聖典のファルザーン

佐々城鎌乃

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第1章 Ⅶ節 敗軍と賊軍と

Ⅶ節 敗軍と賊軍と 2

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 アルサケスに後を任せたアミル=セシムは、諸侯らが集まる玉座の間へと向かった。

 ドームの側面を取り囲む天窓から入った薄暗い外光が円形の広間の北天にある玉座を鈍く照らしている。それでは足りまいと即席の松明が並べて組んであった。

 セシムが玉座の間に入ると、諸侯たちの視線が一手に向いた。みな様々な面持ちで一様ではない。

 アミル=ハシュ侯、トゥラージ領主。武勇を物語るような鉄の地の甲冑をまとった面長の頑強な男である。

 アミル=アシュカーン侯、アルダーラーン領主。気の弱そうな八の字眉で側仕えが常に横についている。

 アミル=ファラーズ侯、ファールスィースターン領主。3年前に若くして領地を継いだばかりの32歳だが、気概があり、領地の建て直しを成功させた。

 アミル=ダーラー侯、ホレスターン領主。広大な穀倉地帯を持ち、裕福な様子でふくよかな体つきである。白髪の混じった黒髪を短く切り揃えている。

 アミル=ボルナー侯、ケルマーン領主。兄弟での継承争いに勝利して領地を継いだ三男で、陰湿な彫りの深い男である。

 アミル=カームラーン侯、ホラーサーン領主。東の国境沿いに多くの城を持つ。特徴的な鷲鼻と、大剣を腰に下げた28の男である。

 アミル=キウマルス侯、バローチェスターン領主。アミル=カームラーンの義理の叔父にあたる老人で、常に手を後ろで組んでいる。

 アミル=マーニー侯、ギーラーン領主。眉間に刻まれた深い皺が、常に怒っているように見える強面の男である。

 アミル=オーミード侯、ラーレスターン領主。皇国南西部の海洋に面した領地で、本人も貿易に携わる。日に焼けた肌に長身の若者である。

 アミル=シャーラーム侯、ロレスターン領主。横一文字のきつく結んだ口で武人ぜんとした顔つきをした壮年の男である。

 アミル=ジャーウィード侯、マーザンダラーン領主。西の国境近くの少数部族を基盤とし、軍馬の産出地の管理を一手に担う。クーフィーヤをかぶり、太く真っ直ぐな眉をぶっきらぼうに寄せていつも顔をしかめている。

 ベルマン=カフィーヤ=セム、宰相。皇国の宰相処ラーシャイール及び尚書処クターベイールの長であった人物である。陰険な面持ちで佇まいが重厚に感じれる。

 そしてアミル=セシム侯、ナンガルハル領主。大河を有する南部の一大穀倉地帯を治める。金の鎧に身を包み、膨れた腹と自信に満ちた笑みを浮かべている。

 セシムは円になって立っていた諸侯たちの真ん中を突っ切って北天の玉座の前に置かれた円座の方まで歩いていった。諸侯たちは狭まった円の間隔を空けるように距離を取ると、一堂に会したところで床に敷いた円座に座った。

 それからセシムが最初に口を開いた。

「各々がた。まずは大義であったな。此度の勝利は各々がたの尽力によるもの。諸侯らが一致団結して憎きアル=シャースフの血族の支配を終わらせたのだ! この場にて各々がたの健闘を称えようではないか!」

 セシムは上機嫌でそう言って腕を広げた。しかしドームにはセシムの声だけが響いて、誰も迎合しなかった。しかし、遅れて2、3人の侯が拍手を出した。

 "健闘"とは言うものの、諸侯らは、ほぼほぼ戦うこともなく、したことといえば行軍くらいで、武功もそれほど上がっていない。さらに、西門から抜け駆けして真っ先にアキシュバルへと入城したセシムが好き放題したため、多くの諸侯兵は得るべきモノも得られていない。金銀財貨、捕虜、多くはセシムの懐に納められた。

