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第6章

死はどこからやってくるのか

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 死は、どこからやって来るのか。
 
 やって来るという結果は明白なのに、いつ、がこれほど予測できないものもない。それは、ある日突然やって来るようでもあり、やはり、その時でしかない気もする。
 
 ある人は言った。
 最高の死とはつまり、望んだ時にやって来るそれだと。
 
 そして、レティア・モリガンのスクラップ・ブックの魔法の本質。
 
 それは――『感染』
 
 感情は伝染する。そして、拡張する。
 憎しみを断ち切るのは難しく、愛を抱かずに生きるのはつらい。
 そして、生きる以上、一度でも死を望まない人間がいるだろうか。
 『死にたい』という想念の塊は、同じ想念めがけて飛んでいき、憑りつく。それを吸収し、また次の所へ飛んでいく。
 
 人形を抱いた少女が、空を駆ける。
 少女は自由だ。もうお腹がすくこともない。
 はしゃいで空を飛びまわる少女の目に、街が飛び込んできた。
 おじさんが疲れたように、地面に座り込んでいる。
 少女はその傍らにすっと降り立った。
 おじさんが少女を見つめる。少女はにっこり微笑んで、その手をとった。
 瞬間、男の体を氷が包んだ。
 少女はにっこり微笑んで、次の人を死へと誘うべく、飛び立った。

 エリーは目を閉じ、魔法の広がりを追う。感じる。まだ広がっている。どんどん加速している。きりがない。ヨールカはまだ目覚めない。安らかな死に焦がれる心は、まるで晴れることのない雲のように、村中を覆っている。

「エリー!」
 
 声とともに、ハーディが現れた。常冬の女王も。
「やあ、あなたが常冬の女王様?」
 にっこり笑って、エリーが挨拶した。
『……あなたも“さすらう者”? なんて美しい』
「ありがとう。思った通り、あなたも綺麗な人だ」
 エリーの褒め言葉には答えず、戸惑ったように、常冬の女王はハーディに顔を向ける。
『さっきの“さすらう者”とは違いますね。ヨールカに連れてきてほしいと言いましたが、違いましたか?』
「ううん。これでいいんだ」
 常冬の女王はなおも戸惑っているような様子だったが、迷っている時間はないと判断したのだろう。ベールで覆われた顔を、エリーに向けて言った。
『美しき“さすらう者”よ。この魔法には、問題があります』
「うん」
『あなたには説明するまでもないでしょうが――一度開法された存在集積法を止めることはできません。そして、この魔法の真の恐ろしさは、負の連鎖にあります』
「負の連鎖?」
 ハーディが口を挟む。女王は面倒くさがらずに説明してくれた。
『そうです。集積された人々の想念は、彼らが持つ魔力ごと、この本の中に閉じ込められていました。飢饉や戦争など、いつか起こるだろう大きな災厄を想定して、ヴェスナーはもっとも効率的にこの魔法が拡散する方法を考えたのです。開法された魔力はぶつかりあい、吸収し合い、時として、思わぬ魔術を創る。増幅された魔力によって発生する連鎖魔術。それは単体魔術の二乗にも三乗にも、それ以上にも達します。そのような魔術を防ぐ魔術は存在しません。ハエも一匹や二匹なら、叩くことも可能でしょう。しかし、何万というハエは叩きつぶす前に群がることになります』
「じゃ、どうするの?」
「落ち着いて。ハーディ」
 エリーがハーディの肩に手を置いた。
『何か、手がおありか?』
 常冬の女王の言葉に、エリーは少しの間、考える。そして、言った。
「うん。色々考えたけどね。多分、これが一番だと思う」
 エリーは、これからのことを説明し始めた。
「まず、女王様。女王様は、スクラップ・ブックに封じられていた人たちの想念を元に戻してほしい」
『……しかし』
 女王がスクラップ・ブックに目を落とす。
「それは大丈夫。これが何とかしてくれる」
 エリーが懐から、小さなウサギを取り出した。
「グラッセ!」
「これとは何だい……。これだから最近の若い者は……」
 悪態をつきながら、彼はハーディを見上げる。弱々しいながらも、しっかりした声で、グラッセは言った。
「よくやったね。ハーディ」
 ハーディは黙って、首を横に振る。エリーの手の中にいる彼を心配そうにのぞき込んで、ハーディは言った。
「言われたとおり、女王様とスクラップ・ブックを連れてきたけど……。でも、大丈夫?」
 グラッセは弱々しいながらも、強気に答える。
「大丈夫だよ。形の残っている魔具、魔法論式がわかっているものを再生させるくらい、大したことじゃない」
 エリーの手の中で、ウサギがぴょこりと立つ。
「いくよ」
 グラッセの瞳が、オレンジ色に輝いた。
 グラッセの体が再び大きくなる。オレンジ色の光に包まれた少年は、本をその幼い手で包んで言った。

