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プロポーズ
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時はさらに流れ、良樹が28歳の冬。思わぬことが起きた。
母親がうるさくせっつくので書いた釣書を、木綿子が山辺家に持って行ったと言うのだ。
『木綿子の姪ごさんなら、いい子に決まってる。上手くいくといいわね~』
ご機嫌な母親を、良樹は不思議な気持ちで見ていた。
良樹は女性に関心が無いわけではない。
ただ、ひどく無精だった。
友人や会社の先輩に女性を紹介されても、どうにもその気にならず、鉱物収集や空手の稽古を優先させてしまうのだ。
ところが、山辺彩子と聞いたとたん、良樹の中で何かが弾けた。
生まれて初めての心境である。
急に落ち着きを失くす自分自身に、彼は動揺した。
そして、12月23日――
木綿子から電話が入り、啓子が大慌てで良樹に報告した。
『ねえ、山辺彩子さんがあんたに会いたいって言ってるらしいわよ。どうする!?』
母親の上ずった声につられ、良樹も緊張の面持ちになる。
しかし迷いはなかった。
『いいよ、会う』
『まっ、本当に?』
息子の思わぬ反応に驚きつつ、啓子は喜色満面だ。
『あ、でも良樹、明後日から出張よね。帰ってからにしてもらう?』
『いや、明日の夜に会うよ。相手さえ良ければ……』
息子の乗り気な態度に啓子は驚くが、木綿子に喜んで返事を伝えた。
明日、見合いをする――
そう決まってから初めて、相手の釣書きや写真がないことに良樹は思い至る。
しかし、構わないと思った。
写真が無くても彼女のことは見つけられる。なぜか確信できるのだった。
12月24日 クリスマスイブ――
良樹は一張羅のスーツを着て、待ち合わせ場所のレストラン"アベンチュリン"へと向かった。
『アベンチュリンか』
石英に雲母が入った緑水晶だな……などと考えながら、店の中に足を踏み入れた。
窓際の奥の席に、白いコートを着た女性が座っている。
良樹は、間違いなく山辺彩子だと思った。
店員が案内しようとするのを止めて、真っ直ぐに彼女のもとへ歩いていく。
夜景を眺め、嬉しそうに微笑む横顔。
良樹は既に、愛しい気持ちが芽生えるのを感じていた。
『お待たせしました』
声をかけると、彼女は慌てて立ち上がり、しどろもどろに挨拶した。
『いえ、私も今来たばかりです。全然、待っていませんので……』
すごく可愛い人だ。
良樹は心底、嬉しかった。
木綿子に深く感謝した。
そして二人はテーブルで向かい合う。
料理を注文したあと、あらためて自己紹介する彼女を見て、良樹は息を呑んだ。
彼女の襟もとに、直径8ミリほどの蛍石が、淡い光を放っている。
これはただの偶然だろうか。いや、そうではない。
良樹は吸い込まれるように、薄緑色の小さな石に見入る。
見つけた!
彼は心で、歓喜の声を上げていた。
◇ ◇ ◇
「この蛍石ですね」
彩子はバッグの中に忍ばせておいた、お守り代わりのチョーカーを原田に見せた。
「ああ、これだ」
原田はその小さな石を受け取り、フロントガラスの光に透かした。
「やっぱり、水晶でカバーされてるな。蛍石はわりと脆いから」
「脆い?」
「うん。硬度が低くてアクセサリーには本当は不向きなんだ。でも上手に加工してある。すごくきれいだ。俺は薄緑色のフローライトが一番好きだな」
「フローライト……」
素敵な響きだと、彩子は思った。
「見せてくれて、ありがとう」
チョーカーを返す原田に、彩子は首を横に振った。
「彩子さん?」
「原田さんが持っていて。あの……持っていてほしいの」
そう言って、彼の手の平に石を包ませる。
「でも、大切なものだろう」
「大切だから、あなたに持っていてほしい」
原田は不思議そうにするが、
「じゃあ、これを君だと思って、お守りにするかな」
胸ポケットに、大事そうに仕舞った。
「それにしても、原田さん。木綿子伯母さんから、私についていろいろ聞いてたんですね。だから初めて会った時、落ち着いて見えたのかも」
「う~ん、落ち着いてたかな?」
「伯母は原田さんのことを話してくれたこと無かったなあ。何だかずるいですね」
彩子はやんわりと原田を睨んだ。
「あっはは……勘弁してください。その代わり何でも質問に答えるから」
雪が激しくなり、フロントガラスに積もり始めた。
「これはやばいぞ。早く帰ろう」
原田は公園の駐車場から車を出して、彩子の家に向かった。
彩子はかろうじて平静を保っているが、本当は逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。ついさっき、原田の腕に抱かれて、初めてのキスを交わしたばかりである。
長いキスだった。一度唇を離しかけたが、まだ不足のように、原田は彩子の柔らかな感触を繰り返し確かめた。
意外な情熱を見せられたようで、彩子はいまだにドキドキしている。
一方原田は、相変わらず平常心というか、普段どおりの顔だ。男と女の違いかしらと、彩子は不思議な思いで彼を見つめた。
「これから忙しくなる。まず、両親の顔合わせと結納の打ち合わせ。式場の確保。あと、肝心なのは新居を決めること」
原田がハンドルを慎重に操作しながら彩子に話しかけた。
彩子は驚いて目を丸くする。
「原田さん、詳しいんですね」
「えっ?」
彼は一瞬、戸惑った表情になるが、すぐに引き締めた。
「まあ、ね。前もって調べておいたから」
彩子は意外だった。
結婚を意識するのはむしろ自分のほうで、原田がそこまで考えているとは思いも寄らず。
