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第六章 獣の檻とレヴィオール王国
レヴィオール王国
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とても静かな夜だった。
曇りの夜空。月はおろか、星影もない。
鋭く天を突く霊峰のふもと、暗く揺らめく湖のほとり。
訪れた冬の気配がその町を覆い尽くしている。
一見小奇麗なのに、寂れた雰囲気を……そして、理不尽な暴力の気配を隠しきれない街並み。
町を支配するのは、神聖メアリス教国。
いたるところに掲げられる片翼の女神を模した国章は、かつて少女が愛した景色を徹底的に凌辱しているかのようだった。
旧レヴィオール王国は、大陸北部に位置する非常に小さな国だ。
単純な国土面積はそれなりの広さを誇っているのだが、そのほとんどが険しい山々と深い森、そして広大なカルデラ湖で構成されている。
氷河に削られ鋭く尖った峰々を越えるのは、それこそ健脚を有するバフォメット族やドワーフ族でない限り困難を極めるだろう。
整備された街道も封鎖された今となっては、国自体がまさに天然の要塞だ。
そんなレヴィオール王国に町と呼べるほど大きな集落は、城下町を含めても三つしか存在せず、人口密集地のほとんどが湖の沿岸部に集中している。その他は、山の奥に小さな村が点在するだけだった。
そこはかつて、ネナトと呼ばれていた町。
多くのバフォメット族、ドワーフ族が特産品として魔道具の生成に勤しんでいた町である。
しかし、今や大通りには、かつての賑わいの面影もない。
まだ日は沈んだばかりだというのに、魔石街灯の下で新しい技術について議論する職人たちや、酒場で飲んだくれるドワーフ族たちの姿が見られないのだ。
その理由は、日が沈んでからのバフォメット族とドワーフ族の外出が禁じられているからであった。
禁じているのは、もちろんメアリス教国。
元からそこに暮らしていた人々は、その自由のほとんどを制限されていた。
薄暗い雰囲気の職人街とは対照的に、まるで昼間のように明るく輝いている一角がある。
メアリス教徒、あるいはメアリス教国の兵士が住まう居住区だ。
職人街を潰して建設されたその街並みは、自らを上級国民と称する彼らの趣味嗜好が反映されており、その中心部にはメアリス教国軍部の研究施設を兼ねた大聖堂が鎮座している。
支配階級、特権階級とは本当においしい立場である。バフォメット族に作らせた魔道具を売り払うだけで、なにをせずとも莫大な富が得られるのだから。
職人たちが逆らうこと、逃げ出すことは許されない。その法律はメアリス教国の支配者層のために作られたものである。彼らにはいかなる正当性も許されていない。
そして莫大な富は巨大な軍事力と結びつき、ますます支配者と被支配者の力の差が広がっていく。
もはや、まともな装備を所持できない奴隷たちが反乱を起こすことは、まず不可能になっていた。
暴力と財力と権力が支配する野蛮な世界。
覆せない世界の仕組み。
その世界の仕組みに屈した人々の過ごす路地裏は、絶望と瘴気に満ちている。
ただ生きるため、殺されないために、魔道具を作って、仲間を売って、間接的に人殺しの手伝いをする。
角と共に誇りまで折られてしまったバフォメット族たちは、鬱屈した感情をメアリスの女神に向けるだけ。
しかし、驕れるメアリス教国に、破滅の足音が近づく。
亜人の職人たちを踏みにじって発展するその輝きは皮肉にも、漆黒の魔獣を引き付ける目印となっていたのだ。
「……ここか。ソフィアの故郷は」
風に揺れる鬣。
毒虫のように揺らめく太い尾。
オオカミのような、翼の無いドラゴンのようなその姿。
山の頂からその光を見下ろすその獣は、冬の風を引き連れるように現れた。
* * *
冬に呪われた雪原を駆け、枯れ木の森を抜けて、冬に呪われた領域から飛び出して。
俺は星詠みの魔女の助言通り、不吉な赤い星の軌跡をひたすら追いかけ続けた。
