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春の章 魔法の使えぬ魔法使い
大それた報酬
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早くも戦意を喪失しているトゥーリを見て、マイスはひどく戸惑った。
「お、おい、トゥーリ。このままでは私がヒュドラを倒してしまうことになるぞ。いいのか? ほとんど君が倒したようなものなのに」
トゥーリは構わないとでもいうように、こくりと頷いた。どうやらトゥーリは、ヒュドラにとどめをさす役目をマイスに譲ろうとしているらしい。つまり、この最上級仮想精獣の魔力経験値の一番重要な部分を、譲渡する気でいるということだ。
大半のダメージを与えたのはトゥーリであり、その分の魔力経験値は間違いなくトゥーリが獲得するわけだが、それでもとどめを刺すとなれば、かなり多くの配当分を獲得できる。それこそ最上級仮想精獣に最後の一撃を食らわせたともなれば、今まで倒してきた仮想精獣などとは桁違いの魔力経験値が手に入るだろう。
考えられないトゥーリの気前の良さに、マイスは慌ててかぶりを振った。
「なぜだ、理解できない。こんなにも誉れある偉業だぞ。それをやすやすと他人に譲ろうだなんて」
マイスがいくら説得しても無駄だった。トゥーリは完全にヒュドラに興味を失くしており、一切行動しようとはしない。虫の息でまだ生かされているヒュドラのほうを、むしろ哀れに思った。
そして、いくら瀕死とはいえ、最上級仮想精獣の未知の力を侮ることは、こちらの命取りにもなりかねない。
そんな中で、ルビがあっけらかんとして言った。
「ラッキーじゃん。譲ってくれるっていうんだから、早く倒しちまえよ」
「そんな簡単に……!」
マイスはルビに言い返そうとしたが、ここで言い争っている場合ではないことは百も承知であった。
彼は大きくため息を吐くと、呆れたようにトゥーリを見つめて、それから恨み言にも似た忠告をよこした。
「……後で返せと言われても、もう無理だからな」
マイスは残りの魔力を振り絞り、大炎上の魔法をヒュドラに放った。無抵抗のヒュドラの巨体が一気に高温の青い炎に包まれる。
焼かれながら消滅していくヒュドラを見届けると、張り詰めていた糸が切れるように、マイスがその場でくずおれた。
ソルエルが手を貸そうと触れたところで、マイスの手が小刻みに震えているのがわかった。
「はは……情けないな」
「そんなことない。マイスもルビもすごかった。本当にびっくりしたよ」
「たしかに、自分でも思いがけないほどの底力が出たな……。だが、もうあんな戦い方はしたくないよ。命の危機に直面して初めて出せる力だ。――それに、私にはあまりに荷が重すぎた……」
マイスが震える拳をぎゅっと握りしめていた。自分がヒュドラを倒すことになるなど、まさか思ってもみなかったことだろう。無理もない。きっと、経験した者にしかわからない何かがあるのだろう。
すると、ルビが言い出しにくそうな様子で口を開いた。
「あのよ……感慨に浸ってるとこ悪ィんだけど、まだ終わってねーぞ。あれ――どうすんだよ、あのティタン」
はっとして、思わずソルエルとマイスはルビが指さした湖畔に視線を投げた。
ヒュドラと戦っているあいだ中、ずっと放置状態だった巨人族のティタンが、凍ったままですぐそこに横たわっているのだ。
全身を凍らされてもう完全に活動を停止しているようにも見えるが、それでも消滅していないということは、まだ息があるということだ。
「あれ、誰かなんとかしろよ。もし自然解凍でもしたらやばいどころの話じゃねーだろ」
マイスとソルエルは顔を見合わせたあと、示し合わせたように二人で首を横に振っていた。
