ナイフと銃のラブソング

料簡

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第6話

佐坂智也の救うための戦い その1

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 空には半月が煌々と照っていた。もう夜になっているので空気は冷たい。
 そんな中、佐坂智也は廃ビルの屋上で、血まみれになりながら、必死に傷口を押さえている羽素未世を見つめていた。
 僕があの時、ポニアードを殺していれば羽素さんを苦しめることはならなかった。
 後悔はしてもしきれない。
 でも、もうどうしようもなかった。
 絶望が心を埋め尽くす。
 そんな時だった。
 ふと智也は未世の口が動いているのに気づいた。誰が見ても、死にかけているのは明らかな少女。そんな少女が口にしようとしている言葉にならない言葉は、それでも智也の瞳にはっきりと映った。
『死にたくない』
 彼女はそう言っているように見えた。定かではない。しかし、その言葉は智也を突き動かすには十分すぎた。
 羽素さんを助ける。そのためにすべきことは一つしかない。
 次の瞬間、智也はいつの間にか手に持っていた銃でポニアードを撃った。狙いは頭。今までの葛藤が嘘のように、智也は相手を死に至らしめる一撃を放った。
 完全にポニアードの虚を突いた攻撃は、しかし、とっさに顔を動かされ外れた。
「ちっ」
 智也は舌打ちをしながら、仕留めきれなかったことに悪態をつく。今ので殺せなかったことは予想外だった。
 ポニアードの頬からは血が流れている。その顔には一瞬、意外そうな表情が浮かぶがすぐににやりと笑みを浮かべた。智也はそんなポニアードをにらみつける。
 もう迷うな。
 気絶したのか動かなくなった未世を見ながら智也は覚悟を決める。その目には甘えも、迷いも、葛藤も、躊躇もなかった。ただ、目的を遂行するための意志だけが、そこにはあった。
「ふうん。いい面構えになったわね」
 ポニアードは、そんな智也の変化に嬉しそうに目を細めた。そして、頬を流れる血を舌でなめ取った。
「でも、もう遅いんじゃないかしら。未世ちゃんは傷ついて、あなたは何も守れない」
「黙れ」
 愉快に笑うポニアードをにらみつけながら、智也は考える。
 ポニアードの顔面を打ち抜こうとした一撃は、智也にとって最高速度の不意打ちだった、それにもかかわらず、ポニアードに躱された。その事実が意味することは一つ。こいつの化け物じみた身体能力の前では、普通に攻撃しても確実に当たらないということ。正攻法では勝てない。だから、裏をかくしかなかった。
 初めてポニアードと戦った時に、殺す寸前まで追い詰められたのは能力を囮に使う、いわば反則技を使ったからだった。種がばれたら二度と使えない手段をとったに過ぎない。そうでもしないとポニアードに勝つ方法はなかった。
 それと同じ手段をとるしか勝つ方法はなかった。しかし、どれだけ考えても思いつかない。思考をフル回転させるが、どうあがいてもポニアードに攻撃を当てる方法は見えてこなかった。
 そんな智也のことを知ってか、知らずかポニアードは気楽に語りかける。
「さて、あなたは私をどう楽しませてくれるかしら?」
「知るか。お前は殺す」
 智也はポニアードに向けて銃を構える。
「わあ。怖い怖い」
 茶化すように言うポニアードに智也は試しに銃を二発撃つ。しかし、ポニアードはいつの間にか握っていたナイフで、こともなげに銃弾をはじいた。
「ちっ、効かないか」
 智也は落胆するわけでもなく冷静につぶやく。撃っても躱されるか、ナイフではじかれるとわかっていても、ポニアードを切り崩す手段を得るためにありとあらゆる方法を試すしかない。それが現時点での智也の取れる唯一の手段だった。
「やみくもに撃っても駄目よ。ちゃんと考えなきゃ」
 そう言うとポニアードは智也に向かって襲いかかる。智也は一歩引いて銃を撃った。ポニアードは実を横にずらし、躱す。それを見越して智也は銃を撃った。当たったと思った一撃は、しかし、ナイフに阻まれる。
「素直な攻撃ね」
 ポニアードは智也の目の前まで来ると、ナイフを向ける。刹那、智也は横に跳んだ。追撃に備えて、銃を構える。しかし、ポニアードは追ってこなかった。代わりに、ナイフを投げるように手首を震う。
 しまった。
 智也は慌てて頭を下げ、手を交差してガードする。使えない左腕を上にできたことは幸運だった。来たるべき痛みに備えて気を強く持つ。
「え?」
 違和感は一瞬だった。来るはずのナイフは来ない。追撃もない。ポニアードはただその場に立って、堪えきれないように笑っていた。それが示すことは一つ。それは本気で殺しにかかっている智也を前にして未だに遊んでいるということだった。つまり、嘗められているということ。
「ふざけているのか」
「いえ、私はちゃんと真剣よ」
