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小学生編
光の庭にて 7
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「お兄ちゃん、今日も雨だねぇ」
芽生くんの声につられてリビングの窓の外を見ると、窓に雨の粒が叩き付けられていた。今日は随分雨脚が強いようだ。
カーテンレール下に吊した洗濯物からは生乾きの匂いがして、顔をしかめてしまった。梅雨なので仕方が無いが、こう何日も雨が続くと洗濯物が乾かなくて大変だ。宗吾さんのパンツ……早く見つけないとな。
「芽生くん、今日はレインコートと長い傘と長靴だよ」
「はーい!」
「じゃあ、歯磨きをしておいで」
「うん!」
朝食の片付けをしながら、自分と芽生くんの支度も同時にこなしていく。
平日の朝は、毎朝こんな感じで、相変わらずドタバタだ。
それでも芽生くんが成長し自分で出来ることが増えたので、去年よりは楽になっている。
「あと15分だな」
洗面所で髭を剃っていた宗吾さんが、今度はゴミ袋を持ってやってきた。
「今日ゴミの日だから、俺は部屋のゴミを集めてくるよ」
「はい! お願いします」
食器を洗い終え手をタオルで拭いていると、今度は玄関から呼ばれる。
「お兄ちゃん~ レインコートきーせーて」
ランドセルを背負った芽生くんにレインコートをランドセルの上から被せてあげると、途中でつっかえて着丈も短くなっていた。
「あれ? こんなに小さかったかな?」
「うん……ちょっとキツいんだ」
「そうか、背、また伸びたかな?」
「お兄ちゃん……あのね」
「あ……もしかして長靴も?」
「……うん。もう……ちっちゃい」
「そうか、今週末に買いに行こうね。今日は我慢できる?」
「うん! いってきまーす」
芽生くんを見送ると、ようやく一息つける。
「ふぅ……無事に行けたね」
しかし小学校入学の時に一式揃えたのに、子供の成長はやっぱり早いね。
思えば僕もそうだった。
大沼にいる頃、レインコートも長靴もあっという間に小さくなって、よくお母さんが買い直してくれたのを覚えている。
……
「あら、瑞樹また大きくなったのね、今度は何色にしようか」
「うーん、夏樹が好きな色にするよ」
「まぁ……どうして?」
「だってこれ夏樹も着るんでしょう」
「ふふ、みーくんは優しい子ね、でもね、たまには我が儘を言ってね」
「じゃあ、お母さんの好きな色にする」
「まぁ……可愛い子」
ピンクって言われたらどうしようって内心冷や冷やしたけれど、結局黄色いレインコートになった。
「あのね、最近、交通事故が多いの。黄色は目立つからいいわね」
函館の家に引き取られた時、お母さんが黄色いレインコートを買ってくれると言ってくれたのに……断ってごめんなさい。あの頃の僕は本当に駄目だった。遠慮もあったし、どこかで両親に少しでも早く会いたいと願っていた。
レインコートも長靴もないので、雨の日はびしょ濡れになってしまったが、花屋の店先で雨に晒されながら店番をしているお母さんの姿を見ると、いつも勇気と元気をもらった。
そんなお母さんの後ろ姿に……僕も天国にいくことを考えるのはやめて……この世で頑張ろうと思えた。お母さんがあんなに苦労してまで、僕を引き取ってくれたんだ。その気持ちに報いたかった。
身体は寒かったが、いつかお母さんに楽してもらえるよう頑張ろうと思う気持ちの方が強くなっていた。それにね、兄さんがよくフォローしてくれたんだよ。
……
「瑞樹、もう帰っていたのか」
「広樹兄さん!」
「雨に濡れただろう」
「……大丈夫だよ。兄さんに言われた通り、ちゃんと髪の毛はタオルですぐに拭いたし、靴には新聞紙を丸めて入れたよ」
「よしよし、瑞樹はいい子だな」
もう高校生の兄さんが頭をなでてくれる。
「よし、乾いているな。そうだ、これおやつだ」
「わぁ、あんパン」
「売れ残っていたから」
「美味しそう」
「食べていいぞ」
「兄さんのは?」