「無理だ。私にはもう魔力は一切残っていない。今のですべて使い果たしてしまった」
「あの、ルビ、私何も力になれなくて……。本当にごめんなさい」
ルビが緑の瞳を大きく瞬かせた。
「マジかよ……。お、おい、転校生!」
ルビが慌てて、少し離れたところですでに腰を落ち着けているトゥーリに向かって叫んでいた。
「なんとかしろよ、これもお前がやったことだろ。責任もってちゃんと始末つけろ」
しかし、ヒュドラのときと同じように、トゥーリは一切取り合おうとはせず、完全に知らぬ素振りを決め込んでいた。
「はあぁぁっ?」
怒ってトゥーリに突っかかろうとするルビの手を、ふいにマイスが強めに掴んで止めた。
「離せよ、マイス!」
「ラッキーじゃないか、次はお前に譲ってくれるそうだぞ」
マイスの不敵な笑みに、ルビがぐっと言葉を詰まらせた。先ほどマイスにかけた言葉が、そっくりそのまま自分に返ってくることになるとは。
たしかにこれは、突如舞い降りた幸運だと手放しで喜べるほど軽々しいものではない。ようするに、腰が引けてしまうほど事が大きすぎるのだ。この圧倒的に強い敵に引導を渡すには、自分の器はあまりに未熟で未完成。その自覚があるからこそ、どうしても怖気づいてしまう。
「……おい、転校生。お前まさか、これで俺らに恩を売ったなんて思ってやしないだろうな。逆だからな。お前がさぼってるから仕方なく、俺が倒してやるんだぞ。ティタンとまでも戦わされるなんざ、まっぴらごめんだからな!」
長々と前置きをしつつ、それでも気が済まないのか、トゥーリにあてつけるようにルビが大きく鼻を鳴らす。その怒りは八つ当たりとして、瀕死のティタンに向けられることとなる。
「冥界送りの業風!」
ルビが腹をくくってそう唱えると、上空から疾風が刃となってティタンに降り注ぎ、その凍てついた巨体を一気に粉砕した。すぐに砕け散ってしまったので、おそらくヒュドラと激突して地面に転がされたときに、もともとひびが入っていたのかもしれない。
「良かった、割とあっさり……」
ティタンの残骸が風にあおられさらさらとあっけなく消滅していく様を見ながら、ルビは幾分か冷静になった頭で今一度この状況を見つめ直していた。――そして、あらためて身の毛がよだつ思いがした。
消滅した仮想精獣たちにではない。この目の前にいる銀髪のクラスメイトに、あらためて得体の知れない恐ろしさを感じたのだ。
あの激闘を終えた後だというのに、息も乱さぬほど落ち着き払っているトゥーリには、まだ余力すら感じられる。ルビはますます彼のことを訝しむばかりだった。
(この転校生が問題児だってことははなからわかってたけど、それにしたって限度がある。しかもこいつ冬属性だよな……夏なんて最悪に不利な条件だったはずなのに、何でこいつはこんな余裕でいられるんだ? 春でも関係なく魔法使いまくってたし。今どきの学生ってこのレベルを求められるもんか? 最上級仮想精獣の一体や二体、涼しい顔で仕留めて当然? ……いやいや。そんなわけねーだろ、ふざけんな)
ルビもかなり消耗していたため、いくら考えを巡らせても混乱するばかりだった。
そんなとき、自分たちの散らばった荷物を回収し終えたソルエルがこちらに戻ってきていた。ルビもマイスも魔力を使い果たして動けない状態だったので、唯一それほど消耗していないソルエルに、荷物の回収を任せていたのだった。
ソルエルは戻って開口一番に、トゥーリに向かってこう告げていた。
「トゥーリ君、手袋したんだ。戦いのときにははずしてたよね。たしかに、はずしたほうが思いきり魔法使えそうだもんね」
ソルエルも決して疲れていないわけではなかったため、疲労の色が浮かぶ顔のまま、気の抜けた笑みをこぼした。特にどうということのない声かけだったが、それでもこの一言が、張り詰めていた場の空気を多少なりとも和ませたことは事実だった。