 セシムは目をきょろきょろとさせて回りとの温度差を確認すると、手を下ろして咳払いをひとつした。

「アミル=セシム。今しがた閲兵広場で行っていたことは何か」

 そう切り出したのはハシュ=トゥラージであった。怒気を含んだ静かで重い声音がセシムに真っ直ぐ飛ばされた。怒りが殺気として滲み出ている。

「な、何とは何ですかな······?」

 セシムは凄むハシュの眼光に圧された。

「宮廷の臣の処遇、なぜセシム殿が取り仕切っておるのか」

 アミル=ハシュの声は詰問の色を帯びていた。セシムは目を左右に泳がせて、気づいたように答えた。

「······ああ! ハシュ殿は幾ばくか分け前を所望されるか! てっきり武功以外には興が乗らぬと思って──」

 しかし、アミル=ハシュセシムの言葉を待たずして床に拳を叩きつけた。

「だまれセシム!!」

「ひっ!?」

 セシムは思わず悲鳴を漏らした。

奸臣かんしんどもならば良いとして、忠ある者まで処するなど、つくづく道理を弁えぬ愚か者が! 武をたっとぶは戦士貴族アールティシュターラーンたる我らの最も偉大なる矜持だ」

 唾が散った。ハシュは目を見開いてセシムを咎め立てた。

「フむ。アミル=ハシュにおかれては鎮まられよ」

 ハシュの猛烈な叱責に水を差したのはアミル=ダーラーであった。丸く付き出した腹が座ることで胸を押し付けていて、短い呼吸をしている。色白な肌は、高貴の証と云わんばかりに脂汗で照っている。

「此度の諸侯合従がっしょうかなめはセシム殿でおじゃる。それが皇帝の臣下を処したとて、何の問題がごじゃる?」

 ハシュは視線をダーラーに移した。

「要だと? ただ兵の数が十万ばかり多いだけのこと。我らは同位のはずだ。独断で物事を進めて良いはずが無かろう」

 すると、アミル=ボルナーが口の端を歪めながら粘り気のある陰湿な口調で割って入った。

「確かに同位ではありますが、ハシュ殿はあの奸臣どもを粛々と罰する事が出来るのですかな?」

「なんだと······?」

 ボルナーは続けた。

「そもそも奴らは忠臣ちゅうしんやら奸臣かんしんやら以前に皇帝シャーの臣下です。あるじたる皇帝が我らの討つべき敵であるならばその臣下も同じく討つべきものだ。であらば皆殺しが妥当。アミル=セシムの沙汰は間違っておらぬと思うが?」

 セシムはボルナーに期待の視線を向けて激しく頷いた。ボルナーのあとに続けてダーラーが感慨深く目を閉じて言う。

「武勇を誉れとされるアミル=ハシュに、この辛い役回りをさせるわけには行かぬというセシム殿のおもんぱかりじゃろう。わしなら苦しくて出来ぬ」

 ハシュは心の中でダーラーとボルナーを「セシムの飼い犬め」となじった。ハシュの気に入らないところは、つまるところ万騎将や戦士への処遇であった。文官には微塵も興味は無いが、武官は別である。皇帝に仕えた武人は、みな忠義に厚く、腕も立つ者ばかりであった。それを最もおぞましい方法で処刑するなど、トゥラージの戦士貴族アールティシュターラーンたるハシュの矜持が許さなかった。

「ハっ。金以外をかいさぬだけのことよ」

 アミル=ダーラーとアミル=ボルナーの言葉を聞いて、思わず皮肉を漏らしたのはアミル=カームラーンであった。鼻を鳴らすと、腰に下げた脚ほどの幅もある大剣が揺るて鳴った。若くして諸侯となったカームラーンは、ハシュと同じく武門の人であった。

