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第六章 獣の檻とレヴィオール王国

発展と業の聖堂(上)

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 その日の晩は、いつも通りのはずだった。
 本格的に冬も深まり、この町にも雪の降る日が多くなってきている。
 レヴィオール王国を占拠するメアリス教国の兵士たちは、降り積もった雪や霊峰から吹く冷たい風を鬱陶うっとうしく思いながらも、通常どおりの業務にはげんでいた。

 とはいえ、日も沈んだこの時間帯になれば、訓練や普段の業務を終えて自由行動に入っている兵士も多い。
 確かに外の情勢に目を向ければ、神聖メアリス教国に不利な状況である。この地だって、今にも戦場に成り果てるかもしれない。
 ただ、いくら兵士として覚悟をしていたところで、常に気を張り続けるなんて土台無理な話なのだ。
 仕事を終えた兵士たちは食事や仲間内での賭博をたしなむ。
 また、鎧を着ている者も警戒の担当でなければ雑談していたり、非番の者は酒を飲んだり娼婦を買ったり、比較的ゆったりとした時間を過ごしていた。
 そこは仮にも最前線であるというのに、とてもそうとは思えないほど平和な夜だった。

 そんな兵士たちが住まう区画の中央、通りの喧騒から少し離れた聖堂の門前では、今まさに見張りの兵士が交代をしていた。
 前任者だった兵士が、引き継ぎ相手に注意事項を伝える。
「――分かった、俺たちも警戒しとく。お疲れ」
 引き継ぎも終わり、業務から解放された前任者たちは、酒場のある通りのほうへと消えていった。
「なんだって?」
 装備と設備の点検をしていた兵士が尋ねる。
 規則では、門番は常に二人一組ツーマンセルなのが原則だ。彼らも例外なく二人一組であった。
「なんか、屋根が割れてる所があったってさ。一応気を付けとけって」
 尋ねられた兵士が、軽い調子で答える。もう一人の兵士はこれまでと違う注意事項に眉をひそめた。
「……脱走者でも出たか?」
「いや、管理札タグの反応に異常はないらしい。だから魔獣が入り込んだかもしれないって結論」
「魔獣か。屋根に上るほど身軽な魔獣……グラートだったら厄介だな」
 グラートとは、地球で言うところのユキヒョウみたいな生き物である。
 それ自体はなんの変哲もない動物の名前なのだが、魔力マナを溜めて魔獣化したグラートの個体は足場が悪くても身軽に動く元々の特徴と相まって非常に厄介となる。
 それゆえに彼らは、雪山の殺し屋として恐れられていた。
「さあね。まっ、どうせボロいだけだと思うが、警戒だけはしとこうぜ。それにしても、今日はマジで寒いな……」
「そうだな。ここまで冷えると、体が凍って、しまい、そう、だ……」
 雑談の途中、突然真剣な顔で黙り込む兵士。
 彼はそのまま、向かいに見える屋根に銃口を向けた。

 余談であるが、この世界における銃という武器。かつて召喚された英雄によってアイデアがもたらされたとされている。
 それを今の神聖メアリス教国が再現したのが、彼らが持つ銃の起源ルーツだ。
 この世界だと魔力という要素が介入する場合もあるが、基本的には薬莢に詰めた火薬を爆発させて弾丸を飛ばす武器――つまり地球におけるそれと全く同じである。
 銃から高速で発射される金属の弾は、高い運動エネルギーを持ち、強い殺傷力や破壊力を誇っていた。
 豊富な資金と技術力によって数が揃ったときの、その圧倒的な殲滅力。その脅威たるや、戦場を剣や槍、弓に代わって完全に支配するだろう。
 ただし――それは魔術や魔獣が存在しない世界での理屈にすぎない。

 引きがねを引くだけで、安定した威力の弾丸を放てるのはよい。
 だが、ただ弾が真っ直ぐ飛んでくるだけならば、多少魔術的な対策をしておくだけで、意外と簡単に防げてしまう。それがこの世界の現実だ。
 弾丸に魔力を込めればまた話は変わってくるのだが……魔術と併用するなら、銃の主な仕事は詠唱中の牽制だし、魔術武器としては弾に直接触れられない銃よりも剣や弓のほうがよっぽど応用が利く。
 そして何より、ただの銃では高位の魔獣は殺せない。
 ドラゴンに至っては、鱗に傷すら付けられない。
 つまり、あつかい易さと初撃の早さ、そして安定した威力以上のメリットがない……言ってしまえば、銃とはかなり用途が限定される武器なのだ。
 それらの事実が、この世界における銃火器の立場を弱くしていた。