本当はソルエル自身も、トゥーリに聞きたいことが他にいくらでもあったはずだ。なぜ最上級仮想精獣をやすやすと倒せるほどの力を持っているのか、いったい何者なのか、なぜ手柄を譲ったのか、など……。
また、最上級仮想精獣がこんなところに現れたことも不可解だった。目の前はわからないことであふれていた。
それでもソルエルは、トゥーリを問い詰めようとはしなかった。
彼を問い詰めるよりも、まず先に言っておかなければならないことがあると思ったから。
「トゥーリ君、助けてくれて本当にありがとう。あなたがいなかったら、私たち今頃、きっとここにこうしてはいられなかったと思う」
ソルエルが頭を下げたのを見て、ルビとマイスも互いに顔を見合わせていた。
「たしかに……。そのことはマジで感謝してる」
「私もだ。君は私たちの命の恩人だ」
なんだかんだいって、基本的にA班の三人は根が真面目だった。恩を受ければ礼を返すということが習慣として身についている。感謝の意を示すことに惜しみがないからこそ、まったく性格の異なる三人であるにもかかわらず、その関係は長いあいだ良好であり続けられるのだ。
三人に感謝されたところで、トゥーリはきょとんとしているだけで、例によって反応を返すことはしなかった。しばらくの沈黙が流れる。
全焼した森は戦闘時のトゥーリの冷気ですっかり冷却され、あとは少しの炎がパチパチとくすぶる音が聞こえるのみであった。闇夜にちょうど良い灯りの役割を果たしてくれている。
そこでふと、何かがぐうっと大きく鳴る音が聞こえた。
「え? 何だ今の音」
「知らん。私じゃないぞ」
「わ……私も」
そう三人が確認し合っているあいだに、もう一度大きくぐう~っと気の抜けるようなのん気な音が鳴り響いていた。
三人は思わず、一斉にトゥーリに目をやった。トゥーリは無表情のままで、三たび盛大に腹の音を鳴らしていた。
「何だよ転校生、お前腹減ってんのか。ちゃんと飯食ってるか? そういやお前、手ぶらだけど荷物は?」
ルビの問いかけに、トゥーリはかろうじてわかるくらい小さく首を横に振った。
「え……まさか失くしたってのか? もしかして仮想精獣との戦闘のときに? ひょっとして、圧縮器もか……?」
トゥーリはようやく小さく頷いていた。
「え、それやばいじゃん。残りあと三週間もあるのに、お前どうやってここで生きてくつもりだよ。いくらお前が強いっつっても、完全手ぶらはさすがにまずいだろ」
「なんとまあ……。つい先ほどまでは鬼神のようだったのに、とたんに頼りなげに見えてしまうな。大したものはないが、良ければ非常用にとっておいた食料を少し分けようか」
「仕方ねーな、俺の分もやるよ。助けてもらった恩もあるし」
「わ、私のも良かったら食べて。森で見つけた食べられそうな木の実とか野草とかもいっぱいあるから」
三人は自分たちの貯蓄していた食料を、まるで供物のようにトゥーリにこぞって差し出していた。
トゥーリは少し戸惑い気味に瞬きを繰り返していたが、腹をすかしていたのは事実だったようで、受け取った食料を黙々と食べ始めていた。
トゥーリが大人しく食事をしている姿はどこかシュールで、それでいて微笑ましくもあり、三人は自然と頬を緩ませていた。
「なんか……人が食ってるとこ見てたら無性に腹減ってきた」
「私もだ。なんせ力を使い切ってしまったからな」
「……なんか適当につまむか」
「そうだな。こんな時間だが、たまには良いだろう」
ルビとマイスはトゥーリに便乗して、自分たちも夜食をとろうと早速その場にくつろぐためのシートを張りだした。それを見たソルエルは、トゥーリを笑顔でこまねいた。
「トゥーリ君もおいでよ、みんなで一緒に食べよう」
