あやかし骨董店きさら堂の仮の主人

緋川真望

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(12)咲夜のいる夜

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 あやかしである翡翠は、食べ物を口にする必要はない。
 けれど、咲夜が『きさら堂』へ来てからは、朝昼晩と毎回食事に付き添うことにしていた。最初にお粥を出した時に、咲夜が手づかみで食べようとしてひどい火傷を負ったからだ。

「あぁ、咲夜。このように湯気の出ているものはどうするのだっけ?」

 咲夜が味噌汁の椀に手を伸ばしたので、翡翠は慌てて言った。

「はい、ふーふーする!」

 元気に返事をしてから、咲夜は口をとがらせて汁にふぅふぅと息を吹きかける。

(か、可愛い……)

 翡翠は目を細めて咲夜を見つめた。

「ゆっくり飲むのだぞ」
「うん!」

 晩餐室の隣にある小食堂で、8人掛けのテーブルの端に隣り合って座っている。
 夕食の膳は咲夜の前にだけ一式並べられていた。ご飯に味噌汁、肉じゃがに卵焼き、酢の物や煮豆、漬物など少量ずつ彩りよく盛り付けられている。

「ひすいさま、みてー」

 咲夜は見せびらかすように煮豆を一粒つまんでみせた。

「うむ、上手だ。もうすっかり箸を使いこなしているのだな」
「えへへー」
「ゆっくり噛んで食べなさい」
「ふぁい」

 一生懸命に食べる咲夜がなんとも愛おしい。心の中で何回「可愛い」と言ったか分からないくらいだ。

 もぐもぐと動く小さな口を眺めているだけで時間が経つのも忘れてしまって、いつのまにか咲夜の前の食器はすべて空になっていた。

「おお、全部食べたのか。偉いぞ、咲夜」
「うん、さくやえらい」
「たくさん食べて早く大きくなろうな」
「さくや、おおきくなる!」

 わしゃわしゃと小さな頭を撫でていると、ひいが食堂に入ってくるのが見えた。

「失礼します。咲夜様、こちらもどうぞ」

 テーブルに置かれた足付きのデザートグラスの上には、プリンやアイスクリーム、色とりどりの果物がカラフルに盛られている。

「わぁ……すごい」
「うむ、綺麗に飾ったものだな。これは?」
「デザートです。料理人に頼んで、子供が喜びそうなものを作ってもらいました」
「そうか、ひいは気が利くな」
「ありがとうございます」

 翡翠が褒めると、ひいは嬉しそうに頭を下げた。

「たべていいの?」
「もちろん。咲夜のために作られたものだ。遠慮せず食べなさい」
「はい、ひすいさまも!」

 咲夜がプリンをスプーンですくい、こちらへ差し出してきた。

「私もか?」
「はい、ひすいさまも」

 翡翠は身を乗り出して、ぱくりとスプーンを口に含む。

「うん、美味しい」

 翡翠がうなずくと、ぱぁっと咲夜が笑顔を見せた。

 時津彦様も蓮次郎も、そして咲夜も、人間は翡翠に何かを食べさせようとする。
 食べる必要がない翡翠だが、自分のためというよりは一緒にいる人間を喜ばせるために、相伴に預かることはよくあった。

「ひすいさま、もっとたべる?」
「いいや。それは咲夜が食べなさい」

 手を伸ばして頭を撫でると、咲夜はニコーッと笑ってまた懸命に食べ始める。

(かわっ……可愛い……)

 夢中で食べる仕草をただ眺めているだけで、こちらまで顔がゆるんでしまう。これほどまでに愛しい子供を、なぜ親は愛さなかったのだろう。

「咲夜」
「はい」
「来てくれてありがとうな……」

 スプーン片手に、咲夜がきょとんと見返してくる。

「そなたが『きさら堂』に来てくれて、本当に良かったと思っているのだ」
「ひすいさまがきなさいって」
「私が?」
「はい。きなさいって」
「いつ?」
「んっと……まえに」
「まえに?」
「おしいれで」
「押し入れ?」

