが俺は黙って弁当に集中する事にした。
弁当を食べ終わると、上級生のクラスのある校舎一階へとやってきた。リキは確か2年2組だったはずだ。
リキに会いに来たわけだけど、流石に上級生のクラスと言うのは気が引ける。
ちょっと緊張しながら教室を覗きこむと、リキはすぐに見つかった。
流石、どこに居たって一目でわかる美形だ。
恐ろしい位に綺麗な人間ていうのは、本当に身体からオーラを発しているかのように他とは違って見えるから不思議だ。
幽霊的なモノは信じない主義だけど、オーラとかは信じたくなってしまう。
どう声をかけようか悩んでいると、リキの方が俺に気付いた。
今まで話していたクラスメイトに何か言うと、俺の方にやってきた。
「やぁマモル君じゃあないか、もしかしてこの俺に用かな?」
「……そうです」
「え、そうなんだ。まさか告白? イヤー困っちゃうな、俺は女性しか愛せない人間なんだ。それに君が女性だとしてもその顔はないな、うん、ありえない」
「告白してないのに振らないでくれます!?」
「まあ、そんな大声で突っ込まないでくれよ。おかしな噂が立ったら困るだろう。俺が下級生の火星人と言い争ってたってさ」
「俺火星人じゃありませんけど?」
「まあまあ」
リキは俺の背中を押して廊下を歩きだした。
昇降口前のホールまで移動した。そこのベンチに座ってから、俺は話を切り出した。
「あの、リキさんにお聞きしたかったんですけど」
「何かな? 密室殺人の謎かな? 雪には足跡がないのに中で殺人が行われていた、そうか、ならそれは犯人は第一発見者だな」
「聞いてないです」
「もしかして第一発見者は君か? じゃあ犯人はお前だな」
俺はリキの言葉を無視して言う。
「リキさん程の美形だと一体どんな事で悩みますか?」
「は?」
リキの顔が先程とは変わって、真面目なモノになる。
「こないだみたいに過剰な好意が負担になるっていうのは分かります。でも、俺みたいに平凡な人間にはない、特別な悩みがあるんじゃないかなって思ったんです」
「俺に悩みなんかないよ」
リキは目を細めると冷たく言った。
「いや、そのリキさんがっていうか、その……特別綺麗な人の話です」
「七瀬の事か?」
リキの声が更に冷たく感じだ。そこはちょっと誤魔化して言う事にする。
「綺麗だと、俺みたいな普通の人間には分からない、特別な悩みとかがあるんじゃないかって思ったんですよ。何か精神的に困ったりとか」
「お前はバカだな」
リキはすごく真面目な顔をしていた。そして立ち上がると俺の前に立って言う。
「顔が良いから特別悩むとか、そんな事じゃないだろう? 人間なんだよ。生きていれば悩む事も辛い事もあるんだよ。それを顔が良いとか悪いとかで理解できないみたいに言うな。顔が良いにしろ悪いにしろ、どっちにしろ悩みはあるんだからさ」
リキの顔をまじまじと見つめた。リキの言葉が胸に刺さる。
そうだ、綺麗だから悩んでるんじゃないんだ。顔がどうであれ、悩む事は誰にでもあるんだ。それこそ些細な悩みから、大きなコンプレックスまで、なのに俺は勝手に顔が良いから人とは違う悩みじゃないかと考えてしまった。俺はなんてすごい勘違いをしていたんだ。
「すみません、そうですね。顔が良くても悪くても、どっちだってそれなりの悩みがあるんですもんね」
素直に謝って頭を下げた。するとリキはふっと息を吐いた。
「分かれば良い。まあ、確かにお前のような不自由な顔の人間の悩みは、この美しい俺様には理解できないかもしれないけどな」
「格好良い事言ったばかりなのに、また失礼な発言ですね! つーか不自由って何!?」
叫ぶ俺の事を完全無視して、リキは続ける。
「ま、お前が七瀬の力になりたいって思ってくれたのはありがたいと思うよ。でもだからって無理に聞き出したりはするなよ」
「え?」
またも真面目な言葉に俺はリキを見た。
「はい」
俺が素直に返事をするとリキは微笑んだ。ちょっと温かい気持ちになった。
リキは普段はドエスで悪の幹部のような性格ではあるけれど、でも根はすごく真面目で良い人なんだなって思う。
この前もそう思ったし、今もそうだ。この人はきっと、本当はすごく他人を思いやれる人なんだろう。
放課後、席から立ち上がろうとした時だった。目の前を何かがシュっと横切った。
俺はゆっくりと首をその物体の方に向けた。
