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12 魔法の力

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「もう大丈夫よ」

 お母さんが、わたしの頭を優しくなでた。

「どういうこと? どうして途中から話が変わっちゃったの? なんで? 意味がわからない」

 わたしは玄関に立ったまま、まくしたてるように言った。

「麻衣ちゃんと麻衣ちゃんのお母さんの記憶をね、少しだけ変えたの」

 わたしはお母さんの顔を、穴が開くほど見つめた。

 聞きたいことはいっぱいあるのに、まるで声を失った人魚姫みたいに言葉が出てこない。

「それ、お母さんが、やったの?」

 やっとのことで、声をふりしぼった。

 お母さんが、ゆっくりとうなずく。

「どうやって?」

「ほんの少しだけね、お母さん魔法が使えるの」

「うそ」

 わたしは、すぐに言い返した。

「そんなこと、信じない」

「マーメイドのね、力なの。昔はね、マーメイドはみんな、魔法が使えたそうよ」

 お母さんが淡々と話す。

 なんだか、お母さんがお母さんじゃないみたいな気がしてきた。

 わたしの知らないお母さんが、目の前にいる。

「もちろんお母さんは純粋なマーメイドではないから、なんでも出来るわけじゃない。お母さんがやったのは、一種の催眠術のようなものかもしれない」

 わたしが黙ったままでいると、お母さんが続けた。

「でも、わかるの。お母さんの中に、マーメイドの持つ不思議な力がわいてくるのがわかるの」

 もしそれが本当なら、なぜ今までわたしに黙っていたの?

 どうして、今になって魔法が使えるだなんて言い出すの?

 わたしはやっと、口を開いた。

「お父さんも、魔法が使えるの?」

 お母さんは、首を横に振った。

「お父さんは使えないわ。マーメイドの血が薄いから」

 わたしは、なんだかほっとした。

 小さな頃は、絵本に出てくる魔法使いにあこがれていた。

 でも、現実に魔法が使えるなんて言われると、すごくひいてしまう。

 ワクワクするような未知の世界も、目の前に現れると怖くて、勇者みたいに冒険するなんてわたしには絶対にできないと思う。

「他にも、桜がマーメイドに変身するのを見た子がいるの?」

 お母さんが、真剣な顔で聞いてきた。

 わたしはうなずいた。

「クラスの子、全員に見られた」

「いけないわ。話が広まる前になんとかしなくちゃ。お母さん、今からクラスの子の家を回ってくるから、桜はカフェでお父さんを手伝ってあげて。閉店まで少しだから、頑張れるわよね?」 

 お母さんが、わたしの両肩に手を置いた。

「えっ、今から全部の家を回るの? それってすごく大変なんじゃ……」

「桜のためなら、お母さん、なんだってやるわよ」

 お母さんが、笑って言った。

 お母さんがお母さんじゃないみたいだなんて、どうしてそんなこと思ってしまったんだろう。

 お母さん、ごめんね、と心の中でつぶやいた。

 その時わたしは気づいた。

「もしかして……わたしも魔法が使えるの?」

 お母さんは、ハッとした顔でわたしを見た。

 麻衣ちゃんを襲ったあの波。

 もしかしてあれは、わたしの中にあるマーメイドの力のせいなの?