まるで今しがた起こったとんでもない出来事などなかったことにでもするかのように、ささやかだが思いがけず楽しい食事会が夜な夜な開かれていた。
波乱の夏ステージの幕開けだった。
「お、おい、トゥーリ。このままでは私がヒュドラを倒してしまうことになるぞ。いいのか? ほとんど君が倒したようなものなのに」
トゥーリは構わないとでもいうように、こくりと頷いた。どうやらトゥーリは、ヒュドラにとどめをさす役目をマイスに譲ろうとしているらしい。つまり、この最上級仮想精獣の魔力経験値の一番重要な部分を、譲渡する気でいるということだ。
大半のダメージを与えたのはトゥーリであり、その分の魔力経験値は間違いなくトゥーリが獲得するわけだが、それでもとどめを刺すとなれば、かなり多くの配当分を獲得できる。それこそ最上級仮想精獣に最後の一撃を食らわせたともなれば、今まで倒してきた仮想精獣などとは桁違いの魔力経験値が手に入るだろう。
考えられないトゥーリの気前の良さに、マイスは慌ててかぶりを振った。
「なぜだ、理解できない。こんなにも誉れある偉業だぞ。それをやすやすと他人に譲ろうだなんて」
マイスがいくら説得しても無駄だった。トゥーリは完全にヒュドラに興味を失くしており、一切行動しようとはしない。虫の息でまだ生かされているヒュドラのほうを、むしろ哀れに思った。
そして、いくら瀕死とはいえ、最上級仮想精獣の未知の力を侮ることは、こちらの命取りにもなりかねない。
そんな中で、ルビがあっけらかんとして言った。
「ラッキーじゃん。譲ってくれるっていうんだから、早く倒しちまえよ」
「そんな簡単に……!」
マイスはルビに言い返そうとしたが、ここで言い争っている場合ではないことは百も承知であった。
彼は大きくため息を吐くと、呆れたようにトゥーリを見つめて、それから恨み言にも似た忠告をよこした。
「……後で返せと言われても、もう無理だからな」
マイスは残りの魔力を振り絞り、大炎上の魔法をヒュドラに放った。無抵抗のヒュドラの巨体が一気に高温の青い炎に包まれる。
焼かれながら消滅していくヒュドラを見届けると、張り詰めていた糸が切れるように、マイスがその場でくずおれた。
ソルエルが手を貸そうと触れたところで、マイスの手が小刻みに震えているのがわかった。
「はは……情けないな」
「そんなことない。マイスもルビもすごかった。本当にびっくりしたよ」
「たしかに、自分でも思いがけないほどの底力が出たな……。だが、もうあんな戦い方はしたくないよ。命の危機に直面して初めて出せる力だ。――それに、私にはあまりに荷が重すぎた……」
マイスが震える拳をぎゅっと握りしめていた。自分がヒュドラを倒すことになるなど、まさか思ってもみなかったことだろう。無理もない。きっと、経験した者にしかわからない何かがあるのだろう。
すると、ルビが言い出しにくそうな様子で口を開いた。
「あのよ……感慨に浸ってるとこ悪ィんだけど、まだ終わってねーぞ。あれ――どうすんだよ、あのティタン」
はっとして、思わずソルエルとマイスはルビが指さした湖畔に視線を投げた。
ヒュドラと戦っているあいだ中、ずっと放置状態だった巨人族のティタンが、凍ったままですぐそこに横たわっているのだ。
全身を凍らされてもう完全に活動を停止しているようにも見えるが、それでも消滅していないということは、まだ息があるということだ。
「あれ、誰かなんとかしろよ。もし自然解凍でもしたらやばいどころの話じゃねーだろ」
マイスとソルエルは顔を見合わせたあと、示し合わせたように二人で首を横に振っていた。
「無理だ。私にはもう魔力は一切残っていない。今のですべて使い果たしてしまった」
「あの、ルビ、私何も力になれなくて……。本当にごめんなさい」
ルビが緑の瞳を大きく瞬かせた。
「マジかよ……。お、おい、転校生!」