 押し入れという単語を聞いてふっと何かが頭をよぎりそうになる。だが、その何かははっきりとつかめない内にすぐに頭から消えてしまった。

「きなさいっていうから、さくやきた」
「いや、いやいやいや、まさかそんなはずがあるまい。私はここから出られないのだ。咲夜に会ったのも、あの日が初めてで……」
「……翡翠?」
「ん?」

 ぽそっと微かな声で呼ばれ、翡翠は食堂の入り口を振り返った。半分開かれたドアの前で、着流しに雪駄の蓮次郎がぽかんと口を開けている。

「蓮次郎か。今日は木更津の狸のところで仕事だから、そのあと飲んでくるのではなかったか」

 にこやかに話しかける翡翠に対して、蓮次郎はなぜか返事もしないで固まっている。

「蓮次郎? どうした?」
「あ、あぁ。どうもあちら側じゃたちの悪い風邪が流行っているらしくてな。みんなマスク姿で宴会どころじゃ……ってそんなことより、お前……ほんとに翡翠か?」
「何を馬鹿なことを言っておる。昨日も会ったであろうが」
「あ、いや、でも。そ、それ……その恰好……」
「あぁ、これか?」

 翡翠は椅子から立ち上がり、紗合わせのローブを見せるように両手を広げて見せた。さりさりと涼しげに生地が鳴る。

「お前の目から見てどうだ?」

 蓮次郎の頬がカッと赤く染まり、見る間に瞳が潤み始めた。
 
「似合う……」
「そうか」
「すごく似合う……」

 褒める声が震えている。
 蓮次郎は着流しの懐から銀色の板を出して、顔の前に掲げた。
 カシャカシャカシャと小さな音が連続して起こる。

「蓮次郎? それはたしか、すまほとかいう……?」
「あぁ、スマホだ」
「何をしておる」
「写真を撮ってる」
「私を撮っているのか」
「あぁ……。おい翡翠、動画も撮るから、そこでくるっと回ってくれるか」
「回る? こうか?」

 翡翠が袖をひらめかせながらその場でくるりと回ると、蓮次郎は何度もうなずいた。

「いいな。うん、やっぱりいいよ、それ」
「蓮次郎から見てもやはりこれは良いものか」
「当たり前だ。お前に似合うようにと、生地から刺繍からすべてオーダーメイドで作らせた一点物だ。似合わないわけがない」
「へぇ、そうだったのか。知らなかった。蓮次郎は趣味が良いな」

 翡翠が微笑むと、カツカツと蓮次郎が速足で迫ってくる。

「翡翠、そういうことなのか?」
「そういう……?」
「だから、やっと心の区切りを、いや、なんというか、あいつの呪縛からやっと」
「何の話だ?」

 瞬きをする翡翠の手を取り、蓮次郎が唇を押し付けてくる。

「翡翠……やっと」
「なんだ? なんで手にキスをした?」
「だから、やっと決めてくれたんだろう? 時津彦好みの服ではなく、俺が贈ったものを着てくれたということは……」
「あぁこれか? 咲夜が選んでくれたのだ」
「は?」
「咲夜が選んでくれたから、袖を通してみたのだ」
「はぁ? 咲夜が?」

 蓮次郎がばっと咲夜に顔を向け、睨むように凝視する。

「それは、どういう意味だ」
「ひゃ」

 咲夜が両手で頭を抱え、身を守るように床に丸くなった。

「おい、何を怒っているのだ。咲夜が怯えるではないか」

 うずくまった咲夜を抱きしめると、咲夜の小さな手がすがるように翡翠にしがみついてくる。

「ひすいさまぁ」
「大丈夫、大丈夫、怖がらなくてよいぞ。蓮次郎は多少……いや、かなり顔が怖いが気のいい男だ。そなたを取って食ったりはせぬ」
「ひでぇ言われようだ」
「顔が怖いのは本当だろうが」

 蓮次郎の不満げな鼻息を無視して、咲夜の背中を優しくポンポンと叩く。

「それにな、咲夜。咲夜が今着ているこの服も、パジャマも、それからアトリエに置く筆や絵の具なんかも、咲夜が使うものはすべて蓮次郎が買ってきてくれたのだ。私は人間の子供に詳しくないから何が要るのかとんと見当がつかぬ。蓮次郎がいてくれて本当に助かったのだぞ。……うむ、これも良い機会だ。咲夜、蓮次郎に礼を言うがよい」
「れい……?」
「礼とは、ありがとうと気持ちを伝えることだ」