 お母さんが、深いため息をついた。

「もう、桜には隠せないわね」

「それは、わたしにも魔法が使えるっていう意味?」

 お母さんはうなずいた。

「桜は、お父さんとお母さんからマーメイドの血をひいているわ。桜はね、強い魔法の力を持っている。でもね、その力はまだ深い眠りの底にあるの」

 そこまで言って、お母さんは首を横に振った。

「いいえ。桜の力はもう、目覚め始めているわ。現代医学の力でも抑えきれないくらいにね」

「現代医学って、もしかしてあの注射……」

 わたしは、滝沢先生が注射を打った左腕を押さえた。

「あの注射はね、マーメイドに変身しないようにするためのものではないわ。あれはね、マーメイドの魔法の力を押さえるためのもの」

 滝沢先生は、わたしに注射を打つのをやめたがっていた。わたしには、特別強い力がある、その力を試したいとか、そんなようなことを言っていた。

 ドアをはさんでこっそり聞いた話を思い出す。

 もしそれが本当なら。もしもわたしに魔法が使えるのなら。

「ねぇ、お母さん」

 わたしは、すごいことに気づいてしまった。

「もし本当にわたしに魔法が使えるなら、プールに入っても大丈夫なんじゃない?」

 さっきお母さんがしたみたいにみんなの記憶を変えてもいいし、もっとすごい魔法が使えるのなら、みんなには普通の人間の足にしか見えないようにすることだって出来るかもしれない。

「桜にはまだ、魔法の力をコントロールすることはできないわ。今はまだ、暴れ馬を扱うようなものだもの。それにね」

 お母さんが、のぞきこむようにわたしの目をまっすぐに見る。

「子どものころから、魔法を使ってほしくないの」

「どうして? せっかく魔法が使えるのに」

「桜には、魔法の力に頼ってほしくないの。自分の力でちゃんと、生きていって欲しいのよ。」

「お母さんだって、魔法を使ったじゃない。大人ならいいの?」

 わたしは、口をとがらせて言った。

「魔法を使っても、本当の解決にはならないわ。魔法で記憶なんか変えずに、マーメイドに変身した桜を、麻衣ちゃんが受け入れて理解してくれるのなら、本当はそれが一番いい。そうでしょ?」

 わたしは素直にうなずいた。

 お母さんの魔法でピンチは乗り切ったけど、マーメイドに変身することは、これからも麻衣ちゃんに隠し続けなければならない。

 友達に嘘をつくのは嫌だし、本当のわたしを見てもらえないのはすごく悲しい。

 でも、玄関で震えていた麻衣ちゃんを思い出すともっと胸が苦しい。

「魔法を使わずに解決できたらそれが一番。でも、11歳の桜にそんな試練を与えるほど、お母さんも鬼じゃないわ。大人になっても魔法を使うのは、本当にどうしようもない時だけよ」

 お母さんはわたしの頭をポンと叩いた。

「遅くなるかもしれないから、先にご飯を食べてて」

 そう言い残して、お母さんは出かけて行った。

 お母さんにまかせておけば大丈夫。これで明日は普通に学校に行けると思うと、心から安心した。
 
   ◇

 夜8時過ぎに帰ってきたお母さんは、すごく疲れているみたいだった。

「もしかしたらね、一人だけ魔法がうまく効かなかった子がいるかもしれないの」

お母さんは、リビングのソファーに深く腰掛けて言った。

「誰?」

 わたしは不安になって、お母さんの隣に座った。

 お母さんは、ゆっくりと首を横に振った。

「お母さんのかん違いかもしれないわ。桜は気にしなくていいわ」

お母さんの目の下に、クマが出来ている。

「お母さん、疲れてる? 魔法を使うと、エネルギーをいっぱい使うの?」

 キッチンでお母さんの分の夕食を温め直していたお父さんが、
「桜のことを心配しすぎただけだよな」
と、笑った。

 そうね、とお母さんも笑った。

「元気をつけるためのスタミナ定食だぞー」
と、お父さんがダイニングテーブルにレバニラ炒めを運んだ。

「わぁ! おいしそう」

 お母さんがソファから立ち上がる。

「わたしも一緒に作ったんだよ。サラダもあるから持ってくるね」

 お母さんに、どうやったら魔法が使えるのか聞きたかったけど、やっぱりやめた。

 魔法を使わないで、自分の手で野菜を洗って切って炒めて、心を込めて作ったお料理のほうが、絶対おいしいに決まっている。

「はい、どうぞー」

 キレイに盛り付けした、トマトとブロッコリーと半熟卵のサラダを置いた。

「お手製玉ねぎドレッシングもあるよ」

「すごいじゃない、桜が作ったの?」

 わたしは、うんと元気にうなずいた。

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