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第8部 分かたれる道

4-3走ると人生の色んなことが見えて来る

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 時間は、早朝の四時。けたたましく鳴り響く、目覚ましを止めると、ふとんを巻き込んで転がりながら、ベッドから落下する。『風歌式ローリング・ウェイクアップ』だ。相変わらず、寝起きが悪いので、この起き方をする日が多い。

 少し強引だが、体に響いた衝撃で、嫌でも目が覚める。私は、大きくあくびをしたあと、ゆっくり起き上がり、よろよろと歩く。大きな窓を開けると、目の前には、海が広がり、心地よい風が吹き込んで来た。風を浴びた瞬間、意識が覚醒する。

「よしっ、今日も一日、頑張りまっしょい!」
 私は、バシッと頬を叩くと、気合を入れた。

 仕事には、まだ、かなり早いけど。毎朝、早起きして『ノア・マラソン』に向けた、トレーニングをしているのだ。早朝なら、誰にも会わないので、目立つこともないし。ランニングをするには、もってこいの時間帯だ。

 私は、サッとパジャマを脱ぎ捨て、トレーニング・ウェアに着替えた。そのまま、早足で一階に向かい、ランニング・シューズをはいて、大きな庭に出る。外は、まだ、真っ暗だ。

 まずは、念入りに準備運動と、ストレッチを済ませる。そのあと、マギコンを操作して『マップナビ』と『ランニングアプリ』を起動した。設定を入力すると、空中モニターで、マップとルート、予定時間が表示される。

 今日は、海沿いの道を走って、途中で折り返して、家に戻って来るコースだ。街中を走るほうが、楽しいけど。『ノア・マラソン』の本番は、ずっと、海沿いを走る。なので、延々と続く、海沿いのコースに、慣れておかなければならない。

 ちなみに、走行距離は10キロ。一般的な女性の、10キロの平均タイムは、一時間十五分ぐらい。これを、一時間以内で走り切るので、かなりハイペースだ。

 でも、急いで走らないと、帰って来てからシャワーを浴びたり、朝食をとる時間が、なくなってしまう。それもあって、かなり気合いが入っており、最近は、四十分台で走り切ることが多い。

 私は、トントンッと、軽くステップを踏んで、気持ちを高めると、アプリのスタートボタンを押した。すぐに、空中モニターの、カウントダウンが始まる。私は、拳を軽く握り構えると、カウントゼロと同時に、勢いよく走りだした。

 家の敷地を出ると、右折して、海沿いの道を走って行く。ひたすら直線を走るコースなので、マップナビに触れて、いったん、空中モニターを閉じる。

 注意すべきは、ペース配分と、走る時の姿勢だ。フォームによって、体にかかる負担も速さも、かなり変わって来る。これについては、トレーニングジムのトレーナーに、基礎から、みっちりの指導された。

 背筋はしっかりと伸ばし、体の軸は真っ直ぐに。着地の際に、ひざから下は、垂直に。視線は、下に向けず、ずっと先のほうを見る。

 姿勢が悪いと、バランスを崩しやすく、怪我の原因にもなりやすい。以前のレースの、二の舞にならないよう、フォームには、常に細心の注意を払う。

 しばらく走っていると、だんだん体が温まってきた。呼吸のリズムを整えながら、徐々に加速を始める。

〈東地区〉の海沿いは、閑静な住宅街で、大きな建物は何もない。飲食店なども〈エメラルド・ビーチ〉まで行かないと無いので、物凄く静かだ。

 この時間だと、ロード・カートも、全く走っていない。たまに、輸送用のロード・コンテナが、通り過ぎるぐらいだ。街灯は、一定間隔でついているので、明るさはあるが、周囲が静かすぎるので、物凄く暗く感じる。

 聞こえてくるのは、波の音と風の音。あとは、自分の踏みしめている、足音だけだ。まるで、この世界に、自分一人しか、いない気分になる。

 正直、暗い場所は、好きじゃない。お化けとか、苦手だし。一人で静かな場所にいると、どんどん不安になって来る。とはいえ、トレーニングができる時間は、限られていた。

 昼間は、滅茶苦茶、忙しいし。仕事が終わったあとの夕方だと、人が多いので、目立ってしまい、集中して走れない。声を掛けられるたびに、丁寧に対応しなければならないからだ。

 そう考えると、見習い時代は、気楽だったよね。誰も、私のことを知らなかったから、何をやっても、平気だったし。有名になることに、ずっと憧れていたけど。これはこれで、苦労が多い。想像以上に、行動に制限があるから……。

 ここ最近は、どこに行っても、たくさんの人たちに、声を掛けられる。握手やサインを、求められることも多い。『天使の翼エンジェルウイング』の名前は、私が思っている以上に、広く知れ渡っていた。

 でも、これは、私の実績だけの問題ではない。〈ホワイト・ウイング〉に所属し、リリーシャさんと、アリーシャさんの、二つ名を継いでいるからだ。二人の名を継いだ件に関しては、昇進直後に、大変な話題になっていた。