 ポニアードは笑顔でそう言うと一瞬で智也との距離を詰め、
「真剣に遊んでいるもの。だって、そうでもしないと――」
 そのまま腹部に拳を叩き込んだ。
「うぐっ」
 その衝撃に智也は一瞬、身体が中に浮いたのを感じた。そのままくの字に身体を曲げながら、口内から何かを吐きき出す。一切、反応できなかった。
「――つまらないじゃない」
 こともなげに言うポニアードを倒れ込んだ智也は見上げていた。何が起こったのか理解できなかった。ポニアードの動きや攻撃は初めて戦ったよりも早く、重く、強かった。
「今のがナイフだったら、あなた死んでいたわよね」
 ポニアードはそう言うと、いつの間にか持っていたナイフを突き刺すジェスチャーをする。
「今まで手を抜いていたのか、くそ」
「ナンセンスな言い方ね。ちょっと本気を出しただけよ」
 ポニアードはあっさりと言い放つ。そして、余裕からか、その場でナイフをくるくる回して遊び始めた。
 智也は悪態をつきながら、立ち上がる。気分は最悪。絶望的だった。
 それでも、同時に、思考を巡らせる。
 まずは、ポニアードを倒す方法を考える。どれだけ考えても思い浮かばない。次に、未世を救う方法を考える。未世は出血量が多く、このままほっておけば数時間で死ぬだろう。一刻も早く、傷をふさぎ、できれば輸血をする必要があった。どうすればこの二つを完遂できるのか、考えても道は見えなかった。
「さて、それじゃあ次は何して遊ぼうかしら」
 思案するようにポニアードは歩き始める。
「それにしても遊びすぎたかしらね。未世ちゃんが死にかけているわ」
 そう言いながらポニアードは、気絶している未世のもとに近づいていく。そんなポニアードに智也は慌てて発砲した。ポニアードは智也に背を向けていたにもかかわらず、身をずらして躱す。
「何よ」
 ポニアードは振り向くと口を尖らせた。
「羽素さんに近づくな」
 銃を向けながら智也は叫ぶ。しかし、それが何の意味もなさないことはわかっていた。ポニアードが銃撃に対応できている以上、智也に彼女を止める手段はなかった。それでも、智也はこれ以上未世を傷つけさせないために、止めずにはいられなかった。
「何もしないわ」
 ポニアードは呆れたように肩をすくめた。
「殺さないって言った手前、未世ちゃんに死なれると私も心が痛むのよ」
「お前がそんなたまか」
「人をなんだと思ってるのよ、もう。これでも約束を破らないことを信条にしてるのよ」
「信じられないな」
「信じる信じないは結構だけど、未世ちゃんが死にかけているのは事実でしょう」
 そこでポニアードは何かを思いついたようににやりと笑った。
「そうだ。ねぇ、ゲームをしましょうか」
「ゲームだと」
「ええ。虫の息の未世ちゃんはあとどれくらいもつかわからない。そんな彼女を救う方法が一つだけあります」
 そう言うとスーツの右ポケットから赤いカプセルの薬を取り出した。見るからに毒々しい。
「これを飲んだら、あら不思議、傷がふさがるわ」
 愉快そうに語るポニアードを智也は疑いのまなざしでにらみつける。
「あら信じられないって感じね。仕方ないなあ」
 わざとらしく言うと、ポニアードは突然ナイフで自分の手の平を切った。
「なっ」
 突然の凶行に智也は訝しげに眉を寄せた。そんな智也を愉快そうに見ながらポニアードは赤いカプセルの薬を飲む。すると、手の平の傷がふさがっていった。まるで魔法のような出来事だった。
「その薬、能力か?」
「いいえ、科学よ。私の仲間のナコティックが調合したものなの。細胞の働きを活性化させるものらしいけど、よくわからないわ」
「よくわからないものを使うのか」
「ええ。便利ですもの。それに未世ちゃんを助けたいなら、なりふりかまっていられないんじゃないの」
 ポニアードの言うとおりだった。この状況から未世を助ける方法は限られている。ポニアードを倒して、彼女を治療することが最善だったが、その方法が困難である以上、別の手を考えるしかなかった。もし、ポニアードを倒さず未世を治療出来る方法があれば、それは智也にとっても願ってもないことだった。
 納得できないとか、プライドが許さないとか、そんな小事に左右されずに最善を果たす必要があった。
「さっきゲームと言ったな」
「ええ」
「何をさせる気だ?」
「かくれんぼよ」
 ポニアードが出した言葉は意外なものだった。智也は眉を寄せる。
「これから私が未世ちゃんを隠すから、彼女が死ぬ前に見つけて薬を飲ませるの」
 ポニアードは赤いカプセルの薬を智也に示す。
「一つしかあげないから無くさないでね」
 そう言ってポニアードは薬を智也にほうり投げる。智也は慌ててキャッチした。
「これで羽素さんは助かるのか」
「ちゃんと楽になるわ」
 受け取った薬を見ると、何の変哲もない赤いカプセルの薬だった。智也はそれをハンカチにくるんで、大切にポケットにしまう。
「羽素さんの居場所はノーヒントで見つかる場所なのか」