 地球出身の者からすれば、ここが弓矢と銃が共存する奇妙な世界に思えるだろう。
 とはいえ、普通の人間や下位の魔獣にとっては、銃が脅威的な存在であることは間違いない。
 どんな武器や兵器であろうと、費用対効果が見込めるか否かは、結局のところ運用次第だ。
 現にメアリス教国のような資金力と組織力に恵まれた国の軍隊は、銃を標準装備の一つとして採用している。
 しかしそれは、軍に属するほとんどの者が量産された銃にも劣る、“英雄”からほど遠い凡人である事実の証明でもあった。
「……気のせいか?」
 銃を構えていた兵士は、いぶかしみながら銃を下す。
「どうした?」
 相方の兵士が尋ねた。
「いや、屋根の上で何かが動いた気がした」
「おいおい、お前、怯え過ぎだって」
 愉快そうに肩を震わせながら煽る兵士。
 しかしその直後、それが気のせいでなかったと、二人の兵士は思い知ることになる。

 なお、弁明しておくが、彼らに落ち度はなかった。
 二人一組ツーマンセルとは何のためにあるのか。
 その利点は色々とあるが、例えば警備なら、いざという時に一人が足止めし、もう一人が仲間を呼ぶことができる……という理由が挙げられる。
 つまり、この二人組が“英雄”である必要はなく、侵入者に勝利する必要はなかった。
 むしろ彼らは、与えられた自分の役目をきちんと全うしようとしていた。
 名も無き兵士としては、かなり優秀だったと言えるだろう。
 強いて問題があったとするならば、ただ巡り合わせが悪かった。それだけである。

 * * *

 俺の目の前で倒れ伏し、ピクリとも動かない二人の兵士。
 ……一応、殺してはいないぞ?
 ちょっとヤバいかなと思ったが、二人ともちゃんと息をしていることを確認した。
 二人には気絶してもらっているだけだ。
 念のため、手足と口は氷で封じてある。
 声は出させず、発砲はさせず、そして仲間も呼ばせていない。
 潜入任務としては理想的な出来ではないかと、俺は自画自賛した。

 周囲を警戒しながら、俺は二人の兵士を無理やり壁に立てかる。そして、きちんと警備しているように見えるポーズに整えた。
 うん、偽装工作も完璧だ。
 偶然にも、見張りの交代をしたばかりなのも確認済み。
 これで結構な時間は稼げるだろう。
 それとも、気絶してるから連絡が無くてばれてしまうか……いや、仮に定時連絡なりがあったとして、まさか五分毎にしているわけじゃないはず。

 それにしても、この世界の技術力は魔術の存在もあってか、結構バカにできない。
 この兵士たちが持っていた武器も、まるでアサルトライフルの一歩手前みたいな銃だったし。
 ガシャンッてな感じでレバーを引いて、空の薬莢やっきょうをポンッとはじき出すタイプの。あれって何と呼ぶんだろうな?

 まあ、どうでもいいか。いずれにせよ、今の俺なら当たっても豆鉄砲だ。
 そもそも遠距離から引き鉄トリガー凍らせるだけで割と簡単に無力化できる。
 むしろアレックスの放つ自由自在の弓矢や、なんならグランツの振りまわす大剣のほうがよっぽど厄介だった。
 てか、あの時は思いつかなかったけど、ジーノのショットガンも同じように引き鉄トリガー凍らせればもっと楽に……いや、進化後の終盤ならともかく、序盤にそんな悠長なことをやる余裕はなかったな。それに、奴らなら普通に対応してきただろう。
 やっぱりあの四人の冒険者たちは別格の強さだったなと、改めてそう思った。

 俺は厳重に守られていた建物を、真正面から眺めてみる。
 なかなかに立派な建物だ。
 そして見た限り、かなり真新しい。
 造りも安普請やすぶしんの間に合わせでなく、しっかりとしている。 
 ますますここが重要な施設であることは、間違いなさそうだ。
 さて、ここに侵入することで、メアリス教国を戦意喪失させられる何かが見つかればいいのだが……。
 そんな都合の良いことを考えながら、自身の魔力を隠ぺいした俺は堂々と建物の中に入った。