ルビが慌てて、少し離れたところですでに腰を落ち着けているトゥーリに向かって叫んでいた。
「なんとかしろよ、これもお前がやったことだろ。責任もってちゃんと始末つけろ」
しかし、ヒュドラのときと同じように、トゥーリは一切取り合おうとはせず、完全に知らぬ素振りを決め込んでいた。
「はあぁぁっ?」
怒ってトゥーリに突っかかろうとするルビの手を、ふいにマイスが強めに掴んで止めた。
「離せよ、マイス!」
「ラッキーじゃないか、次はお前に譲ってくれるそうだぞ」
マイスの不敵な笑みに、ルビがぐっと言葉を詰まらせた。先ほどマイスにかけた言葉が、そっくりそのまま自分に返ってくることになるとは。
たしかにこれは、突如舞い降りた幸運だと手放しで喜べるほど軽々しいものではない。ようするに、腰が引けてしまうほど事が大きすぎるのだ。この圧倒的に強い敵に引導を渡すには、自分の器はあまりに未熟で未完成。その自覚があるからこそ、どうしても怖気づいてしまう。
「……おい、転校生。お前まさか、これで俺らに恩を売ったなんて思ってやしないだろうな。逆だからな。お前がさぼってるから仕方なく、俺が倒してやるんだぞ。ティタンとまでも戦わされるなんざ、まっぴらごめんだからな!」
長々と前置きをしつつ、それでも気が済まないのか、トゥーリにあてつけるようにルビが大きく鼻を鳴らす。その怒りは八つ当たりとして、瀕死のティタンに向けられることとなる。
「冥界送りの業風!」
ルビが腹をくくってそう唱えると、上空から疾風が刃となってティタンに降り注ぎ、その凍てついた巨体を一気に粉砕した。すぐに砕け散ってしまったので、おそらくヒュドラと激突して地面に転がされたときに、もともとひびが入っていたのかもしれない。
「良かった、割とあっさり……」
ティタンの残骸が風にあおられさらさらとあっけなく消滅していく様を見ながら、ルビは幾分か冷静になった頭で今一度この状況を見つめ直していた。――そして、あらためて身の毛がよだつ思いがした。
消滅した仮想精獣たちにではない。この目の前にいる銀髪のクラスメイトに、あらためて得体の知れない恐ろしさを感じたのだ。
あの激闘を終えた後だというのに、息も乱さぬほど落ち着き払っているトゥーリには、まだ余力すら感じられる。ルビはますます彼のことを訝しむばかりだった。
(この転校生が問題児だってことははなからわかってたけど、それにしたって限度がある。しかもこいつ冬属性だよな……夏なんて最悪に不利な条件だったはずなのに、何でこいつはこんな余裕でいられるんだ? 春でも関係なく魔法使いまくってたし。今どきの学生ってこのレベルを求められるもんか? 最上級仮想精獣の一体や二体、涼しい顔で仕留めて当然? ……いやいや。そんなわけねーだろ、ふざけんな)
ルビもかなり消耗していたため、いくら考えを巡らせても混乱するばかりだった。
そんなとき、自分たちの散らばった荷物を回収し終えたソルエルがこちらに戻ってきていた。ルビもマイスも魔力を使い果たして動けない状態だったので、唯一それほど消耗していないソルエルに、荷物の回収を任せていたのだった。
ソルエルは戻って開口一番に、トゥーリに向かってこう告げていた。
「トゥーリ君、手袋したんだ。戦いのときにははずしてたよね。たしかに、はずしたほうが思いきり魔法使えそうだもんね」
ソルエルも決して疲れていないわけではなかったため、疲労の色が浮かぶ顔のまま、気の抜けた笑みをこぼした。特にどうということのない声かけだったが、それでもこの一言が、張り詰めていた場の空気を多少なりとも和ませたことは事実だった。
本当はソルエル自身も、トゥーリに聞きたいことが他にいくらでもあったはずだ。なぜ最上級仮想精獣をやすやすと倒せるほどの力を持っているのか、いったい何者なのか、なぜ手柄を譲ったのか、など……。