 智也は未世をどう探すか考える。最悪、探し物が得意と言っていた十和の力を借りるのが一番早いと思っていた。
「ヒントはあるわ」
 そう言って紙切れを取り出すと、紙をひらひらさせと智也に見せる。
「これがヒントになるわ。みないでね」
「用意がいいな。そこに書いてあるのか」
「物事を楽しむためには事前にいろいろ仕込んでおくことが肝心だからね」
 ポニアードはふふんと胸をはる。
「それからちゃんと探し始める前に目を閉じて100数えることを忘れないでね」
「なぜ?」
「だってかくれんぼだから」
 あっさりと言うポニアードに智也はイライラする。大切な人の命がかかっているのに、ポニアードにとっては遊びにしか過ぎないのだ。
「わざわざ待ってから行くんじゃなくて追いかけたらどうなる」
「うーん、それだと鬼ごっこになっちゃうからルール違反ね」
「違反をしたらどうなるんだ」
「未世ちゃんを殺すわ」
 ポニアードはいつもと変わらない様子で言う。だからこそ、一切の偽りがないことが智也にも痛いほど伝わってきた。
「あっ、そうそう。ちゃんとあなたの目の前で殺してあげるから安心してね。断末魔は聞けるようにしてあげる。未世ちゃんは何て言うかしら。まあ、きっと死にたくないでしょうね」
    ポニアードはそう言ってクスクスと笑い出した。
「ルールは守る」
    智也は唇を噛み締めながら、断言した。
「素直でよろしい」
    ポニアードは茶化すように言うと、思い出したように言葉を付け加えた。
「そうそう。他人の手を借りたり、このゲームにそぐわない行動を取ってもルール違反だから気をつけてね」
 智也は内心舌打ちする。つまり、智也の取れる行動は自力で未世を探し出し、薬を飲ませて治療することしかできないと言うことだった。たった一言で、行動を縛られる。智也はポニアードの言うとおりに動くことしかできなくなっていた。 
「そちらがルールを破る可能性はないのか」
「どういう意味かしら?」
「例えば、ヒントといってデタラメが書いてあったり、遠くに逃げたりすることはないかってことだ」
 智也が懸念していたのは当然のことだった。ポニアードがルールを守る保証はない。公平な勝負でないとは思っていたが、自分だけが縛られていては不利になるだけだった。
「もうあまり私を見くびらないでね。そんなつまらないことをするわけないじゃない」
 ポニアードは口を尖らせる。
「じゃあ、羽素さんは彼女がちゃんと生きているうちに捜し当てられる場所にいるのか?」
 羽素未世が生きていられる時間でたどり着けない場所に隠されてしまえば最初から詰んでいる。これをされるとどうあがいても彼女を助けることは不可能になるため、それだけは避けたかった。
「くどいわね。これは遊びよ。だから、ちゃんと公平するわ。何より、そうじゃないと私が楽しめないじゃない」
 当たり前だと言わんばかりにポニアードは言い放った。
「わかった」
 信じられないが、智也は頷くしかなかった。
「それじゃあ、始めましょうか」
「待て。二つ確認したいことがある」
「何かしら?」
「羽素さんがいる場所は僕が知っている場所か」
「それはヒントになってしまうから言えないわ」
 ポニアードは「残念ね」と答える。つまり、知らない場所の可能性もあるということかと思いながら、智也は「そうか」と頷く。何にせよ、ヒントをもとに解き明かすしかなさそうだった。そして、最も気にしていることを口にした。
「じゃあ、ゲームが終わったら羽素さんを解放してくれるのか」
 ポニアードは一瞬、驚いたように目を見開くが、すぐにニコニコと笑い出した。
「そう。そんなことを考えていたの。安心して、解放してあげるわ」
 心底楽しそうにポニアードは答える。
「本当だな?」
「ええ。解放してあげる」
 信用できなかったが、今はポニアードを信じるしかなかった。
「わかった」
「それじゃあ、そろそろ始めようかしら」
 そう言うと、ポニアードは血に染まった未世を軽々と担いだ。彼女が倒れていたところには生々しい血だまりができていた。
「ヒントはここよ」
 そう言うと未世が倒れていたところに紙をひらひらと落とす。
「あっ」
 気がつくと、智也は駆けだしていた。その横をポニアードは悠々と歩いて行く。
「頑張って私を楽しませてね」
 智也はポニアードの落とした紙を取ろうと、手を伸ばす。しかし、間に合わない。紙は地面に落ち、血に染まっていった。
「ポニアード」
 怒気を込めて叫ぶが、ポニアードはもういなかった。おそらく屋上の扉から出て行ったのであろう。紙を拾い上げるが、血に染まっていて文字が書いてあっても全く読めなかった。
「くそっ」
 悪態をつくがもう遅かった。
 こうして、ポニアードと智也のゲームは始まった。
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