 咲夜は翡翠にぎゅっとくっついたままで、おそるおそる顔を上げた。

「ほら、言ってみなさい。ありがとう、蓮次郎さん」
「あり、がと……れんじろ、さん」
「おお、上手に言えたな。咲夜は本当に良い子だ。ほら、蓮次郎も、眉間にしわを寄せてないで、笑え笑え」
「あ、あぁ」

 蓮次郎が途惑ったように、ひきつった笑みを作る。

「別に……礼には及ばない。『きさら堂』の仕入れ担当として、当然のことをしたまでだ」
「蓮次郎にはいつも助けられている。感謝してもしきれないくらいだ。ありがとうな」

 咲夜を抱いたままで翡翠が頭を下げると、蓮次郎はわざとらしく大きな溜息をついた。

「翡翠が、そんなに子供好きだとは知らなかった」
「私も初めて知ったのだ。子供という存在が、こんなにも愛おしいものだとはな」

 翡翠が撫でると、咲夜は気持ち良さそうに目を細めた。それだけで胸がきゅんとなってしまう。

「なぁ、翡翠」
「ん?」
「俺がほかにも服を贈ったら、また着てくれるか」
「そうだな、また咲夜が選んでくれたら」
「咲夜が?」
「私が自分で選ぶならば、時津彦様好みの服を着るに決まっておる」
「だがせっかく……せっかく、そういうのも似合っているのに」
「悪戯に時津彦様のお心を乱すわけにもいくまい」
「咲夜が選ぶのはいいのか?」
「咲夜は幼い子供だ。時津彦様もきっと許してくださる」
「はぁ……そうかよ」

 蓮次郎は不満げな顔で頭を描き、また溜息を吐いた。

「さっきからなんだか不機嫌そうだな。蓮次郎、言いたいことがあるならはっきり言ってくれないか」

 蓮次郎は腕を組んで少し考えた後、ぼそりと言った。

「……新月の夜に話す」
「新月の? ええと、月のない夜は話を聞くのに最も適さないと思うのだが」

 情欲に体が支配されて、翡翠は何も考えられなくなるのに。

「いいんだ。その夜にしか、俺とお前の二人きりになれないようだから……」
「蓮次郎?」
「ちょっと外へ出てくる」
「外へ?」
「詩乃のところのカレー屋でも行ってくるわ」
「そ、そうか」

 蓮次郎はどことなくうなだれた様子で食堂を出て行ってしまった。

「蓮次郎の奴、どうしたのだろうか。夕食を食べるつもりで食堂へ来たのではなかったのか……?」
「ひすいさま」

 首をかしげる翡翠の袖を、咲夜がくいくいと引っ張る。

「ん? どうした、咲夜」
「さくやね、おおきくなる。れんじろさんより、おおきくなる」
「ははは、そうか。それは楽しみだ。では、デザートもちゃんと残さず食べないとな」
「のこさずたべるー!」
「うむ、偉いぞ」
「さくや、えらい? さくや、いいこ?」
「あぁ、咲夜は偉いし、すごく良い子だ」
「じゃぁさくやがいちばん? いちばんすき?」
「あぁ、もちろん咲夜が一番……」

 言ってしまってから、ハッとする。
 翡翠にとって、何より優先すべきは時津彦様だ。
 一番好きなのは時津彦様でなければならない。

「いや、わ……私は、時津彦様が……ときつ……ひこ……さまが……」
「ひすいさま?」

 黒くて丸くて可愛い瞳が翡翠を見つめてくる。

「咲夜」
「さくやね、ひすいさまがいちばんすき!」
「わ、私も咲夜が一番好きだ」

 早口で翡翠は言った。
 微かに声が震えてしまっていた。

「私は咲夜が好きだ」

 もう一度噛みしめるように言って、翡翠は両手で自分の胸を押さえた。手のひらに、とくとくと心臓の音が響いてきた。




 
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