「これは!?」
壁に刺さったそれを見た。
「キャッツカードじゃないか!?」
それを手にとってまじまじと見つめた。いや、懐かしい。かの昔に一世を風靡したあのキャッツカードだ。
「何それ?」
目ざとく砂原が近寄ってきて聞いた。
「何ってキャッツカードだろう、泥棒の犯行予告のカードだよ」
「え、犯行予告? それって怪盗キッドじゃなくて?」
「なんて事だ、めちゃくちゃ平成か令和の発言だな。ここはキャッツカードといく方が良いんだよ。昭和万歳なんだよ」
「お前って本当に昭和好きな。普通キャッツなんとかなんて知らないよ」
「何を言ってるんだ、砂原! キャッツアイといえば昭和を生きていれば誰もが知っている物なんだぞ! それはもう猫も杓子もキャッツアイ。町を歩けばレオタードを着た女子にしか出会わないという一時代を築いたものなんだぞ!」
「なんだと! レオタード!? ああ、俺はその時代に生まれたかった!」
砂原が本気で頭を抱えて悔しがっていた。それを放置してカードの文字を読んだ。
「ん……」
それはいつもの七瀬さん関係の呼び出しのようだった。
『七瀬の騎士よ、正門で待機せよ』
それだけ書かれている。って事はこれを書いたのはリキか? まあ、あの人ならキャッツカード位の細工はしそうだよな。俺はまだ頭を抱えて悔しがっている砂原を置いて、正門に向かった。
緑の生い茂る前庭を歩き、正門に辿り着くと、そこには王子様がいた。
「へ?」
リキは黒いビロードのような生地のジャケットに、フリフリのシャツとか着ている。
「なんですか? ビジュアル系バンドでも始めたんですか?」
「メイドもいるからな、たまには正装をしてみた」
「正装って、違うと思う」
でもまあ格好良いのは確かだ。こんな服を着ても似合ってしまうのが美形のお得な所だ。俺が着たって学芸会位にしか見えないだろう。
「俺を呼び出したって事は、今日もバトルって事ですよね?」
「ああ、今日の君の相手は彼だよ」
正門の前に立つ少年に気付いた。
「いつの間に!?」
「いや、僕は最初からいたよ」
地味そうな黒髪の少年だった。
「あんたが派手すぎて気付かなかったじゃないですか?」
リキにそう言ったら、鼻で笑われた。
「ふん、君の注意力が足りないだけじゃないか。周りに気を配っておけないと、いつかバトルに負ける事になるからな、注意していろよ」
それは、ちょっと一理あるかなと思った。
「僕は品川郁瑠、君と同じ一年だよ」
郁瑠は話した感じもごくごく普通だった。彼がどんな戦いをするのかまだ分からないが、結構まともな戦いそうだなと思った。
「今日のバトルは至って簡単だよ。マモルは彼と校舎一周の競争をすれば良いだけだからね」
リキの言葉で初めて、郁瑠が自転車を掴んでいる事に気付いた。あまりにも自然な通学にありそうな風景だったから気付かなかった。
「自転車勝負って事か? でも俺自転車とか持ってないけど」
「安心しろ、俺が貸してやるからさ」
リキはそう言った。俺は郁瑠が掴んでいる自転車を観察するように見た。あれってただの自転車じゃなくて……。
「あれってロードレーサー?」
郁瑠は首を振った。
「これは僕のリック号だよ、そんな無粋な名前で呼ばないでくれ」
「リックって、日本のあの伝説のライダー足立陸か?」
その昔バイクのレースで世界的に活躍していた人だ。あだ名はリック。
たまたま動画サイトで見た事があったが、めちゃくちゃ格好良い走りをする人だった。
「そう、僕はリックを尊敬しているんだ! 他国の有名選手だってリックに憧れてたんだよ、リックは日本のスーパースターなんだ!」
「そ、そうだね」
なんだかリックに関してはすごく熱いヤツなんだなと思った。
「じゃあ、そろそろバトルの準備をしようか」
リキはそう言うと指を鳴らした。するとどこかからメイドが現れた。メイドというよりすでに忍者だよ。
俺は新たなメイドさんを見て言った。
「彼女の名前はアレだろ、三宮さん。今日で三回目だもんな」
リキの先を読むように言った。するとリキはしらっとした顔で言う。
「残念だね、今日のメイドは九十九君だ」
「ツクモ? いきなり数字飛んだんだけど!?」
俺の突っ込みにリキは前髪をサラリとかきあげる。
「じゃあ、九十九君、アレをひいてきてくれ」
「あれ?」
疑問に思って口にした。自転車じゃないのか?
