神様の料理番

柊 ハルト

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蜂蜜の吐息

01 ー はじまりの森

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 時を同じくして、統括の神達から送り出された青年、遠野誠は途方に暮れていた。
 当初の「約束」では、王都の大神殿に到着…と言う話だった。
 先にルシリューリクが「異世界からの客人である『神の料理番』が大神殿に来る」と、主教だか司祭だかに神託を下しているはずだ。当面の生活もあるので、そこを拠点にするも良し、誠の希望通りに世界各地を周りながらでも良し、というものだ。
 そして生活が整い次第、当のルシリューリクに菓子等の料理を供える。ということで、双方話はついていた。
 しかし、辺りを見回しても視界に入るのは雲一つ無い青空と果てしなく広がる緑、そして足元に広がる湖だ。
 誠は湖の上に立っていた。しかも、たまにしかとらない狐の姿で。

「嘘だろ…」

 人間であれば右手の掌にあたる、右前脚の肉球を見ながら誠は呟いた。
 嫌な予感はしていた。
 実家兼職場である「café 紺」には、いろんな「客」が来店する。その半数は遠野一族が担う「神様の料理番」の腕を見込んでいる、近隣の神々だ。
 その店で、初めてルシリューリクと対面したのは約一ヶ月前のことだった。
 事前に統括の神から出向の話を伺っていた「café 紺」の面々、つまり誠の家族は頭を抱えていた。ただの出向なら快く送り出すだろう。しかし、出向先は全くの未知数である異世界だ。
 神たっての頼みであるし、無許可で、しかも乱雑な異世界召喚が乱発している昨今、異世界間のバランスは危うくなっているらしい。その煽りを受けて、ルシリューリクの世界も不安定になっている。
 ルシリューリクの力を補うために誠か兄のどちらかをその世界に派遣したいと言われれば、行くと言うしかないだろう。そのための「神様の料理番」だ。本来は地球の神々のための料理番なのだが、近年他の一族で何人か異世界に行ったという噂はいくつか聞いたことがあった。今度は東京の遠野の番らしい。
「神様の料理番」とはその名の通り、神に料理を供える者を示す。しかしその職に就けるのはよっぽど力のある人間か、もしくは遠野一族のような特殊な血族だけだ。
 神事とは違い、「神様の料理番」は龍脈や龍穴から大地のエネルギーを取り込み、それらを料理に溶け込ませることが出来る者だけがなれる。力が弱まった神々は、そのエネルギーと遠野の神力を料理から取り込み、力を補っている。
 全国には「café 紺」と同じような役割の店が散らばっている。
 東京に出てきた遠野はたまたまカフェを経営しているが、大元は出雲にある温泉宿だ。
 そこは営業当初から遠野の祖である牡丹と諏訪が鎮座しており、何か問題があれば一族は連絡・相談をしている。
 家族や祖達と話し合った結果、兄ではなく誠が出向することになった。
 そして最終の話し合いの場で関係者一同が会することとなったが、そこでルシリューリクと初めて会った「café 紺」の面々は、チャラチャラした態度、終始ヘラヘラした表情の異世界の神に、不信感しか抱けなかった。

「コイツはヤバい(主に頭が)」

 家族四人の心の声は一致していた。
 一日に何十人、何十柱の客と対面するカフェだ。良い客、悪い(面倒臭い)客の見分けは瞬時に判断出来るようになっている。その無意識のスキルが告げていた。
 人数が人数なのでテーブルを二つくっ付け、それぞれ遠野家側と、神々、相模側に別れて座る。話の主役は誠のはずなのに、なぜか壁と母の陽子に挟まれていた。その母は大体の話が終わったところで口を開いた。

「最終確認なんですけど、息子を何も問題無く向こうの世界に送り届けてくれるんでしょうね?」

 いつもニコニコと柔らかな笑顔を絶やさない陽子は、この場でも笑顔を浮かべている。それにつられたのか、ルシリューリクの答えは大事な場だと言うのにユルユルだ。

「もっちろ~ん!到着ポイントは王都の大神殿内だから、安心安全だよ。転移する時は、統括の神の力も借りるしね」
「そうですか。安心安全…ね。仕事内容は、向こうの食材でルシリューリク様へのお供えをすることのみ、ですよね?きちんと"約束"してくださいね」

 異世界の神のオーラにも負けず、陽子は笑顔のまま押し切る。その笑顔に騙される人は多いが、陽子は遠野一族の人間だ。異世界の、しかも力が弱まっている神に負けるはずがない。
 陽子の両隣に座っている誠や兄は、その攻防を黙って見ていた。