「でも、楽しい忙しさですよね」
「その通り!」
はにかむ彩子に、彼は明るく、いつものように微笑んだ。
母親がうるさくせっつくので書いた釣書を、木綿子が山辺家に持って行ったと言うのだ。
『木綿子の姪ごさんなら、いい子に決まってる。上手くいくといいわね~』
ご機嫌な母親を、良樹は不思議な気持ちで見ていた。
良樹は女性に関心が無いわけではない。
ただ、ひどく無精だった。
友人や会社の先輩に女性を紹介されても、どうにもその気にならず、鉱物収集や空手の稽古を優先させてしまうのだ。
ところが、山辺彩子と聞いたとたん、良樹の中で何かが弾けた。
生まれて初めての心境である。
急に落ち着きを失くす自分自身に、彼は動揺した。
そして、12月23日――
木綿子から電話が入り、啓子が大慌てで良樹に報告した。
『ねえ、山辺彩子さんがあんたに会いたいって言ってるらしいわよ。どうする!?』
母親の上ずった声につられ、良樹も緊張の面持ちになる。
しかし迷いはなかった。
『いいよ、会う』
『まっ、本当に?』
息子の思わぬ反応に驚きつつ、啓子は喜色満面だ。
『あ、でも良樹、明後日から出張よね。帰ってからにしてもらう?』
『いや、明日の夜に会うよ。相手さえ良ければ……』
息子の乗り気な態度に啓子は驚くが、木綿子に喜んで返事を伝えた。
明日、見合いをする――
そう決まってから初めて、相手の釣書きや写真がないことに良樹は思い至る。
しかし、構わないと思った。
写真が無くても彼女のことは見つけられる。なぜか確信できるのだった。
12月24日 クリスマスイブ――
良樹は一張羅のスーツを着て、待ち合わせ場所のレストラン"アベンチュリン"へと向かった。
『アベンチュリンか』
石英に雲母が入った緑水晶だな……などと考えながら、店の中に足を踏み入れた。
窓際の奥の席に、白いコートを着た女性が座っている。
良樹は、間違いなく山辺彩子だと思った。
店員が案内しようとするのを止めて、真っ直ぐに彼女のもとへ歩いていく。
夜景を眺め、嬉しそうに微笑む横顔。
良樹は既に、愛しい気持ちが芽生えるのを感じていた。
『お待たせしました』
声をかけると、彼女は慌てて立ち上がり、しどろもどろに挨拶した。
『いえ、私も今来たばかりです。全然、待っていませんので……』
すごく可愛い人だ。
良樹は心底、嬉しかった。
木綿子に深く感謝した。
そして二人はテーブルで向かい合う。
料理を注文したあと、あらためて自己紹介する彼女を見て、良樹は息を呑んだ。
彼女の襟もとに、直径8ミリほどの蛍石が、淡い光を放っている。
これはただの偶然だろうか。いや、そうではない。
良樹は吸い込まれるように、薄緑色の小さな石に見入る。
見つけた!
彼は心で、歓喜の声を上げていた。
◇ ◇ ◇
「この蛍石ですね」
彩子はバッグの中に忍ばせておいた、お守り代わりのチョーカーを原田に見せた。
「ああ、これだ」
原田はその小さな石を受け取り、フロントガラスの光に透かした。
「やっぱり、水晶でカバーされてるな。蛍石はわりと脆いから」
「脆い?」
「うん。硬度が低くてアクセサリーには本当は不向きなんだ。でも上手に加工してある。すごくきれいだ。俺は薄緑色のフローライトが一番好きだな」
「フローライト……」
素敵な響きだと、彩子は思った。
「見せてくれて、ありがとう」
チョーカーを返す原田に、彩子は首を横に振った。
「彩子さん?」
「原田さんが持っていて。あの……持っていてほしいの」
そう言って、彼の手の平に石を包ませる。
「でも、大切なものだろう」
「大切だから、あなたに持っていてほしい」
原田は不思議そうにするが、
「じゃあ、これを君だと思って、お守りにするかな」
胸ポケットに、大事そうに仕舞った。
「それにしても、原田さん。木綿子伯母さんから、私についていろいろ聞いてたんですね。だから初めて会った時、落ち着いて見えたのかも」
「う~ん、落ち着いてたかな?」
「伯母は原田さんのことを話してくれたこと無かったなあ。何だかずるいですね」
彩子はやんわりと原田を睨んだ。
「あっはは……勘弁してください。その代わり何でも質問に答えるから」
雪が激しくなり、フロントガラスに積もり始めた。
「これはやばいぞ。早く帰ろう」
原田は公園の駐車場から車を出して、彩子の家に向かった。
彩子はかろうじて平静を保っているが、本当は逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。ついさっき、原田の腕に抱かれて、初めてのキスを交わしたばかりである。
長いキスだった。一度唇を離しかけたが、まだ不足のように、原田は彩子の柔らかな感触を繰り返し確かめた。
意外な情熱を見せられたようで、彩子はいまだにドキドキしている。
一方原田は、相変わらず平常心というか、普段どおりの顔だ。男と女の違いかしらと、彩子は不思議な思いで彼を見つめた。
「これから忙しくなる。まず、両親の顔合わせと結納の打ち合わせ。式場の確保。あと、肝心なのは新居を決めること」
原田がハンドルを慎重に操作しながら彩子に話しかけた。
彩子は驚いて目を丸くする。
「原田さん、詳しいんですね」
「えっ?」
彼は一瞬、戸惑った表情になるが、すぐに引き締めた。
「まあ、ね。前もって調べておいたから」
彩子は意外だった。
結婚を意識するのはむしろ自分のほうで、原田がそこまで考えているとは思いも寄らず。
「でも、楽しい忙しさですよね」
「その通り!」
はにかむ彩子に、彼は明るく、いつものように微笑んだ。
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