冬に呪われた地からは、思った以上にあっさりと出られた。
むしろ雪の積もった枯れ木の森を走っていたら、普通に森を抜けてしまって驚かされたほどである。
真夜中だったからよかったものの、もしこれが昼間で、誰か人に見られでもしていたら、近くの村でちょっとした騒ぎになっていたかもしれない。
さらに俺は例の赤い星が沈んだ方角を目指して、角笛のように鋭い峠を、無尽の体力で強引に越えていく。
人間じゃとても登れないような険しい山の中、雪に埋もれた道なき道を進んでいく。
そして太陽が昇り、また沈む頃……星詠みの魔女が言ったとおり、俺はその場所へと辿り着いた。
俺は険しい山の上から景色を見下ろす。
国境の山脈を越えた俺を出迎えたのは、典型的な氷河に削られた雄大な地形と、海と見紛うくらいに大きな湖だった。
晴れていればその景色を観光気分で楽しめたかもしれないが……生憎今は太陽が沈みかけている上に、天気も悪い。そのせいで、広大な湖の水面が暗い穴のように見える。
その湖のほとりに人の住む町があった。
ここがレヴィオール王国で間違いないはずだ。
さらに湖の向こうには、山の中腹部に城らしき影の見える町もある。きっとあそこが王都だろう。
夜の闇が降りていく街角に、明かりが灯り始める。
最も華やかに輝くのは、メアリス教の教会を中心とした貴族街、あるいは単にメアリス教国民の居住区か。
一方で、それ以外の暗めな地区でもぽつりぽつりと明かりが灯る。
ただしそれは家庭に灯る温かな生活の光ではない。奴隷を監視するための照明だ。
あの明かりの下では、きっと家畜か囚人のようにバフォメット族の人たちが管理されているのだ。
身分の差、貧富の差、あるいは単純に、力の差。
権力か財力か、はたまた軍事力かは知らないが、そこに在ったのは強い者が弱い者を支配するという、ある意味当然の、殺伐とした摂理だった。
さて、どうしようか。
俺は町を見下ろしながら考える。
とはいえ、俺個人ができることなんて、せいぜい野生の魔獣の振りをした破壊工作か、メアリス教国側を狙ったテロ活動だけだ。
いっそ近くまで来ているはずである連合国のレヴィオール解放軍――ソフィアたちに合流することも考えた。
だが、俺の目的は星詠みの魔女の予言を回避すること。
可能なら、彼らが戦闘行為に入ることそのものを阻止したい。
第一、今さらどんな面下げてソフィアに会いに行けばいいんだ?
「なら、やっぱり、頭を押さえるのが先決か……」
俺だけでできることを考えれば、それが現実的なところだろう。
戦後のことも考えると、無差別に殺しまくるのも不味いのは分かる。実際俺もそれはやりたくない。
そして何より、たとえ敵だったとしても、そんなことをすればきっとソフィアは悲しむだろう。
ゆえに、無差別に皆殺しするのは論外である。
しかし残念なことに、地球にいた頃の俺は軍事関係に興味がなく、そっち方面の知識に明るくなかった。
取りあえず、軍隊ならトップをなんとかすれば下の者は戦意喪失するんじゃないか……そんなフィクション由来の中途半端な知識を元に、俺は単身で乗り込んで暴れまくることを決める。
仮に潜入がばれたところで、今の俺は不死の魔獣だ。ここに黒騎士がいないことが確定している以上、恐れるべきものは何もない。
孤軍奮闘を強いられようがどうにでもなるし、町の中に野生の猛獣が一頭迷い込んだところで、その背後関係が疑われることはまずないだろう。
つまり人質にされたバフォメット族を守りながら戦う心配は要らないということだ。
むしろそういう観点で言えば、ソフィアたちと合流する必要はないし、単独のほうがそれなりに動きやすいはず。
俺はこじつけ気味にそう考えた。
都合の良い事に、一番重要そうな施設は目立つようライトアップされている。
とりあえずあそこ周辺から、なんとかしてみるか。
漆黒の毛並みは、夜の闇によく馴染む。
月のない夜は俺の味方だ。
俺は闇夜に紛れながら、メアリス教の教会を目掛けて坂道を静かに降りていった。
