日々、思う事、常々

女言葉について

　私は 私の小説の世界において、リアリズムという 永遠のテーマ的美学を追求して来た。それは無謀だとも思えるくらい 飽くなき挑戦であった。身の回りに起こる事を ありのままに小説の世界へうつしとること。
　そんな現実主義を掲げていた私が、当時、最も食えない相手だといがみ合っていたのが、『女言葉』であった。
　女言葉とは、ご存知の通り、「何々だわ」とか「何々なのよ」という、女性特有の言葉づかいで、それはあの谷崎潤一郎によると、日本の口語のみが有する長所とさえ言わしめた言葉ではあるが、その一方で、私の身の回りでは、そんな言葉は使用しない。年配の女性の、しかも一部の上品な人しか使わない。そういう意味で言えば、女言葉とは、メルヘンな言葉づかいとなる。「明日はいいお天気かしら」だなんて、やはりそれはおとぎ話のようで、メルヘンチックな言葉づかいだ。だから、これは、リアルではない、こう考えた私は、女言葉の使用を一時 控えた。
　ところが私はあるきっかけを経て女言葉の使用の解禁に踏み切った。そのきっかけとは、やはりあの 夏目漱石の「吾輩は猫である」である。この作品の序盤には、ご存知の通り、三毛子という「吾輩」の恋猫がいて、三毛子は「吾輩」に向かって終始 女言葉を使ってくる。
「あらいやだ、みんなぶら下げるのよ」
「あなたもよっぽど分らないのね」
　こんなふうに。
　これを普段の言葉に言い換えれば、
「なに言ってんの、みんなぶらさげているって」
「あんたも全然分からない人」
　となる。
　どうだろう。この二つのセリフを見比べてみて、後述のものは三毛子という飼い猫の印象ががらりと変わらないか？
　もったいぶった印象、悪く言えばぶりっ子の、良く言えば奥ゆかしい、そんな艶めかしい感じが、まったく失われていないか？　後述の言葉に残った印象は、やけにサバサバした野良猫だ。
　ここがポイントなのだ。
　小説は、文字だけで構築された世界。その制約された世界において、女性を女性とただ一言で終わらさないで、女性たるものを、より女性らしく、少しでも現実に近づけた奥ゆかしい人を描きたいのであらば、やはり夏目先生が描く三毛子のような言葉づかいが必要なのではないだろうか。これは先生も、当然意図して書かれている事だろうが、女言葉には、そのキャラクターに、娘らしさ、女らしさを付与させる絶大な効果がある。
　絵画の世界でも、そうだろう。山を一つ描くにしても、測量機を使って同じ寸法で描き写すのではなく、葛飾北斎の富士山のように、見せたいものを大胆に、ファンタスティックに誇張して描いてこそ、見る人に強い印象を与えるもの。実際の富士山はあんな形をしていない。
　さて ここで一つ、どうしても言っておきたい事がある。
　それは、私が文字だけで構築された世界、と言ったのであって、そもそも文字以上のものを使って、作り上げられた作品の中では、必ずしも女言葉は必要としない、という事だ。
　文字以上の手段を使うドラマや、映画。実際に女性が姿を現し声に出してしゃべっているシーン。そこでは、当然 文字ではなく、音として、声として、女性は言葉を発している。スクリーンの中で、髪型や、顔の特徴、服装などの様々な女性の情報を放ちながら、大物女優がみんなの前に顔を出して、わざわざ、小説の通り女言葉を使っているのを見ると、私はそれは違うと思う。顔が女で、声も女で、その情報が確かであれば、そこにはもう女言葉は不要なのだ。もう、娘らしさ、女らしさは、見ている私に伝わっているのだから。