「マモル君、君には特別に俺の白馬を貸してあげよう」
「白馬!?」
「ははは、遠慮するな、慣れれば簡単だし、俺のアンドリュー号は速いぞ」
「馬なんか乗れるワケないでしょう!」
突っ込み疲れた頃、九十九さんが戻ってきた。
「あ、なんだちゃんと自転車じゃん」
ごく普通の自転車に安堵した。そして暫くしてから気付いた。
「あの、それってただのママチャリじゃないですか?」
「ああ、これは俺のファンクラブの女の子が貸してくれたモノだ。有難く貸してもらえ」
「だって相手はロードレーサーですよ、こんなギアも何もついてないママチャリで勝負になるワケないじゃないですか!」
「久世君」
俺達の間に郁瑠が割って入った。
「大事なのはマシンじゃなくて腕だよ。操る人間の技量が勝負を決めるんだ。マシンなんてたいした差はないよ」
「そ、そうなのか?」
呟いたら、ママチャリのハンドルを握らされた。
「よし、じゃあ勝負だ!」
郁瑠はさっさとスタートの準備に入った。俺もなんだかその横に並ばされる。
「ルールは簡単だよ。学校をこのまま一周して帰ってくれば良いんだ。正門がゴールだ。ま、10分もかからずに終るバトルだね」
リキがものすごく簡単に説明した。まあ、確かにいつものバトルよりはぜんぜん楽そうだ。
郁瑠のロードレーサーの隣でママチャリに跨った。そんな俺を見て郁瑠はクスリと笑った。
「な、なんだよ?」
「なんでもないよ。でも勝負は勝負。本気で行くからね」
「分かってるよ」
「そう、なら良いんだ。僕だって菱形さんの事は本気で好きだからね。君を倒さないと交際も申し込めないというルールなら、僕は全力で君を倒すのみだよ」
その言葉にゴクリと唾を飲み込んだ。いくら自転車バトルと言っても、七瀬嬢を思う郁瑠の気持ちは真剣なんだ。俺だって真剣に臨まないといけない。
「じゃあ、スタートの合図をするよ」
リキは俺達の少し前に立った。
「このハンカチが地面に落ちたらスタートだ」
なんか貴族チックなスタートだなと思ったが、リキが持ったハンカチに集中した。
リキが指を離すと、ハンカチは意外な程すんなり地面に落ちた。俺は自転車を漕ぎ出す。
「え?」
真横をものすごいスピードで郁瑠が走っていった。
「ちょっと待てよ、何あの速さ。ロードレーサーってあんなに速いのか?」
呟いて郁瑠の背中を見た時に気付いた。今朝、坂道だっていうのに猛スピードで俺を追い抜いていった自転車、あれは郁瑠だったんだと。
「マジかよ」
必死に自転車を漕ぎ出した。ママチャリとバカにしていたが、まあ普通の自転車なのでそれなりに進んでいく。
この学校は丘の上にあるので登校には坂を上るが、校舎一週となると坂を上ったり下ったり、それなりに起伏がある。
住宅街や狭いキャベツ畑の間とか信号のある道路も走らないといけない。俺は必死に漕いで郁瑠の背中を追いかけた。
とりあえず視覚の中に郁瑠の姿は常に収めていたい。
暫く自転車を漕いでみて、気づいた。坂道を下る時は俺達に差はあまり出来ない。
下る時は安全性も考えて郁瑠もスピードを緩めるからだ。通学路でもそうだ。まだ帰宅途中の生徒がいるから、気遣ってスピードを緩めている。
息を切らして自転車を漕ぎながら、昔たまたま読んだバイクのレーサーのインタビューを思いだした。
タイムを縮めようと思った時に、コースのすべてを考えてタイムを短くしようと思うなと言うんだ。
たった一つのコーナーを1秒縮めれば良い。コーナーで1秒縮まれば、結局は全体で1秒縮まる事になる。
その考えのように、どこか俺にとって有利な場所で距離をつめようと思った。
住宅街や下り道では郁瑠との距離を縮められた。思うに今までのバトルで動体視力を鍛えられたせいではないかと思う。
俺は障害物を避けるのがすごく上手かった。だけど上りの坂道は流石に厳しい。足が疲れて歩いた方が速そうな位だ。
こんなんじゃもう無理だ。とても追いつけない。そう思いながら坂道を上る。
もう息も絶え絶えだし、足なんかガクガクで感覚があまりない。歯を食いしばってペダルを漕ぎ、ようやく直線になったので前を見た。すると何故か郁瑠の自転車が止まっている。
「え?」
何してんだ? そう思いながら郁瑠に近寄っていく。近付いてなんで郁瑠が立ち止まっていたのか分かった。
「信号!」
目の前にある十字路の信号が赤になっている。郁瑠は律儀にも信号を守って止まっているんだ。
俺は自転車を漕ぐと郁瑠の横に並んだ。
「バカか、お前、あんなにリードしてたのに、信号なんかで立ち止まって」
郁瑠はジロリと俺を睨んだ。
「交通ルールを守るのは当然だろう! 君にもルールは守らせるよ!」
言われて俺も足をつく。まあ、郁瑠が守っているのに自分だけ破るのは嫌だからな。
俺は黙って信号を見つめた。青になったら一気に走る。幸いな事に、ここから正門までは直線だった。
これならなんとかなるかもしれない。俺は信号を凝視し、そして青になった瞬間走り出した。
「よし! いける!」
スタートは俺の方が早かった。視力には自信がある。俺はママチャリを全力で漕いだ。
「行けー! アンドリュー!!」
なんか感化されていたかもしれない。思わず変な名前を叫んでいた。
正門の前にはリキの姿が見える。俺はリキに向かって突っ込んでいった。このままドエスを轢いてやれって勢いだった。
流石にリキが俺に轢かれる事はなかった。しっかり避けられてしまった。
前庭の中で砂埃を巻き上げながら自転車を止めた。振り向くと郁瑠の姿があった。
「勝負は?」
リキに訊ねると、リキは風で乱れた髪を直しながら言う。
「安心しろ、お前の勝ちだよ」
安堵するとアンドリュー号から降りた。そして郁瑠に向かって歩いた。
郁瑠はロードレーサーから下りると肩を落としてうな垂れていた。そんな郁瑠の肩に手を乗せる。
「そんな悔しそうな顔するなよ、俺このバトルでお前に憧れたんだからさ」
「え?」
郁瑠は驚いたように顔を上げた。
「イクルはさ、道に誰かがいる時はスピードを落としてたじゃん。最後の直線でもそうだったし、十字路では一時停止もしてたよな? 俺、今回はバトルだったから結構無理して走ってた。何も事故はなかったけど、イクルみたいにまわりに気を遣って、自転車は乗らないといけないなって思ったんだ。だから俺はこういう走りをいつもしてるイクルを尊敬するよ」
「久世君……」
俺は郁瑠に向かって右手を出した。それを郁瑠は握り返してくれた。
「ありがとう、君は良い人だね。それに最後の信号待ちも、僕に付き合って信号守ってくれてありがとう」
「え、ああ」
俺の返事に郁瑠は少し寂しそうに微笑んだ。
「僕の憧れのリックはね、交通ルールを無視したドライバーの車にぶつかって死んでしまったんだ」
「え?」
ショックを受けた。リックが? あの有名人が、そんな?