防衛について天然の城壁に依存している町そのものへの侵入は、魔獣の身体能力があれば比較的楽だった。
高さも形も不揃いな屋根伝いに、俺は暗い町の中を進んでいく。
ネコ科のように鉤爪を引っ込めることはできないが、なるべく気配を潜めながら屋根の上を歩いていた。
しかし、あまり気配を潜めた意味はなさそうだ。
なぜなら、素焼きのテラコッタ製の屋根瓦が、魔獣の体重に耐えられず、容赦なく砕けていたからである。
こうしている間にも、足元でパキンと音を立てて、橙褐色の陶器が割れた。
また俺の鉤爪のせいで、屋根瓦が一つ駄目になってしまった。
いくら魔力を抑えて探知装置を誤魔化しても、こうして物理的に見つかるリスクをどんどん増やしているのだから世話はない。
闇に紛れる毛皮をもっていたところで、俺の身体は隠密に向いているわけではなかったらしい。
「うわ、これは酷いな……」
振り返ると、俺の歩いた軌跡がひび割れとして、足跡代わりにしっかり残っていた。
性根がどうしても小市民である俺の脳裏には、反射的に弁償とか謝罪なんて言葉が浮かぶ。
だが、今はそんなことを考えている場合ではない。
俺は頭を振って余計な考えを追い出した。
点々と俺の通った後に残る証拠。
はっきり言って隠密の「お」の字もない下手糞な潜入だったが、屋根から見下ろしてみても、気付かれている様子はなさそうだ。少なくとも、今のところは。
この区画の石畳の通りを歩く人影はほとんどおらず、品質の悪い魔石の街灯は薄暗い。
稀に見る憲兵も腰に掛けたランタンの明るさを頼りに見回りをしていたが、彼らが警戒しているのは主に暗い路地裏に通じる小道が中心だ。
登って覗けるわけでもない屋根の上なんて、ほとんど無警戒だった。
この様子ならば、音に気付かれるか、俺が瓦を落とすみたいなへまをしない限り、潜入がばれることはないだろう。
ただし、あくまでそれは地上を歩く憲兵たちの話であって、屋根の上の警戒は町の中のほうに建てられた塔の上から監視哨がしっかりと担当している。
流石は中世風でも魔法の存在する世界。サーチライトのようなものはしっかりと存在しており、定期的に屋根の上を照らしながら、存在するかも分からない賊の姿を探していた。
幸いなことに、いくつもの建物が複雑に絡み合う屋根の上は隠れられる陰も多い。
そのおかげで俺はなんとか身を隠しながら進めていたが……複数個所からの探索は意外と隙がないのである。
特に割れた瓦がサーチライトに照らされてから、心なしか彼らの警戒度が増している気がした。
スニーキングミッションで敵が有能なのは、本当に勘弁してほしい。
別に戦闘が起きること自体は問題ないのだが、ここはおそらくバフォメット族の居住区。
どうせ暴れるなら周囲の被害を気にする必要がない場所――例えばメアリス教国側の兵舎や、聖堂なんかにしたいという思惑があった。
しかし実際に潜入してみて思ったのは、意外と兵士の数が多いこと、そしてメアリス教国側の非戦闘員が極端に少ないことだ。
俺の中で植民地支配と言えば、偉そうな貴族か成金が奴隷たちに鞭打って、夜になると豪華なパーティで贅沢三昧のイメージがあった。
しかし、蓋を開けてみれば、明るい区画にいるのは、ほとんど全てが鍛えられた軍事関係者に見える。
実際考えてみれば、ここは対連合国との最前線なわけだし、それが普通なのかもしれない。
ただそうなると、軍隊の中央で守られるように聳える聖堂らしき建造物の見え方が、がらりと変わってくる。
厳重に守られる、怪しい施設。
この巨大な施設がメアリス教国兵士居住区の中心にあるのは、単に宗教的な建物だからというだけではなさそうに思えた。
宗教国家の権威の象徴でもある聖堂。
その周辺にお偉いさんの宿泊施設があるかと思っていたが……どうやらこの施設そのものも、それなりに重要そうだ。
「……取りあえず、まずはあそこに入ってみるか」
そもそも祈りを捧げるだけにしては、明らかに大きすぎる建物。
俺の直感が、何かを感じ取る。
もしかしたらあの中で、軍のトップが寝泊まりしているのかもしれない。