「俺はいいって」
「半分こしたいな」
「……はぁ……瑞樹は優しすぎる」
兄さんは困った顔をしていた。
「……でも……一緒に食べちゃ駄目?」
「あぁ、半分こしような。俺たちは兄弟だ、協力しあったり分け合ったりしよう」
兄さんが嬉しそうに僕と肩を組んでくれた。
僕は葉山の家で、そうやって少しずつ居場所を見つけて、生きる気力を取り戻していったのだ。
****
ネクタイを締めて玄関に行くと、瑞樹が玄関の白い壁にもたれて遠くを見つめていた。芽生の成長は、瑞樹にとって懐かしい過去を思い出す、呼び水のようなのかもしれない。
口角を少し上げた優しい眼差しが、梅雨のじめじめとした鬱陶しさの中で、際だって見えた。
俺は君の前に立って、壁に肘をついて首を傾げ、淡く開いた唇に触れた。
「あ……」
「どうした? ぼんやりして」
「あの……週末のお買い物ですが、レインコートと長靴も追加でいいですか」
「もう小さくなったのか」
「はい……僕が買ってあげてもいいですか。実は……僕の好きな色があって」
「もちろんいいよ。ありがとうな。ところで瑞樹の好きな色ってなんだ?」
「……黄色です」
その晩、三人で仲良く帰宅すると、また北海道から宅配便が届いていた。
「ん? 今度は『たきざわめいくんへ』って書いてあるよ」
「えー! だれから?」
差出人には『葉山勇大、咲子』と書かれていた。
瑞樹は目を細めて、文字を指でなぞった。
「もう入籍したと聞きましたが、本当なんですね」
「あぁ、君の両親から、芽生にだな」
「あけてみていい?」
「もちろん!」
中から出て来たのは、驚いたことに週末に買いに行こうと話したばかりのレインコートと長靴だった。
「わぁ~ かわいい!」
黄色に白のドットのレインコートはポップな印象で芽生によく似合っていた。
「長ぐつもおそろいだ! もうキツかったからうれしいな」
「あれ? もう一足あるよ」
黄色の長靴と青い長靴は、サイズ違いだった。
「小さくなってもすぐに取り替えられるようにしてくれたんだな」
「すごい……」
「お父さん……お母さんがこれを……」
瑞樹は泣きそうな顔をしていた。
「どうした? もしかして……これは君がして欲しかったことなのか」
「……そうではないんです。でも……お母さんがしたかったことなんだなって……今頃になって気付いて……黄色いレインコートを買いたいって言ってもらったのに、頑なに断ってしまって」
お母さんと瑞樹の心が優しいすれ違いを起こした日々……
それも、もう過去のことだ。
出来なかったことは、今すればいい。
俺の持論かもしれないが、俺たちはそうやって後悔から昇華していく生き物だ。
「きてもいい?」
レインコートを羽織ると、芽生の明るさと朗らかさが引き立てたられるようで、よく似合っていた。
「パパ、スマホでカシャってして」
「あぁ……そうだな」
「瑞樹、君も入れよ」
「え……でも」
「ほら、レインコートと一緒に写るといい」
「あ……はい」
もう黄色いレインコートを着る年齢ではないが、こうやって芽生の横に立てば、お母さんも喜ぶだろう。お父さんも嬉しいだろう。
写真を送った後、すぐに電話でお礼を言った。
「おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう」
「気に入ってくれたか?」
「うん! もう小さかったの、だからすごくうれしいよ」
和やかな会話が、今日も続く。
贈り物っていいよな。
「宗吾さん……僕、幸せです」
その晩、瑞樹はコトンと俺の肩に頭を預けて、満ち足りた様子だった。
「小さな幸せを見つけられるようになると、毎日が幸せだな。俺さ……昔は幸せって、試験に合格して希望の学校に進むことや、希望の会社に入社して、仕事で成功したりすることだとずっと思っていたんだ」
「はい……」
「今は違うよ。瑞樹とこうやって肩を並べて、明日を楽しみに迎えられることが、何よりの幸せだよ」
外は相変わらず蒸し暑く、雨が降っている。
今年の梅雨は長そうだ。