「カームラーン。不遜だぞ」

 白髪の老人アミル=キウマルスが困り顔でカームラーンをたしなめた。

 カームラーンは義理の叔父のキウマルスをひと睨みした。

「叔父貴には黙っていてもらおう。あのような武人への敬意も何もないやり方、俺は好かん」

 ハシュはようやく自らに加勢する者が現れて頼もしく思った。それから知り得る限りで武門の者であるアミル=シャーラームに目を向けた。

「武は我々の本分。シャーラーム殿も思うところがあろう」

 唐突に振られたシャーラームは口を横一文字に結んで目を閉じて押し黙っていた表情を変かえず、しかし声音は迷惑そうに返した。

「アフシャルは良き武人であった。ただ、此度は敵だった。それだけだ」

 ハシュはシャーラームに突き放されて眉をひそめた。

 そこにアミル=オーミードがつまらなさそうに爪を弄りながら割り込んだ。

「おいおい。用があるなら早くしてくれ。俺はすることがある。悠長にお喋りしてる暇はないんだ」

 日に焼けて明るい色になった髪を後ろで短く結び、海を主眼に置くラーレスターンの領主であることが一目でわかる。

「私も同じく。今回は派兵こそすれ、そもそも乗り気では無いのだ。手短にしてくれ」

 オーミードに続いてアミル=ファラーズも言う。ファールスィーターンの領主である。

 場の空気は2人の言葉で少し変わった。そこでずっと黙っていたベルマンがようやく口を開いた。

「各々がた。この場で我らが話し合うことは決まっております」

 諸侯の視線は引き付けられるようにベルマンへ向いた。ベルマンは続ける。

「キースヴァルトの軍勢があと2日でアキシュバルへと到着します。これへの対処についてです」

 ファラーズが鼻で笑った。

「おやおや? アミル=セシムの話では協力してもらうかわりに皇国領の州郡を分け与えるということであったが?」

「認められるものか! キースヴァルトの蛮族どもに渡す土地など砂一粒たりとも在りはしない! ここは我らの土地、よそ者に渡すなど言語道断! そもそもセシムが独断で結んだ密約。守る義務はない!」

 カームラーンは怒鳴ると、セシムにがんを飛ばした。

「あ、アミル=カームラーン。む、無論わしもそう思うておるとも。先祖代々の地を蛮族にやるなど、思いもよらぬ事だ」

「ほう? ならば迎え伐つと?」

 ハシュがセシムに詰め寄った。するとボルナーが陰湿に笑った。

「当然、そうであろう。ともすれば、アミル=ハシュはアミル=セシムが土地を蛮族にやると真に受けられたのか?」

「アミル=セシムならやりかねないと思ったまでのこと」

 ボルナーとハシュは睨み合った。しかし、見かねたベルマンが低い声で二人を諌めた。

「両侯お鎮まりなされよ。今は結束してキースヴァルトへと向かなければならぬ時。キースヴァルトの軍勢は、パルソリア平原での戦いで消耗した兵力を差し引いても、おそらくまだ十四万ほどは残っているでしょう。皇国軍抜きの領内では最大の軍でございます。対する我らは、兵力こそ40万はありますが、練度は低く、装備も設備も整っておりませぬ」

「いかにも。私はそれをこそ話し合う場だと思って馳せ参じたのだかな。いやはや、さすが諸侯らは脅威を前にしても言い争いをしていられる胆力をお持ちだ。まさしく武門の誉れですな」

「······──」

 今まで喋らなかったアミル=マーニーがベルマンの言葉に被せるように続けた。

 諸侯らのベルマンに対する心象は悪い。領地も無ければ血筋も短い。皇帝を裏切って陥れた張本人。本来この会議に出席することすら認めたくない者である。しかしアミル=マーニーがベルマンの諫言を取り合ったために、諸侯らは黙ってしまった。

 しばらくの沈黙の後、アミル=キウマルスが口を開いた。

「今アキシュバルに入城しているのは我ら十二諸侯の40万。それ以外は東のミナオに10万と、道中の城市に補給のため残した20万、あとは各々がたの領地に置いてある。対峙できる兵力で見ても40万と14万。地の利も我らにある。この有利は揺るがないじゃろう」

