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第一章《出会いと別れと悲嘆》

【一】

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 物資が潤沢で、花を愛でる余裕もある暮らしができる、という意味合いから、花咲く都と呼ばれる地。
 その都は、治安が他の地よりまだマシというだけであって、決して安全とは言えない。
 身売りがその辺で平気で行われ、怪しい薬を売る輩も居て、権力のある者が威張り散らして。
 これが、ある女児が幼い頃から見てきた光景で、今も何ら変わっていないもの。
 そんな女児は、そこそこ裕福な宿屋に産まれ、母親と従業員とで仲良く暮らしていた。
 そんなある日、彼女の母親は再婚した。
 見た目はかなり良いが、女児はその男の瞳が嫌いだった。初めて家に来た時の、女児の家──『松衛』を眺めていた、あの底冷えするような嫌な瞳。
 女児はそんな男の横顔が忘れられなかった。
 極力、女児は男に関わるのを避けた。
 どうしても父親とは思うことができず、また義父も女児と視線を合わそうとすらしなかった。
 だがある日、事件が起きた。
 女児の母親が死んだのだ。
 川の石場でぐったりと倒れていたのを、近場の人に発見されたのだが、もう既に呼吸はしておらず、身体は心臓を動かすことを止めていたらしい。
 その件は事故と断定された。
 宿屋の主は義父になり、すぐに新しい妻を娶り、子を儲けた。
 新しい子が産まれると、とうとう女児は本邸を追い出され、従業員らと同じ場所に寝床を移された。
 彼女がまだ八つになったばかりのことである。
 それでも女児は泣き言を言わなかった。
 むしろほっと安堵の息を洩らしたほどだった。
 彼女の変わった能力・・がバレる危険が減ったからであった。
 本邸から追い出された時点で、彼女は身売りに出されてもおかしくない事を確信した。さらに能力のことを知られてしまえば、売られる危険は増すだろう。


──幼い年で自分の身を守ることを強いられた女児は、紅子くれこといった。



***



 紅子は、まだ存命だった頃から働く現女将代理である時雨しぐれの娘の滋宇じうと歳も同じだったことから親しく、よく二人は一緒に過ごした。
 紅子は宿屋の十露盤そろばん勘定をしたかったため、学校に通うことにした。
「お紅ちゃん、学校へ通うの?」
 慈宇は心配そうに紅子の袖を引いた。
「ええ。奥方様が許可を下さったの。……ほんの偶然、私が生徒募集の紙を眺めていたのを見つかって……午前中は学校で、午後はお仕事、という形でね。勿論必要なお金は私が自分で出すという条件でね」
 奥方様、と紅子が呼んでいるのは、勿論義父の後妻のことである。
 後妻の由利江ゆりえは、義父とは違って紅子に優しい。真の子供に接するように紅子と話をするのだ。
 それ故、紅子は由利江を慕っている。
「良かったじゃない!ああ、ほっとしたわぁ。御館様に命令されたのかと思ったわ……学校へ行くのは、お紅ちゃんの意思なのね?でも、御館様にはお話は……?」
 再び表情を固くする滋宇に、紅子は安心させるように微笑みかけた。
「奥方様が一緒にいて下さって……説得してくれたの。私だけだったら間違いなく無理だったでしょうね」
 由利江に対して大きく頭を下げたい気持ちになる。どれだけあの御方に助けられたことか。
 由利江が居なければ、そもそもこの宿屋で働くことすらできなかったかもしれなかったのだ。
「私も、お母様に聞いて学校へ行こうかしら」
 と、滋宇は頬に手を当てた。
 滋宇は紅子の親友ではあるが、過保護な母親のようでもあるのだ。実際、買い出しに行く時は紅子を絶対に一人にはしない。
 思った通りの滋宇の申し出に、
「滋宇、お勉強しに行くのよ」
 と、一応確認する。
 滋宇は文字を読むのがあまり好きではないのだ。
 そんな滋宇が学校へ通いたいと思うとはあまり思えない。十中八九、紅子のことを一人にしないがための申し出だろう。
 それだとあまりに滋宇に申し訳がない。
「わかっているわよ。……まぁ、文字は好きではないけれど、十露盤だったら私も習っておいて損は無いでしょう?もし宿無しになっても、学さえあれば雇ってもらえるところが増えるしね。それに張り紙ってことは、あそこでしょ?坂の上にある……学校というか、塾でしょう?」
 勉強することに変わりはないのだけど、と思ったが口には出さなかった。
「滋宇が一緒にいてくれるのは、嬉しいわ」
 紅子が笑顔で言うと、滋宇は「照れるわぁ」とはにかんだ。
 滋宇はその日のうちに母親に掛合い、紅子と同じく午前中だけ学校へと通うことになった。
 その際、時雨が美しい額に皺を寄せて紅子を呼んだ。
「何か…………」
 ドキドキと心臓が鳴り響く。
 何か粗相をしてしまっただろうか。
「紅子お嬢様。何かお困りになれば仰ってくださいませね。勿論学費の方は私が持ちますので」
 との時雨の申し出に、紅子は目を見開き「まさか!」と大きく首を振った。
「そんなことはさせられませんわ!私が行きたいのだから、私が出すのは当然ですもの。幸いお金なら貯まっていますし……それに、女将様。私はもうお嬢様ではないのですよ」
「いいえ、お嬢様。こればかりは私も譲りませんよ。なぜ学費を子供が自分で負担しましょうか。おまけに、貴方様の分の給料はあまりに酷いものですわ。私が出すと言っているのですから、遠慮なく甘えて欲しいのです」
 一歩も譲ろうとしない時雨の頑固さに、紅子は眉を下げる。
 有難い話だが、できる限り彼女に負担をかけたくはない。
「お嬢様。勝手で申し訳ないのですが、私は勝手に貴方様を自分の子供のように思っております。私は自分の子が一人前になるまでは出来ることなら手伝いたいと、そう思っておりますのよ」
「女将様…………」
 宥めるような口調に、紅子は胸が熱くなった。
「…………では、甘えさせていただいてもよろしいですか?」
 眉間の力を抜き、紅子は頭を下げた。
「勿論ですわ、お嬢様」
 そう言った時雨の声色は、とても温かいものだった。
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