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第一章 呪われた男

31. アイリス、悩む

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 女王であるアイリス・カローナ・アレクサンドリアの執務室は重苦しい空気が立ち込めていた。

「……それではサク様の生死は絶望的ということですか?」
「現状そうなりますな。実際に死体を見つけたわけではありませんが、大量の血痕と彼の遺留品と思われるものが見つかっております」

 大臣のカイル・エシャートンが淡々とした口調で告げられ、アイリスは悲しそうに目を伏せた。
 颯空の行方が分からなくなったという報告を受けたアイリスはすぐさま捜索に当たるように命じた。こちらの都合で呼び出した者達に、この世界を救うという重荷を背負わしてしまった事に対し、彼女はずっと心を痛めていた。できる事なら、誰一人欠けることなく元の世界に帰れるように、と願っていたのだが。

「もう少し捜索することはできませんか? もっと人数を増やして探せばあるいは……!!」
「お言葉ですが女王陛下」

 懇願するようなアイリスの言葉をカイルはぴしゃりと遮る。

「今最も大切なことは、この国が魔族の手に落ちないようにするということです。確かに異世界人を損失は大幅な戦力低下につながりますが、それにいつまでもかまけていたら本来の目的を遂行することはできません」
「で、ですが……まだ可能性があるのなら……!!」
「こういう言い方をしてはあれなのですが、今回行方不明になった異世界人は戦力として見込めない者でした。まさに不応中の幸いというやつですな。強力なギフト持ちは生存しているため、そちらを育てる方に尽力するのがこの国のためだと思われます」

 きっぱりと言い切ったカイルに対してアイリスは何も言うことはできない。
 両親の急死により、何の準備もなくそのまま女王として祭り上げられたのが、アイリスが五つの時。当然、国政などできるわけもなく、幼い彼女の代わりに大臣のカイルが全ての政務を執り行っていた。重要な会議にアイリスは呼ばれず、カイルが取りまとめたものに対して許可を与えることしかしてこなかった彼女が、カイルの意見に言い返せるわけもない。

「……わかりました。カイルさんに全てお任せいたします」
「賢明な判断に感謝いたします」

 カイルは満足げな様子で一礼すると、そのまま執務室から出ていった。

 途方もない無力感が襲い掛かってくる。カイルと話す時はいつもそうだ。子供の頃からあの目が苦手だった。自分を置物のようにしか思っていないあの目が。
 一人になったアイリスはそっと目を閉じ、組んだ両手を額に当てた。命を落とした異世界の勇者に祈りをささげる。心にあるのは懺悔の気持ちだけ。ただただ心の中でアイリスは謝罪し続けた。

 颯空への弔いを終えたアイリスは何とはなしに外へと視線を向ける。ここのところ分厚い雲が空を覆っており、どうにも陰鬱な気分になってしまう。
 しばらくぼーっと景色を見ていたアイリスだったが、おもむろに衣装箪笥の前に足を運ぶと、その中から白いローブを取り出した。このお忍び用のローブに手早く着替えると、誰にも気づかれないよう執務室にある隠し扉から外へと向かった。

 アレクサンドリア城には『王の庭』と呼ばれる場所がある。城の正面には城下町が広がっているのだが、裏手には森があり、歴代の王達がそこで狩猟を楽しんでいたことからその名がつけられた。
 白いローブに身を包んだアイリスの姿がその『王の庭』にあった。もちろん狩猟をしに来たわけでない。少し息を弾ませながら森の中を足早に歩いていく。しばらくすると一軒の丸太小屋が見えてきた。アイリスはその扉の前に立ち、息を整えてから遠慮がちにその扉をノックする。少しして顔を出したのは白髪頭に白髭、青いローブを着た老人であった。

