上 下
28 / 43
第3章:サマーナイトドリーム

5・名前

しおりを挟む
 相手が尊だとわかると気が抜けて、灯里は倒れそうになりよろめいた。
 だが、力強い腕がよろめく身体を受け止めてくれる。

「大丈夫か? 怖かっただろ?」

「は、い……。あ、あの……」

「ん?」

「あの、どうして、ここに……」

 尊がここに居るのは偶然だろうか?
 出掛けた時に偶然灯里を見かけて助けてくれたのだろうか?
 そうだとすると、とても幸運だったと灯里は思った。
 もしも尊が来てくれなければ、自分は今頃どうなっていたかわからない。

「あぁ、聡に頼まれたんだ」

「え?」

 尊は意外な事を口にし、灯里は驚いた。

「聡兄さんに?」

「あぁ。聡から仕事でどうしても家に帰れなくなって、お前が家に一人だって連絡があったんだ。そんで、最近また当麻がウロチョロしてるようだから、心配だって……」

 だから、様子を見に来たんだ。
 そう言った尊は、優しく灯里を見つめた。

「どう、して?」

 尊の言葉を聞いて、灯里は不思議に思った。

「え? だから、聡から電話があってよ。今説明したけど、聞いていなかったのか?」

「え? あ、あの、聞いていました。でも……」

「ん?」

 くい、と尊が首を傾げる。
 彼には灯里の言おうとしている事がわからないらしい。
 灯里が不思議に思い聞こうとしたのは、いくら聡から連絡があったとはいえ、大勢いる生徒の一人でしかないはずの灯里の元へ、尊が来てくれたという事だ。
 だけど、灯里はそれを尊に聞く事が出来なかった。
 今は不良たちに囲まれていたところを助けてくれた事に感謝して、花火大会のこの夜に尊に会えた事を素直に喜ぼうと思う。

「あ、あの、た、助けに来てくれて、ありがとうございます」

 そう言って頭を下げると、オウ、と尊は笑って頷いた。
 尊の笑顔を見て、夜なのに太陽みたいだと灯里は思う。

「古城、今日、聡から外に出るなって言われてたんだろ? 何かあったか?」

「はい……」

 灯里は頷き、当麻の部下の女が自分を迎えに来た事を尊に言った。
 そして、あのまま家に居れば、聡も和利も居ない家に、当麻自身が来てしまうのではないかと思い、外出するふりをしようとして家を出た事を。

「それで……あの不良どもに絡まれちまったって事か」

「はい」

 灯里が頷くと、ふう、と尊が深い息をついた。
 灯里は自分の行動が浅はかだと呆れられてしまったのだろうかと、思った。
 だがそれは違い、

「本当に、間に合って良かったよ」

 と尊は続け、優しく灯里の頭に手を置き撫でてくれた。
 先程までは一人でとても心細かったが、今は尊がそばにいてくれるから、とても安らいでいる。
 尊に、先生、と呼びかけようとすると、

「おい、今日はオフだって言っただろ?」

「んんっ」

 頭に置かれていた手がすばやく灯里の口を塞いだ。

「今日は、マジで俺は先生の仕事はしねぇつもりなの! だから、先生とか呼ぶなよ」

「で、でも……」

 それなら、今の尊の事は何と呼べばいいのだろう。
 いつもは、「先生」だ。
 でも今はそう呼ぶなと彼は言う。
 では、「新堂さん」と呼ぶべきだろうか。
 それとも――。

「名前、呼べ」

「え?」

「俺の名前……尊っていうんだけど、知らねぇ?」

「し、知ってます、けど……」

 本当に名前で呼んでもいいの?
 灯里は尊を見つめ、そう問うた。尊は、

「今日の……今……二人きりのこの一瞬だけ、な」

 と言い、優しく目を細め頷いた。

「尊、さん……」

 小さく呼びかけると、あぁ、と尊は小さく返事をした。
 これは奇蹟か、それでなければ夏の夜の夢ではないだろうかと灯里は思った。
 胸がいっぱいになって、涙が零れそうになる。
 いつか、こんなふうに彼を名前で呼ぶ日がくればいいのにと思う。