「リックは市道をバイクに乗って走ってたんだ。そこで交通違反したトラックにぶつかった」
淋しそうに言う郁瑠を見て俺は唇を噛み締めた。
「俺、これからも交通ルールは守るよ。絶対だ」
そう言ったら郁瑠は明るい笑顔を見せてくれた。
うん、俺は約束するよ。誰かを傷つけないように、ルールを必ず守ると。
郁瑠は大きく息を吸い込んで深呼吸し、ロードレーサーのハンドルを握った。
「今日は負けたけど、菱形さんへの愛の為に、一回り大きくなって君にはまた勝負を挑むよ。その時はよろしくね」
「ああ」
ロードレーサーに跨り、走りだした郁瑠に手を振った。
「今回はさわやかなバトルだったようだね」
横にいたリキがそう声をかけてきた。
「お陰さまで」
「俺はちょっと残念だったよ、いつものように這いつくばって、泣き叫ぶ、君の面白ろおかしい姿が見れなくて」
「いつも面白がってたんですか!? 鬼のようですね! てか這いつくばって泣き叫んでないし!」
リキが近付いてきた。そして整った顔をやけに俺に近づけた。
「それよりもさ、君はさっき、この俺の事を轢き殺そうとしたかな?」
「あ……」
いや、つい出来心です、なんて言ったら殺されそうだよな。
慌てて首を振ると1歩下がった。
「あ、じゃあ、俺はこれで! お疲れ様でした!」
バトルには勝ったが、俺はリキの前からは逃げるように立ち去ったのだった。
宮沢賢治の銀河鉄道の夜という話はすごく悲しいけど綺麗な物語だ。
丘の上に現れる銀河鉄道。それに乗って旅をするカンパネルラとジョバンニ。
そう、我が銀鉄高校も丘の上に存在している。
学校名を決めてから丘の上に建てたわけではないだろうが、丘の上という立地は通う方からするとウンザリする。
いやさ、物語なら綺麗なだけで良いんだけど、実際毎日坂道を上らされる方はたまらない。
途中で先生達の車が追い抜いていったりした日には、殺意すら覚えるね。
だいたい花や草が生える見晴らしの良い美しい丘にあるならまだしも、キャベツ畑を抜けて歩く田舎道ときた日には心癒されない。
いっそ俺が青虫だったならこのキャベツ畑も宝の山に見えたかもしれない。
「っていくらなんでも青虫はないよな」
つい下らない思考に陥り、おかしな独り言を呟いてしまった。
一応はちゃんと舗装されたアスファルトの道に、登校途中の生徒が点在している。
あまり近くに人はいないから、幸い今の独り言は誰も聞いてないだろう。
そう思った時、後ろから気配を感じた。
刺客か?!
振り向こうとすると、俺の横を猛スピードで自転車が通過していった。
初夏に向かうこんな暑い日に、坂道を自転車で上っていくなんて元気な生徒だなと思った。
なんとはなくその自転車を目で追った。丘の上にある校舎。その校舎に向かって伸びる坂道。
歩いたってキツイこの坂を、その自転車はグイグイ上っていく。
「マジですか?」
普通は押していくよなっていう斜面を、バイクかと思うようなスピードで自転車は上りきっていった。
電動式ではなく普通の自転車でだ。
「うちの学校競輪部はないよな?」
なんと言ったって新設校だ。どんな部活があるか判らないから怖い所だ。
「競輪部ぅ?」
俺の問いに砂原は奇妙な声で答えた。
「いや、それはないだろう。いくらなんでも競輪部はないよ」
「だよな」
俺は一応確認していた。
「いくらウチの学校が変わってたって競輪部はないよな」
「ああ、でも競艇部はあるよ」
「そっちの方がおかしいよな!」
「あ、他には競輪部はないけど経理部はあるよ」
「どこの企業なんだ?」
俺が真面目に突っ込むと砂原は人差し指を立てて言う。
「この世知辛い世の中、即戦力として働けるように経理は必須。我が高校はそんな経理を学べる授業ではなく部活があるのだよ」
「なんか現実的すぎて夢がない感じ」
砂原は肩に腕を乗せてきた。
「そんな落ち込むなよ。かわりに我が校には夢のある授業があるじゃないか」
「夢のある授業?」
「宝くじを絶対当ててやろう! の確立統計、縁起担ぎの授業だよ。年末とサマーに合わせ、半年に一回はあるじゃないか」
やっぱりウチの学校はおかしい。今からでも高校入試をやり直した方が良いだろうか? 俺はそう思って額を指で押さえた。
休み時間に廊下を歩いていたら、偶然にも七瀬嬢を見かけてしまった。
彼女はホールの隅で女子の集団に混じっていた。暫し見惚れるように彼女を見つめた。
4.5人の女子の固まりだが、七瀬嬢は積極的に話す事はなく、ただ微笑を浮かべて話を聞いている。
時折話を振られるようだったが、七瀬嬢は特に多くを語っている様子はなかった。
自分をちょっと危ない人間かなと思いながらも七瀬嬢から目を離せない。
こんな所を砂原やリキに見られてストーカー呼ばわりされても、あんまり言い訳が出来ない感じだ。
誰かにみつかる前に移動しよう。そう思って動きかけた時、見てしまった。
七瀬嬢は会話の途中で悲しそうに、いや、淋しそうに? 眉を顰めた。
俺はその表情に動けなくなってしまった。
たった今まで、彼女はあの場所で友人と会話を楽しんでいるんだと思っていた。
なのに彼女のあの顔は楽しそうなモノではなかった。憂いを帯びた、どこか悲しそうな顔だった。
見ていると、彼女はまた悲しそうな顔をした。いや、悲しいというより諦めに近い顔だろうか?