 幸いなことに、ここにも魔力探知器以外の侵入者対策はなかったみたいだ。
 中に入ると、そこは礼拝堂だった。
 並ぶ椅子、荘厳なステンドグラス、そして正面には女神の彫像。
 片翼の女神、メアリス――その姿は半分が人で、半分が神であることを表現しているらしい。
 もしかしたら彼女も、例に漏れず異世界から召喚された英雄だったのではないだろうか。
 そんなことを思いながら横を見ると、壁に飾られている複数の宗教画が目に入る。
 描かれているのは、異世界から召喚された英雄たちの物語だ。
 女神からの使命を帯び、特別な力を持った彼らが、異形の化け物どもを打ち倒し、人々に平穏を捧げる神話。
 しかし、その神話の中に亜人の姿は一切無い。
 少なくともソフィア――英雄の一人である小鳥遊タカナシさんとバフォメット族である鎖の魔女の事例があるのだから、亜人の存在を徹底して排除したこの宗教画はおそらく、亜人の奴隷化が始まったここ百年以内に描かれた絵なのだろうと思われる。

 絵を見ても神話の詳細は理解できなかったが、絵画の中で話が進むにつれ、ちゃっかり異世界の英雄たちが教皇にひれ伏していて、それがなんとも言えない滑稽こっけいわらいを誘っていた。
 本当に、センスの悪い冗句だ。俺は苦笑を浮かべる。
「……権力者の考えることって、どんな世界でも似たようなもんなんだな」
 絵画の中であがめられながら、得意気にアホ面をさらす教皇。
 俺が宗教を軽蔑する典型的な理由だ。
 どれだけ立派な偉人の教えでも、それを引き継いだ者たちが俗物なら、あっという間に腐ってしまう。
 これは何も宗教に限った話ではないが。

 世の中なんてそんなものだ。
 極稀ごくまれにディオン司祭みたいな徳の高い人物がいたとしても、結局は権力か財力に支配されるか、軍事力に塗り潰される。
 それが現実なのである。
 ……いや、今回は逆にディオン派によって教皇が打ち取られかけてるんだったよな。
 いい気味だ。ざまぁ見やがれ。
 まあ、それだって結局は武力任せなのだが。でも、それ以外に世界を変える方法なんてないだろ?
 博愛も慈悲も戒律も、そんな綺麗事きれいごと、究極的には、何もかもが無意味なのだから。
 本物の弱者が何を考えたところで、何を主張してわめいたところで、誰も聞いてはくれない。世界は何も変わらない。
 それは十分承知している。
 そもそも――俺には、もはや関係の無い話だ。

 それにしても、単に歴史を改竄かいざんしているのか、それとも洗脳魔法かなにかで無理やり教皇に服従させていたのか……どちらにせよ、おそらく同じ異世界出身の者としては、あまりいい気分ではない。
 なお、本当にかつての英雄たちが教皇に心酔して服従していた可能性は、ハナから俺の中では除外されていた。



 人気ひとけのないことを確認したあと、俺は奥の扉を進む。
 その鉄製の扉には当たり前のように鍵がかかっていたが、凍らせれば魔獣の怪力で簡単に砕けた。
 扉の先に伸びるのは、窓の無い真っ白なセメント製らしき廊下。
 その飾り気のない病的な白い内装は、宗教施設というよりも病院か研究施設を想起させた。
 夜目のく俺は、明かりをけないままで移動する。
 廊下としてはかなり広いが、ヒグマと同じ程度の大きさである魔獣の身体だと、それでも圧迫感がある。具体的には、俺同士がギリギリですれ違える程度の幅だ。

 見た感じ、少なくとも居住スペースではなさそうに思えた。
 安全性は抜群だろうが、流石に窓もない建物で暮らしていたら息が詰まる。ここに軍部のお偉いさんは寝泊まりしていないだろう。
 しかし、それでもただならない雰囲気を感じた俺は、取りあえず目についた扉を片っ端から開けてみることにする。
 そして俺は一つ目の扉を開き――すぐに後悔した。
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