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 逃げ出したドロプウォートは――

 全力疾走、勢いそのまま、教会から宿泊部屋として提供されていた一室のベッドに頭から滑り込み、上掛けをすっぽり被ると、

(らっ、ラディの前でぇなぁんてぇ醜態をぉおぉおぉぉおぉぉ!)

 半泣きで小刻みに打ち震え、 
(もぅ……消えたいですわぁあぁ……)
 自虐的な思いに、打ち拉がれていた。

 しかし気持ちが沈んでいる時と言うのは、とかく追い打ちをかける様に「悪い事」ばかり連鎖的に思い出してしまうもの。
 ラディッシュと出会ってから今日までの日々が、唐突に思い返され、
(!?)
 気付けば今日に限らず、彼の前で晒したのは、

≪誉れ高き「エルブ国四大貴族が一子」で、「首席誓約者候補」の毅然とした立ち姿≫

 からは程遠い、森を燃やし、森の一部を丸坊主にし、仲間の命を危険に晒した挙句に、同性の仲間に貞操の危機を抱かせるなど、目を覆いたくなるような醜態の数々。

(何をやっていますのぉワタクシわぁあぁぁあぁぁあああぁぁぁっぁあぁ!)

 恥ずかしさのあまり泣きながら上掛けごと丸まり、傍から見れば「巨大な芋虫」がのたうち回っているかの如き動きで身悶えしていると、
 コンコンコンコン!
 突如、部屋の入り口の木戸がノックされ、

「!」

 ビクリと身を震わせ、固まるドロプウォート。
 すると木戸の向こうから、
『ドロプさぁん、居るぅ?』
 ラディッシュの、癒しを纏った穏やかな声が。

(どっ、ど、ど、ど、ど、どぅしましょう!? ここは一先ず居留守を使ってぇ?! イエイエその様な、人様に対して失礼な行いなどぉワタクシにはぁ!)

 気落ちして、一人にしておいて欲しい時くらい、人情としても「居留守を使って構わない」とも思えるが、弱っている時でさえ相手を気遣う生真面目なドロプウォート。
 しかし、その生真面目さが裏目に。対応に迷い、返事を返すタイミングさえ逃してしまい、

(わっ、ワタクシ、ど、どどどどぅしたらぁあぁ!!?)

 道徳と心情の板挟みにベッドの上で右往左往、ただただ狼狽していると、
『大丈夫だよ、ドロプさぁん』
「!」
 いつもと変わらぬ、優しい声。
(ラディ……)
 その声に、焦燥していた気持ちは次第に癒され、徐々に落ち着きを取り戻したが、それでも上掛けから抜け出す勇気が持てず、くるまったままゆっくりと起き上がり、
(…………)
 木戸の向こうに居る「思い人」へ想いを馳せると、固く閉ざされた扉の前に立つ「思われ人(ラディッシュ)」は、室内のドロプウォートに微笑みかける様に、

「だって、いつもの事じゃなぁいか♪」
 ガタタッ!

 途端に中から聞こえる異音。瞬間的に「ドロプウォートが大コケした」と悟り、

「ごっ、ゴメぇン! そっ、そそそそそぅ言う意味じゃなくてぇ!」

 悪気は全く無かったが、大慌てで、すかさずフォロー。
 一方、ベッドの上で「有り得ない姿」でコケていたドロプウォートも、
(な、何なんですのよぉもぅ……)
 泣いていた事も忘れ、両頬をぷっくり膨らませて起き上がると、木戸の向こうから、
『でもぉ良いんじゃないのかなぁ、そんな感じで』
(?)
『恥ずかしい所しか見せてない僕が言うのも何だけど、そう言う姿(恥ずかしい姿)を僕たちには、見せてくれても良いんじゃないのかなぁって』
(どう言う意味、ですのぉ??)
 ベッドの上で首を傾げていると、微笑むラディッシュは木戸に向かって語りかける様に、
「それってさぁ、着飾ってないその人の、嘘偽りの無い、本当の姿な訳で……僕たちには、それで良いんじゃないのかなぁって、僕は思うんだよね♪」
「!」
 ハッと、衝撃的なとある事実に気付くドロプウォート。
 人前に出る時、取り繕った姿ばかり、過剰に意識していた事に。
 
 彼女は周囲に人の眼がある時、四大貴族が一子の立ち振る舞いとして、また四大貴族が一子である故に色目を使う輩や、先祖返りである事を悪し様に言う連中に足下をすくわれない為に、常に気を張り、スキは見せない様に心がけ、その癖が身に沁みついていた。
 これは頑なドロプウォートだけが責められれば良い話な訳ではなく、彼女をそこまで追い込んだ「心無い者たち」にも責任はあるのだが、彼女はそんな人々の存在を「悪」として一括りに一切の関わりを遮断し、ひたすらに「己を高める事ダケ」に注力していたのであった。

(もしか私が今まで「悪と定めた人々」の中には……お父様とお母様の様に、私の身を案じて下さっていた方々がいらしたのかも……)