俺は最初に暴れる場所を大聖堂に定め、見張りの兵士たちに気付かれないように屋根伝いで近付いていった。
曇りの夜空。月はおろか、星影もない。
鋭く天を突く霊峰のふもと、暗く揺らめく湖のほとり。
訪れた冬の気配がその町を覆い尽くしている。
一見小奇麗なのに、寂れた雰囲気を……そして、理不尽な暴力の気配を隠しきれない街並み。
町を支配するのは、神聖メアリス教国。
いたるところに掲げられる片翼の女神を模した国章は、かつて少女が愛した景色を徹底的に凌辱しているかのようだった。
旧レヴィオール王国は、大陸北部に位置する非常に小さな国だ。
単純な国土面積はそれなりの広さを誇っているのだが、そのほとんどが険しい山々と深い森、そして広大なカルデラ湖で構成されている。
氷河に削られ鋭く尖った峰々を越えるのは、それこそ健脚を有するバフォメット族やドワーフ族でない限り困難を極めるだろう。
整備された街道も封鎖された今となっては、国自体がまさに天然の要塞だ。
そんなレヴィオール王国に町と呼べるほど大きな集落は、城下町を含めても三つしか存在せず、人口密集地のほとんどが湖の沿岸部に集中している。その他は、山の奥に小さな村が点在するだけだった。
そこはかつて、ネナトと呼ばれていた町。
多くのバフォメット族、ドワーフ族が特産品として魔道具の生成に勤しんでいた町である。
しかし、今や大通りには、かつての賑わいの面影もない。
まだ日は沈んだばかりだというのに、魔石街灯の下で新しい技術について議論する職人たちや、酒場で飲んだくれるドワーフ族たちの姿が見られないのだ。
その理由は、日が沈んでからのバフォメット族とドワーフ族の外出が禁じられているからであった。
禁じているのは、もちろんメアリス教国。
元からそこに暮らしていた人々は、その自由のほとんどを制限されていた。
薄暗い雰囲気の職人街とは対照的に、まるで昼間のように明るく輝いている一角がある。
メアリス教徒、あるいはメアリス教国の兵士が住まう居住区だ。
職人街を潰して建設されたその街並みは、自らを上級国民と称する彼らの趣味嗜好が反映されており、その中心部にはメアリス教国軍部の研究施設を兼ねた大聖堂が鎮座している。
支配階級、特権階級とは本当においしい立場である。バフォメット族に作らせた魔道具を売り払うだけで、なにをせずとも莫大な富が得られるのだから。
職人たちが逆らうこと、逃げ出すことは許されない。その法律はメアリス教国の支配者層のために作られたものである。彼らにはいかなる正当性も許されていない。
そして莫大な富は巨大な軍事力と結びつき、ますます支配者と被支配者の力の差が広がっていく。
もはや、まともな装備を所持できない奴隷たちが反乱を起こすことは、まず不可能になっていた。
暴力と財力と権力が支配する野蛮な世界。
覆せない世界の仕組み。
その世界の仕組みに屈した人々の過ごす路地裏は、絶望と瘴気に満ちている。
ただ生きるため、殺されないために、魔道具を作って、仲間を売って、間接的に人殺しの手伝いをする。
角と共に誇りまで折られてしまったバフォメット族たちは、鬱屈した感情をメアリスの女神に向けるだけ。
しかし、驕れるメアリス教国に、破滅の足音が近づく。
亜人の職人たちを踏みにじって発展するその輝きは皮肉にも、漆黒の魔獣を引き付ける目印となっていたのだ。
「……ここか。ソフィアの故郷は」
風に揺れる鬣。
毒虫のように揺らめく太い尾。
オオカミのような、翼の無いドラゴンのようなその姿。
山の頂からその光を見下ろすその獣は、冬の風を引き連れるように現れた。
* * *
冬に呪われた雪原を駆け、枯れ木の森を抜けて、冬に呪われた領域から飛び出して。
俺は星詠みの魔女の助言通り、不吉な赤い星の軌跡をひたすら追いかけ続けた。
冬に呪われた地からは、思った以上にあっさりと出られた。
むしろ雪の積もった枯れ木の森を走っていたら、普通に森を抜けてしまって驚かされたほどである。