苛められているとか嫌がっているとか、そんな風には見えない。
ただ何か諦めたように、悟ったように微苦笑しているんだ。
やがて彼女達はホールから移動して教室に向かっていった。列の後方を歩く七瀬嬢を複雑な思いで見つめた。
何かが彼女を悩ませているのだろうか? だったら少しでも彼女の力になりたい。
「なー完璧な美貌を持った人間が悩む事って何だろうな」
昼休みに俺の机の前でパンを齧っている砂原に聞いてみた。
「モテ過ぎて困るってヤツだろ」
「それは、まあ、あるよな……」
先日のリキのスコーン地獄を見れば分かる通り、度が過ぎた好意は負担になる。
もちろんストーカーとかの心配もあるだろう。
じゃあ七瀬嬢のあの顔はそういった悩みからくるモノだろうか? それとももっと違うモノだろうか。
あそこに居たのは女子。そう考えると美しい七瀬嬢は他の女子に妬まれて嫌がらせを受けている?
でもあの時の顔はそこまで酷い嫌がらせを受けたとか、そんな顔ではなかった。どこか諦観したような顔だった。
箸を持ったまま固まっていた俺に砂原が言う。
「弁当食わないの? じゃあそのウインナーいただき!」
砂原が指を伸ばすから叩き落とした。
「ひでー! せっかく質問に答えてやったのに!」
「たいした役に立ってないだろう」
「なんだよ、庶民顔のマモル君には分からない、美形の悩みをこの超イケメンの俺様が教えてあげたのに」
「お前のどこがイケメンだよ。ああ、髪型? そうだな、髪型はイケメンだよな」
「失礼だな! でもまあ許してやろう、自分の庶民顔は否定しなかったからな。自覚があるんだよな、よし相打ちって事にしてやろう」
何が相打ちだよって思ったが俺は黙って弁当に集中する事にした。
弁当を食べ終わると、上級生のクラスのある校舎一階へとやってきた。リキは確か2年2組だったはずだ。
リキに会いに来たわけだけど、流石に上級生のクラスと言うのは気が引ける。
ちょっと緊張しながら教室を覗きこむと、リキはすぐに見つかった。
流石、どこに居たって一目でわかる美形だ。
恐ろしい位に綺麗な人間ていうのは、本当に身体からオーラを発しているかのように他とは違って見えるから不思議だ。
幽霊的なモノは信じない主義だけど、オーラとかは信じたくなってしまう。
どう声をかけようか悩んでいると、リキの方が俺に気付いた。
今まで話していたクラスメイトに何か言うと、俺の方にやってきた。
「やぁマモル君じゃあないか、もしかしてこの俺に用かな?」
「……そうです」
「え、そうなんだ。まさか告白? イヤー困っちゃうな、俺は女性しか愛せない人間なんだ。それに君が女性だとしてもその顔はないな、うん、ありえない」
「告白してないのに振らないでくれます!?」
「まあ、そんな大声で突っ込まないでくれよ。おかしな噂が立ったら困るだろう。俺が下級生の火星人と言い争ってたってさ」
「俺火星人じゃありませんけど?」
「まあまあ」
リキは俺の背中を押して廊下を歩きだした。
昇降口前のホールまで移動した。そこのベンチに座ってから、俺は話を切り出した。
「あの、リキさんにお聞きしたかったんですけど」
「何かな? 密室殺人の謎かな? 雪には足跡がないのに中で殺人が行われていた、そうか、ならそれは犯人は第一発見者だな」
「聞いてないです」
「もしかして第一発見者は君か? じゃあ犯人はお前だな」
俺はリキの言葉を無視して言う。
「リキさん程の美形だと一体どんな事で悩みますか?」
「は?」
リキの顔が先程とは変わって、真面目なモノになる。
「こないだみたいに過剰な好意が負担になるっていうのは分かります。でも、俺みたいに平凡な人間にはない、特別な悩みがあるんじゃないかなって思ったんです」
「俺に悩みなんかないよ」
リキは目を細めると冷たく言った。
「いや、そのリキさんがっていうか、その……特別綺麗な人の話です」
「七瀬の事か?」
リキの声が更に冷たく感じだ。そこはちょっと誤魔化して言う事にする。
「綺麗だと、俺みたいな普通の人間には分からない、特別な悩みとかがあるんじゃないかって思ったんですよ。何か精神的に困ったりとか」
「お前はバカだな」
リキはすごく真面目な顔をしていた。そして立ち上がると俺の前に立って言う。
「顔が良いから特別悩むとか、そんな事じゃないだろう? 人間なんだよ。生きていれば悩む事も辛い事もあるんだよ。それを顔が良いとか悪いとかで理解できないみたいに言うな。顔が良いにしろ悪いにしろ、どっちにしろ悩みはあるんだからさ」
リキの顔をまじまじと見つめた。リキの言葉が胸に刺さる。