 あと〈ホワイト・ウイング〉で、三人連続で上位階級が出たことで、ますます、名門企業として、社名が広まった。

 そもそも、中小企業で、上位階級が出ることは、滅多にない。なのに、所属するシルフィードが全員、上位階級になっているのだから。話題になるのも、当然と言える。

 でも、私の力じゃなく、アリーシャさんとリリーシャさんの実績が、ほとんどだ。ただ、同じ企業に所属していると、同列に見られ、嫌でも注目が集まってしまう。だからこそ、それに見合った振る舞いが必要で、自由な行動ができないのだ。

 この名前をもらった時に、ちゃんと、覚悟はできていた。二人の実績も誇りも、全てを引き継ぐのだと。なので、アリーシャさんのように、明るく元気に。リリーシャさんのように、上品で完璧に。

 日々必死になって、二人の長所が体現できるように、頑張っている。でも、結局は、自分の地が、出ちゃうんだけどね。それでも、以前に比べて、だいぶ上位階級らしくはなったと思う。

 何だかんだで『スカイ・プリンセス』になってから、一年以上だもんね。日々意識して振る舞っていれば、実際に、それっぽくなる。最初は、かなり無理して、演じていたのが、いつの間にか、普通に身についてしまった。

 がさつだった、学生時代の私が見たら、まるで別人なので、さぞ驚くだろう。話し方も、振る舞いも、歩き方も、すっかり上品になった。

 その時『ピピッ』と音が鳴り、空中モニターが開く。工程の四分の一の、2.5キロ地点でのタイムが、表示されていた。かなり早めのペースだが、特に問題はない。10キロだけなら、そうとう飛ばしても、十分に走り切れる。

 そもそも『ノア・マラソン』は、この五倍の距離が、あるのだから。この程度は、楽々走り切れないとならない。

 左側には、真っ暗な海。右側には、静かな民家と、所々に空き地。目の前は、延々と、一直線に伸びる歩道。相変わらず、変化のない景色が続いている。

 始めたばかりのころは、物凄く心細かったけど。今は、色々考え事をしながら走っているので、割とあっという間だ。最近は、この早朝ランニングは、物事を考える時間として、重要になっている。

 黙々と走って行くと、やがて、マップナビが表示された。折り返し地点の、お知らせだ。道沿いの大きな広場が、ちょうど、五キロ地点になっている。

 ほどなくして、広場が見えてくると、勢いよく中に入って行った。中央にある、大きな花壇を、ぐるっと一周してから、再び広場を出て、帰路につく。あとは、ひたすら、来た道を引き返し、自宅を目指すだけだ。

 タイムを見ると、ペースは、かなりいい感じだった。今日は、体が軽いし、とても調子がいい。それに、一月に走り始めた時に比べ、呼吸も体幹も、かなり安定していた。だいぶ、仕上がってきた感じがする。

 思えば、前回の『ノア・マラソン』は、そうとう粗削りだった。練習量も、全然、足りなかったし。持久力にも問題があり、フォームも微妙だった気がする。結局、勢いだけで、ロクに準備もしない状態で、出場してしまったのだ。

 つくづく、あのころは、若かったと思う。『気合と勢いで何でもできる』と、思っていたし。『何でも一人の力で出来る』と、過信していたのだ。

 今なら、同じことは、絶対にできない。立場の問題もあるけど、準備の重要性が、よく分かるからだ。しっかり考え、計画し、効率よく行動する。また、その道のプロに、しっかり、アドバイスを仰ぐことも重要だ。

 ナギサちゃんが、何であそこまで執拗に、計画や準備にこだわるのか、今ならよく分かる。よい結果とは、準備が完璧であってこそ、得られるものだからだ。
 
 昔の私は、何も持っていないから、気合で頑張るしかないと思っていた。でも、それは、思考することを、放棄していただけだった。

 もちろん、気持ちは重要だ。気合も、負けん気も、ハングリー精神も。ただ、それが活きるのは、完璧な準備が、あってこそだ。

 まぁ、今でも、思いついたら、即突っ走りたくなる気持ちはある。ただ、立場上、自重して、よくよく考えてから、行動するようにしていた。

 しかし『何事も、やってみなけりゃ分からない』という考えは、100%間違っているとは、思えない。だって、その気持ちがなければ、私は、この世界に来なかったし。こうして、シルフィードだって、やっていなかったのだから。

 私の中では常に、無鉄砲な自分と、理性的な自分が、せめぎ合っている。どっちが正しいのか? どちらの生き方をすべきなのか? いまだに、明確な答えが、出せないでいた。

 アリーシャさんは、何でも思い付きでやる人だったと、聴いている。どうやって、理性と自分の気持ちの、折り合いをつけていたのだろうか? 