「はいはいどちら様……ありゃこれは珍客ですな」

 フードを脱いだアイリスを見て少し驚いた表情を見せた老人だったが、すぐに柔和な笑みを浮かべアイリスを小屋の中へと案内する。そして、長すぎる髪と髭を引きづりながら、ぺこりと頭を下げて中へと入っていくアイリスの後に続いた。
 小屋の中はそこかしこに本が散らばっている。それはいつもの事だったので、アイリスは特に驚くそぶりも見せずに、本を避けながら奥にある椅子に腰を下ろした。老齢の男は窓を開けるとほこりまみれの椅子と机を思い切りはたいた。

「ちょうど美味しいお菓子を手に入れたところだったんですじゃ。今、お茶を入れますな」
「そんな……お気になさらないでください」
「いえいえ。姫様が……あぁいや、女王陛下自らがこの老いぼれに会いに来てくださったんじゃ。これぐらいのもてなしはさせてください」

 遠慮がちにアイリスが言うも、老人は軽く受け流し、鼻唄交じりでお茶の準備を始めた。ほどなくしてクッキーと紅茶を持ってきた老人が、テーブルにそれらを置く。

「これは儂が最近ハマっている紅茶でしてな。ガントラから直接仕入れたものなのですじゃ。飲んでみてくだされ」
「ありがとうございます」

 お礼を言いつつ、勧められるがままに紅茶に口をつける。渋みのある香りが鼻腔をつき、口の中に仄かな酸味が広がっていく。リラックス効果でもあるのだろうか。荒んでいた心が少しだけ楽になったような気がした。

「……とてもおいしいです」

 微笑をうかべたアイリスを見て、老人が満足そうに頷く。

「少しは落ち着かれましたかな?」
「え?」
「ひどく心に余裕がないように見受けられたので。余計なお世話でしたかな?」

 老人がゆっくりとティーカップを傾けながら言った。まさか、出会って数秒で見抜かれるとは。まだほとんど会話もしていないというのに。

「いえ、そのようなことは……お気遣いに感謝いたします」

 やはりこの人には頭が上がらない、アイリスは心の中でそう思った。

「して、女王様がこの老いぼれに何の御用ですかな?」
「女王様なんて……以前のようにアイリスちゃんとお呼びください」
「そんな恐れ多い呼び方をしようものならすぐさま打ち首ですじゃ」

 老人がおどけた調子で首を斬られるジェスチャーをする。そんな男の様子を見てアイリスはくすりと笑った。

「マーリン様は変わりませんね」
「人間、年を重ねると変われなくなってしまうものなのですじゃ」

 マーリンがしみじみと言いながらクッキーを頬張る。予想外においしかったのか、「うひょー!」と言いながら、二枚目三枚目とどんどんクッキーに手を伸ばしていた。

「私は……変わらなければいけないんでしょうね」

 アイリスは両手で包み込むように持ったカップに目を落とす。

「……何かあったのですか?」

 マーリンが丸眼鏡をクイっと上にあげる。少しだけ躊躇った様子のアイリスであったが、意を決したように口を開いた。

「この世界の者ではない人達に、この世界の命運を背負わせました。その結果、その一人が、不幸にも命を落としてしまったのです」
「異世界の勇者、ですかな?」
「…………はい」

 こんな辺鄙なところに住んではいても、城で何が行われているのかくらいはマーリンも知っている。当然、魔王への対抗手段として颯空達が召喚されたことも、だ。

「わかっています。これから魔族と戦争になれば、もっとたくさんの人が命を落とすという事を。わかってはいるのですが……ダメですね。能天気な小娘のまま、私は何も成長していません」

 自嘲じみた笑みと共にそう言うと、それっきりアイリスは黙り込んだ。その小刻みに震えている肩を見ながら、マーリンは自分の髭をなぞった。

「自分がしている事に、この国がしている事に自信が持てませんかな?」

 マーリンの言葉にアイリスはビクッと身体を震わせる。答えがなくてもその反応だけでマーリンには十分であった。

「儂が大臣をやっていた頃の国王陛下と同じですな」
「マーリン様が大臣の時代……という事は私のお爺様ですか?」
「そうですじゃ。魔王の出現により人々が未来の見えない暗黒の時代に飲まれていた時代に光を照らしたアルトリウス国王陛下も、アイリス女王と同じ悩みを持っておりました」