そうだ、綺麗だから悩んでるんじゃないんだ。顔がどうであれ、悩む事は誰にでもあるんだ。それこそ些細な悩みから、大きなコンプレックスまで、なのに俺は勝手に顔が良いから人とは違う悩みじゃないかと考えてしまった。俺はなんてすごい勘違いをしていたんだ。
「すみません、そうですね。顔が良くても悪くても、どっちだってそれなりの悩みがあるんですもんね」
素直に謝って頭を下げた。するとリキはふっと息を吐いた。
「分かれば良い。まあ、確かにお前のような不自由な顔の人間の悩みは、この美しい俺様には理解できないかもしれないけどな」
「格好良い事言ったばかりなのに、また失礼な発言ですね! つーか不自由って何!?」
叫ぶ俺の事を完全無視して、リキは続ける。
「ま、お前が七瀬の力になりたいって思ってくれたのはありがたいと思うよ。でもだからって無理に聞き出したりはするなよ」
「え?」
またも真面目な言葉に俺はリキを見た。
「はい」
俺が素直に返事をするとリキは微笑んだ。ちょっと温かい気持ちになった。
リキは普段はドエスで悪の幹部のような性格ではあるけれど、でも根はすごく真面目で良い人なんだなって思う。
この前もそう思ったし、今もそうだ。この人はきっと、本当はすごく他人を思いやれる人なんだろう。
放課後、席から立ち上がろうとした時だった。目の前を何かがシュっと横切った。
俺はゆっくりと首をその物体の方に向けた。
「これは!?」
壁に刺さったそれを見た。
「キャッツカードじゃないか!?」
それを手にとってまじまじと見つめた。いや、懐かしい。かの昔に一世を風靡したあのキャッツカードだ。
「何それ?」
目ざとく砂原が近寄ってきて聞いた。
「何ってキャッツカードだろう、泥棒の犯行予告のカードだよ」
「え、犯行予告? それって怪盗キッドじゃなくて?」
「なんて事だ、めちゃくちゃ平成か令和の発言だな。ここはキャッツカードといく方が良いんだよ。昭和万歳なんだよ」
「お前って本当に昭和好きな。普通キャッツなんとかなんて知らないよ」
「何を言ってるんだ、砂原! キャッツアイといえば昭和を生きていれば誰もが知っている物なんだぞ! それはもう猫も杓子もキャッツアイ。町を歩けばレオタードを着た女子にしか出会わないという一時代を築いたものなんだぞ!」
「なんだと! レオタード!? ああ、俺はその時代に生まれたかった!」
砂原が本気で頭を抱えて悔しがっていた。それを放置してカードの文字を読んだ。
「ん……」
それはいつもの七瀬さん関係の呼び出しのようだった。
『七瀬の騎士よ、正門で待機せよ』
それだけ書かれている。って事はこれを書いたのはリキか? まあ、あの人ならキャッツカード位の細工はしそうだよな。俺はまだ頭を抱えて悔しがっている砂原を置いて、正門に向かった。
緑の生い茂る前庭を歩き、正門に辿り着くと、そこには王子様がいた。
「へ?」
リキは黒いビロードのような生地のジャケットに、フリフリのシャツとか着ている。
「なんですか? ビジュアル系バンドでも始めたんですか?」
「メイドもいるからな、たまには正装をしてみた」
「正装って、違うと思う」
でもまあ格好良いのは確かだ。こんな服を着ても似合ってしまうのが美形のお得な所だ。俺が着たって学芸会位にしか見えないだろう。
「俺を呼び出したって事は、今日もバトルって事ですよね?」
「ああ、今日の君の相手は彼だよ」
正門の前に立つ少年に気付いた。
「いつの間に!?」
「いや、僕は最初からいたよ」
地味そうな黒髪の少年だった。
「あんたが派手すぎて気付かなかったじゃないですか?」
リキにそう言ったら、鼻で笑われた。
「ふん、君の注意力が足りないだけじゃないか。周りに気を配っておけないと、いつかバトルに負ける事になるからな、注意していろよ」
それは、ちょっと一理あるかなと思った。
「僕は品川郁瑠、君と同じ一年だよ」
郁瑠は話した感じもごくごく普通だった。彼がどんな戦いをするのかまだ分からないが、結構まともな戦いそうだなと思った。
「今日のバトルは至って簡単だよ。マモルは彼と校舎一周の競争をすれば良いだけだからね」
リキの言葉で初めて、郁瑠が自転車を掴んでいる事に気付いた。あまりにも自然な通学にありそうな風景だったから気付かなかった。
「自転車勝負って事か? でも俺自転車とか持ってないけど」
「安心しろ、俺が貸してやるからさ」
リキはそう言った。俺は郁瑠が掴んでいる自転車を観察するように見た。あれってただの自転車じゃなくて……。
「あれってロードレーサー?」
郁瑠は首を振った。
「これは僕のリック号だよ、そんな無粋な名前で呼ばないでくれ」
「リックって、日本のあの伝説のライダー足立陸か?」