 そこから論は劇的に展開されていった。

「そうであれば、歩兵主力の奴らに平地で正面から挑めば簡単に粉砕できよう」

「いや、仮にも奴らは50万の皇国軍を1刻もせずに瓦解させた。我らの協力があったとは言え、侮れぬ」

「ならば城に籠れば良い。兵糧も多く運んであるからのう。遠征軍である奴らには持久戦が不利じゃ」

「馬鹿を申せ。騎兵が城に籠って何をするというのか。討って出るべきだ──」

──────────
─────
──

 会議は踊りに踊った。

 しかし、その日の午後、曇天に多少の晴れ間が見えた頃、紛糾した諸侯の意見は、籠城を主張したセシムに、アシュカーン、ダーラー、ボルナー、ジャーウィード、キウマルスら7人が賛同してアキシュバルに籠り、平原での即時決戦を主張したハシュ、カームラーンが城壁の外でキースヴァルトを迎え討つことに決まった。

 ベルマンは会議の内に、二度と喋ることはなく、始終、会議の行く末物静かに見つめていた。


   ***


 諸侯の会議があった夜、皇宮のとある廊下にある納戸の前に、燭台を持った人影がひとつあった。

 人影は納戸の扉を開けて、せいぜい掃除具が入る程度の小さな空間に身をすりこませると、扉を閉めた。

 燭台を床に置き、納戸の奥の壁に手を当てて、ゆっくりと体重をかけて押し込む。すると、奥の壁が石を引き摺る重い音で下に施してある溝に沿って奥へと動いた。

 押せないところまで押し込むと、押し込んで出来た四角い空間の左側に、下へと続く階段が現れる。

 人影は燭台を再び持つと、階段をゆっくりと降りていった。人ひとり分の幅しかない粗末な階段で、ほとんど使われる事がなかったために蜘蛛の巣が埃を付けて通り抜ける風に揺らいでいる。

 階段が途切れると、短い廊下が直線に伸び、両脇に3部屋ずつ房がある。そして、その廊下の突き当たりに部屋がひとつだけあった。

 突き当たりの部屋に扉はなく、人影が持つ燭台の明かりとは別に、灯りが点っていて明るい。

「来たね」

 突き当たりの部屋の中から若い男の声がした。それは人影に気づいて発せられたものである。

猊下げいか

 人影は部屋に入ると、その部屋の中央に置かれた椅子に座る者へと寄って、跪いた。

「面を上げて良いよ。ベルマン」

「ははっ」

 人影──ベルマンは畏まった様子で恭しく頭を上げ、正面に座って睥睨する者に向いた。

 灰色の外套を深くかぶって顔は見えないが、声は少年のように若い。しかし、滲み出る年月の重さを聞くものに感じさせる。

「猊下。すべてご指示どおり、計画に沿って動いております」

「うん、ご苦労様。上の様子は僕も少し覗けるから分かっている。諸侯たちの自分勝手は、見ていてすごくイライラするよね」

「まことに同感でございます」

「でも君はよくやってくれたよ。言うことを聞かなくなったシャースフの一族はようやく途絶えたしね。うん。優秀優秀。今後も引き続き頑張ってもらうから、宜しくね」

「お言葉大変嬉しうございます」

「うん」

 外套の者は微かに笑ったように息を漏らした。

「でね、本題なんだけど、今日君を呼んだのは、この子を紹介するためなんだ」

 外套の者は、部屋の隅のついたてに隠れるように立っていたもう一人を呼んだ。

 外套で顔を隠しているが、背格好から女である事は見てとれる。女はベルマンの前まで歩み出た。

 ベルマンは「おお」と微かに歓喜の声を上げた。

「紹介しよう。シャリムの新たな王を──」

 蝋燭の炎が小さく揺れた。





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