『もう一度だけ、乞う。汝、役割負うもの。いまひとたび、その任を担え』
 
 瞳のオレンジ色が、その輝きを増す。

『ワーク・アゲイン』
 
 黒い表紙の中心から、金色の光が広がり、それはすぐに本全体を覆った。浮かびあがる欠けた文字たち。それが、みるみる元通りになっていく。やがて光は消え、後には本の黒色だけが残った。
 グラッセの体が、みるみるうちに縮んでいく。
「……これで、大丈夫」
 グラッセの小さな瞳は、再び閉じてしまった。
「グラッセ!」
「大丈夫。――それより」
 エリーが常冬の女王をうながす。彼女はこくりとうなずいて、言った。

『安らかなる死に救われし者。最初の名は、レティア・モリガン』
 
 ――ざああっ。
 
 白紙の中で、黒い砂が音を立てた。
 
 レティア・モリガン。
 本に少女の名と、顔が浮かんだ。がりがりに痩せ細ったその少女の唇は、わずかに綻んでいて、見ようによっては、微笑んでいるようにも見える。
 常冬の女王はあらためて、彼女の顔を見た。
 
 レティア・モリガン。
 
 そう呼ばれていた自分を思い出すことは、やはり難しい。
 土の下に閉じ込められ、あれほど安らかに死ぬことを願っていた気持ちも、まるでベール越しに触れるように、少し遠く感じる。
 だが、すべてはこの少女から始まったのだ。

『……すべての安らかな死を願う者よ。ここへ』
 
 本が黒い風を生む。
 最初は吹いていた風が、今度は逆に本の中にのみ込まれていく。
 飲み込まれていく黒い風は、たちまちふくれあがり、竜巻となった。
 わかる。
 
『死にたい』
 
 その想念が、仲間を求めてここに集まってきているのだ。
 ハーディは息を飲む。そして、恐れを抱く。
 人々の、安らかな死への憧憬は、これほどまでに深く、これほどまでに強いのか。
 気づけば、ハーディは震えながら彼を呼んでいた。
「エリー」

「……ハーディ、召喚大全を開けて」
 
 怖くないの?
 それとも、君は死に慣れているの?
 
 ハーディがそれを口にすることは、できない。
 無言でハーディは召喚大全を開く。
 勝手にページがぺらぺらとめくれる。
 めくられていたページが止まる。
 
 ハーディの目が、大きく見開かれた。
 
 エリーはすでに詠唱を始めている。
『幾重にも乞う。汝、望まれぬ力よ。もう一度己が産まれし場所に戻れ』
 エリーの髪が、赤に、青に、光に染まり、最後にもう一度闇色に染まる。
『魔力分割法第二論式、魔力分割還元法』
 エリーの周りを、金色の文字が舞う。
『更に乞う』
 エリーは続けて言った。
『火の精霊、小さないたずら、いとけし者の指先焦がす。行使停止、割入りて乞う』
 エリーが召喚大全を広げて叫んだ。
『汝、蒼き者よ、汝、空を舞う者よ。汝、雨を呼ぶ者よ。我が主、我が僕。彼方より来たれ。恵みを降らせよ。汝の名は――』
 召喚大全から、青い光が飛び出した。

『キン=バルー!』
 
 ピイイ、大きな鳴き声が上がった。
 見覚えのある優しい表情。そして、優美なるその姿。
 ハーディは思わず叫んだ。

「スカイ!」
 
 ――いや、そんなはずはない。
 彼は死んだ。
 それに、このキン=バルーは、ハーディが記憶している姿よりも、ずっと若くてずっと雄々しくて、力強い。

「――ううん、これはスカイだよ」
 
 エリーの声が、聴こえた。
「『召喚大全』は、ぼくとグラッセが、シジー……シジマウォルのために創ったもの。彼は出会った魔獣たちとの思い出を、この本の中につめた。望めば、彼らの想いと力は、いつでもこの本から借りることができる」
 エリーが、詠唱を再開する。

『魔術行使再開! 詠唱追加! 加えて乞う! 水と炎、相容れぬ者よ。手を携えよ! 降り注げ! 氷の棺を溶かす炎雨!』
 
 キン=バルーの翼が、炎に包まれていく。やがて、炎自身が翼を形成した。
 
 ピイイー!
 
 ハーディとスカイの目が合った。
 彼はあの日のように、にゅーと目を細め、笑った。
 一際甲高い声をあげ、キン=バルーは飛んでいく。
 空から、優しい炎の雨を降らせながら。
 キン=バルーは飛んでいく。
 人々を包んでいた氷の棺を溶かす、春の暖かさを含んだ雨を降らせるために。
 キン=バルーは飛んでいく。
 やがて、優美で雄々しいその姿は――東の方へ飛んで行った。
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