 紅茶で喉を潤しながら、マーリンが遠い目をする。アルトリウス・カローナ・アレクサンドリア。代々続くアレクサンドリア王家の中でも屈指の名君と名高い男。アイリスと血のつながりはあるものの、彼女が生まれた時には帰らぬ人となっていた。だから、アルトリウスについてはほとんど知らない。唯一知っている事は、五十年前に異世界人を召喚し、魔王を打ち倒したという事だけだ。つまり、今の自分と一番境遇が似ている王であった。

「常日頃儂に言っていたもんじゃ。『別の世界の者達に魔王を倒させようとは、なんと傲慢で身勝手で無責任な事か』とな。それでも、王として民を守るため、手段を選ばない道を選んだのじゃ。それでも酒の席になるとのぉ……死んでいった者達のことを思い、時には涙を流しておった」
「…………」

 その思いはまさに自分が今抱いている者であった。自分の国を守るため、何の関係もない者達を無理やり巻き込んでしまっている。彼らをこの世界に召喚してからずっと感じている罪悪感を、伝説の王も感じていたとは。
 ただ、自分とは違う。アルトリウス王は民のため、非常に徹する覚悟があった。その強さが自分には……ない。
 そんなアイリスの心境を察したのか、マーリンが優し気な眼差しを向ける。

「人間というのは脆く儚い……一人で抱え込んでいてはいずれ壊れてしまう。それは名王でも同じこと。儂がいいはけ口じゃったんじゃな。お后様には聞かせられない下世話な話もよくしたもんじゃ」
「……そういうお方だったのですね。お爺様は」
「この話をお孫さんにしたとばれたら、儂は陛下に殺されてしまうのでご内密に」

 茶目っ気たっぷりでペロッと舌を出すマーリンを見て、アイリスが笑みを浮かべた。

「女王様にはそういうお人がおられますか?」
「え?」
「女王様自身が本音で話せる人、女王様自身に本音で話してくれる人。そういうお方が『王』という人の上に立つ者には必要なのです」
「本音で……」

 マーリンの言うような人がまるで頭に浮かんでこなかった。その事に戸惑いを見せるアイリスの肩に、マーリンが優しく手を添える。

「まずはそういう人を見つけなさい。そして、そういう人を大事にしなさい。そうすればその人は必ずアイリスちゃんの力になってくれるはずじゃ」

 マーリンの言葉は温かく、そして心強かった。思わず涙があふれそうになりながらもアイリスは力強く頷く。それを見てマーリンも笑顔で頷いた。

「おっと、今アイリスちゃんと言ったのは儂らだけの秘密にしといてください」

 にやりと笑いながらマーリンが人差し指を唇に当てる。自分を元気づけようとするマーリンの優しさを一身に感じ、思わず笑みが零れた。

「さてさて、女王様が不在と知れたら城が大騒ぎになるじゃろう。そろそろお戻りいただいた方がよろしいのではないですか?」
「そうですね。……マーリン様、本当にありがとうございました」

 アイリスは深々とお辞儀をするとフードをかぶり直し扉へと向かう。そのまま外に出ようとしたが、ドアノブに手をかけたところで少し逡巡しながら振り返った。

「……またお茶をいただきに来てもいいですか?」
「えぇ。とっておきのお茶を用意してお待ちしております」

 笑顔で答えたマーリンに頭を下げ、アイリスは小屋から出ていく。一人になったマーリンは小屋の窓の近くに移動した。

「相変わらずお優しいお方じゃ。……じゃが、その優しさ故、潰れてしまわないか心配でもある」

 アイリスは今年で十八になった。世間的には立派な大人ではあるが、一人で王の責務を抱えるにはあまりにも若すぎる。

「……あの子の支えになってくれる者が、誰か現れてくれるといいんじゃが」

 城へ戻っていく白いローブの少女を窓から見ながらマーリンは静かに呟いた。
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