「灯里」

「え?」

 名前を呼ばれ、灯里は驚き尊を見つめた。尊は灯里を優しく見つめたまま柔らかく笑うと、

「俺も、今日、今だけな」

 と言い、着ていたパーカーを脱ぐと、灯里の肩にかけてくれた。

「これ、着ておけ」

「あ、ありがとうございます……」

 灯里は尊のパーカーを借りる事にした。
 カーディガンを羽織ってはいるものの、キャミソールの胸元が大きく開いていたからだ。
 尊のパーカーは大きくて、袖を通しても腕が出なかった。
 裾は太ももくらいまであって、ショートパンツが隠れてしまう。
 もしかすると、パーカーしか着ていないように見えてしまうかもしれない。

「なんか……んー……でも、なぁ……」

「ど、どうかしましたか? 変、ですか?」

「いや、そうじゃねぇ。そうだ、ついでにこれも被ってろ」

 尊はそう言うと、パーカーのフードを灯里にかぶせた。
 少し暑かったが、尊に包まれているような気がして灯里は心地良さを感じた。

「誰かに見られると、マズイかもしんねーしなー」

 ぽつり、尊た呟くように言う。
 それは、彼が教師で自分が生徒だからという事だろうか。
 自分と一緒では尊に迷惑がかかるのではないだろうかと思うと、灯里は胸がツキンと痛むのを感じた。
 ここは借りたパーカーを返し、自分は家に戻った方がいいのかもしれない。
 家を出てからだいぶ時間が経っているから、もう当麻の部下の女は居なくなっているかもしれないし。

「あ、あのっ」

 一緒に居たいけれど、尊に迷惑がかかるくらいなら、帰った方がいい。
 灯里はそう思ったのだが、

「じゃあ、行くぞ、灯里」

 と言い、尊は灯里に手を差し出した。

「え?」

 驚いて首を傾げ、灯里は尊を見つめる。

「行くぞ、こっちだ」

「あ、あの……」

 どこに行くつもりなのだろう?
 灯里が戸惑っていると、尊は灯里の手を強引に掴む。

「行くぞ、灯里。人が増えてきたから、はぐれるなよ」

 尊はそう言うと灯里の手をぎゅっと握ってくれた。
 大きな手だなと灯里は思う。
 大きいだけでなく、優しい、とも。
 灯里は、

「はい」

 と返事をすると、尊に手を引かれるままに歩き出した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【本編完結】若き公爵の子を授かった夫人は、愛する夫のために逃げ出した。 一方公爵様は、妻死亡説が流れようとも諦めません!

はづも
恋愛
本編完結済み。番外編がたまに投稿されたりされなかったりします。 伯爵家に生まれたカレン・アーネストは、20歳のとき、幼馴染でもある若き公爵、ジョンズワート・デュライトの妻となった。 しかし、ジョンズワートはカレンを愛しているわけではない。 当時12歳だったカレンの額に傷を負わせた彼は、その責任を取るためにカレンと結婚したのである。 ……本当に好きな人を、諦めてまで。 幼い頃からずっと好きだった彼のために、早く身を引かなければ。 そう思っていたのに、初夜の一度でカレンは懐妊。 このままでは、ジョンズワートが一生自分に縛られてしまう。 夫を想うが故に、カレンは妊娠したことを隠して姿を消した。 愛する人を縛りたくないヒロインと、死亡説が流れても好きな人を諦めることができないヒーローの、両片想い・幼馴染・すれ違い・ハッピーエンドなお話です。

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。

文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。 父王に一番愛される姫。 ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。 優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。 しかし、彼は居なくなった。 聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。 そして、二年後。 レティシアナは、大国の王の妻となっていた。 ※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。 小説家になろうにも投稿しています。 エールありがとうございます!

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...