 そう思うと、挫けそうになる自身の心を守る為であったとは言え、体裁ばかりに囚われ、人を、個を、見ていなかった自身の姿は、

(私を「ドロプウォート」としてではなく、「婿取り」としか見てくれない叔父様たちと、何ら変わらないですわ……)

 思い至った答えは、無情であった。
「…………」
 人知れず、血の滲む様な努力を重ねて積み上げた「自負」や、真に心優しき両親を見習った「他者に対する気遣い」さえ、情けは人の為ならず、自身の為に行った浅ましき行為に思え、
(国を、民を、守る為の精進と言いつつ私が今までやって来た事は……いったい何でしたの……)
 騎士としての矜持さえ揺らぎ始めると、木戸の向こうに隠された「彼女の苦悩」を知る筈も無いラディッシュが、笑顔を絶やさず、
「それに、ドロプさんが優しくて、凄く優秀で、努力家なのは、国中のみんなが知っている事でぇ」
(私は決して……優しくも……有能でも……)
「でもそれって、「みんなが知ってる姿」な訳でぇ」
(体裁で固められた……私の偽りの姿……)
「でも僕は、泣いて、笑って、そそっかしかったり、すぐ調子に乗っちゃう、みんなが知らないドロプさんの姿も知っていてぇ」
(ラディは……いったい何が言いたいんですの……)
 戸惑いを覚えていると、木戸を間に挟んだラディッシュは嬉しそうに、

「でも「それこそ」が、記憶も、チカラも、経歴さえも何一つ持って無い今の僕の、この世界における「唯一の自慢」なんだぁ♪」
「ッ!」

 自らをきつく縛り付けていた何かが一瞬にして消し飛び、解放された感覚を知るドロプウォート。
 それは「自戒」であったのか、それとも「立場」か「しがらみ」か。

 四大貴族が一子として張り詰めていた思いが緩み、
(私は……肩ひじ張らず、至らない所を見せたって構いませんでしたのねぇ……)
 ドロプウォートの頬を一筋の涙が伝い流れ落ちた。

 木戸の前で、伝えたかった全てを伝え終えた、笑顔のラディッシュ。
 しかし返らぬ反応に、
(だから「元気になれ」って言われても、その方が無茶な話だよねぇ)
 自嘲気味に小さく笑い、
「じゃあ僕、行くね。落ち着いたらおいでよ。みんなも心配して待ってるから」
 未だ姿を見せぬ彼女に笑顔を残して立ち去ろうと、背を向けた次の瞬間、

 ガチャッ!

 木戸が勢いよく跳ね開くと同時、
「ちょ、ドロプさあぁん!?」
 ラディッシュは驚きの声を上げた。
 ドロプウォートが背中に抱き付き、顔を埋めたのである。
 慄くラディッシュの背に、表情が見えないほど顔を埋めたまま、
「本当に、良いのですの……」
「え?」
「だって私、迷惑を掛けてばかり……」
 その声は泣いている様であったが、ラディッシュはあえて笑顔で、

「アハハハハ。それは僕だって同じだよぉ」

 軽く笑い、
「それにラミィや、パストさんだってぇ」
「ですが、」
「良いんだよぉ」
「…………」
「だって仲間じゃない♪」
 肩越しに振り返ると、そこには涙でクシャクシャになったドロプウォートの顔が。

「あっ、ごっ、ごめん! 言い方がキツかったぁ?!」

 慌てるラディッシュに、涙顔のドロプウォートはフルフルと首を横に振って答え、
「違いますの違いますのぉ……嬉しい、ですの……」
 愛らしいほど気恥ずかしそうに、
「これからも……きっと、いえ沢山、迷惑を掛けると思いますけど……どぅぞ宜しくお願い致しますですわ……」
 その表情に、
(ドロプさんって、やっぱり可愛いなぁ……)
 つい、よそ事を思ってしまい、

(そっ、そんな事を考えてる場合じゃない!)

 自省すると、
「ううん! 僕の方こそ「色々しでかす」と思うけど、宜しくね♪」
 二人は明るい笑顔を向け合った。

 その様子を、物陰から生温かい眼差しで見つめるターナップ。
 傍らで、共に様子を窺っていたパストリスに、
「良かったっスね、パストのお嬢ぉ。無事に収まったみたいでぇ」
 笑いかけたが返事が返らず、

「お嬢ぉ?」

 すると声を掛けられた事に気付いていなかったのか、パストリスが向けられた視線に慌てた様子で、
「え? あ、何?! あっ、う、うん、そうでぇすねぇ! そ、それに覇気のないドロプなんて、ドロプらしくないしぃ!」
 取り繕った様な笑顔に、
「そ、そうっス、ね……?」
 同意を返しつつ、
(…………)
 彼女の不自然な言動を、気掛かりに思うターナップであった。
 それから数日後、椅子車は数々の「修正と言う名の強化」が加えられ、無事に完成した。
 
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