『グランド・エンプレス』の重責にありながら、自分のやりたいように、やっていたって、ある意味、凄いよね。それでいて『伝説のシルフィード』と言われるぐらい、高評価なんだから――。

 リリーシャさんや、ユメちゃんにも言われたけど、私は、アリーシャさんに似ているらしい。一度でいいから、直接、会って、話をしてみたかった。どんな人なのか、その生きざまを、この目で見てみたかった……。

 って、いかん、いかん。つい、感傷的になっちゃったよ。やっぱり、暗い道を走ってると、寂しくなって、ネガティブになっちゃうなぁ。もっと、明るいことを考えよう。

 そういえば『そろそろ「グランド・エンプレス」が、選出されるのでは?』と、うわさが流れている。先日の慰霊祭で、一区切りついたので、時期的には、十分あり得る話だ。

 なお、四年もの間、エンプレスが不在なのは、初めてのことらしい。そもそも、前任者が引退すると、一年以内に、新しい人が就任するのが通例だ。

 今回、不在期間が長引いたのは、異例の自体だったこと。加えて、とても偉大なシルフィードに敬意を表し、喪に服していたからだ。

 ただ、新しいエンプレスの話は、かなり前から、出ていたらしい。それに、この町では、五回忌が区切りになっている。そのため、そろそろ、選出があっても、おかしくはない。

 ただ、誰がエンプレスになるかは、非常に難しい状況だった。現在、クイーンは、八名。しかも、誰もが、甲乙つけがたい、優れた能力の持ち主だからだ。

 一般的な見方では、元々クイーンだった四名の『金剛の戦乙女』ダイアモンドバルキュリア銀色の妖精シルバーフェアリー』『蒼空の女神スカイゴッドネス『守護騎士』ガーディアンナイトが、有力だと言われている。新クイーンに比べ、経験の長さも、個性の強さも抜群だ。

 今のところ、最も有望視されているのが『銀色の妖精』だった。世界的に有名な、トップモデルで、MVにも頻繁に出ており、抜群の知名度がある。何より、流石は、超人気モデルだけあって、見た目がとても美しい。

 他の三人も、非常に知名度は高いが、大人くて、上品な感じの人のほうが、エンプレスのイメージには、合っているからだと思う。

 ただ『あおぞら学園』の件で『金剛の戦乙女』の評価が、一気に上がった。なので『強い女性がエンプレスになるのも、ありじゃないか』という意見も、結構、出ている。いずれにせよ、四人とも、人気も実力も伯仲し、大激戦が予想されていた。

 ただ、新クイーンの『虹色の歌声レインボーヴォイス』『癒やしの風ヒーリングウインド』『天使の羽エンジェルフェザー』『深紅の紅玉クリムゾンルビー』も、滅茶苦茶、人気が高い。この四人の中では『虹色の歌声』と『天使の羽』を、エンプレスに推す声が多かった。

『虹色の歌声』は、世界的に人気のシンガーだ。『銀色の妖精』と同様に、メディア露出が、非常に多いため、抜群の知名度がある。

 対して『天使の羽』は、現在のクイーンの中で、一番の正統派と言われていた。リリーシャさんは、シルフィードの実績だけで、評価を積み重ねてきたからだ。能力は、もちろんのこと。その柔らかな人柄や謙虚さは、非常に評価が高い。

『人間性で選ぶなら、一番エンプレスにふさわしい存在』とも言われている。癖がなく、温厚で、天使ように優しい性格。まさに、シルフィードのイメージに、ピッタリだし。何一つ欠点がないので、文句なしに、相応しい人物だと思う。

 あと、何と言っても、伝説のシルフィードの娘でもある。『親子二代で「グランド・エンプレス」の快挙を果たすのでは』と、期待をする人たちも多い。

 他のクイーンたちも、とても人気があるし、滅茶苦茶、凄い人たちだ。でも、やっぱり私も、エンプレスになるのは、絶対に、リリーシャさんがいいと思う。

 色々考えている内に、アラームと共に、マップが表示された。間もなく、ゴール地点の自宅だ。私は、ラストスパートで、一気にペースを上げた。まだまだ、足にも体力にも、余力がある。やがて、自宅が見えてくると、勢いよく、門を通過した。

「ゴーール!」
 私は、軽くガッツポーズをとったあと、ゆっくり息を整える。
 
 タイムを見ると、考え事をしていた割には、非常にハイペースだった。最近は、すっかり体が覚えているので、色々考えていても、ちゃんとしたペースで走ることが出来る。

 それにしても、誰が次期エンプレスになるんだろう? 私だって、エンプレスの夢を、捨てた訳じゃないけど。まずは、クイーンを、狙わなければならないし。そもそも、事故がなければ、今でも、アリーシャさんが、エンプレスだったはずだ。

「ま、今は、自分のやれることを、精一杯、頑張らないとね。とりあえず、シャワーを浴びて、ご飯を食べて。あとは、今日の案内の、予習もしないと」

 念入りにストレッチをしたあと、軽い足取りで、家に向かう。こうして今日も、充実したシルフィードの一日が、始まるのだった……。


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次回――
『助け合わないと人は前には進めないと思う』

 我々がいつも互いに助け合っていれば、誰も運など必要としないだろう
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