その昔バイクのレースで世界的に活躍していた人だ。あだ名はリック。
たまたま動画サイトで見た事があったが、めちゃくちゃ格好良い走りをする人だった。
「そう、僕はリックを尊敬しているんだ! 他国の有名選手だってリックに憧れてたんだよ、リックは日本のスーパースターなんだ!」
「そ、そうだね」
なんだかリックに関してはすごく熱いヤツなんだなと思った。
「じゃあ、そろそろバトルの準備をしようか」
リキはそう言うと指を鳴らした。するとどこかからメイドが現れた。メイドというよりすでに忍者だよ。
俺は新たなメイドさんを見て言った。
「彼女の名前はアレだろ、三宮さん。今日で三回目だもんな」
リキの先を読むように言った。するとリキはしらっとした顔で言う。
「残念だね、今日のメイドは九十九君だ」
「ツクモ? いきなり数字飛んだんだけど!?」
俺の突っ込みにリキは前髪をサラリとかきあげる。
「じゃあ、九十九君、アレをひいてきてくれ」
「あれ?」
疑問に思って口にした。自転車じゃないのか?
「マモル君、君には特別に俺の白馬を貸してあげよう」
「白馬!?」
「ははは、遠慮するな、慣れれば簡単だし、俺のアンドリュー号は速いぞ」
「馬なんか乗れるワケないでしょう!」
突っ込み疲れた頃、九十九さんが戻ってきた。
「あ、なんだちゃんと自転車じゃん」
ごく普通の自転車に安堵した。そして暫くしてから気付いた。
「あの、それってただのママチャリじゃないですか?」
「ああ、これは俺のファンクラブの女の子が貸してくれたモノだ。有難く貸してもらえ」
「だって相手はロードレーサーですよ、こんなギアも何もついてないママチャリで勝負になるワケないじゃないですか!」
「久世君」
俺達の間に郁瑠が割って入った。
「大事なのはマシンじゃなくて腕だよ。操る人間の技量が勝負を決めるんだ。マシンなんてたいした差はないよ」
「そ、そうなのか?」
呟いたら、ママチャリのハンドルを握らされた。
「よし、じゃあ勝負だ!」
郁瑠はさっさとスタートの準備に入った。俺もなんだかその横に並ばされる。
「ルールは簡単だよ。学校をこのまま一周して帰ってくれば良いんだ。正門がゴールだ。ま、10分もかからずに終るバトルだね」
リキがものすごく簡単に説明した。まあ、確かにいつものバトルよりはぜんぜん楽そうだ。
郁瑠のロードレーサーの隣でママチャリに跨った。そんな俺を見て郁瑠はクスリと笑った。
「な、なんだよ?」
「なんでもないよ。でも勝負は勝負。本気で行くからね」
「分かってるよ」
「そう、なら良いんだ。僕だって菱形さんの事は本気で好きだからね。君を倒さないと交際も申し込めないというルールなら、僕は全力で君を倒すのみだよ」
その言葉にゴクリと唾を飲み込んだ。いくら自転車バトルと言っても、七瀬嬢を思う郁瑠の気持ちは真剣なんだ。俺だって真剣に臨まないといけない。
「じゃあ、スタートの合図をするよ」
リキは俺達の少し前に立った。
「このハンカチが地面に落ちたらスタートだ」
なんか貴族チックなスタートだなと思ったが、リキが持ったハンカチに集中した。
リキが指を離すと、ハンカチは意外な程すんなり地面に落ちた。俺は自転車を漕ぎ出す。
「え?」
真横をものすごいスピードで郁瑠が走っていった。
「ちょっと待てよ、何あの速さ。ロードレーサーってあんなに速いのか?」
呟いて郁瑠の背中を見た時に気付いた。今朝、坂道だっていうのに猛スピードで俺を追い抜いていった自転車、あれは郁瑠だったんだと。
「マジかよ」
必死に自転車を漕ぎ出した。ママチャリとバカにしていたが、まあ普通の自転車なのでそれなりに進んでいく。
この学校は丘の上にあるので登校には坂を上るが、校舎一週となると坂を上ったり下ったり、それなりに起伏がある。
住宅街や狭いキャベツ畑の間とか信号のある道路も走らないといけない。俺は必死に漕いで郁瑠の背中を追いかけた。
とりあえず視覚の中に郁瑠の姿は常に収めていたい。
暫く自転車を漕いでみて、気づいた。坂道を下る時は俺達に差はあまり出来ない。
下る時は安全性も考えて郁瑠もスピードを緩めるからだ。通学路でもそうだ。まだ帰宅途中の生徒がいるから、気遣ってスピードを緩めている。
息を切らして自転車を漕ぎながら、昔たまたま読んだバイクのレーサーのインタビューを思いだした。
タイムを縮めようと思った時に、コースのすべてを考えてタイムを短くしようと思うなと言うんだ。
たった一つのコーナーを1秒縮めれば良い。コーナーで1秒縮まれば、結局は全体で1秒縮まる事になる。
その考えのように、どこか俺にとって有利な場所で距離をつめようと思った。