だが、俺たちの世界には、いつも清涼な風が吹き、小さな花が咲いている。
幸せなという名の花が咲いている。
芽生くんの声につられてリビングの窓の外を見ると、窓に雨の粒が叩き付けられていた。今日は随分雨脚が強いようだ。
カーテンレール下に吊した洗濯物からは生乾きの匂いがして、顔をしかめてしまった。梅雨なので仕方が無いが、こう何日も雨が続くと洗濯物が乾かなくて大変だ。宗吾さんのパンツ……早く見つけないとな。
「芽生くん、今日はレインコートと長い傘と長靴だよ」
「はーい!」
「じゃあ、歯磨きをしておいで」
「うん!」
朝食の片付けをしながら、自分と芽生くんの支度も同時にこなしていく。
平日の朝は、毎朝こんな感じで、相変わらずドタバタだ。
それでも芽生くんが成長し自分で出来ることが増えたので、去年よりは楽になっている。
「あと15分だな」
洗面所で髭を剃っていた宗吾さんが、今度はゴミ袋を持ってやってきた。
「今日ゴミの日だから、俺は部屋のゴミを集めてくるよ」
「はい! お願いします」
食器を洗い終え手をタオルで拭いていると、今度は玄関から呼ばれる。
「お兄ちゃん~ レインコートきーせーて」
ランドセルを背負った芽生くんにレインコートをランドセルの上から被せてあげると、途中でつっかえて着丈も短くなっていた。
「あれ? こんなに小さかったかな?」
「うん……ちょっとキツいんだ」
「そうか、背、また伸びたかな?」
「お兄ちゃん……あのね」
「あ……もしかして長靴も?」
「……うん。もう……ちっちゃい」
「そうか、今週末に買いに行こうね。今日は我慢できる?」
「うん! いってきまーす」
芽生くんを見送ると、ようやく一息つける。
「ふぅ……無事に行けたね」
しかし小学校入学の時に一式揃えたのに、子供の成長はやっぱり早いね。
思えば僕もそうだった。
大沼にいる頃、レインコートも長靴もあっという間に小さくなって、よくお母さんが買い直してくれたのを覚えている。
……
「あら、瑞樹また大きくなったのね、今度は何色にしようか」
「うーん、夏樹が好きな色にするよ」
「まぁ……どうして?」
「だってこれ夏樹も着るんでしょう」
「ふふ、みーくんは優しい子ね、でもね、たまには我が儘を言ってね」
「じゃあ、お母さんの好きな色にする」
「まぁ……可愛い子」
ピンクって言われたらどうしようって内心冷や冷やしたけれど、結局黄色いレインコートになった。
「あのね、最近、交通事故が多いの。黄色は目立つからいいわね」
函館の家に引き取られた時、お母さんが黄色いレインコートを買ってくれると言ってくれたのに……断ってごめんなさい。あの頃の僕は本当に駄目だった。遠慮もあったし、どこかで両親に少しでも早く会いたいと願っていた。
レインコートも長靴もないので、雨の日はびしょ濡れになってしまったが、花屋の店先で雨に晒されながら店番をしているお母さんの姿を見ると、いつも勇気と元気をもらった。
そんなお母さんの後ろ姿に……僕も天国にいくことを考えるのはやめて……この世で頑張ろうと思えた。お母さんがあんなに苦労してまで、僕を引き取ってくれたんだ。その気持ちに報いたかった。
身体は寒かったが、いつかお母さんに楽してもらえるよう頑張ろうと思う気持ちの方が強くなっていた。それにね、兄さんがよくフォローしてくれたんだよ。
……
「瑞樹、もう帰っていたのか」
「広樹兄さん!」
「雨に濡れただろう」
「……大丈夫だよ。兄さんに言われた通り、ちゃんと髪の毛はタオルですぐに拭いたし、靴には新聞紙を丸めて入れたよ」
「よしよし、瑞樹はいい子だな」
もう高校生の兄さんが頭をなでてくれる。
「よし、乾いているな。そうだ、これおやつだ」
「わぁ、あんパン」
「売れ残っていたから」
「美味しそう」
「食べていいぞ」
「兄さんのは?」
「俺はいいって」
「半分こしたいな」
「……はぁ……瑞樹は優しすぎる」
兄さんは困った顔をしていた。
「……でも……一緒に食べちゃ駄目?」
「あぁ、半分こしような。俺たちは兄弟だ、協力しあったり分け合ったりしよう」