また、最上級仮想精獣がこんなところに現れたことも不可解だった。目の前はわからないことであふれていた。
それでもソルエルは、トゥーリを問い詰めようとはしなかった。
彼を問い詰めるよりも、まず先に言っておかなければならないことがあると思ったから。
「トゥーリ君、助けてくれて本当にありがとう。あなたがいなかったら、私たち今頃、きっとここにこうしてはいられなかったと思う」
ソルエルが頭を下げたのを見て、ルビとマイスも互いに顔を見合わせていた。
「たしかに……。そのことはマジで感謝してる」
「私もだ。君は私たちの命の恩人だ」
なんだかんだいって、基本的にA班の三人は根が真面目だった。恩を受ければ礼を返すということが習慣として身についている。感謝の意を示すことに惜しみがないからこそ、まったく性格の異なる三人であるにもかかわらず、その関係は長いあいだ良好であり続けられるのだ。
三人に感謝されたところで、トゥーリはきょとんとしているだけで、例によって反応を返すことはしなかった。しばらくの沈黙が流れる。
全焼した森は戦闘時のトゥーリの冷気ですっかり冷却され、あとは少しの炎がパチパチとくすぶる音が聞こえるのみであった。闇夜にちょうど良い灯りの役割を果たしてくれている。
そこでふと、何かがぐうっと大きく鳴る音が聞こえた。
「え? 何だ今の音」
「知らん。私じゃないぞ」
「わ……私も」
そう三人が確認し合っているあいだに、もう一度大きくぐう~っと気の抜けるようなのん気な音が鳴り響いていた。
三人は思わず、一斉にトゥーリに目をやった。トゥーリは無表情のままで、三たび盛大に腹の音を鳴らしていた。
「何だよ転校生、お前腹減ってんのか。ちゃんと飯食ってるか? そういやお前、手ぶらだけど荷物は?」
ルビの問いかけに、トゥーリはかろうじてわかるくらい小さく首を横に振った。
「え……まさか失くしたってのか? もしかして仮想精獣との戦闘のときに? ひょっとして、圧縮器もか……?」
トゥーリはようやく小さく頷いていた。
「え、それやばいじゃん。残りあと三週間もあるのに、お前どうやってここで生きてくつもりだよ。いくらお前が強いっつっても、完全手ぶらはさすがにまずいだろ」
「なんとまあ……。つい先ほどまでは鬼神のようだったのに、とたんに頼りなげに見えてしまうな。大したものはないが、良ければ非常用にとっておいた食料を少し分けようか」
「仕方ねーな、俺の分もやるよ。助けてもらった恩もあるし」
「わ、私のも良かったら食べて。森で見つけた食べられそうな木の実とか野草とかもいっぱいあるから」
三人は自分たちの貯蓄していた食料を、まるで供物のようにトゥーリにこぞって差し出していた。
トゥーリは少し戸惑い気味に瞬きを繰り返していたが、腹をすかしていたのは事実だったようで、受け取った食料を黙々と食べ始めていた。
トゥーリが大人しく食事をしている姿はどこかシュールで、それでいて微笑ましくもあり、三人は自然と頬を緩ませていた。
「なんか……人が食ってるとこ見てたら無性に腹減ってきた」
「私もだ。なんせ力を使い切ってしまったからな」
「……なんか適当につまむか」
「そうだな。こんな時間だが、たまには良いだろう」
ルビとマイスはトゥーリに便乗して、自分たちも夜食をとろうと早速その場にくつろぐためのシートを張りだした。それを見たソルエルは、トゥーリを笑顔でこまねいた。
「トゥーリ君もおいでよ、みんなで一緒に食べよう」
まるで今しがた起こったとんでもない出来事などなかったことにでもするかのように、ささやかだが思いがけず楽しい食事会が夜な夜な開かれていた。
波乱の夏ステージの幕開けだった。
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