「もー、僕ってそんなに信用が無いの?大丈夫、約束するから」

 言質は取った。
 陽子は口の端を少しだけ上げた。それが分かったのは、端の席に座っているが長い付き合いである夫、國男だけだった。

「ありがとうございます、"約束"ですよ?大事な息子の一人ですから。ね?誠」

 話をコッチに振らないで欲しい。
 誠は当事者ながら、そう思った。先程、ほんの一瞬だけ空気が張り詰めた。ルシリューリク以外の面々はそれが何だか分かっている。特に相模は、誠と目が合うとニコリと…いや、ニヤリと口だけで笑った。
 神は約束、契約を違えられない。
 それは地球でも異世界でも変わらない不問律だ。
 陽子はそこを突いた。こういった輩は、少し持ち上げて気分を良くさせているうちに契約を済ませておくに限るのだ。
 相模はテーブルの端によせていた契約書を、統括の神特製の万年筆と共にルシリューリクの前に滑らせる。

「ルシリューリク様と遠野の皆様の意見が合致致しましたので、そちらの契約書にサインをお願いします。遠野家側は、ご本人である誠君がしてくださいね」

 双方のサインが記入されたところで、相模は契約書を統括の神に渡した。
 神は双方のサインを確認すると、空中から出した印をぺたんと押す。契約書はがわずかに光り、これで関東統括の神の元、契約が成されと証明されたのだった。
 だと言うのにだ。
 そこまでしたからこそ、誠は現状を受け止められないでいた。

「もしかして、"王都の大神殿"ってここですかー⁉︎」

 大自然の中、やけくそで叫ぶ。しかし誰が答えるわけもない。その大声に驚いたのか、木々から小鳥が飛び去っただけだった。
 神殿はいろんな形があるが、ここが王都の大神殿だとは到底思えない。例え足元の湖が信仰の対象だと言われても、せめて石碑や屋根付きの建物くらいは湖畔に立てるだろう。
 辺境に飛ばされているのが、ありありと分かる状況だ。
 誠は苛立ちを発散させるようにバサバサと九本の尾を振り回しながら、とにかく湖畔に向かうことにした。
 湖面に小さな波紋を作りながら歩く。漏れ出る力のせいで水面には時折、誠を中心とした白波が立っていた。
 ここに来る直前、統括の神の神域では確かにいつもの人型だった。この世界に着いた途端に狐の姿になっていたことも、誠がイラついている要因の一つだ。
 異世界への扉が閉まる瞬間、統括の神や相模と同じく、しっかりとルシリューリクの「あっ!」と言う声を聞いた。
 誰がどう見ても不手際があった、もしくは何かマズいことを思い出したと分かる状況だった。人型が保てないなんて、一言も聞いていないし、今も人型をとれない。

「クソが」

 悪態をつきながら残りの距離を跳躍し、丁度木々の間から出てきたヘラジカっぽい生物の首元めがけ、落下の勢いも借りながら強化した爪で引き裂いた。
 これがただのヘラジカっぽい生物なら、誠もここまではしない。むしろ日本では滅多に見れない生物だ。近付けるギリギリの距離から観察したかもしれない。
 そしてヘラジカと聞いても、北欧のちょっと大きな家の飾りか帽子かけのイメージしかない。
 しかし、ここは異世界。ルシリューリク曰く、中世ヨーロッパに似ている剣と魔法の世界だそうだ。
 テンプレよろしく、日本のゲームやラノベからヒントを得たらしいこの世界の生物は、総じて地球上の生物とは生態が違うだろう。草食動物であるヘラジカでありながら、誠に殺気を向けている。
 口元から覗く鋭い牙や、誠を見た途端にバリバリと音を立てながら雷を纏いだした立派な角。これらのどこが、草食動物か。
 殺られる前に殺れ。それが牡丹の教えだ。
「神様の料理番」はその特異な役目ゆえに、堕ち神やどこぞの神の神使、妖怪等から狙われることが多い。そのため牡丹の教えは、一族全員しっかりと身に付けている。
 幾度となく若い神や魑魅魍魎達に襲われては返り討ちにしてきた誠は、ここが異世界で辺りには小鳥くらいしか見えないと言っても、気を抜くことはない。
 なのでそのヘラジカもどきの、更に向こうからこちらに走って来ている生物の気配も、しっかりと感知していた。
 耳を少し後ろに倒し、少し体を低くしながら森の奥を注視していると、ソレは現れた。
 銀色の閃光だ。
 目に映った瞬間、そう思った。
 ザッと音を立てながら現れた銀色の正体は、大きな体躯の見事な銀色の狼だった。
 ヘラジカもどきを追いかけていたのかもしれない。銀狼は首元から血を流し倒れている獲物を見てから、誠を見てきた。お前が倒したのかと聞かれている様だ。
 誠はとりあえず「食うならどうぞ」と、マズルでヘラジカもどきの腹部を、少し銀狼側に寄せた。
 銀狼は良く見ると、アイスブルーの瞳をしている。地球の狼の瞳は全て金眼だ。しかも体長は百センチから百六〇センチで今の誠の姿と同じくらいだが、この狼は誠よりも一回り以上は大きい。
 そんな異世界の狼と出会えた誠は「おお、神よ…」と、妙に興奮していた。ちなみにこの「神」とはどこぞの子供の神ではなく、勿論地球の神々のことだ。
 誠は犬派か猫派かと問われれば、即座に「犬派」と答えるくらい犬が好きだ。ご近所の犬とも仲が良い。しかし、犬より好きな動物がいる。
 狼だ。
 県外の動物園に、わざわざ狼を見に行くほどなのだ。
 可愛いと格好良いが混在している、そのギャップも好きだ。そして誠の狼贔屓は、知り合いの神狼が皆、誠実で優しいからということもあるだろう。
 銀狼は誠から一切の警戒や殺気がないことに拍子抜けしたのか、張っていた気を緩めた。そしてゆっくりと誠に近付く。
 思いがけないその行動に、まだ少し気を張っていた誠は、その場で固まった。命の危機を感じたのではなく、動物園ではどうしても距離を取って見なければならない狼が、文字通り目の前に迫って来たからである。
 さながら、ライブハウスで好きなバンドマンと目が合ったファンの気分だ。
 お互いに喉元を一撃で狙える距離まで近付いたと思うと、銀狼はいきなり誠の頬をベロリと舐め上げた。