真夜中だったからよかったものの、もしこれが昼間で、誰か人に見られでもしていたら、近くの村でちょっとした騒ぎになっていたかもしれない。
さらに俺は例の赤い星が沈んだ方角を目指して、角笛のように鋭い峠を、無尽の体力で強引に越えていく。
人間じゃとても登れないような険しい山の中、雪に埋もれた道なき道を進んでいく。
そして太陽が昇り、また沈む頃……星詠みの魔女が言ったとおり、俺はその場所へと辿り着いた。
俺は険しい山の上から景色を見下ろす。
国境の山脈を越えた俺を出迎えたのは、典型的な氷河に削られた雄大な地形と、海と見紛うくらいに大きな湖だった。
晴れていればその景色を観光気分で楽しめたかもしれないが……生憎今は太陽が沈みかけている上に、天気も悪い。そのせいで、広大な湖の水面が暗い穴のように見える。
その湖のほとりに人の住む町があった。
ここがレヴィオール王国で間違いないはずだ。
さらに湖の向こうには、山の中腹部に城らしき影の見える町もある。きっとあそこが王都だろう。
夜の闇が降りていく街角に、明かりが灯り始める。
最も華やかに輝くのは、メアリス教の教会を中心とした貴族街、あるいは単にメアリス教国民の居住区か。
一方で、それ以外の暗めな地区でもぽつりぽつりと明かりが灯る。
ただしそれは家庭に灯る温かな生活の光ではない。奴隷を監視するための照明だ。
あの明かりの下では、きっと家畜か囚人のようにバフォメット族の人たちが管理されているのだ。
身分の差、貧富の差、あるいは単純に、力の差。
権力か財力か、はたまた軍事力かは知らないが、そこに在ったのは強い者が弱い者を支配するという、ある意味当然の、殺伐とした摂理だった。
さて、どうしようか。
俺は町を見下ろしながら考える。
とはいえ、俺個人ができることなんて、せいぜい野生の魔獣の振りをした破壊工作か、メアリス教国側を狙ったテロ活動だけだ。
いっそ近くまで来ているはずである連合国のレヴィオール解放軍――ソフィアたちに合流することも考えた。
だが、俺の目的は星詠みの魔女の予言を回避すること。
可能なら、彼らが戦闘行為に入ることそのものを阻止したい。
第一、今さらどんな面下げてソフィアに会いに行けばいいんだ?
「なら、やっぱり、頭を押さえるのが先決か……」
俺だけでできることを考えれば、それが現実的なところだろう。
戦後のことも考えると、無差別に殺しまくるのも不味いのは分かる。実際俺もそれはやりたくない。
そして何より、たとえ敵だったとしても、そんなことをすればきっとソフィアは悲しむだろう。
ゆえに、無差別に皆殺しするのは論外である。
しかし残念なことに、地球にいた頃の俺は軍事関係に興味がなく、そっち方面の知識に明るくなかった。
取りあえず、軍隊ならトップをなんとかすれば下の者は戦意喪失するんじゃないか……そんなフィクション由来の中途半端な知識を元に、俺は単身で乗り込んで暴れまくることを決める。
仮に潜入がばれたところで、今の俺は不死の魔獣だ。ここに黒騎士がいないことが確定している以上、恐れるべきものは何もない。
孤軍奮闘を強いられようがどうにでもなるし、町の中に野生の猛獣が一頭迷い込んだところで、その背後関係が疑われることはまずないだろう。
つまり人質にされたバフォメット族を守りながら戦う心配は要らないということだ。
むしろそういう観点で言えば、ソフィアたちと合流する必要はないし、単独のほうがそれなりに動きやすいはず。
俺はこじつけ気味にそう考えた。
都合の良い事に、一番重要そうな施設は目立つようライトアップされている。
とりあえずあそこ周辺から、なんとかしてみるか。
漆黒の毛並みは、夜の闇によく馴染む。
月のない夜は俺の味方だ。
俺は闇夜に紛れながら、メアリス教の教会を目掛けて坂道を静かに降りていった。
防衛について天然の城壁に依存している町そのものへの侵入は、魔獣の身体能力があれば比較的楽だった。
高さも形も不揃いな屋根伝いに、俺は暗い町の中を進んでいく。
ネコ科のように鉤爪を引っ込めることはできないが、なるべく気配を潜めながら屋根の上を歩いていた。