住宅街や下り道では郁瑠との距離を縮められた。思うに今までのバトルで動体視力を鍛えられたせいではないかと思う。
俺は障害物を避けるのがすごく上手かった。だけど上りの坂道は流石に厳しい。足が疲れて歩いた方が速そうな位だ。
こんなんじゃもう無理だ。とても追いつけない。そう思いながら坂道を上る。
もう息も絶え絶えだし、足なんかガクガクで感覚があまりない。歯を食いしばってペダルを漕ぎ、ようやく直線になったので前を見た。すると何故か郁瑠の自転車が止まっている。
「え?」
何してんだ? そう思いながら郁瑠に近寄っていく。近付いてなんで郁瑠が立ち止まっていたのか分かった。
「信号!」
目の前にある十字路の信号が赤になっている。郁瑠は律儀にも信号を守って止まっているんだ。
俺は自転車を漕ぐと郁瑠の横に並んだ。
「バカか、お前、あんなにリードしてたのに、信号なんかで立ち止まって」
郁瑠はジロリと俺を睨んだ。
「交通ルールを守るのは当然だろう! 君にもルールは守らせるよ!」
言われて俺も足をつく。まあ、郁瑠が守っているのに自分だけ破るのは嫌だからな。
俺は黙って信号を見つめた。青になったら一気に走る。幸いな事に、ここから正門までは直線だった。
これならなんとかなるかもしれない。俺は信号を凝視し、そして青になった瞬間走り出した。
「よし! いける!」
スタートは俺の方が早かった。視力には自信がある。俺はママチャリを全力で漕いだ。
「行けー! アンドリュー!!」
なんか感化されていたかもしれない。思わず変な名前を叫んでいた。
正門の前にはリキの姿が見える。俺はリキに向かって突っ込んでいった。このままドエスを轢いてやれって勢いだった。
流石にリキが俺に轢かれる事はなかった。しっかり避けられてしまった。
前庭の中で砂埃を巻き上げながら自転車を止めた。振り向くと郁瑠の姿があった。
「勝負は?」
リキに訊ねると、リキは風で乱れた髪を直しながら言う。
「安心しろ、お前の勝ちだよ」
安堵するとアンドリュー号から降りた。そして郁瑠に向かって歩いた。
郁瑠はロードレーサーから下りると肩を落としてうな垂れていた。そんな郁瑠の肩に手を乗せる。
「そんな悔しそうな顔するなよ、俺このバトルでお前に憧れたんだからさ」
「え?」
郁瑠は驚いたように顔を上げた。
「イクルはさ、道に誰かがいる時はスピードを落としてたじゃん。最後の直線でもそうだったし、十字路では一時停止もしてたよな? 俺、今回はバトルだったから結構無理して走ってた。何も事故はなかったけど、イクルみたいにまわりに気を遣って、自転車は乗らないといけないなって思ったんだ。だから俺はこういう走りをいつもしてるイクルを尊敬するよ」
「久世君……」
俺は郁瑠に向かって右手を出した。それを郁瑠は握り返してくれた。
「ありがとう、君は良い人だね。それに最後の信号待ちも、僕に付き合って信号守ってくれてありがとう」
「え、ああ」
俺の返事に郁瑠は少し寂しそうに微笑んだ。
「僕の憧れのリックはね、交通ルールを無視したドライバーの車にぶつかって死んでしまったんだ」
「え?」
ショックを受けた。リックが? あの有名人が、そんな?
「リックは市道をバイクに乗って走ってたんだ。そこで交通違反したトラックにぶつかった」
淋しそうに言う郁瑠を見て俺は唇を噛み締めた。
「俺、これからも交通ルールは守るよ。絶対だ」
そう言ったら郁瑠は明るい笑顔を見せてくれた。
うん、俺は約束するよ。誰かを傷つけないように、ルールを必ず守ると。
郁瑠は大きく息を吸い込んで深呼吸し、ロードレーサーのハンドルを握った。
「今日は負けたけど、菱形さんへの愛の為に、一回り大きくなって君にはまた勝負を挑むよ。その時はよろしくね」
「ああ」
ロードレーサーに跨り、走りだした郁瑠に手を振った。
「今回はさわやかなバトルだったようだね」
横にいたリキがそう声をかけてきた。
「お陰さまで」
「俺はちょっと残念だったよ、いつものように這いつくばって、泣き叫ぶ、君の面白ろおかしい姿が見れなくて」
「いつも面白がってたんですか!? 鬼のようですね! てか這いつくばって泣き叫んでないし!」
リキが近付いてきた。そして整った顔をやけに俺に近づけた。
「それよりもさ、君はさっき、この俺の事を轢き殺そうとしたかな?」
「あ……」
いや、つい出来心です、なんて言ったら殺されそうだよな。
慌てて首を振ると1歩下がった。
「あ、じゃあ、俺はこれで! お疲れ様でした!」
バトルには勝ったが、俺はリキの前からは逃げるように立ち去ったのだった。
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