「クゥ…」

 思わず、情けない声が出る。
 同じ一族なら良いが、誠は他人に触られるのが苦手だ。遠野一族の中でも、特に牡丹の血が出ている人間は、総じて皆そうらしい。特に尾は力の象徴なので、親兄弟以外に触らせることをしない。例外があるとすれば、伴侶だけだそうだ。
 しかし銀狼はそんな誠にはお構いなしに、自身を誠の体に擦り付けながら一周する。いつもなら自分の尾を触ろうとする手は、蹴り飛ばすなり何なりするはずなのに、狼が尾で撫で上げてきても、抵抗が出来なかった。
 いや、抵抗しようと思えなかったのだ。
 隣に並んだ銀狼は、誠の首や顔を舐めながら盛んに顔を寄せている。狼はボディコミュニケーションが盛んだと言うが、初対面でここまでするのだろうか。
 誠は疑問に思いながらも、銀狼のなすがままになっていた。
 これは決して、狼が好きと言う理由だけではない。自分自身にも分からない、何かの力が働いているみたいだ。
 もしも、その力が誠の本能からくるものであれば、もしかしたら…。
 その理由が分からず釈然としない誠は、躊躇いつつも自分から銀狼の頬をペロっと、控えめに舐めた。すると銀狼の尾は激しく揺れ、誠の尾にパシパシと当たる。自分よりも大きな体躯のくせに、どこか可愛いと思ってしまった。
 誠は尾の一本を狼の尾に絡めながら、銀狼に体全体を寄せる。
 ピタリと寄り添った瞬間、銀狼はピクリと身じろぎをした。それと同時に、遠くから犬の遠吠えが聞こえた。
 もう少しで自分の不可解な行動の理由が分かる、そう思っていただけに、水を注された気分だ。
 銀狼はその遠吠えに反応したのか、

「アオォォォォ…ン」

 と吠える。呼応する様にまた向こうから遠吠えが聞こえた後、銀狼は戸惑いがちに誠から少し距離を取った。
 もしかしたら、銀狼の仲間かもしれない。
 どう?と銀狼を見ると、銀狼の尾はシュンと垂れ下がっていた。
 ビンゴだ。
 誠はそんな銀狼の頬を今度はベロリと舐めると、ヘラジカもどきの側に行く。前脚でその腹部をトンと叩き、浮き上がらせてから角の部分を咥えて狼の眼前に持って行った。
 誠が使える力のうちの一つだ。風は、重い物を動かす時にも役立つ。
 驚いているような銀狼は口を半開きにしつつ、少し首を傾げる。そんな人間っぽい仕草に笑いそうになった誠は、ヘラジカもどきを浮かせたまま鼻先で銀狼に勧めた。
 こちらの意図が伝わったのか、銀狼はゆるりと尾を振りながら誠の首元をペロペロと舐め、そして甘噛みをしたと思うと、一瞬。その牙に力を入れた。
 あ、と思ったが、遅かった。
 深く噛まれたそこから、妖力でも神力でもない、知らない力が流れて来る。
 グゥ、と呻いて抵抗しようとしたが、銀狼が噛み跡をしつこくベロベロと舐めてくるので、そんな気も失せてしまった。
 それに、噛まれた辺りから全身に暖かな気が巡っている。悪い物ではないようだ。
 またしても銀狼のなすがままになっていると、今度は二頭の犬の遠吠えが聞こえてきた。早く帰って来いと、せっついているのだろうか。銀狼は「ウゥ…」と情けない声を出しながら、ぐいぐいと誠の頭部に喉元を擦り付ける。
 やっと離れると、銀狼は浮いたままの獲物の角を咥えた。
 それから二頭は、数歩進む毎にチラチラと互いを見ながら別れた。
 銀狼は森の中へ。誠は湖から流れ出ている川の方へ。
 短い邂逅だった。
 でも、また会える。誠は不思議とそんな確信を持っていた。
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