兄さんが嬉しそうに僕と肩を組んでくれた。
僕は葉山の家で、そうやって少しずつ居場所を見つけて、生きる気力を取り戻していったのだ。
****
ネクタイを締めて玄関に行くと、瑞樹が玄関の白い壁にもたれて遠くを見つめていた。芽生の成長は、瑞樹にとって懐かしい過去を思い出す、呼び水のようなのかもしれない。
口角を少し上げた優しい眼差しが、梅雨のじめじめとした鬱陶しさの中で、際だって見えた。
俺は君の前に立って、壁に肘をついて首を傾げ、淡く開いた唇に触れた。
「あ……」
「どうした? ぼんやりして」
「あの……週末のお買い物ですが、レインコートと長靴も追加でいいですか」
「もう小さくなったのか」
「はい……僕が買ってあげてもいいですか。実は……僕の好きな色があって」
「もちろんいいよ。ありがとうな。ところで瑞樹の好きな色ってなんだ?」
「……黄色です」
その晩、三人で仲良く帰宅すると、また北海道から宅配便が届いていた。
「ん? 今度は『たきざわめいくんへ』って書いてあるよ」
「えー! だれから?」
差出人には『葉山勇大、咲子』と書かれていた。
瑞樹は目を細めて、文字を指でなぞった。
「もう入籍したと聞きましたが、本当なんですね」
「あぁ、君の両親から、芽生にだな」
「あけてみていい?」
「もちろん!」
中から出て来たのは、驚いたことに週末に買いに行こうと話したばかりのレインコートと長靴だった。
「わぁ~ かわいい!」
黄色に白のドットのレインコートはポップな印象で芽生によく似合っていた。
「長ぐつもおそろいだ! もうキツかったからうれしいな」
「あれ? もう一足あるよ」
黄色の長靴と青い長靴は、サイズ違いだった。
「小さくなってもすぐに取り替えられるようにしてくれたんだな」
「すごい……」
「お父さん……お母さんがこれを……」
瑞樹は泣きそうな顔をしていた。
「どうした? もしかして……これは君がして欲しかったことなのか」
「……そうではないんです。でも……お母さんがしたかったことなんだなって……今頃になって気付いて……黄色いレインコートを買いたいって言ってもらったのに、頑なに断ってしまって」
お母さんと瑞樹の心が優しいすれ違いを起こした日々……
それも、もう過去のことだ。
出来なかったことは、今すればいい。
俺の持論かもしれないが、俺たちはそうやって後悔から昇華していく生き物だ。
「きてもいい?」
レインコートを羽織ると、芽生の明るさと朗らかさが引き立てたられるようで、よく似合っていた。
「パパ、スマホでカシャってして」
「あぁ……そうだな」
「瑞樹、君も入れよ」
「え……でも」
「ほら、レインコートと一緒に写るといい」
「あ……はい」
もう黄色いレインコートを着る年齢ではないが、こうやって芽生の横に立てば、お母さんも喜ぶだろう。お父さんも嬉しいだろう。
写真を送った後、すぐに電話でお礼を言った。
「おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう」
「気に入ってくれたか?」
「うん! もう小さかったの、だからすごくうれしいよ」
和やかな会話が、今日も続く。
贈り物っていいよな。
「宗吾さん……僕、幸せです」
その晩、瑞樹はコトンと俺の肩に頭を預けて、満ち足りた様子だった。
「小さな幸せを見つけられるようになると、毎日が幸せだな。俺さ……昔は幸せって、試験に合格して希望の学校に進むことや、希望の会社に入社して、仕事で成功したりすることだとずっと思っていたんだ」
「はい……」
「今は違うよ。瑞樹とこうやって肩を並べて、明日を楽しみに迎えられることが、何よりの幸せだよ」
外は相変わらず蒸し暑く、雨が降っている。
今年の梅雨は長そうだ。
だが、俺たちの世界には、いつも清涼な風が吹き、小さな花が咲いている。
幸せなという名の花が咲いている。
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