しかし、あまり気配を潜めた意味はなさそうだ。
なぜなら、素焼きのテラコッタ製の屋根瓦が、魔獣の体重に耐えられず、容赦なく砕けていたからである。
こうしている間にも、足元でパキンと音を立てて、橙褐色の陶器が割れた。
また俺の鉤爪のせいで、屋根瓦が一つ駄目になってしまった。
いくら魔力を抑えて探知装置を誤魔化しても、こうして物理的に見つかるリスクをどんどん増やしているのだから世話はない。
闇に紛れる毛皮をもっていたところで、俺の身体は隠密に向いているわけではなかったらしい。
「うわ、これは酷いな……」
振り返ると、俺の歩いた軌跡がひび割れとして、足跡代わりにしっかり残っていた。
性根がどうしても小市民である俺の脳裏には、反射的に弁償とか謝罪なんて言葉が浮かぶ。
だが、今はそんなことを考えている場合ではない。
俺は頭を振って余計な考えを追い出した。
点々と俺の通った後に残る証拠。
はっきり言って隠密の「お」の字もない下手糞な潜入だったが、屋根から見下ろしてみても、気付かれている様子はなさそうだ。少なくとも、今のところは。
この区画の石畳の通りを歩く人影はほとんどおらず、品質の悪い魔石の街灯は薄暗い。
稀に見る憲兵も腰に掛けたランタンの明るさを頼りに見回りをしていたが、彼らが警戒しているのは主に暗い路地裏に通じる小道が中心だ。
登って覗けるわけでもない屋根の上なんて、ほとんど無警戒だった。
この様子ならば、音に気付かれるか、俺が瓦を落とすみたいなへまをしない限り、潜入がばれることはないだろう。
ただし、あくまでそれは地上を歩く憲兵たちの話であって、屋根の上の警戒は町の中のほうに建てられた塔の上から監視哨がしっかりと担当している。
流石は中世風でも魔法の存在する世界。サーチライトのようなものはしっかりと存在しており、定期的に屋根の上を照らしながら、存在するかも分からない賊の姿を探していた。
幸いなことに、いくつもの建物が複雑に絡み合う屋根の上は隠れられる陰も多い。
そのおかげで俺はなんとか身を隠しながら進めていたが……複数個所からの探索は意外と隙がないのである。
特に割れた瓦がサーチライトに照らされてから、心なしか彼らの警戒度が増している気がした。
スニーキングミッションで敵が有能なのは、本当に勘弁してほしい。
別に戦闘が起きること自体は問題ないのだが、ここはおそらくバフォメット族の居住区。
どうせ暴れるなら周囲の被害を気にする必要がない場所――例えばメアリス教国側の兵舎や、聖堂なんかにしたいという思惑があった。
しかし実際に潜入してみて思ったのは、意外と兵士の数が多いこと、そしてメアリス教国側の非戦闘員が極端に少ないことだ。
俺の中で植民地支配と言えば、偉そうな貴族か成金が奴隷たちに鞭打って、夜になると豪華なパーティで贅沢三昧のイメージがあった。
しかし、蓋を開けてみれば、明るい区画にいるのは、ほとんど全てが鍛えられた軍事関係者に見える。
実際考えてみれば、ここは対連合国との最前線なわけだし、それが普通なのかもしれない。
ただそうなると、軍隊の中央で守られるように聳える聖堂らしき建造物の見え方が、がらりと変わってくる。
厳重に守られる、怪しい施設。
この巨大な施設がメアリス教国兵士居住区の中心にあるのは、単に宗教的な建物だからというだけではなさそうに思えた。
宗教国家の権威の象徴でもある聖堂。
その周辺にお偉いさんの宿泊施設があるかと思っていたが……どうやらこの施設そのものも、それなりに重要そうだ。
「……取りあえず、まずはあそこに入ってみるか」
そもそも祈りを捧げるだけにしては、明らかに大きすぎる建物。
俺の直感が、何かを感じ取る。
もしかしたらあの中で、軍のトップが寝泊まりしているのかもしれない。
俺は最初に暴れる場所を大聖堂に定め、見張りの兵士たちに気付かれないように屋根伝いで近付いていった。
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